月別アーカイブ: 2023年1月

ヤシカエレクトロ35CCのカメラ修理

今日は「3分間電話の日」だそうですよ。
1970(昭和45)年のこの日に
日本電信電話公社の市内電話の料金が
3分間10円になったことが由来となっています。
これは公衆電話からの料金で
それまで1通話10円で時間は無制限でした。
3分間10円は長電話防止のために始められたものだったそうです。
ちょっと時期や通話料金はうろ覚えなのですが
家庭用固定電話も同じタイミングで
確か時間制に移行したと思われます。
で、「今までと違って時間制ですよー」というのを
周知させるために当時の電電公社から
固定電話加入世帯に通話タイマーの「テレマー」を
配布しているのですね。
ゼンマイ仕掛けで最大12分を測れるだけなのですが…
何でこんなことを覚えているかというと
この「テレマー」誰にも全く使われないのに
結構いつまでも実家の黒電話機の横に置いてあって
幼い頃の私のおもちゃがわりになっていたので
よく覚えているのですね(笑
余談ですが当店内のダイヤル電話(現役で普通に使えます)の横にも
さりげなく「テレマー」が置いてあったりします。
一応使えますよ(笑

さてさて

本日は「ヤシカエレクトロ35CC」のカメラ修理を行っています。
1970年発売のカメラです。
それまでのエレクトロ35は少し大柄なカメラでしたが
1969年に発売され大ヒットした「コニカC35」の影響もあり
小型化されたモデルです。
単に小型化されただけではなく(それでもC35よりは少し大きいですが)
通常エレクトロ35シリーズとは異なり
35mmF1.8という広角の大口径レンズを搭載します。
現在の基準に照らし合わせてもなかなかのハイスペックレンズです。
ただこの時代の大口径レンズなので
現在のようにボケを楽しむとかという意味合いではなく
光量が少ない場面でもなるべくシャッタースピードを稼ぐための大口径です。
まさに「ろうそく1本の光でも写る」カメラを目指すという
初代エレクトロ35からのテーマに沿ったカメラなのですね。
いずれにしてもこのCCは絞りの形も2枚羽根でちょっと特殊な形なので
開放以外では一般的にいう美しいボケは出ないかと思われます。
それにしても35mmF1.8のレンズはやはり魅力的です。
フィルムの種類も減って超高感度フィルムはほぼ存在しない今でも
夜間や室内の撮影で大変重宝すると思います。
シャッターユニットもコパルエレクではありますが
他のエレクトロとは少々異なり2枚羽根で最高速は1/250です。
電池は4LR44(4SR44)を使用します。

お預かりしている「CC」は電池室が腐食してしまっていて
まずは電源が入りません。
確認してみると端子も緑青が吹いていて接触不良ですが
その端子の裏に繋がる配線も腐食を起こして
断線状態となっています。
とりあえず仮に繋げてシャッター制御の確認を先に行ったのですが
シャッター制御も上手くできておらず
全ての明るさでかなりアンダー目に切れるようです。
特にスロー時にシャッターを開いた状態で保持できない感じです。
ただ、スロー警告は比較的正しく出ているので
マグネットの汚れ等による吸着不良かと思われます。
いずれにしても電子制御のシャッターなので
各電気接点の清掃整備は必要となってきます。
さらにエレクトロ35定番の
レリーズ軸ゴムブッシュ劣化の症状も出ています。
オートが上手く制御できていないのは
こちらも一因になっていると思われます。
もちろんブッシュは腐食しにくい素材のものに交換で対処します。

いくつかトラブルを抱えた状態ではありますが
いずれもエレクトロではよくあるパターンのトラブルなので
今回も何とか修理可能かと思われます。
古い電子制御機なので
どうにも修理不可能な場合もありえます。
今回はその心配はなさそうです。
まずはシャッターユニット周りから一通りの整備を行っていきます。
機械的な整備はもちろんですが
電気接点をより入念に清掃していきます。
もちろん各配線の状態もチェックしていきます。
やはりシンプルな機械制御レンズシャッタよりは手間はかかります。
できる限りの整備を行って安定して動作する状態に仕上げたいと思います。

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トプコン35-Sのカメラ修理

今日は「人口調査記念日」なのだそうですよ。
1872(明治5)年のこの日に
明治政府による日本初の全国戸籍調査が
行われたことが由来となっています。
この調査による当時の人口は3311万825人だったそうです。
2015(平成27)年の国勢調査による日本の総人口は
1億2709万4745人で、9000万人以上増えたことになるそうです。
おおよそ150年で4倍弱になったわけですね。
これからは人口減が予想されていますが
まだまだ日本の人口は多いのですねぇ…
年代構成は言い始めるといろいろあるので
さておいて、もし150年前と同じような人口で
周りに今の1/4くらいしか人がいなかったらと思うと
例え都内だったとしても
かなり寂しいものがありますし
おそらく私のようなニッチな商売はやっていけないですね(苦笑)

さてさて

今日は「トプコン35ーS」のカメラ修理を行っています。
トプコン35シリーズはこの「S」以前は
目測のシンプルなレンズシャッター機でありながら
レンズ交換可能な少々変わったカメラでした。
今回の「S」はそこからガラッと変わって
レンジファインダー搭載で
トプコール4.4cmF2レンズを固定式にした
比較的この時代のオーソドックスなカメラとなりました。
発売は1956年です。
一見、この時代に多いレンズシャッター機に見えますが
いろいろとトプコンらしいこだわりというか
「35-S」ならではの特徴も多く見られます。
まずファインダーは贅沢にプリズムを使用した
等倍ファインダーです。
コニカⅢAあたりの整備時にもよく書きますが
等倍ファインダーは両目を開けて
ファインダー外の様子もうかがいながら
両目でみる視野の中にぽっかり浮かんだ
ブライトフレームでフレーミングができ
さらにそのまま距離計二重像でピント合わせも行えるという
一度この使い方にはまってしまうと
なかなか抜けられなくなる気持ち良さが特徴です。
片眼でファインダーを覗きながら両目で視野を見ることに
少しばかり慣れが必要が部分もありますが
それほど慣れることに時間はかからないと思います。
加えてこのファインダーの見え方も非常に明るくてクリアで
片眼でじっくり見てもすこぶる気持ち良さです。
そして巻上はフィールがまた独特なダブルストロークです。
さらにこの時代としては先進的なセルフコッキングです。
実は前身の「トプコン35A/B」でも
既にセルフコッキングを搭載していました。
まだまだ50年代のカメラは巻上とシャッターチャージは
別々に行うカメラが多かった中でこれは本当に先進的ですし
実際の使い勝手も格段に良くなります。
シャッターユニットは当時の最高級ユニット
「セイコーシャMX」でB・1秒~1/500までカバーします。
ただしセイコーシャのシャッターなので
例のごとく1/500は別バネ使用の特殊なSSです。
巻き上げてからの1/500は実質不可能ですし
壊れる可能性が非常に高いので
1/500セットは必ず巻き上げる前に行います。

前置きが長くなりましたが
お預かりしている「35-S」はまずはシャッターがかなり粘っていて
SS設定に関わらず羽根がゆっくりと開いていくような状況です。
もちろんこのままでは撮影に使えません。
通常の明るさであれば全ての写真が真っ白になってしまうと思われます。
ここのところレンズシャッター機が続いているので
毎日羽根粘りや固着について書いているような気がしますが
やはり今回も絞り側にも粘りが見られ
今のところは動きに問題はないものの
絞りリングの動きは重めです。
固着してしまった場合はシャッター羽根は
動かないだけで済みますが
絞り羽根の場合は人力で絞りリングを無理に動かすと
羽根破損に繋がる恐れもありますので
絞り羽根の粘りには敏感に対処します。
他、各部の動きにも若干粘りが見られることと
距離計二重像は大きく縦ズレしています。
こうなるとせっかくの快適な等倍ファインダーも台無しですので
しっかり調整して快適なフレーミング&ピント合わせが
行えるようにしていきます。

対物レンズ側から見ると
ミラーっぽくみえるプリズムファインダーが
特徴的ですが何ともカッコ良いですよね。
まだ取り掛かり始めですが
これからまずはシャッターユニット周りの
清掃整備から取り掛かっていきます。
ここのところ同じような年代のカメラが続いているので
毎日のように言いますが
50年代の国産カメラは本当に美しくて個性的で
魅力的なモノが多いですよねぇ…
このトプコンも個人的に欲しくなってしまうようなカメラです。

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リコーフレックスミリオンのカメラ修理

今日は1月28日
1986(昭和61)年1月28日に
アメリカのスペースシャトル「チャレンジャー号」が
打ち上げ後、わずか74秒で大爆発を起こし
乗務員7人全員が死亡する事故がありました。
当時、私は16歳で高校生
かなり衝撃的な映像で当時のことはよく覚えています。
「チャレンジャー」は最初に宇宙空間を飛行した
「コロンビア」に続く機体で
既に10回目の飛行だったのですよね
この頃になるとスペースシャトル飛行のニュースも
比較的慣れてきた頃で
「普通に飛んで帰ってくるのが当たり前」みたいな雰囲気もあっただけに
世界的にも大ニュースとなりました。
ちなみに「コロンビア」も2003年に大気圏再突入時に
空中分解する事故を起こしています。
宇宙に飛ぶような宇宙船やロケットはもちろんのこと
空を飛ぶ飛行機、1tを超える重量で道路を走り回る自動車
もっといえば自転車だって命に関わるトラブルはありえます。
機械モノ全てに言えますが特に乗り物は
命を乗せているとも言えますので
そう考えるとちょっと怖いですよねぇ…
まぁ、あまり考えすぎや心配し過ぎも良くないと思いますが…
話がそれましたが
そんな風にいろいろ考えさせられる
ショッキングな事故でした。

さてさて

本日は「リコーフレックスミリオン」のカメラ修理を行っています。
1950年代のいわゆる「二眼レフブーム」で
最も売れた二眼レフがこの「リコーフレックスシリーズ」かと思います。
特にギアによる前玉回転式焦点調節となり
いわゆる「リコーフレックス」らしい仕様となった「Ⅲ」から
今回の「ミリオン」までのプレスボディーモデルは
シンプルな構造に二眼レフとしては軽量コンパクトで
生産方式もかなり合理的にされ価格も
それまでの多くの本格的カメラの半額以下に抑えられ
爆発的に売れました。
一時期の日本全体のカメラ生産量の50%以上を
リコーフレックスが占めるほどのベストセラーとなったと言われています。

今回お預かりしているのは「リコーフレックスミリオン」ですが
おそらく1958年にマイナーチェンジされた
「ニューミリオン」かと思われます。
裏蓋赤窓部が変更されていて通常の6x6判のみならず
6x4.5や4x4の窓に切り替えることが可能となっています。
ただし本当に別フォーマットを使うためには
中枠も専用のモノに入れ替えないとなりません。
それ以外は通常の「ミリオン」とほぼ同様です。
さらに「ミリオン」は基本的には「Ⅶ」とほぼ同様の仕様です。
シャッターユニットにはヴァージョン違いもありますが
今回のミリオンはリケンシャッター搭載で
B・1秒~1/300をカバーします。
レンズは3群3枚リコーアナスチグマット80mmF3.5です。

まずレンズシャッター機の定番で
シャッター羽根に若干の粘りが見られます。
動作できないほどではないですが
明らかにシャッタスピードは全体的にオーバー気味です。
加えて絞り羽根にも油滲みがみられ
こちらは動きにも支障が出ています。
いつも書きますが絞り羽根に油滲みのある場合
動きに支障をきたしているものが多く
それを無理に動かしていると絞り羽根の破損に繋がります。
今回もかなり怪しい状況だったので
動作確認は最小限にとどめておいて清掃整備を早急に行います。
さらにスローガバナにも粘りが見られます。
やはりシャッターを中心にいろいろいと動作不良が見られる状態です。

画像は一通りの整備が完了した段階でのモノです。
これも定番ですがファインダーミラーは
劣化がかなり進んでいて激しく曇っています。
スクリーンもできる限り清掃しますが
ミラーは交換で対処します。
リコフレ最大の特徴の前玉ギアも整備を行い
非常に滑らかに動作すようになりました。
もちろんシャッター・絞りの動作も全く問題なくなっています。
レンズもできる限りの清掃を行っています。
詳しい資料がないので概算ですが
当時のそれなりの使用に耐える本格的カメラは
ざっくり2万円ほどのものが多かったのですが
リコーフレックスは「Ⅲ」デビュー時に6,800円で発売されました。
このニューミリオンもケース付きで6,800円だったそうです。
圧倒的にお安かったのですね…
確かに機能的にはシンプルで最小限ですが
造り自体はしっかりとしていて
どこにも安っぽさがありません。
レンズ周りの造形なんて見とれてしまうぐらいの高級感があります。
そのあたりの質感の高さも大ヒットした要因なのでしょうね。
昨日も書きましたがこの時代の国産カメラは
どれも個性的で質感高いモノが多く
見ると欲しくなってしまうようなものが多いですね。

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コニカⅠのカメラ修理

今日は「国旗制定記念日」だそうですよ。
1870(明治3)年のこの日(旧暦1月27日)、
明治政府が日の丸を国旗とする太政官布告だじょうかんふこくの商船規則により
国旗のデザインと規格を示したことが由来となっています。
現在の新暦だと2月27日なのですね。
それ以前にも日の丸の旗は存在し「商船国旗」として
定めらていたそうです。
ただ規則ができるまでは船により
それぞれ異なるデザインの旗が掲げられていたのだそうです。
当時の規格は、縦横の比率は7:10で
日の丸が旗の中心から旗ざお側に
横の長さの100分の1ずれた位置とされていました。
その後、比較的近年ですが
1999(平成11)年8月9日に
「国旗及び国歌に関する法律」が成立、
8月13日に公布・即日施行され
日の丸・君が代が国旗・国歌として法制化されました。
国旗の縦横の比率は2:3、日の丸の直径は縦の長さの5分の3
日の丸は旗の中心の位置。色地は白色、日の丸は紅色とされています。
昔は祝日のたびに玄関や門に国旗を掲揚するのが
普通でしたがいつのまにか習慣がなくなってしまいましたねぇ
うちも小さな日の丸の旗を祝日の朝は掲げていて
子供の頃にちょっと楽しみだったのですよねぇ

さてさて

本日は「コニカⅠ」のカメラ修理を行っています。
一般向けのコニカブランドとしては
この「Ⅰ」が最初のカメラとなります。
それまでに対米輸出及び米軍PXで発売されていた
「コニカ・スタンダード」とほぼ同じカメラです。
1948年の発売時にはスタンダードと同じく
ヘキサー50mmF3.5が搭載されていますが
1950年には50mmF2.8を搭載したモデルが追加されています。
シャッターはコニラピッドSでB・1秒~1/500をカバーします。
もちろんレンジファインダー搭載です。
レンズが沈胴式となっています。
シンプルでコンパクトなレンズ一体型レンズシャッター機です。
まだセルフコッキングではなく巻上とシャッターチャージは
別々に行います。巻き止め機構は搭載されていますが
二重露光防止機能等もないので
巻上~チャージ~レリーズの一連の動作は気をつけないと
意図しない多重露光や未露光のコマを作ってしまう可能性があります。
シャッターチャージ&レリーズも
シャッターユニットから直接出ているレバーで行うタイプです。
操作にはこの時代のカメラならではの不便さは少々ありますが
これも慣れてしまえば操作する楽しみになると思います。

お預かりしている「Ⅰ」はシャッターは動作しているものの
やはり少々粘りが見受けられます。
加えて絞り羽根にはかなりの油滲みが見られます。
絞りそのものは動作していますが
油滲みがある場合、そのうちに粘ってくるでしょうし
シャッター羽根と違って絞り羽根を動きにくいままに
動作させていると最悪の場合、羽根破損に繋がり
修理不可能となってしまう可能性もあります。
油滲みが絞りに見える場合は早めに対処するべきかと思います。
他はスローガバナーに粘りが見られ
ファインダーはかなり汚れが目立つ状況です。
やはり一通りの清掃整備が必要な状態だと思います。

まだこれから本格的に分解整備に取り掛かる状況です
上カバーのコニカのロゴが何ともレトロポップでいい感じです。
50年代のレンズシャッター機は
こういうレンズ固定型レンジファインダー機にしても
いわゆるフォールディングカメラや二眼レフにしても
どれも質感が高くカメラが高級嗜好品だということが
よくわかるデザインのものが多く
どのモデルも何とも魅力的ですね。
機能的にもシンプルでキチンと整備すれば
現在でも全く問題なく撮影できるものが多く
趣味のカメラとしてはいいモノが多いと思います。
今回の「Ⅰ」もしっかり整備して
ご依頼者様に存分に撮影を楽しんでいただきたいと思います。

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オリンパスペンDのカメラ修理

今日は「モンチッチの日」だそうですよ。
これもまた懐かしいですねぇ…
モンチッチの誕生日である1974(昭和49)年1月26日が
日付の由来となっています。
私が小学校に上がる前くらいだったかな…
国内では大ブームが起きていて
おもちゃやさんには当然だし
それ以外にもうたるところでモンチッチを見かけていたような気がします。
うちにも何体かあったような気が…
で、調べてみるとモンチッチって国内だけにとどまらず
世界的にもブームになっているのですねぇ
1975年から海外輸出を開始し
その後ヨーロッパ全体へ広がり
また1980年からはアメリカのマテル社との版権契約が結ばれ
アメリカにも進出し、南アメリカや南アフリカにも輸出されたそうです。
この間の1979年~1985年にモンチッチは世界的な大ヒット商品として
一大ブームを巻き起こしたのだそうです。
その後、日本ではブームの終焉に伴い
一時販売が休止されますがフランスでは現在に至るまで
ずっと販売され続けているそうです。
日本でも1996(平成8)年から再び発売されています。
何だかモンチッチ人形欲しくなってきました…(笑
ところで…JR新小岩駅前北口広場に
「モンチッチくん」「モンチッチちゃん」の銅像があるらしいです。
近くまで行くことあったら見に行きたいですねぇ…

さてさて

本日は「オリンパスペンD」のカメラ修理を行っています。
ペンシリーズの最高級モデルというポジションのカメラが
「ペンDシリーズ」です。
ペンD、D2、D3、少し異端児ですがEEDというモデルが存在します。
最初の「ペンD」の発売は1962年です。
Fズイコー3.2cmF1.9の大口径レンズを搭載し
セレン光電池を使用した露出計も装備します。
シャッターは5枚羽根のコパルXで最高速は1/500
スロー側も1/8までカバーします。当然「B」もあります。
露出計は本体側からの連動はなく
シンプルにLV値を指針が指示するタイプです。
SS・絞りリングに連動する鏡胴側表示窓に設定LV値が
表示されるのでそれを合わせて露出設定してきます。
個人的には連動のないシンプルな露出計は
使い方にも融通が利くので良いと思います。

ただその露出計がセレン光電池を利用するタイプなので
やはりセレンの状態が悪いものも多く
精度が出ない修理不可なものも数多く存在します。
今回お預かりしているペンDに関してはそこに問題は全くなく
詳しく測定してみても露出計は通常の使用に
全く問題のない値を指示しています。
露出計は問題ないもののシャッターには少々問題を抱えています。
ペンシリーズにありがちな巻上が一コマ分で終わらず
2コマ進んでしまうことが多々あるようです。
これの直接の原因はシャッター羽根の粘り及び動作不良で
きちんと動作後に閉じ切っていないため
巻上が止まらない症状がでてしまいます。
シャッター自体は一見正常に動作しているように見えるのですが
やはり羽根の動きは少々緩慢で
羽根の汚れや油滲みがあるものと推測されます。
さらに裏蓋がビクとも開きません。
何か変形してしまってロックが外れないのかと思ったのですが
よくよく外から動きを観察してみると
ロック自体ははずれているようなのですが
蓋自体が貼り付いてしまって固着してしまっているようです。
外から開けるのはなかなか苦労しましたが
(ここで力任せに無理矢理開けようとすると
たいていの場合、悲惨なことになります)
いろいろな手段を使って慎重に開けた結果
やはり前回のモルト貼りに失敗してるのか
蓋底部に大量の接着剤のはみ出しが見受けられ
それが完全に裏蓋底部を接着していたようです。
原因がわかれば何てことはないのですが
その箇所が見えない部分で手探りで原因を探すと
下手なことはできないのでなかなか大変です。

画像は一通り整備が完了した段階でのモノです。
シャッターは精度も含めて非常に快調に動作するようになり
もちろん巻上も正常なタイミングでキチンと止まります。
レンズ・ファインダーにそれなりのカビや汚れがありましたが
全く問題ないレベルまでクリアに清掃できています。
もちろん裏蓋もスムーズに外せるようになりました。

外装もできる限り磨き上げたので
ピカピカです。
これでご依頼者様にも気持ちよく使っていただけると思います。
もう少しだけ時間をおいて様子見の後
最終テストを行い問題なければ完成となります。

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ヤシカマットのカメラ修理

今シーズン最強の寒波が襲来とということで
昨夜から今朝にかけては全国的にかなり強烈に冷え込んでいます。
都内はいい天気で雪こそないですが
それでもキンキンに冷え込んでいます。
私も仕事場にいても冷えるのでこっそきカイロ貼りまくりです。
そんな1日のスタートですが
今日は「日本最低気温の日」だそうです。
やはりこの時期は冷えるのですねぇ…
1902(明治35)年のこの日に
北海道上川地方旭川市で日本の気象観測史上の最低気温である
マイナス41.0℃を記録しています。
これが日本の最低気温だそうです。
これ以外にも1978(昭和53)年2月17日に
北海道の幌加内町母子里(ほろかないちょうもしり)の
北大演習林でマイナス41.2℃を記録していますが
気象庁の公式記録の対象から外れていたため
公式では先述の旭川市の記録が最低気温となっているそうです。
ちなみに富士山頂の最低気温としては
1981(昭和56)年2月27日にマイナス38.0℃を記録しています。
年間平均気温(1981~2010年)は富士山頂がマイナス6.2℃、
旭川市が6.9℃で、富士山頂のほうが13.1℃も低いのだそうです。
さすが標高3776mですね。
年間平均気温で見ると富士山頂が日本で最も寒い場所と言えるのだそうです。
そんな殺人的な数字を見た後だと今朝のマイナス2℃くらいなんて
なんとことはないような気もしますが
いやいや、寒いモノは寒いです!
早く暖かい季節になってほしいものですね…

さてさて

本日は「ヤシカマット」のカメラ修理を行っています。
ヤシカの二眼レフと言えば「ヤシカフレックス」が有名で
同じヤシカフレックスでも種類も多く
なかなかモデルの判別が難しいカメラなのですが
今回の「ヤシカマット」は
当時のヤシカ二眼レフの最上位機種にあたるカメラです。
1957年発売でクランク式の巻上で
ヤシカ初のセルフコッキング(巻上と同時にシャッターチャージを行う)を
搭載しています。
二眼レフだけでなく当時のレンズシャッター機で
セルフコッキング搭載機となるとやはり最高級機ですね。
レンズはルマクサー銘の4枚玉80mmF3.5です。
シャッターはこちらも最高級のコパルMXVで
B.1秒~最高速1/500までをカバーします。
SS・絞り設定も操作しやすいダイヤル式で
値の表示はミノルタオートコード等と同様に
ビューレンズ上部の窓に集中表示します。
撮影ポジションのままで確認できるのは本当に便利です。
ファインダー内もいわゆる方眼マットのスクリーンで
一般的に水平の出しにくいと言われる二眼レフでも
非常に使いやすく構図の決めやすいファインダーになっています。
フィルム装填はスタートマーク合わせのセミオートマットです。
どこをとっても最高級機にふさわしい内容になっていると思います。

お預かりしている「ヤシカマット」は
ご依頼者様のお父様が使っておられたもので
かなり長い間、使われないまま間に眠っていたものと思われます。
使っていない間に巻上のトラブルがあったものと思われ
そこで無理に動かしてしまったのか
巻上のクランクは一部破損して外れてしまっています。
巻上クランクはとりあえずシャッターの状況だけでも
確認できるようにとりあえず回せるように仮にセットしたのですが
やはり巻上げ自体にもトラブルを抱えていて
シャッターチャージが上手くできません。
さらに何とか強制的にチャージを行っても
シャッターはシャッターで羽根粘りを起こしている状態です。
レンズもかなり白く曇っており
このままだとまともに写真は写らないと思われます。
ファインダーはミラーがかなり劣化で曇っており
スクリーンもかなり汚れているような状態です。
クランクだけではなく全体の機能に問題を抱えているような状態です。

まだ現状を確認しただけの状態です。
心配なのはレンズの白濁に近いクモリですが
コーティング劣化はしかたがない部分もありますが
何とか普通に写るレベルには持っていけるような感じです。
貼り合わせ部にバルサム切れ等がないのが
不幸中の幸いです。
クランクは今は仮留めですぐに外れてしまう状態ですが
代用部品等を使ってきっちり修復していきます。
他はミラー交換等を行い動きの悪い部分や汚れている部分を
徹底的に清掃した上で調整を行っていく感じです。
細かい現状チェックである程度、整備できる道筋が経ったので
これから集中して分解整備に取り掛かっていきます。

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コニカオートSのカメラ修理

今日は「カレーライスの日」だそうですよ。
1982(昭和57)年のこの日に
学校給食創立35周年を記念して
全国学校栄養士協議会が学校給食試食会を実施。
全国の小中学校の児童約800万人にカレーライスの給食が出されたことが
由来になっているそうです。
この当時は私。。。ギリギリ小6ですねぇ。。。
(私の住んでいる地域では中学は給食ではなかった)
じゃ、この日に給食でカレー食べてるはず!
それ以前からもいわゆる「米飯給食」が月に数回あったので
カレーやハヤシが給食で出ていましたね…
これがまた学校で食べると美味しいのですよねぇ
先割れスプーンも懐かしいなぁ…
給食はさておき、カレーライスはたまに無性に食べたくなりますよね!
カレーショップのカレーはもちろん美味しいですし
家で手軽に食べるレトルトのカレーも美味しいですよね!
ベースとなっているのはもちろんインド料理ですが
カレーライスの発祥はイギリスなのですね
で、日本で独自の進化・変化をして現在に至ります。
もはた完全に日本の「国民食」ですよねぇ
あぁ。こんなこと書いていると無性にカレーライスが
食べたくなってきました。
糖質制限しているからご飯が大量に進む
カレーライスはあまりよくないのですが…
今夜あたりたまにはいいかな…(笑

さてさて

本日は「コニカオートS」のカメラ修理を行っています。
1950年代末にはコニカのレンズ固定式レンズシャッターカメラは
昔ながらの「Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」のシリーズから
直線的デザインの「Sシリーズ」にモデルチェンジしていて
さらにこの「S」をベースに
シャッタースピード優先オート露出を搭載したカメラを開発します。
それが今回の「オートS」となります。
「S」ではセレン光電池使用だった露出計が
「オートS」ではCdS使用の露出計に変更されています。
シャッターユニットもオート対応の為、コパルSVAに変更されています。
レンズはヘキサノン47mmF1.9です。
後の「オートS2」になるとCdS受光部がレンズ枠内に移動されますが
今回の「オートS」では巻上側肩口に配置されます。
感度切替が装備されていて低輝度にもある程度対応します。

お預かりしている「オートS」は
まずシャッターが全く動作しません。
シャッターはチャージ状態と思われますが
レリーズボタンを押しても全く反応はありません。
セルフタイマーが引き上げられいて
レリーズしても全く動かないため
最初はセルフ固着が原因か?とも思ったのですが
シャッターが切れないから苦し紛れに後から
セットしたセルフがさらに固着していた…というパターンのようです。
強制的にセルフを解除しても状況は変わりませんでした。
…となると…レンズシャッター機では定番の羽根固着と予想しますが
羽根も粘ってはいるのですが
今回は羽根固着ではなくて元々のシャッター羽根駆動軸が
かなり強烈に固着してしまっているようです。
羽根自体は油で粘ってはいますが
全く動かないほどには固着していません。

絞り羽根も当然のように粘っているので
後でシャッターユニットを分離して羽根清掃を行いますが
まずはこの状態から羽根駆動軸周りの修理整備を行っていきます。
この駆動軸の固着が今回はなかなか厄介でした…
単なる汚れや古い油で粘りに加えて
軸自体の錆も原因になっているようです。
それでも何とか精度も含めてまともに動作するようにはできそうです。
CdS搭載ということで当然、電池室もあり
ここも定番の配線やハンダの腐食がやはりあるようです。
何とか断線はしていなかったのですが
配線をピンセットでつまんで軽く揺すると
電池室裏のハンダは簡単に剥がれ落ちてしまいました。
ただ腐食が基板やCdSにまでは及んでいなかったのが不幸中の幸いです。
さらにオートS系では非常に多いのですが
距離計二重像第一反射面のミラーが作業中に落下してしまいました。
二重像が大きく縦ズレしていたので警戒はしていたのですが
案の定、外れかかっていたようです。
オートS系のミラーって…外れてしまっている
あるいは外れかかっているパターンが非常に多い気がします。
距離計調整やオート調整は後で行いますが
まずはシャッターユニットの整備調整から取り掛かります。

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ミノルタオートコードLのカメラ修理

今日は「スイートピーの日」だそうですよ。
日付の由来はこの時期が一年でいちばん香りが豊かで
きれいに輝くことと、
スイートピーの花弁が左右対称で
3種類の花びら(旗弁、翼弁、舟弁)からなり
それぞれ1枚、2枚、1枚あることから「121」の1月21日としたそうです。
あの独特の花びらが特徴的ですよね。
春の花のイメージが強いですが
早春の花なのですね。
そして何と言っても世代ど真ん中な私にとっては
スイートピーというと
松田聖子さんの「赤いスイートピー」を思わず口ずさんでしまいますね。
この曲のおかげで当時スイートピーの認知度も
一気に高まったそうです。大ヒットしましたものね。
ちなみに由来とは直接関係ないそうですが
この曲は1982年(昭和57年)1月21日にリリースされており
「スイートピーの日」と一致しています。
赤系のスイートピーもいいですが
やはりピンクがスイートピーらしいかなぁ…

さてさて

本日は「ミノルタオートコードL」のカメラ修理を行っています。
国産二眼レフ最高峰とも言えるオートコードの前期型に
セレン光電池使用の露出計が装備されたカメラです。
発売は最初のオートコードと同じく1955年ですが
「L」は前期型の1ヶ月ほど後に追加発売されているようです。
違いは露出計だけではなく
無印の前期型はシャッターユニットがシチズンMXVで
シャッター最高速は1/400ですが
「L」はセイコーシャラピッド(後にセイコーシャMX)を搭載し
最高速は1/500となっています。
ただ他のカメラでもそうですがこの時期のセイコーシャの1/500は
別バネを使った少々強引な構造なので
通常でも1/500にセットするのは重いですし
巻き上げた後だと半端なく重くなり
各部に負荷がかかるのでチャージ後に1/500セットするのは厳禁です。
余談ですが私が祖父から引き継いで個人的に持っていて
今も使っているオートコードも「L」で
セイコーシャラピッド搭載モデルです。

お預かりしている「オートコードL」はセイコーシャMX搭載モデルです。
レンズシャッターでは定番のシャッター羽根の粘りが発生していて
シャッターを切ると設定SSに関わらず
ゆっくり羽根が開いて閉じていきます。
さすがにこれでは全ての写真が真っ白になると思われます。
一度シャッターを切るとしばらくは一見普通に切れるようになるのですが
5分も間を開けると再びゆっくり羽根が開閉します。
実際の撮影では連射することなんてほとんどないでしょうから
やはり全てのコマで粘りが出てしまうと思います。
セレン光電池に関しては劣化していると残念ながら修理不能ですが
測定してみると実際に屋外で使う場合に多い
LV15~LV10の範囲では+1段オーバーという感じです。
一定にズレているのでASA感度設定を1段アンダーにしておけば
(実際使うフィルム感度が100ならば200にセットする)
ほぼ適正露出が得られると思います。
ここは使い手の方で臨機応変に対応するしかないですが
+1段くらいなら実用としては問題ないと思います。
他、フィルム面のピントに問題はないのですが
ファインダー上のピントが少しズレているようなので
(スクリーンの位置の問題)
調整を行って問題ない精度にしていきます。
まだ現状を確認しただけの段階なので
これから本格的に分解整備に取り掛かっていきます。

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オリンパスOM-1のカメラ修理

今日は二十四節気でいうところの「大寒」です。
例年ではこのあたりが1年で最も寒い時期ですね…
天気予報を見ていると
来週半ばには今シーズン最強の寒波襲来…とか…ほんとイヤですね(苦笑
「大寒」に関連して今日は
「血栓予防の日」だったりします。
これもまたイヤな記念日ですねぇ(笑
この最も寒い時期に血栓ができやすいことからこの日に制定されていますが
20日を「2(ツ)0(マル)」(詰まる)と読む語呂合わせでもあるそうです
ほんとイヤな感じですね(笑
私も3年前の2月に脳梗塞やってるので血栓が命に関わることは
重々承知しています。
この寒さに高血圧とかが重なると恐怖でしかありませんよね
統計的にもこの時期の脳梗塞や心筋梗塞は多いそうでなので
無駄に身体を冷やして血管を収縮させないように注意が必要です。
夏に暑いのも困りますが冬寒いのは本当にイヤですねぇ…
とりあえず早く暖かくなってほしいです。
今日もしっかり着込んでカイロ貼って
暖かくして仕事しています…

さてさて

今日は(も)「オリンパスOM-1」のカメラ修理を行っています。
ここに来てさらにまた「OM-1」の修理が多いですね。
「軽量コンパクトな一眼レフ」の代表機種であり
さらに「機械式シャッター」という括りを加えると
まず一番に「OM-1」が思い浮かべる方が多いのではないかと思います。
これ以外だと「MX」くらいしかないですものね。
でもやはり誰も実際にはアプローチできなかった
このジャンルに最初に取り組んだ「OM-1」が
偉大であるとは思います。
どうしても小ささばあkりに注目されることが多いですが
「OM-1」はただ単に「軽量コンパクト」なだけではなく
その作動音が非常に静かな上に音質も上品です。
特にミラー作動音の静かさは際立っていると思います。
構造を見てみるとエアダンパー等も使って
やはり相当に対策や工夫がされていることがわかります。
個人的にはその作動音の上品さに加えて
独特のちょっとシャリシャリ感のある軽快な巻上が
何とも魅力的だと思っています。
ちゃんと整備されたOM-1ではこの巻上フィーリングが
何とも言えず気持ちよいのです。
巻上が気持ち良いカメラは撮影するテンションが確実に上がります!

そんな魅力たっぷりのOM-1ですが
これだけ小さく造られた上に静粛性も高いとなると
やはり少しばかり華奢な部分もどうしても出てきます。
それでもOM-1が現行製品だった1970年代当時であれば
大した問題ではなかったとは思われますが
さすがに製造から50年以上経過した現在では
その少しばかり華奢な部分がトラブルの原因となることも多くなってきます。
お預かりしているOM-1は
まずミラーがあがったまま降りてこない状態です。
この状態で巻上はできるのですが
巻上が完了した瞬間にシャッターが切れてしまいます。
確かに構造上、ミラーが上がった状態になっているのだから
シャッターチャージロックは常に解除されている状態なので
チャージしてもチャージ完了した時点で切れてしまうということですね。
シャッター幕もキレイに走行が完了しているとはいえず
微妙に走り切っていない状態で止まっています。
そのためミラー段ができない状態になっているようです。
ミラー駆動部側の動作不良もありますが
主な原因はシャッター幕の走行不良にあると思われます。

現段階では断言はできませんが
シャッターを中心に機械的に動きの悪い部分を徹底的に
清掃整備して動きをスムーズにしてやれば
問題は解消されるのではないのかと思います。
ちなみにフィルムカウンターも動作不良を起こしているようです。
ミラーアップしたままだったので
ファインダー内は細かくはチェックできていなかったのですが
指でミラーを降ろして確認した感じでは
プリズム腐食もほぼ見られない状態だったので
対策済みかな…と予想していたのですが
開けてみるとこれまでに全く整備されたことはない個体のようで
プリズムにも加水分解したモルトがべったり付着していました。
「うお…よくこれでプリズム腐食していないな…」と思うほどでした。
厳密に言うとプリズムにも多少の腐食が見られるのですが
ファインダー内ではそれほど目立つほどではありません。
よくこの状態でその程度ですんでいると思います。
保管環境は悪くなかったのでしょうね。
電池室にも当時の水銀電池が入ったままになっていましたが
配線等にはそれほど大きなダメージはないようです。
念のため配線は交換で対処しておきます。
とにかく機械的な動きに音大が多い個体なので
入念に動きを確かめながら整備を行っていきます。

ニコンFのカメラ修理

今日は「118番の日」だそうですよ。
118番…緊急通報用電話番号でありながら
「110番」や「119番」に比べて認知度が明らかに低いですよね
確かに海上での事件・事故の緊急通報用電話番号なので
通常の生活ではまず身近に感じることはないですものね…
海上保安庁って個人的には少し身近に感じることもあって
私が生まれ育った呉氏の二河川河口に
第六管区呉海上保安部があって
その脇の防波堤や公園でよく学校サボって
海見てぼーっとしてたのですよねぇ(笑
だから直接お世話になることはなくても
保安庁の船はよく見ていて
時には訓練している様子も見られたこともあったので
何となく身近に感じるのです…
海上でのトラブルに見舞われることは
通常はそれほどないとは思われますが
118番の認知度はちゃんとあがってほしいものですね!

さてさて

本日は「ニコンF」のカメラ修理を行っております。
言わずと知れた伝説のカメラですね。
その堅牢性は当時のカメラとしては群を抜いており
過酷な状況で使われることの多い
プロカメラマンの世界で圧倒的に支持されたカメラです。
同時に日本製カメラ全体のイメージを押し上げたカメラだとも思いますし
このカメラが出ていなかったら
一眼レフ機の普及はもう少し世界的にも
遅れていたのではないかとも思います。
それほど影響の大きな1台となったまさに「伝説のカメラ」です。
何と言ってもその丈夫さが最大のセールスポイントですが
発売開始から65年以上が経過する現在見直してみても
その使われている部品のオーバースペックぶりには
驚くしかありません。
さすがに油切れや逆に古い油脂類や汚れの粘り等で
動きが悪くなっている個体はみかけますが
その動作部品自体に問題を抱えている個体はほぼ見かけません。
部品に関することで弱点と言えば
やはりプリズム蒸着で蒸着剥がれを起こしている個体は多く
接眼部のモルトが起因する場合と
当時の蒸着技術だとやはりプリズム頂点部の蒸着が弱いらしく
頂点部に剥がれが起きファインダー内に縦線が入る場合が多いようです。
残念ながら腐食のないプリズムは入手困難で
プリズムの交換修理は当店では行えません。

お預かりしている「F」もプリズムに若干の腐食がみられ
ファインダー中央部に縦線がうっすら見られますが
このレベルであれば全く問題と言えるほどです。
アイレベルファインダーでこのレベルで腐食の少ないモノは
まだかなり良いほうかと思われます。
もちろん写真や実際の撮影には全く問題がありません。
シャッター、巻上はさすが「F」いったところで
一通り動作は致しますが
さすがに幕軸の動きの悪い部分はあるようで
高速シャッターの精度に少々問題を抱えています。
さらに「F」では定番ですが
スローガバナはさすがに少し動きに粘りがあり
このまま放置しているとそのうち固着すると思われます。
さすがに一通りの整備でリフレッシュしてやる必要があるようです。

ブラックボディでアイレベルファインダー
一番人気の高い組み合わせですね。
ボディのコンディションも非常に良い状態です。
まずはシャッター・巻上・ミラー駆動部等の
機械的動作部分を徹底的に清掃整備して
スムーズな動きを取り戻していきます。
毎度のことですが各部品の肉付きの太さや
バネの強さはこれでもか!という感じですね。
その上で日本製らしく非常に精度の高い組付けが
できるような工作精度で造られています。
まさにこの時代の「made in Japan」を象徴する機械だと思います。
できの良い機械が正しく気持ちよく動けるように
入念に整備を行っていきます。

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