月別アーカイブ: 2021年8月

コーワSWのカメラ修理

今日は「富士山測候所記念日」なのだそうです。
1895(明治28)年のこの日に
富士山頂剣ヶ峯に野中測候所が開設したことが由来となっています。
現在では無人施設となっていますが
富士山特別地域気象観測所として
気圧・気温・湿度などの観測を行っています。
昔はレーダードームとかも設置されていて
(呉市民だと灰ヶ峰の山頂にあるみたいなやつって言うと
すぐにイメージできるかと。。。(笑))
特徴的な景観だったのですが、今はあまり特徴のない普通の建物です。
富士山最高点の剣が峰にあるので
富士山に登ったことのある方だと「あぁ、あれか!」と
すぐに思い浮かべることができると思います。
建物のある剣が峰に登る「馬の背」と呼ばれる
急斜面が結構、キツイのですよねぇ…
酸素も薄いし…滑りやすいし…
まぁ、もう二度と富士山に登ることはないとは思いますが、
今となってはいい思い出です。

さてさて

本日は「コーワSW」のカメラ修理を行っています。
ウナコーワやコルゲンコーワとかのお薬や
ケロちゃん・コロちゃんでお馴染みの
興和株式会社の光学部門で作られていたカメラです。
興和の光学部門は現在でも
スポッティングスコープや医学用光学機器等を製造していますが
1978年までは一般向けのカメラやレンズも
精力的に開発・製造していて
二眼レフのカロフレックスや中判一眼レフのコーワシックス
コンパクトカメラのカロシリーズなど
現在でも評価の高いカメラがたくさん存在しました。
コーワSWは1964年に発売されたカメラで
モデル名の「SW」は「Super Wide」の略です。
1950年代のワイドカメラブームの頃はワイドレンズといっても
焦点距離35mmといった感じでしたが
コーワSWはその名の通り28mmF3.2を搭載した
レンズ固定式レンズシャッター機です。
現在の感覚で言うとSuperっていっても28mmなの?と
思われるかもしれませんが
当時のカメラで28mmレンズを固定搭載したカメラなんて
他にはありません
距離計も露出計も省きスペリオ式の0.4倍実像ファインダーを搭載し
小型軽量安価を実現したカメラです。
当時「交換用広角レンズを買う価格で買える」が売りだったそうです
確かに28mmだと距離計使ってピント合わせするのは無理がありますし
目測にしたのは正解かと思われます。
おまけにこの搭載されるスペリオ式ファインダー
結構贅沢な仕様でプリズムをふんだんに使用した造りで
コンディションの良い個体だと見え方も素晴らしいです。
F8以上に絞って3mあたりにピントを設定すると
いわゆる「パンフォーカス撮影」となり
スナップシューターとしても非常に使いやすいカメラだと思います。
実際、現在でも非常に人気の高いカメラです。

お預かりしている「コーワSW」は
残念ながらシャッター羽根が固着してしまっており
シャッターレリーズしてもしゃったが全く開きません。
レンズシャッター機ではお約束のトラブルです。
一眼レフ等のフォーカルプレーンシャッター機が
結構なバネ力でクイックミラーを作動させ
シャッター幕を引っ張り回すことに比べると
レンズシャッター機のシャッター駆動部は
とても小さなバネ力でシャッター羽根を駆動します。
その上、構造上、薄い金属製のシャッター羽根が
重なり合っているため、その部分に油等が付着してしまうと
ぴったりくっついて離れなくなってしまうわけです。
2枚のガラス板を水で濡らして重ねると
ぴったりくっついてしまうことと同じような現象が起きるわけですね。
経年劣化もあってシャッターユニット側や
ヘリコイドからの油分が滲みだして
シャッター羽根に付着すること自体は
当たり前に起こることなので
やはりある程度のスパンで
定期的にシャッターの整備を
行わなければばらないということだと思います。

シャッター羽根の洗浄を含むシャッターユニット整備を行い
シャッターは全く問題なく動作するようになりました。
ファインダーにはそれなりに汚れやシミがあり
バルサムの劣化も確認され、できる限りの清掃ですが
全く問題ないレベルにキレイになったと思います。
清掃したSWのファインダーは本当に明るくて
気持ちの良い見え心地です。
ご依頼者様はこのSWをずっと昔から
使ってきていると思われるのですが
これで安心してこれからも使っていただけると思います。

コーワSWって定期的にちょくちょく修理依頼のあるカメラですが
そのたびに私も欲しいなぁ…と思うカメラのです。
なかなか縁がなくて今のところ入手できていませんが…

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ニコンFE2のカメラ修理

今日は8月29日
「焼肉の日」ですね!
煙も何も気にせず存分に
焼肉を楽しむには
やはり焼肉屋さんに行くのがベストなのですが
このご時世。。。
ビールのない焼肉にいってもしょうがないので
今はガマンしかないですよねぇ…
本当に早く普通に外食できる状況になってほしいものです。
毎年この日は似たようなことを書いている気もしますが(笑
ここ数年、焼き肉はもっぱらロースがメインで
たまにハラミといった感じです。
で、ご飯が欲しくなるとホルモンですね!
カルビは本当に食べなくなりました。
油がくどくってもうしんどいのです。
でもその割にはホルモンは好んで食べるという矛盾。。。(苦笑)
美味しいロースをがんがん食べながら
キンキンに冷えたビールを
ジョッキで一気に飲み干すのは最高ですねぇ
何も気兼ねなくそれができる日が再び来るのを
楽しみにしながら今夜は焼肉弁当あたりで
我慢しておきます(笑

さてさて

本日は「ニコンFE2」のカメラ修理を行っています。
「シンプル・ニコン」のキャッチフレーズで
ヒット作となった初代「FE」をベースに
進化を遂げ最高速1/4000シャッター&シンクロ1/250の
スペックを引っ提げて1983年に登場したカメラです。
先代「FE]と同じく非常に使いやすい
追針・2針式の露出計を装備し
絞り優先オート時、マニュアル露出時問わず
直感的に現在の露出の状況を把握できます。
いつも思いますが本当にこのFE系の露出計は使いやすいですね。
もちろん絞り値もレンズ刻印を直読するタイプで
ファインダー内で確認可能です。
1/4000&1/250シンクロを実現するために
幕速を相当速くする必要があり
初期のFE2や兄弟機でもある初期のFM2には
ハニカム状に肉抜きされたチタン製のシャッター羽根が採用されています。
見た目にも非常に美しく加工技術の高さを感じられるものです。
後期モデルになると技術の進化により
同じ幕速を通常形状のアルミ製シャッター羽根で得られるようになり
このハニカム状シャッター羽根は姿を消してしまいます。
少々注意が必要なのはこのハニカム状のチタンシャッター羽根
シャッター羽根自体の強度は申し分ないのですが
シャッター羽根のカシメ部分の強度が少し足らないらしく
あるひ突然バラバラになってしまうというトラブルが
現行機種の頃からあるようです。
その場合、メーカー修理では通常形状のアルミ羽根仕様の
シャッターユニットに交換が行われていたようなので
初期のFE2といえどもチタン羽根仕様ではないものもあるようです。
このトラブルは防ぎようがないので出る出ないは
もはや運しだいかと思われますが
バラバラになったシャッター羽根は
現在では交換用シャッターユニットも入手不可ですので
修理不可能音なります。
予防策はありませんがうっかり指で押してしまったり
フィルムの端で推してしまって
余計なことで羽根破損させないように気をつけていただければと思います。
(それは縦走り金属羽根シャッターすべてがそうなのですが)

お預かりしている「FE2」は
その貴重なハニカム加工シャッター羽根搭載機です。
シャッター羽根の状態は非常に良い状態を保たれていると思います。
しかしながら大問題なのは
電池を入れても電源が全く入りません。
露出計はもちろん、電子制御シャッターは当然作動せず
「B」、「M250」以外は切れない状態です。
電池室そのものは液漏れや腐食の跡もなく
キレイな状態が保たれています。
そうなると電池室からのハンダや配線の問題か
あるいは巻上レバー連動のsw部の接触不良かと思われます。

外観も非常にキレイな状態です。
トラブルの原因の予想はいくつかに絞られているので
これから本格的に分解整備に取り掛かります。
少々余談ですがこのFE2あたりが
当店としては修理可能な一番新しいカメラとなります。
これ以降の時代のものは基本的に修理不可能です。
ちなみに兄弟機でもあるマルチモード機「FA」も
もはや修理不可能なカメラとなってしまいます。
この「FE2」以上に電子制御部分が増えてしまうと
(要因はそればかりでもありませんが)
残念ながら修理・整備不可能になってしまいます。
FE2でさえも先述した「シャッター羽根の破損」や
「電子部品の不良」の場合は修理不可能となります。
今回のFE2も電源が入ってみないと
電子回路関係が大丈夫かどうかは確認できないのですが
まずは電源が入るように修理を行っていきます。

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ニコマートFTnのカメラ修理

今日は「テレビCMの日」だそうですよ
1953(昭和28)年のこの日に開始された民放の日本テレビで
初のテレビCMが放送されたことに由来します。
初のCMは「精工舎の時計が正午をお知らせします」という
服部時計店(現:セイコーホールディングス株式会社)の
時報だったのですが
このときの放送がトラブルだらけで
フィルムが裏返しになっており、音も不明瞭だったそうです。
そのため、正午に放送された初CMは
わずか3秒で中止されるという結果になってしましました。
改めて同日夜7時に第2号CMが放送されそれは無事に放送できたそうです。
このCMはyoutubeとかでも見られますので
興味のある方は調べてみてください。
なかなか愛嬌のあるおもしろいCMでしたよ
CMっていつの時代も楽しいですよね。
その商品やサービスを好印象で覚えてもらうために
いろいろな工夫が凝らしてあって
またその時代を反映しているものもたくさんあって…
私、たまにyoutubeで昔懐かしのCMを検索して見ていますよ
最近ハマったのは広島ローカルだけど
「ヒロツクの子持ち昆布」かな(笑

さてさて

本日は「ニコマートFTN」のカメラ修理を行っています。
「F」の時代の機械制御シャッターの中級機です。
中級機ということでコストパフォーマンスも
追求しなくてはいけないので
シャッターは自社製横走りではなく
コパル製の金属羽根縦走りシャッターユニットを採用しています。
(コパルスクエアS)
それでもこの時代のニコンらしいのは開発製造は自社で行っており
品質にこだわっているのがよくわかります。
そのあたりの成果もあって
ニコマート(特にFT系)は非常に機械的には丈夫なカメラです。
まれに保管環境が悪いものだとミラー駆動部のトラブル等はありますが
基本的に巻上・シャッター関連のトラブルが非常に少ないカメラです。
何とか動作していてもシャッターの精度は全く出ていないものが
この時代のカメラには多いのですが
ニコマートFT系は実用上問題ない精度の出ているものが多いのです。
発売開始から50年以上経過しているカメラでこれはすごいことです。
ただし露出計関連には正直なところ非常にトラブルの多いカメラです。

お預かりしている「ニコマートFTn」も
シャッターは元気なのですが露出計が全く動きません。
電池室には当時の水銀電池が入ったままになっており
出してみると電池室そのものは比較的キレイなのですが
やはり裏側のハンダ等はかなり劣化していて
ほぼ断線状態でした。
とりあえず強制的につないで露出計の動きをチェックしたところ
これがまた非常に不安定でたまに振り切ったまま戻ってこなくなります。
これはマウント部の「マイラー抵抗」と呼ばれる
一種の摺動抵抗の汚れや劣化が下人と思われます。
抵抗の劣化・剥離は交換部品が入手不可能なため
どうにもならない部分はありますが
大抵の場合、適度な清掃でかなり回復することが多いです。
これがなかなか微妙なところもあり
清掃しすぎると抵抗体がキレイに剥がれてしまって
無抵抗な状態になり露出計のコントロールが全くできなくなるので
かなりの注意が必要です。
70年代の摺動抵抗になると少々強引に清掃しても
ビクともしない素材になるのですが…この時代のものはなかなか難しいですね
同じ事がFフォトミック系にも言えると思います。
余談ですがFフォトミック系の摺動抵抗の抵抗面はもっと脆く
ちょっと強めに拭いただけでボロボロ剥がれます。
そのためFフォトミックの露出計は
既にほぼ修理不可能とさせていただいています。

抵抗の件はともかく
FTnの最大の特徴である開放F値補正操作(ガチャガチャ)の
動作不良も起こっていて
絞り環を往復しても開放絞り値がセットされない状態です
これもFTnではよくあるトラブルです
これは単純に汚れや油切れによる動作不良なので
機械動作部の清掃と注油で対応します。
ニコンのカメラらしく整備性も非常に良好です。
ミラーボックス分離までもそれほど難しい部分はありません。
ここからシャッターユニットも含めて各動作部の整備を行い
ファインダー清掃や露出計修理も行っていきます。

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オリンパスペンEEのカメラ修理

今日は「レインボーブリッジ開通記念日」だそうですよ。
1993(平成5)年のこの日に「レインボーブリッジ」が開通したそうです。
もう28年になるんですねぇ
もはや東京タワーと同じくらいに
東京のシンボルともいえる存在ですね
私が最初に上京してきた頃はまだクルマもバイクも持ってなくって
(正確にはクルマは広島に置いてきたのだけど)
あまりレインボーブリッジを通ることもなかったのですが
数年たってクルマもこっちで持つようになってくると
当然、首都高を使うことも増え
11号台場線を走ることも増えてくるわけですね。
夕方の11号なんて渋滞するのが当たり前の路線ですが
お台場側から渋滞の中、レインボーブリッジを通過しながら
横目で東京タワーをはじめとする都内中心部の夜景を見ていると
「あぁ~私もすっかり都会の人になっちゃったなぁ」
なんて思ってしまうわけですね(笑)
今思うと、この思考がまず田舎者の証拠かと…(苦笑)
でもレインボーブリッジは昼夜問わず
下から見ても、実際に通過しても
非常に絵になるスポットですね!
結構何度も写真も撮っています。
節目節目の記念日とかに行われる
レインボーライトアップの写真はまだ撮ってないし
実際に見たこともないのですよねぇ
30周年あたりでやってくれないかな…

さてさて

本日は「オリンパスペンEE」のカメラ修理を行っています。
ペンEEのデビューは1961年7月
初代ペンの登場から2年後に当たります。
「買ったその日から、
ボタンさえ押せばだれにでも写真が撮れるカメラ」という
コンセプトで発売されたペンの派生シリーズです。
当初は本流はマニュアルのペンやペンSだったかと思いますが
ペンEEシリーズはEE-2,EE-3と基本的なコンセプトやデザインを
変更せずに生産し続けられ
最終的にはペンシリーズの中で一番長く作られたシリーズとなります。
現在でもペンSやペンDも人気は高いですが
ペンといえばペンEEシリーズを思い浮かべる方が多いと思いますし
人気の面でも現在でも一番かと思われます。
セレン光電池を使用した露出計を装備し
露出計指針はファインダー等の見える部分には出てきませんが
内部で指針挟み込み機構でオート露出を制御しています
シャッタースピードは初期のEEは1/60固定
1962年から1/30・1/250の2速切替式になります。
レンズはDズイコー28mmF3.5でピントは固定焦点
そのためオート露出と合わせ
撮影者が行うのは構図を決めてシャッターボタンを押すだけです
光量不足の時にはオリンパスコンパクトカメラではお馴染みの
赤ベロがファインダー内に出てシャッターロックがかかります。
これとレンズを取り囲むように配置されたセレンのおかげで
レンズキャップをしている場合には間違いなく赤ベロが出て
(フラッシュモードになっていると出ませんが)
レンズの外し忘れも防止してくれるという副産物にもなってます。

お預かりしているペンEEは
ご依頼者様のおじいさまが使っていたものとのことですが
丁寧に使っている上に保存状態はよかったようで
外観は現在でもピカピカです。
ただし、もうかなり長い間使っていなかったものとみられ
絞り制御が上手く作動しないようです。
さらにセレンの劣化も多少はあると思われ
絞り制御されていてもかなりオーバー目に制御されるようです。
フィルム室のモルトはもう既にほぼ剥ぎ取られている状態で
おそらく腐食が進んで屑がたくさん出始めた時点で
これはよくないということで剥ぎ取ってしまったものと思われます。
それ以上モルトの腐食の影響が周りに出なかったのは
幸運でしたがさすがにこのままでは光漏れを起こしてしまいます。
初代EEや初代EESは取り外し式の裏蓋ですが
この裏蓋の部分もモルトはかなり厚手のものが必要です。
蝶番部によく使うような1.5mm厚のモルトとかでは
交換しても間違いなく光線漏れを起こします。
とはいえあまりにも厚すぎるものを使うと
今度は裏蓋が閉まらなくなります。

当時の「EL」ステッカーもキレイに残っていますね。
これから本格的に分解整備に取り掛かります。
ご依頼者様はフィルムカメラを使うのが
これが最初になるということなので
完成時には簡単に使い方の説明も行います。
。。。とはいってもペンEEなので
フィルム装填方法さえクリアできれば簡単に撮れると思います。
キレイに写真が撮れるようにしっかり整備して
ご依頼者様にお納めしようと思います。

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コニカEEマチックのカメラ修理

今日は「即席ラーメン記念日」だそうですよ
1958(昭和33)年のこの日に
世界初の即席ラーメンである「チキンラーメン」が
日清食品株式会社より発売されたことに由来した記念日です。
いわゆる「袋ラーメン」ですねぇ
子供の頃からよく食べてるし好きですねぇ
「チキンラーメン」はあまり食べることがありませんが
私にとって袋ラーメンと言えば
「チキンラーメン」に次いで2番目の長い歴史を持つ
イトメンの「チャンポンめん」です!
これがあっさり優しい味で本当に美味しいのですよ~
でもこれ販売されている地域がかなり限定されていて
関東ではまず店頭では見かけることはありません。
私の生まれ育った広島では
今でもスーパーで普通に定番商品です。
チャンポンという名が付いていますが
味はあの有名な長崎ちゃんぽんとは全く異なります。
スープ袋とは別に乾燥エビとシイタケの袋が入っていて
これがまた良い味を出しているのです。
実家にいた頃に夜中にお腹すいたら
これと夕食で余った冷ご飯を組み合わせて食べるのが絶品で
今でも無性に食べたくなって
わざわざ水分の飛んだ冷ご飯を用意して
ネット通販で取り寄せた「チャンポンめん」を食べるのです。
正直言って濃い味が好きな方だと好みではないでしょうし
東日本ではウケないだろうなぁ…と個人的にも思う味わいですが
ハマる人にはハマるはずです
まぁ実際、西日本では50年を超えるロングセラーの定番商品です。
ご興味ある方はぜひ一度お取り寄せしてみてくださいませ。

さてさて

本日は「コニカEEマチック」のカメラ修理を行っています。
1963年発売のプログラム露出専用機です。
セレン光電池を使った露出計とセイコーシャLシャッターを連動させ
完全自動露出としたカメラです。
搭載されるレンズはヘキサノン40mmF2.8です。
あの「じゃーに~コニカ」C35の前身ともいえるモデルです。
まだ60年代前半ですから
C35のようにコンパクトなボディではないですが
考え方や方向性は既にC35に通ずるものがあると思います。

ただし、セレン光電池ですから
電池室腐食の心配はないのですが
セレンの劣化がネックになることは間違いありません
お預かりしているEEマチックも
露出計はおそらく内部で動いていて
ファインダー内の警告は明るさによって
赤になってシャッターロックがかかったり
明るさが十分あればオート制御も行われて
シャッターも切れるのですが
セレンの起電がもう鈍いのか接触不良なのか
オートが安定しない上に3段近くオーバーな露出となってしまいます。
3段オーバーだとさすがにネガだとしても
かなり白っぽくなってしまうので
何とかネガで普通に撮れるレベルには調整していきたいと思います。
露出自動制御のプログラムAEなのに
しっかり距離計は装備されていて
ピントは固定焦点とかではなくきっちり自分で合わせるタイプです。
そこもC35と同様ですね。
ファインダーもずいぶん汚れて曇っていて
二重像も見えづらくなっているので
これもできる限りクリアに仕上げたいと思います。

まだ現状を確認しただけの状態です。
これから本格的に分解整備に取り掛かります。
60年代のカメラらしい端正な佇まいがいいですよね。
C35とはまた違った魅力を持つ1台です。

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オリンパス35DCのカメラ修理

今日は二十四節気でいうところの「処暑」ですね。
暑さが止むという意味から「処暑」といわれ
厳しい暑さが峠を越して落ち着く頃であるといわれます。
。。。今朝、都内ではかなりの勢いで雨が降ったかと思えば
9時過ぎにはピタッと止んで
強烈な陽射しが降り注ぎました。
一雨降ったせいもあるとは思いますが
私が自宅を出てお店に向かうときには
風が心なしか涼しかったような気がします。
もともと暑いのは少し苦手ですが
ここ数年はさらに夏は苦手になりました。
若い頃は「遊びに行くときだけは夏サイコー」とも思っていましたが
もはや夏らしい遊びをするような年齢でもなくなったので
もう暑いのは勘弁です(笑
早く朝晩は肌寒さを感じるくらいの季節になってほしいものです。
ちょうど良い気候だと感じる季節が
年々短くなっているような気がしますが
快適な春と秋がながーく続いてほしいものです。

さてさて

本日は「オリンパス35DC」のカメラ修理を行っています。
「35DC」もコンスタントに修理依頼のあるカメラです。
オリンパス35シリーズもいろいろなモデルがあり
なかなかややこしいのですが
このDC、あるいはEC,RC,EDあたりは
オリンパスらしい軽量コンパクトなカメラで
DCはRCに並んで現在でも人気の高いカメラだと思います
搭載されるレンズは40mmF1.7の大口径レンズです。
露出制御はプログラムオートで行われます。
露出計がある程度触れていないと光量不足と判断し
シャッターロックがかかる構造になっているので
シャッター自体は機械制御で電源がなくても動作するのですが
電池を入れて露出計が動作する状態でないと
シャッターが切れません。
DCの場合の「シャッターが切れない」というトラブルは
大抵の場合、露出計不動が原因の場合が多いです。
それからもうひとつ「DC」で多いトラブルが
ASA感度設定リングの変形・破損です。
レンズ鏡胴先端近くにあるリングを回して
感度設定を行うのですが
カメラを落下させると大抵の場合、この感度設定リングが
変形してしまい回らなくなります。
中古市場にジャンクとして出回っている個体にも
この感度設定リングが回らなくなっているものが多いです。
対処方法は変形していないリングと交換するしかありません。
一度、変形したリングはそう簡単に
以前のようにスムーズに回るようには修復できません。

「35DC」でよくあるトラブルを最初に書きましたが
お預かりしている「DC」は感度ダイヤルの変形もなく
露出計も精度はともかく一応動作していて
シャッターも切れます。
ただし露出計はやはり随分ズレていて
それに伴いオート露出の精度も出ていない状態です。
他、レンズ・ファインダーにはそれなりに汚れが見られ
清掃を必要としている状態です。
この時代のコンパクトカメラは大部分がそうですが
フィルム室の遮光をかなりの部分でモルトに頼っており
大量のモルトが貼られています。
当然ながらモルトは全滅でフィルム室はもルト屑だらけです。
モルトの劣化に伴ってフィルム室内も
随分と汚れてしまっています。
モルト交換は当然ですがフィルム室内もできる限り清掃していきます。


まだ現状チェックを一通り行っただけの状態です。
整備の方針と内容はある程度決まったので
あとはとにかくバラシて一通りの整備調整を行うだけです。
このタイプのコンパクトカメラは
露出計がボディ上部の上カバー下にあるのが普通ですが
「DC」の露出計はボディ下部の巻き戻し側に配置され
そこで指針挟み込みも行い連動して
ファインダー表示を動作させる独特の構造になっています。
そのため露出計・オートの調整のみが目的であるならば
底カバーを開けるだけで行えるようになっています。
…と書くと一見便利そうですが
底カバーを外すと電池室蓋が一緒に外れるので
そのままだと電源が入らず調整と確認を
スムーズに行うには一工夫必要です。

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ミノルタSR-T101のカメラ修理

今日は「チンチン電車の日」だそうです。
1903(明治36)年のこの日に
東京電車鉄道の路面電車が新橋~品川で営業を開始し
東京で初めて路面電車(チンチン電車)が走ったことが
由来となっています。
なぜ「路面電車」のことを「チンチン電車」というかは
諸説あるのですが
車内で車掌から運転手にベルを鳴らして合図をしていたから…
というのが個人的には一番納得できる気がします。
確か…「チン」と1回鳴らすと停留所が近づいてきた合図で
「チンチン」と2回鳴らすと降りるお客さんはいませんよーって
ことだったかな…?
実際に私が20代の頃はまだ車内でベルを鳴らしていたような気がします。
私は広島出身なので路面電車には馴染みが深いですが
私の生まれ育った呉でも私が生まれる2年前までは
チンチン電車が走っていたのですよねぇ
それも私の実家のすぐ近くを…
じいさんが撮った写真を見せてもらった記憶があるのだけど
実家片付けのごたごたでその写真も捨てられてしまったようです…
貴重な写真だったのに…
じいさんが私が生まれる前に撮った写真が
なんだかんだでほとんど残っていないのですよねぇ…
昔の呉がよくわかる写真がたくさんあったはずなのに…
でも呉市内を走るチンチン電車には
一度でいいから乗ってみたかったですねぇ…

さてさて

本日はミノルタSR-T101のカメラ修理を行っています。
ミノルタ初のTTL開放測光機で
ミノルタの機械制御シャッター機を代表するカメラです。
使いやすさと丈夫さがセールスポイントのカメラで
当時も大ヒットとなりかなり長い間作られました
そのため現存する個体も多く粗い扱いをされている個体も多いので
程度の良しあしの差が非常に大きいカメラです。
現存数が非常に多いため手に入れやすいカメラでもあります。
おまけにかなり丈夫で未整備でもシャッターが切れる個体も多いのですが
油切れや汚れ等で動きにくいはずなのに
健気に動いているような個体が多く
未整備のものはほぼ間違いなくシャッタースピード等の精度は出ていません。
本来の姿で軽快に動作しているものは
逆にかなり少ないのではないかと思われます。
本来は巻上も軽快で非常に使い心地の良いカメラです。

お預かりしているSR-Tも定番のトラブルをいくつか抱えています。
外観は非常にキレイです。おそらく中期くらいの個体かと思われます。
シャッターも動作しているのですが
やはり精度は出ていません。電池室に腐食跡が少々確認でき
電池を入れてみても露出計はBCも含め全く動きません。
装着されているMCロッコールPF58mmF1.4は
レンズそのものはかなりキレイなのですが
絞り羽根が全く出てきません。
おそらくベッタリと油が付着していて固着してるものと思われます。
やはり全体的に一通りの整備が必要な状態です。

まだ現状確認を行っただけの状態です。
これから本格的に分解整備に取り掛かります。
SR-T系と言えば連動糸が分解時のポイントになるわけですが
さすがに依頼件数も非常に多いカメラで
私も数えきれないほど整備を行っているカメラなので
連動糸の処理に苦労するようなことは
随分前からさすがになくなりました。
…とはいえ油断するとちょっとしたミスで
思わぬところの糸が外れて苦労することになることも
考えられるのでこういう慣れたカメラこそ
気合を入れなおして分解に取り掛からなくてはいけません。
しっかり慎重丁寧に整備して
快適にご依頼者様に使っていただけるカメラに仕上げていきたいと思います。

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ミノルタハイマチック11のカメラ修理

今日は「交通信号設置記念日」なのだそうです。
1931(昭和6)年のこの日に
東京・銀座の尾張町交差点(現在の銀座4丁目交差点)や
京橋交差点などに日本初の3色灯の自動交通信号機が設置されたことが
由来となっている記念日です。
信号の色が変わるたびにベルが鳴る信号機だったそうです。
当時、銀座の交差点にはガス灯が設置され
日本で初めて歩道を備えたハイカラな交差点だったそうです。
当時の風景実際に見てみたくなりますね。
ちなみに自動ではなくて機械式の交通信号機が
設置されたのはこの前年にあたる1930(昭和5)年だそうです。
その頃からしたらこんなに街中が信号機だらけに
なるなんて想像できなかったかもしれませんね
普段何気に信号機を見て横断歩道とかわたっていますが
私、昨年、頭が壊れた関係で
退院してしばらくは左右確認がゆっくりとしかできなくて
(それもしっかり立ち止まってないとできない)
さらに確認してから実際に歩き始めるまで
結構なタイムラグもあり
信号のない小さな交差点とか怖くて横断できませんでした
あの頃は本当に信号機のありがたさがよくわかりました…
今でこそ何とかあまり不自由ない程度に
歩き回れるようになれましたが(ふらついてはいますが)
実際、歩くのが不自由になると
交通量のそれなりにあるところが
どれほど怖いかを実感することができました。
信号機はもちろんですが、本当にいろいろな街の仕組みに感謝ですねぇ…

さてさて

本日は「ミノルタハイマチック11」のカメラ修理を行っています。
初代⇒7⇒9⇒11と続いてきたハイマチックシリーズですが
いわゆる初代と同じくらいの比較的大きなボディを持つ
ハイマチックはこの11が最後となります。
この後には簡素化されてコンパクトな「C」が登場し
その次にはいよいよ電子化され小型化された「E」が発売され
さらに小さい「F」へと続いていきます。
7で大きく中身もフルモデルチェンジして
それ以来、基本は「7」がベースとなっていましたが
それもこの「11」で最後となります。
7・9ではプログラムオート露出+マニュアル露出が可能でしたが
「11」ではシャッターユニットをセイコーALAに変更し
プログラムオート露出に加えて
シャッタースピード優先オート露出が可能となりました。
その代わりにマニュアル露出は省略されています。
つまりシャッターは機械式ですが
マニュアルがなくなったことにより
必ず露出計が作動していることが撮影を行うための
必須条件になったわけです。
露出モードの変更以外はほぼ前モデルの「9」の内容を
引き継いでいます。
レンズはこのハイマチックシリーズで実績十分の
ロッコールPF45mmF1.7です。

お預かりしているハイマチ11は
生命線ともいえる露出計は多少不安定ではあるものの
そこそこ正常に動作しています。
ただしハイマチシリーズに限らず
キャノネット等のSS優先機によくあるパターンですが
絞り制御に粘りがあってうまく作動しておらず
露出計の値よりかなりオーバー目に露出してしまいます。
ざっくり平均して3段くらいオーバーでしょうか…
さすがに写真が真っ白になってしまうほどズレています。
オート時の絞り制御は構造上
非常に小さなバネの力で絞り羽根を制御します。
さすがに50年以上経過しており
制御部、羽根駆動部、さらに羽根自体にも
それなりに汚れが溜まっていて
それが抵抗となり動作不良を起こします。

絞り制御やシャッターユニット周りの整備を先に行い
巻上周り、ファインダー清掃へと進めていきます。
距離計に若干のズレがあり
ファインダーもそれなりに曇っているので
できる限りクリアに仕上げていきます。
初期のハイマチックは使い心地も写りも
かなり気持ちの良いカメラです。
初代のプログラムオートのみは少々使いにくいですが
7・9・7s・11は
もっと評価されてもよいカメラだと思っています。

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ミノルタオートコードのカメラ修理

今日は8月19日…
語呂合わせで「バイクの日」であり
「俳句の日」でもあるのですが
何といっても
「世界写真の日」なのですよ
1839年のこの日に
フランス政府が銀板写真の発明者である
ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールによる
ダゲレオタイプの発明に基づく特許を買い上げ
誰でも無償で自由に使用できる政府通達を発令したことが
由来になっているようです。
それから180年あまり…
こんな形に進化しているとは
想像してなかったかもしれませんねぇ
この頃は随分短縮されたとはいえ露光時間は
1~2分…もちろん三脚は必須だし
被写体もその間動けません
なかなか1枚撮るだけでもかなり大変です。
まぁ時間は短縮されたとはいえ
当店で扱うフィルムカメラは
まだこれの延長線上ではありますが…
ちなみに日本独自の写真の日は6月1日です。
これは日本初の写真が撮影されたことに由来する記念日ということです。

さてさて

本日は「ミノルタオートコード」カメラ修理を行っています。
最近、オートコードの修理・整備が多いですね。
先月も2台行ったような気が…
オートコードは国産二眼レフを代表する1台だと思います。
写りの良さはもちろんながら
充実した機能的にも使いやすさの点も含めて
総合的に判断するとやはり№1なのは間違いないと思います。
ただ全く別の観点でリコフレも選択肢から
外せないと思いますが…
シャッターはB、1〜1/400秒でセルフタイマー付きのシチズンMXV
SS、絞り表示はビューレンズ上部に集中表示
クランク式の巻上でセルフコッキングも装備
ピント調整はいわゆるハラキリ型で下部のピントレバーで行います。
ファインダーもフレネルレンズ装備で
この時代としてはかなり明るく見やすいものになっています。
写りを大きく左右するレンズには
テッサータイプのロッコール75mmF3.5を装備します。
使ってみると他の二眼レフとは操作性が明らかに異なり
露出決定から巻上、ピント調節からレリーズまで
非常にスムーズに操作できるカメラだとわかります。
私も個人的に前期オートコードの「L」を使っていますが
これほどストレス少なく撮影できる二眼レフは少ないと思います。

お預かりしている「オートコード」は
前期モデルですが
巻上クランクの上に交換式のフィルム枚数規制盤を組み込み
サイズマスクを取り付けることにより
6×6cm判の他に4×4cm判、4×5cm判(18枚撮り)での撮影が可能になる
「RA」と呼ばれるモデルです。
…とはいってもお預かりしている個体もそうですが
通常の6×6以外の仕様になっている個体は見たことがないですね。
マルチフォーマトに対応とする部分以外は
通常の前期型オートコードです。
ご依頼者様からは中で何かカラカラと音がする…とのことでしたが
思い切りミラーが外れて中で転がっているようです。
そのミラー自体もかなり曇ってしまっていて
清掃ではどうにもならないレベルなので交換で対応していきます。
さらにファインダーフードのカシメが壊れていて
まともにフードが立ち上がりません。
うーん、これはちょっと困った…なにかカシメの代わりになるもので
うまくフードの連結部をつなげていきたいと思います。

シャッターそのものはとりあえず動作はしていますが
やはり粘りはそれないりにあるようです。
レンズ・ファインダーには汚れ・カビ等が
当然のようにありますので
これはできる限りの清掃で対処していきます。

個人的に50年代の二眼レフはどれも個性的で
且つ実用的な上に質感も高いので
どのメーカーのどのモデルも好きですが
やはりオートコードは一味違いますね。
ご依頼者様はおそらく二眼レフは初めてだと思われますが
しっかり整備して気持ちよく使っていただき
二眼レフの魅力にどっぷりつかっていただきたいと思います。
これから本格的に分解整備に取り掛かります。

オリンパスペンD2のカメラ修理

今日から通常営業再開です。
実はこの休みは実の親父(戸籍上はもはや親ではないのですが)の
初盆だったため墓参りに
地元に帰省していたのですが
まぁ見事に豪雨に翻弄されました。
一応墓参りだけは雨の合間を縫って行ってきたから良いのですが
昔ながらの墓所なのでちょっとした登山なのです。
登山靴履いて行っていて本当に良かった(苦笑)
今日は「高校野球記念日」だったりしますが
高校野球もこの異常な天候に翻弄されまくっていますねぇ
ただ、広島新庄が早々にこれがまたインパクトの強い
負け方をしたので高校野球も今年はあまり見ていないのですよねぇ
昔からそうですが広島県代表が姿を消した時点で
甲子園は終わりという感じです。。。(苦笑)
そんな中、今日は「ハイエイトチョコの日」なのだそうです。
ハイエイトチョコってなんぞや?と思って画像を見たら
あああ!メガネチョコだ!!!懐かしいなぁ
カラフルなマーブルチョコが
8の字型の容器にパックされたもので
メガネの形にも見えるから「メガネチョコ」とも呼ばれてました
今でもまだあるんですねぇ
1967年発売で私より二つ年上なんですねぇ
「おかしのまちおか」とかにもおいてあるかな?
今度探してみます!

さてさて

本日は「オリンパスペンD2」のカメラ修理を行っています。
ペンDシリーズはここでも何度か書いていますが
いわゆるペンの最高級版(デラックス版)です。
ノーマルペンに対して高級版なのが「ペンS」で
さらに最高級版が「ペンD」という位置づけですね
「D2」はその2代目モデルにあたります。
初代のペンDがセレン光電池を使用した露出計を搭載していたのに対して
「D2」はそれをCdS式に変更していたものです。
CdS式になったので当然、電池を使用するようになりました。
電池室は苦肉の策でフィルム室内底部に配置されています。
まぁ元々予定にないものの増設で仕方がなかったのでしょうが
ここに配置されるとフィルム装填中は電池交換ができないのですよねぇ(汗)
完全にフィルムを外さないと電池室蓋すら開けられない
ローライ35よりはマシですが…
その露出計は受光素子が変わったほかは変更ありません
相変わらずの非連動でのLV表示です。
これは下手に連動式にされるよりは簡潔でよいですね
シャッターやレンズも初代ペンDと変わらず
コパル製シャッター最高速1/500で32mmF1.9の大口径レンズです。

お預かりしている「ペンD2」は
まずそのウリの一つである露出計が電池を入れても全く動きません。
電池室からの配線が腐食しているものと思われます。
さらにお決まりのシャッター羽根粘りがあり
どうも粘った状態で動作させていたせいか
一部の羽根に変形というか歪みが見られるようです。
動作に問題のない状態に修復して対応します。
そしてシャッターの粘りも関連しているのですが
シャッターを切っても巻き止めがなかなか解除されず
次の巻上ができないという症状も出ています。
いろいろと機械的に動きの悪い箇所がたくさん出てきている状態です。

一通り整備を行い露出計を含め
各部の動きが非常にスムーズになりました
全く問題なく快適に使える状態です。
外観もレンズもファインダーもできる限りキレイに
清掃も行いました。
シンプルなペンS系やお手軽なペンEE系もいいですが
ぺんD系はやはりこうしてみると
佇まいに高級感があり存在感が全く違いますね。
もう少し時間をおいてから最終チェックを行い
問題がなければ完成となります。

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