ミノルタSR-Tスーパーのカメラ修理

今日は「引っ越しの日」だそうですよ。
1868(明治元)年のこの日に
明治天皇が京都御所から江戸城(現在の皇居)に入城されました。
この日を近代の引越しの始まりとして制定された記念日だそうです。
引っ越しはいいですよねぇ…
心機一転で何だかリセットされるような気がしますものね!
でも実際には仕事等でやむを得ない場合は除いて
大変なことが多すぎてなかなか簡単には引っ越しできません
私は賃貸住みなので心機一転引っ越ししようと思えば
できなくはないですが
荷物も多いしもうできるだけ動きたくはないですね(苦笑)
まぁ今の住環境に不満もないですし…
でも環境を一変してまた新たな生活を始めるっていいですね
若い頃はその気分転換が好きで結構引越ししたものです…

さてさて

本日は「ミノルタSR-Tスーパー」のカメラ修理を行っています。
大ヒットした「ミノルタSR-T101」から
ヴァージョンアップしたモデルで1973年発売のカメラです。
基本的な構造は「SR-T101」のモノをそのまま受け継ぎ
ファインダースクリーンがスプリットとなり
ファインダー内から直読式でレンズの絞り値を確認できるようになりました。
この機能を追加したためもありペンタ部の形状が
「SR-T101」とは変更されています。
アクセサリーシューも接点付きのホットシューとなっています。
でも反対に言えば変更されたのはこれだけです。
それだけ元となる「SR-T101」の基本設計が良かったわけですね。
小変更ともいえる範囲ではありますが従来の「SR-T101」も
「SR-Tスーパー」登場後も併売されます。
そしてSRシリーズ最終機となる「SR505/101」にバトンタッチされていきます。
「SR-T101」までの「SRシリーズ」は
結構大きな内部変更も頻繁に行われていますが
「SR-T101」以降の「SRシリーズ」は基本的構造に変更はありません。
使い勝手の部分の変更のみで「SR-Tスーパー」が登場したとも言えます。
基本的に非常に丈夫なカメラで使いやすいカメラです。
SR-T101もスーパーもかなり売れたカメラなので現存数も多く
現在でも比較的手に入れやすいカメラです。
現存数が多く年月も経っているためにコンディションはバラバラですが
きちんと手を入れればまだまだ使い続けられるカメラだと思います。

お預かりしている「SR-Tスーパー」は
今回もかなり長い間仕舞い込まれていたカメラだと思われます。
SR-T系のカメラは調子が悪くてもシャッターだけは何とか
動く個体が多いのですが今回の「SR-Tスーパー」は
シャッターが全く切れません。
幕位置から判断してチャージは完了していますが
レリーズボタンが押し込めない状態です。
そしてボディ底部を見てみると電池室に古い水銀電池が
入ったままになっていると思われ
電池室周辺の蓋に緑青が溢れています。
蓋もガッチリ固着していて相当時間をかけないと外れそうにありません。
非常にイヤな予感しかしませんが
SR-T系は蓋が外れなくても底板は外れるのでまずは底部をチェックしてみます。
イヤな予感は大正解で緑青が電池室からその周辺に広がっていて
巻上機構やレンズ絞り込み機構のあちこちがガッチリ固着してしまっています。
レリーズボタンが押せないのはレリーズロックが固着してるせいですが
そこをとりあえず強制的に解除しても
ミラーは上がるもののシャッターは走りませんし
絞り込みも行われません。幕軸も一部固着しているようです。
これはかなり難儀なことになりそうです。
とにあく緑青を落として部品を磨いてスムーズに動くように
処置していきます。磨きではどうにもならない部分は
中古部品と交換していきます。

あとでわかったのですが巻上時にスプロケットは
回るもののスプールが固着して全く回りません。
本来巻上しなくても指d背回せば回るのが正解ですが
かなり力を込めてもビクとも回りません。
これは相当手間と時間がかかりそうです。
慌ててもしかたないのでひとつひとつ動きをチェックしながら
落ち着いて問題を取り除いていきます。
底部電池室周り以外は比較的良好な状態なのが
不幸中の幸いです(苦笑)

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ヤシカエレクトロ35GSNのカメラ修理

今日は「ウィンクの日」だそうですよ。
ウィンクといってもさっちんと翔子さんではなくて
片目をつぶる「ウィンク」のことですね。
「10」と「11」を横に倒して見ると
ウィンクをしているように見えることからだそうです。
私、子供の頃からウィンクは左目(左目を閉じる)しか
できないのですよねぇ…反対もいろいろ試したのですが…
まぁカメラのファインダーは右目で見るようになってますし
効き目が左なので全く不便はないのですが…
(そもそもウィンクできなくても何の不便もないでしょうが…)
昔はどちらの目でウィンクするかとかその回数とかで
いろいろ意味があったようです。
ちなみに…一部を紹介すると…
右目のウインク=好きです・愛してる
左目のウインク=あなたなんか嫌い
…だそうです。
あれ?右目のウィンクのほうが重要じゃん(笑
まぁそんな機会ないのでいいですけど…

さてさて

本日は「ヤシカエレクトロGSN」のカメラ修理を行っています。
1973年発売のカメラです。
ちなみに「GSN」はシルバーで同時に発売された「GTN」は
全く中身は同一で「ブラック」です。
エレクトロ35のシリーズ前期はボディ色によってモデル名が異なります。
いわゆる初代のデザインを引き継いできたモデルとしては
この「GSN/GTN」が最終モデルとなります。
この後に出る「GL」では一気に小型化されデザインも一新します。
主観ですが「MC」くらい小さいとまた別の良さもあるのですが
そうではないのであれば初代からの流れを汲む
「GSN」までのデザインが好きだったりします。
基本的なスペックは初代から変わりませんが前モデル「GS」で
レンズが新コーティングとなり
「GSN」ではアクセサリーシューが接点付きのホットシューに変更されています。
反対に言うとそれ以外に大きな違いはありません。

お預かりしている「GSN」はしばらく使われなかったと見受けられますが
状態はそれほど悪くはありません。
電池もきちんと抜いて保管されていたようで
電池通や配線に腐食等はありません。
機能的にも一通りは動作するのですが
電源やオート制御が妙に不安定です。
後から確定しましたが
レンズ鏡胴内の抵抗群のハンダ付けに劣化が進んでいたようで
それが原因で導通が不安定になっていたようです。
加えてレンズ・ファインダーにはさすがにカビや汚れが発生しています。
気持ちよく安定して使うためには
やはり全体的な整備が必要な状況です。

巻き上げる際にエレクトロ特有の
「カチン」というレリーズ軸が戻る音がしていたので
(音がするのが正常)
弱点でもあるレリーズ部のゴムブッシュは
対策品かな…と思っていたのですが
実際に開けてみると対策品ではなく
かなり腐食が進んでいて厚みが半分ほどになっていました。
よく長年この状態で持ちこたえていたものです。
オートの不安定さはこれが原因の一つかとも思われます。
もちろん対策品に交換で対処いたします。
エレクトロは当店では比較的依頼の多いカメラでもあり
チェックポイントもわかっているので
そのあたりを重点的に全体の整備を行っていきます。

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ペンタックスMEスーパーのカメラ修理

今日は「お好み焼きの日」だそうですよ。
「お好みソース」でお馴染みの
オタフクソース株式会社が制定しています。
個人的には子供の頃から非常になじみ深い
オタフクソースですが
こちらだとやはりそれほどでもないですよね…(笑
日付は、お好み焼きを鉄板やホットプレートで焼く音
「ジュージュー」を「1010」と読む語呂合わせからだそうです。
お好み焼きは広島・呉に帰った時はやはり必ず1度は食べますし
こちらでもお好み焼きのお店はありますので
たまに友人と食べに行ったりします。
やはり慣れ親しんだ味なので
無性に食べたくなる時が定期的に訪れるのですよねぇ
子供の頃は持ち帰りで食べることが多く
焼きあがったお好み焼きを二つに折りたたんで(呉特有だそうです)
緑色の紙に包んでもらって持って帰っていました。
その頃食べたお好み焼きの味は今の主流のモノよりも
もっともっさりしていたイメージです。
年月とともにお好み焼きの味も少し変わっていると思います。
今どきのは昔の近所で安く売っていた庶民的なものより
数段美味しいし食べやすいです。
まぁその代わり昔の感覚より随分お高いですが…(苦笑)

さてさて

本日は「ペンタックスMEスーパー」のカメラ修理を行っています。
「ペンタックスMシリーズ」中
スペック的には最も優れたカメラかと思われます。
ほぼ全ての「Mシリーズ」のベースとなっているのは
絞り優先オート専用機の「ME」ですが
この「ME」をベースに最高速1/2000のシャッターを搭載し
従来の絞り優先オートに加えマニュアル露出も搭載したカメラです。
これで「ME」では難しかった微妙な露出調整も
難なく行えるカメラになりました。
1979年末に発売されたカメラです。
元々マニュアル露出の設定のない「ME」にマニュアル可能にするために
モードダイヤルをSSダイヤルとするのではなく
マニュアル時にSS設定に
ボタン式(アップ・ダウンの2ボタン)を採用しています。
個人的にはやはりダイヤルのほうが使いやすいとは思いますが
その辺は慣れもあるかとは思います。
このSS設定の方式は後の「Aシリーズ」にも受け継がれますし
中判の「645」にも採用されています。
加えてファインダースクリーンには
新開発の「クリアーブライトマットスクリーン」が採用され
ファインダー像が明るくなりピントのキレも向上し
快適なピント合わせを行うことができます。

お預かりしてる「MEスーパー」はミラーアップしたままで
巻上もレリーズもできない状態です。
「ME系」お約束のミラー駆動部ゴムブッシュの溶解による
動作不良かと思われます。
加えてモードダイヤルが「L」ポジションで固着したまま
全く動かない状態です。
「L」でダイヤル自体がロックされる機構はないので
クリックボールが何かおかしな状態で噛みこんだものと思われます。
あまり力任せで回そうとすると何か壊れそうなので
無理はせず分解して中身をチェックしたいと思います。
ミラーアップしたままなのでシャッターやオート・露出計の
電気的部分がどうかは現時点では全く分からないのですが
まずは普通にシャッターが切れる状態にして
チェックを行っていきます。

ミラー駆動部の問題はいつものパターンで
ドロドロの粘着質になりかけたゴムブッシュを取り出して
代用品に交換していきます。
電池室周りの腐食等がないので
まずは大丈夫と予想してはいましたが
ミラーが快適に動くようになれば電子制御シャッターも
調整は必要なものの大きな問題もなく動き始めました。
ダイヤルの固着はクリックボールに薄くグリスを塗って
組みなおしスムーズに動くようになりました。
電子制御シャッター機ですが基盤の一部が
ソケット式なこともあり
整備性は非常に良好なカメラです。
個人的にはもっと評価されていてもいいカメラだと思っています。
ただMシリーズ共通の問題で内部モルトがやたらと多いのは
ちょっとよろしくはないですね(苦笑)

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ミノルタオートコードのカメラ修理

今日は「石油の日」だそうですよ。
「106」を「1=イ、0=オ、6=ル」と見立てて
並べ替えるとオイル(石油)となることと
1973(昭和48)年10月6日に発生した
「第一次オイルショック」の教訓などからだそうです。
なかなかの強引さですね(笑
オイルショックはさすがに私もまだ4歳だったので
そんなことがあったのは知っていますが
さすがに実感したような記憶は残ってないですね
トイレットペーパーの買い占めが起こって
大変だったのですよね…
少し話がそれますがその頃、私の実家では
確かロールのトイレットペーパーではなくて
トイレには「ちり紙」がおいてありました。
もちろんトイレは水洗ではありません…
四角い「ちり紙置き」…懐かしいですねぇ
話を戻しますが石油製品と聞いてイメージするのは
やはりガソリン、灯油、そしてプラスチックですかね…
脱石油が叫ばれて随分久しいですが
どれもまだまだ生活必需品ですね
でも街中のガソリンスタンドは本当に随分減りました…
個人的にはまだまだ実質的にはガソリン車だと思いますが…

さてさて

本日は「ミノルタオートコード」の
カメラ修理を行っています。
国産最高峰の二眼レフですね。
その使い勝手の良さやロッコールレンズの
秀逸な写りで現在でも国産二眼レフの中では
トップクラスの人気を誇るカメラです。
操作性の点でいうといわゆる「ハラキリ型」とも呼ばれる
独特のピントレバーは素早く合わせることも
じっくり合わせることにも簡単に対応でき
ファインダーの見えもよく
快適なピント操作を行うことができます。
巻上に目を移すと軽快に巻き上げられるクランク式で
もちろんセルフコッキングも装備
フィルム装填はセミオートマットで
巻上にもチャージにも余計な気を使う必要はありません。
フィルム巻上はミノルタ独自の平面性重視の
「上から下」に巻く方式です。
シャッターユニットはモデルによって搭載されるものが
異なりますがシチズンにしろセイコーシャにしろ
当時の最高級シャッターです。
そしてSSや絞りの設定はビューレンズ上の窓に
集中表示されます。構えた体制のままで確認可能で
非常に撮影時に助かります。
ひとつひとつの機能を見ると「オートコードで初」とか
「オートコードのみの」というものはなく
これまでのミノルタフレックスやミノルタコードで
採用されたものの中でのいいとこどりなのですね。
そういう意味でも「ミノルタ二眼レフの集大成」と言えるカメラだと思います。

お預かりしている「オートコード」は最終型の「Ⅲ」です。
レンズは新ガラス採用のニューロッコールと呼ばれるモノです。
現行フィルムでは残念ながら壊滅状態ですが
220フィルムにも対応できるようになりました。
シャッターユニットはシチズンMVLです。
一通りは動作している状態です。
レンズも大きなカビ等はなく比較的キレイな状態です。
ファインダースクリーンやミラーにはそれなりに
カビや汚れが見られ少々見えづらい状態です。
動作は一通りしているものの操作系には妙な重苦しさがあり
積年の汚れや古い油脂が動きを妨げているような状態です。
シャッターも一通りは動きますが絞り羽根やシャッター羽根には
やはり少々粘りがあります。
使えない状態ではないですがキチンと本来の姿で使うには
一通りの整備でリフレッシュさせたやる必要がある状態です。

まだ現状の動きや機能を確認している状態です。
これからの整備の方向性や段取りがついたので
これから本格的に分解整備に取り掛かります。
余談ですがオートコードは生産時期によると思いますが
後期モデルになるとフィルム室の遮光に
モルトが使用されています。
今回のオートコードも同様でもちろんモルトは全滅です。
もちろん交換で対応します。
前期モデルでは時代を反映して毛糸です。

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ミノルタSR-1のカメラ修理

今日は「時刻表記念日」だそうですよ。
1894(明治27)年のこの日に
日本初の本格的な時刻表「汽車汽船旅行案内」が
出版されたことに由来しています。
紙の冊子の時刻表なんてもう長らく見ていないですね…
子供の頃、外に遊びに出られないときは
家にある地図や時刻表を見るのが大好きでした。
なんとなく遠くへ行くことがイメージできるのですよねぇ…
今は電車や新幹線乗るときもパソコンやスマホで
検索かけることが多いですが
路線やどうやっていくのがわかっていて
時間や予定だけがアバウトにしか決まっていないから
その駅に発着する新幹線の時刻表を
見開き一覧で見たい…なんてときにスマホじゃダメなんですよねぇ…
私の場合、特に広島から帰ってくるときに
広島始発の新幹線の一覧を見たい時が割とあるのですが
そういうときにスマホだと調べにくくて難儀します…
まぁそれもお金払って有料アプリとかを使えば
いいものがありそうではありますが…
冊子を開いてばっと調べるほうが簡単で早そうですよね
それでも買ってまで冊子の時刻表が必要かと言われると
そこまでではないのですが…

さてさて

本日は「ミノルタSR-1」のカメラ修理を行っています。
SR-1自体は1959年発売のカメラです。
その前年に出たミノルタ初の一眼レフ「SR-2」から
1/1000を省略し普及型としたカメラです。
ただ、毎度書きますが「SR-1」の少々ややこしいところは
トップモデルの「SR-2」がその後、「SR-3」「SR-7」と
モデルチェンジを行っていたのに対して
「SR-1」はその生産時期のトップモデルを常にベースとしながら
モデル名は「SR-1」でずっと変更されませんでした。
そのため同じ「SR-1」というカメラでも
「SR-2」ベースモノが合ったり「SR-3]「SR-7」ベースのものが
存在します。もちろん中身はそれぞれ全く異なり
外観もその時のベースモデルと同様です。
そんな理由で外観だけでも大きく分けて4種類の「SR-1」が存在します。

お預かりしている「SR-1」は
外部露出計用ソケットが装着されていて
SR-1のロゴは巻き戻し側で色は黒
フィルムカウンターは巻上側に配置されている…等々から判断し
1963年型の「SR-1」かと思われます。
ベースとなっているのはその前年に出た「SR-7」です。
これもそらくかなり長い間仕舞い込まれていたカメラだと思われます。
巻上やシャッターに明らかな油切れの兆候が見られます。
高速シャッターは1/1000は開かず
他SSも幕速バランスが崩れているため全く精度が出ていません。
低速シャッターはスローガバナが固着していて
1/15まではなんとか動くもののそれより遅いSSでは
シャッターが開いたままとなり完全に固まってしまいます。
心配されるプリズム腐食は今回は大丈夫でした。
ただファインダーはゴミだらけで接眼レンズはカビだらけです。

これから本格的に分解整備に取り掛かっていきます。
とにかく動く部分は徹底的に清掃して
最小限の注油を行っていきます。
その上で微調整を行えば十分に精度は出ると思われます。
ベースのSRー7では巻き戻し側に外光式露出計が搭載されるのですが
SR-1では省略されているので上カバーを外すと
巻き戻し側がなんだか寂しい感じがしますね…

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リコー500GSのカメラ修理

今日は「探し物の日」だそうですよ。
NTTの電話番号案内が104番であることからだそうです。
失くした物をもう一度本気で探してみる日とされています。
マーフィーの法則に
「探し物は探すのを止めたらそれは見つかる」なんてのがありますが
見つからない探し物は忘れた頃に出てくるのですよねぇ…
私も7月半ばにPASMOカードの入ったパスケースが
前日に使ったのにどこに行ったかわからなくなって
仕事場や自宅を散々探したのに見つからなくて
「駅前でバッグに入れた際に落としたのか?」と思って
交番に遺失届も出したのですが結局見つからず…
PASMOはこれを機にモバイルに移行したし
残額はたいして残っていなかったから
大きな問題ではなくそのうちに気にしなくなっていました…
で、それがつい数日前にお店のバックヤードの
少し見づらい場所からポロッと出てきたのです。
そこも探したつもりだったんですけどねぇ…(笑
まぁPASMO以外はたいしたものは入っていなかったのですが
パスケース自体に少し思い入れがあったので見つかってよかったです。
というわけでマーフィーの法則通りでしたね…(苦笑
探し物は余程急を要するものでない限り
探すのをやめたほうがいいのかもしれません…
ところでこの記念日の由来となっている「電話番号案内104」も
2026年3月末で終了ですね。これも時代の流れですねぇ…

さてさて

本日は「リコー500GS」のカメラ修理を行っています。
1973年発売のカメラです。
前年に発売された「500G」のマイナーチェンジ版ともいえるカメラで
機能や内部構造も「500G」「500GS」はほぼ同様です。
リケノン40mmF2.8のコンパクトなレンズを搭載した
シャッタスピード優先オート露出のカメラです。
距離計も搭載していて一通りの機能を
軽量コンパクトなボディにうまくまとめたカメラです。
これもコニカC35以降の「コンパクトブーム」の影響を受けたカメラですね。
ただしコストも重量も抑えられているので
プラスチック部品が多く使われ
70年代のカメラなのでそのプラスチック部品に劣化も見られ
コンディションによってはちょっと大変なカメラとも言えます。

お預かりしている「500GS」はひととおり動くものの
絞り羽根に少々粘りがあってオート時に
うまくコントロールできないことと
レンズにかなりカビが生えてしまっています。
電池室はキレイなのですが露出計は普通に動いたかと思えば
全く動かないこともありどこかで接触不良が起きていると思われます。
裏ブタに大量に貼られたモルトはかなり劣化が酷かったらしく
既におおざっぱではありますが取り去られています。
このタイプのコンパクトカメラはコストの関係もあり
フィルム室の遮光を裏ブタの構造とかではなく
とにかく隙間の空く部分にモルトを貼りまくる…という手法が多いので
そのモルトがとにかくトラブルの元となりがちです。

フレーム構造もちょっと変わったカメラです
上下カバーは単なる板で背面や前面部がありません。
特に上カバー部は背面がフレームの一部なので
少々整備性に影響がありますね。
前カバーは一体型でこれも独特な構造です。
これも外すのにちょっとしたひと手間が必要です。
ピントは前玉回転式でここもシンプルです。
ただし前玉回転式の場合はレンズを外すと
必ずピント調整が必要です。
画像は取り掛かり始めですが
これからシャッタユニットも分離して整備を行っていきます。

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キヤノンデミEE17のカメラ修理

今日は「登山の日」だそうですよ。
日付は日本山岳会が1905(明治38)年10月に発足したことと
「と(10)ざん(3)」(登山)と読む語呂合わせからだそうです。
標高や地域によりますが
山歩きをするには絶好の季節になってきましたね。
ただ、特に標高の高い山はそうですが
下界とは全く気温が異なるので注意が必要ですね。
それでも少し冷たい風を稜線で感じるのは最高でしょう。
私は少し前に歩きが少しばかり不自由になってからは
足場の悪いところはほぼ間違いなく転ぶので
もう山歩きは無理ですが機会があれば
見晴らしの良い登山口まででもいいから行ってみたいですねぇ
やはりこの季節の山の空気は最高です。

さてさて

本日は「キヤノンデミEE17」のカメラ修理を行っています。
デミはキヤノンハーフカメラのシリーズです。
基本となる「キヤノンデミ」は非常に小型軽量で
手動プログラムシャッターのシンプルなカメラですが
「EE17」はそのデラックス版といえます。
露出制御はシャッタースピード優先オートが装備されています。
露出計もCDS使用のものに変更され
レンズも30mmF1.7の大口径レンズです。
さすがに通常のデミに比べると少しばかり大きくなりましたが
それでもハーフカメラなので非常にコンパクトです。
発売は1966年です。
その前年にラピッドフィルム用の「デミラピッド」という
カメラが発売されているのですが
「EE17」はこの「デミラピッド」の35mmフィルム版です。
内部構造もデミラピッドをほぼそのまま継承しています。

お預かりしている「デミEE17」は
シャッター切れず巻き上げできずという状態です。
他のカメラならシャッター羽根粘りがまず原因と思うのですが
「デミEE17」の巻上ロックは巻上レバーからリンクする
シャッターチャージ機構に原因がある場合が多いです。
チャージレバーへと動きを伝達するリンケージが緩んでいたり
変形していたりすることで
正常にシャッターチャージができなくなるパターンが多いです。
ただ今回はその部分が見えるところまで分解しても
リンケージ自体には大きな問題はなさそうです。
ただシャッターチャージ機構は非常に動きが渋く
やはりこれに関連する部分が主原因なのは間違いないようです。
その後、シャッターユニットを分離するわけですが
ここで原因がはっきりしました。
シャッターユニットから出て言えるチャージレバーが
大きく変形してねじれています。
そのために正常に動くことができずに
チャージすることができない状況でした。
動きが悪いところへ無理に巻き上げようとした末路かと思われます。


画像は分解取り掛かり始めのモノです。
チャージレバーの変形は慎重に元の状態に戻して対処します。
折れてしまうようなほどの変形でなかったのが
不幸中の幸いです。
それとは別の問題でシャッター羽根はべっとりと油でくっついていて
チャージできたとしてもシャッターは切れない状態でした。
これはシャッターユニット分解の上での羽根洗浄で対処します。
問題の良く起こる露出計周りは調整は必要なものの
大きなトラブルはなさそうです。
各部の状態を確認しながら修理と並行して
通常の整備も行っていきます。

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リコー35デラックスのカメラ修理

今日は「望遠鏡の日」だそうですよ。
1608年のこの日に
オランダの眼鏡技師ハンス・リッペルハイが
凹レンズと凸レンズを組み合わせると
遠くの物が近くに見えるという望遠鏡を発明し
特許を申請するためにオランダの国会に
書類を提示したことに由来しているそうです。
しかしながら、原理があまりにも単純で
誰にでも作れそうだという理由で
特許は受理されなかったそうです。
その代わりにオランダの政府から報酬を得ることができたそうです。
確かに原理自体は簡単ですが
何にしても最初にそれに気づいた方は偉いですよねぇ
カメラの望遠レンズも基本的にはこの構造ですね。
そのままでは収差が発生したりするために
カメラのレンズ場合は単純な造りではありませんが…
小学校に入るか入らないかの頃に
ある日、突然、じいさんが6.5cmのヴィクセン製の
天体望遠鏡を買ってきてとりあえずは
家の窓から灰ヶ峰の頂上を見せてくれたことを今でも鮮明に覚えています。
肉眼では頂上の展望台がそこに存在することしか確認できませんが
望遠鏡で見ると展望台にいる人の姿まで見えるのです。
5歳か6歳かの私には強烈な感動でした。
しかし…じいさんよ…あとから考えたら
小学校入学直前の子供に赤道儀の天体望遠鏡は使いこなせんよ(笑
実際にその望遠鏡が本領を発揮したのは
私が小学校高学年になる頃でした。
でもものすごく役に立ったし楽しめました!

さてさて

本日は「リコー35デラックス」のカメラ修理を行っています。
1956年発売のレンジファインダー搭載のレンズシャッター機です。
リコー35シリーズにもたくさんのカメラが存在します。
その中でも「35デラックス」は独特のデザインということもあり
印象が非常に残るカメラです。
当店にもたまにですが修理依頼が入るカメラです。
何といっても上カバー上面の筆記体で書かれた
「Ricoh “35” De Luxe」の文字が何とも上品でオシャレです。
上カバー上には巻き戻しクランク、フィルムカウンター
レリーズボタンが配置され、巻上レバーは底部に配置されています。
フィルム室蓋は底部左右のノブをOpenポジションにすることで
取り外しができます。
巻き戻しボタンは上カバー背面部にスライド式のものが配置されます。
多少、慣れが必要な配置ですが特に難しいモノではありません。
セルフコッキングも搭載されて普通に巻き上げれば
シャッターチャージもされます。
フィルムカウンターも自動復帰です。
発売年を考慮するとかなりの最先端なカメラだと思います。
搭載されるシャッターはセイコーシャMXLです。
例によって最高速1/500は別バネなので
1/500使用の際は先にSSを1/500に設定してからチャージを行います。
レンズは非常に評価の高いリケノン4.5cmF2が搭載されます。
この時代では珍しくレリーズレバーやチャージレバーも
しっかりカバーされていて鏡胴もすっきりしたデザインです。
全体的にも非常に質感の高さを感じさせます。

お預かりしている「35デラックス」は
シャッターが完全に固着して全く動きません。
羽根に油が回って羽根同士がくっついてしまっているものと思われます。
開けてみれば一目瞭然なのですがかなり大量の油脂が回っていて
羽根1枚1枚をしっかり洗浄した上で
羽根の駆動部から羽根が触れる部分全てを
かなり入念に脱脂する必要がありました。
とはいってもレンズシャッター機ではいつも行う作業ではありますが…
他は距離計がかなりズレていたり
レンズやファインダーにそれなりにカビや汚れがあったりと
一通りの整備清掃が必要な状況でした。

修理中の画像を残すのを忘れました…
一通り整備が完了して少し様子見をしている状態でのモノです。
シャッターは非常に軽快に動作するようになりました。
他各部の動きも快調です。
安心してお使いいただける状態だと思います。
これから最終テストを行って問題なければ完成となります。

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キヤノンFTのカメラ修理

今日は「洋菓子の日」だそうですよ。
私は餡子大好きなのでどちらかといえば
「和菓子好き」ですが
甘いモノ全般好きなので
洋菓子にも大好物がたくさんありますね…
「洋菓子」とくくろうとすると
かなり広い範囲のお菓子が入ってきてキリがないですね。
ケーキやクッキーはもちろんアイスやチョコ、キャンディまで
洋菓子の中に入ってしまいます。
逆に言うと「和菓子」以外の一般的なお菓子ほぼ全てですよね(笑
ケーキやパフェやエクレア、シュークリームなんかもそうですが
甘いクリームたっぷりなモノは特に魅力的に映ります。
ほら、少し疲れてきたりストレス溜まってくると
思い切り浴びるようにクリーム飲みたくなるじゃないですか…(笑
今の私がそんなこと実際にやったら血糖値爆上がりで
後が大変なことになってしまうのでできませんが…
冗談はさておき酸味の後に優しい甘さがしっかり残るような
美味しいアップルパイが食べたくなってきました…
手軽に近くで手に入るところで
美味しいアップルパイないかなぁ…

さてさて

本日は「キヤノンFT」のカメラ修理を行っています。
1966年発売のカメラです。
機械制御横橋りシャッターのTTL測光機です。
この時代らしいスペックのカメラですね。
TTL測光ではありますが
絞り伝達機構のないFLマウントということもあり
絞り込み測光です。
後に当たり前となる開放測光器はこの後に出てくる
FTb+FDマウントレンズを待たなくてはなりません。
取り上げるとすればこのカメラからCDSが
ファインダーコンデンサーレンズ背後に配置されるようになりました。
一般的なTTL測光機ではCDSは接眼レンズの周囲に
配置されることが多いのです。
キヤノンではコンデンサーレンズに45度切断し
その切断面にハーフミラーを配置し
レンズを通過した入射光の一部を背後にいるCDSに導くことによって
測光を行います。より厳密な測光が可能となります。
レンズ以外からくる余計な入射光の影響も受けにくい構造です。
ハーフミラーの配置に伴って測光範囲は
中央部分測光となります。
後のF-1やFTb等にもこの構造は引き継がれます。
この時代のキャノンならではの測光方法です。

お預かりしている「FT」はシャッターが切れません。
もちろん巻上もできません。
シャッター幕位置から判断するにシャッターチャージは完了しています。
ミラーチャージもできているようです。
ただレリーズボタンが固まっていて押せません。
強制的にレリーズしようとしても簡単にできる部分からは無理なようです。
いろいろ現状を確認してみるとどうもセルフタイマーが
何らかの邪魔をしていてレリーズできないような様子です。
それ以上は深く分解してみないと何とも言えない状況です。

シャッター周りは後で詳しく調べるとして
セールスポイントのひとつでもある露出計は
とりあえずは動作しているようです。
ただ指針は非常に不安定です。
SW周りで接触不良があるものと思われます。
絞り込み測光機なので絞り込みレバーと
露出計SWは連動しています。
バッテリーチェック時にASAとSSを
一定の位置に合わせなければいけないのは
F-1やFTbと共通です。
FTの場合はASA100でSSはXにセットします。
わかりにくいですが巻き戻しクランクを引き上げると
その下にASA100-X・CHECKと刻印されています。
整備性はなかなか良好なカメラです。
これから本格的に分解に取り掛かって
レリーズ不良の原因を探っていきます。

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ミノルタX-700のカメラ修理

今日は「パソコン記念日」だそうですよ。
1979(昭和54)年のこの日に
日本電気(NEC)がパーソナルコンピュータ
PC-8001(PC-8000シリーズ)を発売したことに由来しています。
最初のパソコンブームの火付け役となったマシンですね。
懐かしいですねぇ…
私が最初にパソコンに触れたのは高校生になったばかりの頃の
PC8001mkⅡSRですが毎晩夢中になって弄り倒してました(笑)
それでも今のパソコンに比べればできることは
めちゃくちゃ限られていましたし
何か一つ行うにも本当にいろいろ大変でした…
BASICがOSを兼ねていたこの時代に比べると
window3.1登場以降のPCは
劇的にインターフェースが変化しました…
今や特に難しい知識がなくてもパソコンは普通に操作できますし
慣れた方なら初めて触るソフトでも
なんとなくは操作できるかと思います
これってPC8001当時には全く想像もできない世界でした。
今や私の仕事だってパソコン抜きには全く考えられません。
メインの作業自体はパソコン関係ないですが
付随する書類関係、管理業務、経理業務
すべてがパソコン上で動いています。
以前にパソコンが突然壊れたことがありましたが
当然ながらすべての業務がストップし
復旧するまで通常の作業どころではありませんでした。
なにはさておいてもバックアップと
他PCに復元できる環境は必須でとても大切ですね…

さてさて

本日は「ミノルタX-700」のカメラ修理を行っています。
1981年発売のカメラです。
当店が扱うことのできるカメラとしては
最も新しい世代のカメラです。
スペックとしてはいわゆる中級機ですが
新設計のフレームを使用して
それまでのXG系の基本構造から脱却したカメラです。
いわゆるX3桁機としては最上級の機種となり
登場以来長らくミノルタマニュアルフォーカス機の
頂点として発売されたカメラです。
その間にαシリーズが発売され時代がAF機へと変化しても
カタログ落ちすることもなく1999年頃まで
18年間販売されました。
長らく発売されるだけあって基本設計に優れていて
使い心地もよいカメラです。
ロングセラー機なので現存台数も多く
比較的状態の良いモノが多いような気もします。

お預かりしている「X-700」は電源は入るものの
シャッターが切れません。
幕位置から判断してシャッターはチャージされています。
何らかの原因でレリーズができないものと思われます。
「X-700」は比較的電子部品関連のトラブルは少ないカメラなのですが
それでも電子回路上のトラブルが原因の場合は
当店では修理不可能と判断せざるを得ないことも多いです。
今回の「X-700」はご依頼者様がずっと所有されていたもので
これまでは普通に使えていたものの
少し久しぶりに出してみたらこの状態だったということから
おそらくは致命的トラブルではないのではと思われます。

画像はまだ取り掛かり始めの段階でのモノです。
一端取りかかって分解すると
この類のカメラは一気に済ませたい
(分解している状態でできるだけ放置したくない)ので
この後に一気にできることを集中して済ませてしまいます。
そのためこの類のカメラは閉店後に集中的に
作業を行うことが多くなります。
今回のトラブルの原因は予想通りマグネットの汚れによる
吸着不良からくるものでした。
それ以外にも主に接触不良を原因とした
挙動の不安定さが出ている箇所もありましたので
機械的な部分の整備に加えて各接点の清掃を入念に行っています。

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