ニコンFのカメラ修理

今日は「公衆電話の日」だそうですよ。
1900(明治33)年のこの日に
日本初の自動公衆電話が
東京の新橋駅と上野駅の駅構内に設置されたことに由来しています。
当時は「自動電話」と呼ばれていて
交換手を呼び出してからお金を入れて相手に繋いでもらうものだったそうです。
1925(大正14)年にダイヤル式で交換手を必要としない電話が登場してから
「公衆電話」と呼ばれるようになったそうです。
今や携帯電話の普及によってめっきり数が少なくなってしまいましたね。
でも大地震などの災害時には携帯電話などと比べて繋がりやすいため
非常時における重要な連絡手段としての役割を担っているのだそうです。
昔はいたるところに電話ボックスがありましたし
私も中学生の頃とか家で聞かれたくない電話を
10円玉を何枚も握りしめて電話ボックスに向かったものでした。
たまに現存する電話ボックスを見るとなんだか懐かしい気持ちになりますね。
電話ボックスだけでなく店内によくあったピンク電話や
お店の軒先なんかによくあった赤電話等々
今ではめったに見かけなくなったものがたくさんありました。
こう考えると昔の街の風景と今では随分と様変わりしているものですね。
タイムマシンがあれば子供の頃の街の景色を改めて
じっくり見てみたいものです。

さてさて

本日は「ニコンF」のカメラ修理を行っています。
なんだかんだでこの時代の最強の一眼レフだと思います。
明らかにオーバークオリティな部品が
贅沢に使われていてまたそれらが非常に高い精度で
組み上げられています。
1959年発売のカメラですが
大きなショック品や水没品・粗悪な分解品でない限り
ある程度の整備を行えば現在も当時にかなり近い状態で
動作する数少ないカメラです。

お預かりしている「F」は長く生産された「F」の中でも
結構な初期モデルです。
あまり使われないまましまい込まれていたものかと思われます。
巻上やシャッターなど機械駆動部は全てにおいて
動きが鈍く本来のスムーズさはなくなってしまっています。
それでも駆動部自体には大きなダメージはなく
キチンと動作するように整備を行えば
問題なく使用できる状態になるかと思われます。
それよりも問題なのは実は裏ブタ開閉部です。
「F」の裏ブタはいわゆる蝶番式ではなく取り外し式ですが
おそらく「Close」の状態で外れた状態から
無理に押し込んでしまったのだと思われますが
ロックする鍔部分がかなり激しく変形していて
裏ブタが全く閉まらない状態になっています。
まずここを何とかしないと全く使えないのですが
丈夫さが売りの「F」なのでここも非常に強度が高く
いったん大きな力で変形するとなかなか元には戻りません。
詳しくは割愛しますが何とか少しずつ慎重かつ丁寧に
変形部分を元に戻してどうにか裏ブタは普通に
閉められるようになりました。
いったん変形した金属部品は形状を元に戻すと
一気に強度がなくなって破損する場合も多いのですが
今回は強度的にも問題ないと思われます。

これから分解を進めて各駆動部分の整備調整を行っていきます。
言わずもがなですが整備性も非常に優れているカメラです。
定期的に分解整備を行いながら長く使うということが
大前提となって造られているカメラです。
本来なら負荷のかかる部分の部品等は交換がベストなのでしょうが
もちろん今や部品は手に入らないので
できるかぎりの整備となりますが
それでも明らかにくたびれて長く使うことに不安の残る部分は皆無です。
いつも分解整備を行うたびに思いますが
非常にしっかりと精密かつ丈夫に作られたカメラだと思います。

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