オリンパスペンEE-3のカメラ修理

今日は「雷記念日」だそうですよ。
930(延長8)年のこの日(旧暦)に
平安京の清涼殿に落雷があり
大納言の藤原清貫(ふじわら の きよつら)が
亡くなったことに由来しています。
公卿たちが清涼殿に集まり
雨乞いを行っていた時の出来事だったそうです。
また不思議なタイミングというかなんというか…
この落雷は政治的な策略によって
京の都から太宰府に左遷され
そこで亡くなった菅原道真(すがわら の みちざね)の
祟り(たたり)であると信じられたそうです。
祟りかどうかはともかく落雷は本当に怖いですよねぇ
現在の住居や建物、街中にいる時には
少々ゴロゴロ言ってても何とも思いませんが
山や海で雷が鳴り始めると恐怖意外の何者でもありません。
怖い思いをしたことが2度あって
一度は浜田のビーチで雷が鳴り始めたから
海から出て屋根のある所で様子を見ていたら
ほんの100mもないくらいの沖合(自分がさっきまで海に入っていたあたり)に
思い切り落雷し、空が裂けたのじゃないかというほどの
轟音と瞬間的な眩しさにゾッとしたのを鮮明に覚えています。
もう一度は八ヶ岳登山中に雷雲がやってきて
避難はしたもののそれから数十分間
何度も落雷する爆音と光におびえる羽目になり
「運が悪かったら死んでたのでは????」と
このときも心からゾッとしました…
避けようがない場合もありますが
特にだだっ広いフィールドの中では雷雲には会わないように
気をつけるべきだと思います…
いろいろ思い出したらまた怖くなってきました(汗)

さてさて

本日は「オリンパスペンEE-3」のカメラ修理を行っております。
マニュアル露出で少々通好みの「ペンS」や「ペンD」も人気ですが
やはりペンの名前をここまでメジャーに押し上げたのは
「ペンEEシリーズ」があったからだと思います。
EEシリーズは「買ったその日から
ボタンさえ押せばだれにでも写真が撮れるカメラ」というコンセプトで
開発されたカメラです。
オートハーフあたりとも共通する考え方ですね。
セレン光電池を使用した露出計と連動するオート露出を装備し
ピントも固定焦点、巻上こそオートハーフのような
自動巻上ではありませんが
その分シンプルでより小さく軽く気軽に持ち歩ける仕様となりました。
当然のごとく大ヒットを記録し
初代EEから3代目となるEE-3まで基本的な構造は変わらないまま
25年に渡って生産される超ロングセラーモデルとなりました。
「EE-3」はペンシリーズ全体の中でも一番最後まで生産されたモデルで
1986年まで生産が続けられました。
1985年にはオートフォーカス一眼レフの祖ともいえる
「α7000」がミノルタから出ていますが
そんな電子カメラ全盛の時代にまで
このセレン連動の超アナログカメラが生産されていたことが驚きですね!

お預かりしている「EE-3」は
かなり長い間仕舞い込まれていた個体のようで
外装もかなり汚れてしまっていました。
外装だけではなく動きにもいろいろ問題があり
かろうじて露出計は生きているものの
かなりオーバー気味の指示が出ているようです。
(露出計指針の振りが足らない)
加えてシャッター羽根、絞り羽根には粘りも見られます。
EE-3なのでシャッタースピードは1/40、1/200の
2速切替なのですが現状では1/200に切り替わることができず
どんな明るいところに持っていて
露出計指針がそれなりに振っていても
1/40でしかシャッターは作動しないようです。
レンズ・ファインダーにもカビや汚れがかなり見受けられます。

…とはいえ、根本的に何かが破損しているわけではなく
電気的な部分ではセレンの劣化も多少ありますが
調整で何とかなる範囲ではあり
その他の不具合は全て長い間の汚れ等による
粘りや動作不良が原因であり
レンズ・ファインダーのカビや汚れも
清掃で十分クリアになる程度でした。
しっかり清掃整備すれば問題なく使える状態になりそうです。

画像は一通りの整備が完了した時点でのものです。
お預かり時の画像がないので比べられませんが
見違えるほどキレイになったと思います。
多少の錆び跡やキズ・スレはありますが
十分「美品」といえるレベルになったと思います。
もちろん機能的にも全く問題ない状態になっており
シャッター動作。オート露出の精度も
申し分ないレベルです。
一度、これだけしっかり手を入れておけば
定期的に使っていただければ
当分の間、快適に使っていただけると思います。
カバンの中に常に忍ばせておくには
最適な大きさと軽さだと思います。
それでいてしっかり金属製で質感も高く
適度にレトロ感もあって本当に良いカメラだと思います。

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