キヤノネットのカメラ修理

今日は「モノレール開業記念日」だそうですよ。
この日が来るたびに
下から見たことは何度もあっても
実際にはまだ乗っていない「湘南モノレール」に
乗りに行きたいなーと毎年思いますね(苦笑)
東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年のこの日に
浜松町~羽田空港間の「東京モノレール」(東京モノレール羽田線)が
開業したことに由来しています。
現在でも羽田空港へのアクセスに重要な路線ですね。
東京モノレールは何度か乗ったことはあります。
っといっても10年以上ご無沙汰ですが…
モノレール(monorail)とは、1本の軌条(レール)により
進路を誘導されて走る軌道系交通機関です。
語源は「一つのもの」を意味する接頭語「mono」と
「軌道」を意味する「rail」、
つまり「単軌鉄道」(たんきてつどう)ということです。
東京モノレールのように車両の下にレールがあり
レールに車両がまたがっている形態の跨座式と
湘南モノレールのように車両を吊るように上にレールがある
(レールに車両がぶら下がっている)形態の懸垂式に大別されます。
やはり見た目のインパクトがあって車内からの見晴らしの良い
懸垂式に興味がわきますよねぇ…
やっぱり湘南モノレールに乗りに行かなくては…(笑

さてさて

本日は「キヤノネット」のカメラ修理を行っています。
キヤノンを代表するコンパクトカメラのシリーズですね。
初代から最終「G-Ⅲ」まで
当店にはコンスタントに修理依頼がありますが
今回は社会現象になるほどの大ヒットを記録した
1961年発売の初代キャノネットです。
45mmF1.9の大口径レンズにレンジファインダー搭載
セレン光電池使用の露出計と連動し
シャッタースピード優先オートも搭載
その上で露出計は連動しませんがマニュアル露出も可能
当時のカメラとしては最高級の性能を持ちながら
18,800円という破壊的な価格で登場し
50年代に雨後の筍のように乱立した多くの
中小カメラメーカーを倒産・撤退させるきっかけを作ったとも
言われているある意味伝説的なカメラです。
分解整備してみるとよくわかりますが
当時としては徹底されたコストカットの多くは
生産の効率化です。
部品や素材そのものに安っぽい部分はかけらほどもなく
それどころか指針挟み込み式のオート機として
非常によく考えられて作られたカメラということがよくわかります。
大ヒットモデルなので現存台数も非常に多いですが
現存数が多いこともあって
不遇な扱いを受けている個体が多い印象です。

お預かりしている初代キャノネットは
いわゆる初期のモデルです。
ファインダー内の露出計表示が指針ではなく
矢印状のマークが出たりでなかったりするタイプです。
ご依頼者様のお父様が入手されたもので
ご依頼者様の幼少期に大活躍したカメラとのことです。
保存状態もよく丁寧に扱われてきたことが
一目でわかるカメラです。
それでもさすがに使われていなかった期間が
かなり長い間あったとみられ
シャッターや絞りに粘りがあり
特にオート制御の構造上、オート時マニュアル時ともに
非常に小さなバネの力で動く絞り羽根は
正常に動作しない状態です。
他、ファインダーにクモリ、レンズにはカビが見られますが
比較的軽微なもので清掃で十分にクリアになると思われます。

心配なのはやはりセレン光電池の状態でしたが
保管状況が良いことも幸いしてか
起電状態には問題ないようです。
ある程度の光を当てると露出計の針は
元気よく大きく振れています。
巻上や藻き戻しは底部に配置され
すっきりした上カバー部に筆記体の「Canonet」の刻印
この時代なので少し大柄ではありますが
非常にスタイリッシュなカメラだと思います。
機械的な駆動部は十分すぎるほど丈夫ですし
少し大柄なボディのおかげで内部整備性も非常に良好です。
セレンさえ元気であれば
しっかり整備すればまだまだ長く使える良いカメラだと思います。

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オリンパスペンEE-3のカメラ修理

今日は「敬老の日」ですね。
昔は9/15が敬老の日でしたが
ハッピーマンデー制度が実施され
2003(平成15)年からは9月の第3月曜日となっています。
今年はたまたま15日が重なったため
今日が「敬老の日」ですが
やはり私の世代だと9/15が「敬老の日」というほうが
しっくりきますねぇ(笑
ちょっと前まではこの日はうちのじいさんばあさんに
感謝してお祝いをする日でしたがいつのまにか
じいさんばあさんはいなくなり
自分自身が年寄りに片足突っ込んでるような年代になってしまいました(苦笑
時間の流れはなかなか残酷ですね
余談ですがハッピーマンデー実施後も9/15を記念日として残すために
9/15は「老人の日」として記念日となっています。
この日から一週間の9月15日~21日は「老人週間」となっています。

さてさて

本日は「オリンパスペンEE-3」のカメラ修理を行っています。
1973年発売のカメラでその名の通り「ペンEEシリーズ」としては
3代目のカメラとなります。
基本的な構造自体は1961年発売の初代とそれほどは変わらず
モデルチェンジごとにオート時のSSが2速になったり
フィルムカウンターが自動復元式になったり
裏ブタが着脱式から蝶番式になったりと使いやすさの部分で
改良がおこなわれてきました。
セレン光電池を使用するプログラムオート露出機という部分は
初代から3代目まで変更はありません。
レンズもシリーズを通して28mmF3.5です。
「EE-3」は1986年まで生産が続けられペンシリーズの中で
最後まで生き残ったカメラとなりました。
それだけ基本設計に優れ使いやすいカメラだったのだと思います。
非常に長く生産されたカメラなので現存数も多く
減殺でも人気の高いハーフカメラです。

お預かりしている「ペンEE-3」は
オート露出が全く動作しておらず
明るかろうと暗かろうと最小絞りで
速い方のシャッターで切れているようです。
赤ベロも出てきません。
よくある絞りの固着があるのは間違いないとは思いますが
(レリーズを押さなくても開放にならないため)
気になるのは明るさにかかわらず速い方のSSで切れていることです。
SS切り替えの固着も考えられますが
可能性が高いのは露出計が全く動いていないことです。
詳しくは開けてみないとわからいので
ある程度まずは分解して原因を確認します。

まずは予想通りの絞り羽根固着…これはまぁいいのですが
露出計本体は内部断線で振り切ったまま固着している状態でした。
これはもう露出計本体を交換しないとダメなようです。
そしてセレンはなんとか起電はしていますが
起電量が致命的に足りません。
調整でカバーできるようなレベルではありません。
交換用セレンは中古を含めても良好なものは手に入りにくいので
ちょっと困りました。まぁ部品取り在庫をいろいろ探ります。
シャッター本体は調子よく動いていますが
露出計関係がことごとく問題だらけですね。
プログラムオート機なので露出計がダメなのは致命的です。
なんとか中古良品の部品を使って
快適に使用できるように修理を行っていきます。

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ペンタックスSPFのカメラ修理

今日は「ファミリーカラオケの日」らしいですよ。
日付ではなく9月の第二土曜日が記念日に制定されています。
学校5日制の最初の土曜日休日(9月第2土曜日)を契機に
ふだんは生活の時間帯や場所が異なる親子や家族が
「カラオケ」で歌うことを通じ
手軽にコミュニケーションを持つことができ
楽しさを共有できることをPRしようと記念日としたそうです。
私の場合は家族もいないですし
行くとしたらかなり高確率で「ひとりカラオケ」ですが
好きな歌を思い切り声を張って歌うのはストレス発散になりますよね。
でも私もここ4年ほどカラオケには行ってないですねぇ
もう得意な歌も忘れてしまってそうです(笑
以前は毎週のようにひとりでカラオケ行っていた時期もあったのですが…
頭やらかしてから大きな声が出にくくなったのも一因ですねぇ
まぁひとりで行く分にはうまいへた気にする必要ないですし
選曲だって何も気にせず自由ですし
またそのうち行ってみようと思います。
カラオケボックス持込用のマイマイクも長らく眠ったままですし…

さてさて

本日は「ペンタックスSPF」のカメラ修理を行っています。
1973年発売のカメラです。
大ヒットした「SP」の改良機です。
他メーカー機種が続々と「開放測光」を採用する中
M42マウントをある程度保ったまま開放測光を搭載したカメラです。
開放測光にはレンズ側の設定絞り伝達機構も必要となるので
さすがに現状のM42マウントのレンズでは不可能なので
M42マウントレンズに絞り伝達機構と定点ピンを追加した
「SMCタクマーレンズ」との組み合わせで開放測光を可能とします。
従来のM42マウントレンズも装着可能ですが
その場合は「SP」同様に絞り込み測光となります。
絞り込みSWと露出計SWが連動する必要もなくなったため
露出計SWは「フォトスイッチ」という少々変わった方法で
露出計のオンオフを行います。
測光用とは別途のCDSを接眼レンズ周辺に配置し
ここに光が当たらないと抵抗が最大値となり
実質的に電流を遮断する仕組みです。
すなわちレンズキャップをしてファインダーに光を入れないようにすれば
露出計が電源オフとなります。
露出計以外のシャッターや巻上等の機械的駆動部分は
ほぼ「SP」まんまです。

お預かりしている「SPF」も長らく使われずに眠ったままの
個体かと思われます。
シャッターの動きが悪くSS精度も出ていませんが
シャッタ幕走行完了時にミラーダウンレバーを
うまく連動させることができず
ミラーアップしたまま固まってしまう状態です。
そして電池室には当時の水銀電池が入ったままになっており
液漏れこそありませんが電池から発生するガスの影響で
マイナス側端子やその裏のハンダ部に緑青が沸いてしまっています。
配線にも腐食があるようです。当然ながら露出計は動きません。
長く眠っていたカメラにはよくある症状です。

心配されるのがプリズムの状況ですが
分解前にファインダーで観る限りは蒸着剥がれはなさそうでした
で、実際にプリズムを降ろして見ると
蒸着剥がれはギリギリで免れていますが
プリズムにぐるんと貼られた遮光材は加水分解でボロボロです。
これを安易に剥がすと一緒に蒸着まで剥離してしまいます。
とはいえこのままにはしておけないので
慎重に遮光材を剥がしていきます。
かなり時間と神経を使いましたが何とか蒸着は剥離せずに
取り除くことができました。
余談ですが「SP」と「SPF」にプリズムの互換性はありません。
プリズム寸法も微妙に異なりますが
仮にSPのプリズムを「SPF」に載せると
フォトスイッチ用のCDSに光が当たらなくなり
露出計が作動しなくなります。

プリズムの問題は何とかクリアできそうなので
露出計周りの修理調整と機械的清掃整備を行っていきます。

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ニコンFEのカメラ修理

今日は「宇宙の日」だそうですよ。
1992(平成4)年に制定されています。
1992年は世界中が協力して宇宙や地球環境について考えようという
「国際宇宙年」でした。
これをきっかけに記念日が制定され
日付は一般公募で決められたそうです。
加えて1992年のこの日、宇宙飛行士・毛利衛さんが
日本人として初めてアメリカ航空宇宙局(NASA)の
スペースシャトル・エンデバーに搭乗し宇宙へ飛び立ちました。
また、「1992」年の「92」が「きゅうじゅうに」であり
「9月12日」の数字を並べた「912」が「きゅうじゅうに」と読めることも
選定理由となったそうです。
夜空を見上げるのは好きですが「宇宙」となると膨大ですねぇ
地上での生活でめいっぱいでとても考えが回りません(笑
でもこれから秋に向かって空気が澄んでくると
星空がキレイに見える季節がやってきますね。
少し肌寒い中で瞬く星々を眺めるのは良い気分転換になると思います。
たまには満天の星空が見える空気が澄んで夜が暗いところへ
いってみたいものですねぇ

さてさて

本日は「ニコンFE」のカメラ修理を行っています。
1978年発売のカメラです。
電子制御シャッター搭載の中級機です。
当時のキャッチフレーズは「シンプル・ニコン」です。
機械制御シャッター搭載の「FM」と姉妹機とも言え
以前のニコマートFT系・EL系の時代と同じような関係性です。
でも内部的には機械部分にも意外に共用部品は少ないです。
電子シャッター制御機ですが電池がなくても動作する
「B」と「M90」(1/90)を備えています。
こういうところがこの当時のニコンらしい生真面目さです。
絞り優先オートを備える上、マニュアル機としても
非常に使いやすいカメラです。
ファインダー内情報で設定SSや設定絞りを確認することもでき
使い方にもよりますが個人的には
非常に便利で見えやすいファインダーだと思っています。
外観も適度にコンパクトで端正なデザインです。
開放測光ではなくなってしまいますが
ボディ側の連動爪を倒すことにより
一世代前の非Aiレンズを装着することも可能です。

お預かりしている「FE」はずいぶん長い間使われずに
しまい込まれていたものと思われます。
フィルム室のモルトは当然ながら全滅で
内部に使われているモルトも同様の状態かと思われます。
電池は抜いて保管していたと思われ電池室はキレイで
電池を入れると露出計は動作します。
たださすがに接点や配線の劣化もあってか
多少挙動が不安定でこれもあってオートの制御も不安定です。
シャッターも全速動作しますがやはり金属幕の汚れもあってか
高速域では精度が出ていません。
実際に撮影に使用するためにはやはり整備が必要な状況です。

電子制御機ということもあり
分解整備は多少ややこしい部分はありますが
この類のカメラとしては整備性は非常に良好です。
機械的にも電気的にも細かく調整が可能なようになっており
後から分解整備することを前提とした造りになっています。
このあたりはさすがですね。
心配される電子回路もかなり丈夫な方で
トラブルが出ると修理不能になることもありますが
そもそもトラブルは起きにくいと思います。
ただ不用意な分解等で短絡させたりフレキを傷めると
簡単に修理不能になってしまうので
やはり手を入れる際は非常に慎重に行う必要があります。
「FE」は修理依頼の多いカメラなので
中身は見慣れた光景ですが
油断せずに集中して作業を行っていきます。

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ニコンFのカメラ修理

今日は「公衆電話の日」だそうですよ。
1900(明治33)年のこの日に
日本初の自動公衆電話が
東京の新橋駅と上野駅の駅構内に設置されたことに由来しています。
当時は「自動電話」と呼ばれていて
交換手を呼び出してからお金を入れて相手に繋いでもらうものだったそうです。
1925(大正14)年にダイヤル式で交換手を必要としない電話が登場してから
「公衆電話」と呼ばれるようになったそうです。
今や携帯電話の普及によってめっきり数が少なくなってしまいましたね。
でも大地震などの災害時には携帯電話などと比べて繋がりやすいため
非常時における重要な連絡手段としての役割を担っているのだそうです。
昔はいたるところに電話ボックスがありましたし
私も中学生の頃とか家で聞かれたくない電話を
10円玉を何枚も握りしめて電話ボックスに向かったものでした。
たまに現存する電話ボックスを見るとなんだか懐かしい気持ちになりますね。
電話ボックスだけでなく店内によくあったピンク電話や
お店の軒先なんかによくあった赤電話等々
今ではめったに見かけなくなったものがたくさんありました。
こう考えると昔の街の風景と今では随分と様変わりしているものですね。
タイムマシンがあれば子供の頃の街の景色を改めて
じっくり見てみたいものです。

さてさて

本日は「ニコンF」のカメラ修理を行っています。
なんだかんだでこの時代の最強の一眼レフだと思います。
明らかにオーバークオリティな部品が
贅沢に使われていてまたそれらが非常に高い精度で
組み上げられています。
1959年発売のカメラですが
大きなショック品や水没品・粗悪な分解品でない限り
ある程度の整備を行えば現在も当時にかなり近い状態で
動作する数少ないカメラです。

お預かりしている「F」は長く生産された「F」の中でも
結構な初期モデルです。
あまり使われないまましまい込まれていたものかと思われます。
巻上やシャッターなど機械駆動部は全てにおいて
動きが鈍く本来のスムーズさはなくなってしまっています。
それでも駆動部自体には大きなダメージはなく
キチンと動作するように整備を行えば
問題なく使用できる状態になるかと思われます。
それよりも問題なのは実は裏ブタ開閉部です。
「F」の裏ブタはいわゆる蝶番式ではなく取り外し式ですが
おそらく「Close」の状態で外れた状態から
無理に押し込んでしまったのだと思われますが
ロックする鍔部分がかなり激しく変形していて
裏ブタが全く閉まらない状態になっています。
まずここを何とかしないと全く使えないのですが
丈夫さが売りの「F」なのでここも非常に強度が高く
いったん大きな力で変形するとなかなか元には戻りません。
詳しくは割愛しますが何とか少しずつ慎重かつ丁寧に
変形部分を元に戻してどうにか裏ブタは普通に
閉められるようになりました。
いったん変形した金属部品は形状を元に戻すと
一気に強度がなくなって破損する場合も多いのですが
今回は強度的にも問題ないと思われます。

これから分解を進めて各駆動部分の整備調整を行っていきます。
言わずもがなですが整備性も非常に優れているカメラです。
定期的に分解整備を行いながら長く使うということが
大前提となって造られているカメラです。
本来なら負荷のかかる部分の部品等は交換がベストなのでしょうが
もちろん今や部品は手に入らないので
できるかぎりの整備となりますが
それでも明らかにくたびれて長く使うことに不安の残る部分は皆無です。
いつも分解整備を行うたびに思いますが
非常にしっかりと精密かつ丈夫に作られたカメラだと思います。

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ニコンFG-20のカメラ修理

今日は「休養の日」らしいですよ。
「休(9)養(8)」と読む語呂合わせからだそうです。
「積極的休養」はコンディションを
整えるためにも大事ですね。
先日の「睡眠の日」でも触れましたが
しっかり体と脳を休めてやらないと
結局その後のパフォーマンスが落ちて
結果的にはしっかり休養した方が良いなんてことは
多々あるのですよね。
ただ単にダラダラ休むのもたまには精神衛生上よいですが
しっかり効率よくリフレッシュして
しっかり集中して仕事する…っていうのが
理想なんでしょうね。
まぁ、人間いうほど簡単にそうそう割り切れないもので
集中しなくてはいけないときに余計なことを始めちゃったり
休むべき時によけいなストレスや疲れることをしてしまう…というのも
日常あるあるですよねぇ…(笑
まぁ理想は理想として
短い健康寿命を
なるべくバランスよく効率よく
毎日を過ごしたいものです。

さてさて

本日は「ニコンFG-20」のカメラ修理を行っています。
1984年発売のカメラです。
ニコン初のエントリー機として1980年に
絞り優先オート専用機の「EM」が発売され
海外では好評だったものの国内では営業的には
いまひとつ振るわず
当時のスペック重視だったユーザー層に訴求した
マルチモード搭載の「FG」へと進化させ
さらにその「FG」からプログラムオートと
フラッシュTTL調光を省略し露出計も指針式としたのが
今回の「FG-20」です。
基本的にはやはり絞り優先オートで撮るカメラだとは思いますが
マニュアル可能なのでオートではカバーしきれない
撮影者の意図を反映した撮影が可能です。
機能的には上位の「FE」に迫り「FE」よりもコンパクトですが
ファインダーに設定SSや絞り値が表示されない等
やはり「FE」に比べると省略されている部分もあるので
その辺りには割り切りも必要かと思います。
「FG」とはデザインも少々異なり
巻上側の方が斜めに切り落とされているのも
デザイン上のアクセントになっています。
個人的には巻上レバー横の小さな「Nikon」のロゴが
何とも80年代らしさを感じて気に入っている部分です。

お預かりしている「FG-20」はおそらく
やはり長年眠っていた個体ではないと思われます。
比較的多用されているモルトは内部も含め
全滅でモルト屑があちこちに入り込んでいるような状態です。
心配される電子制御系には大きなトラブルはないものの
かなり電源が不安定で露出計指針が安定したかと思えば
上下に踊りだすようだすような状態です。
指針が安定してる時もオート制御は不安定で
指針で設定されているSSで動作しない状況も頻繁に起こっています。
いずれにしても接点やSW類の接触不良が原因かと思われます。

EMシリーズ共通で
カウンタが「1」にならないと露出計及びオートが
オンにならないようにSWが付いているのですが
ここの接触不良が多いような気がします。
今回はそれだけでなくレリーズ半押しの際の
SW接点がかなり接触不良なようです。
加えてそれらとは関係ないですが
シャッター羽根の根元部分の汚れで
シャッタ-自体の動きも悪いようで
SSが安定しないようです
これから分解を進めて電気的な接点やマグネット周りを
入念に清掃を行い機械的駆動部も清掃注油を行った上で
調整を行っていきます。

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コニカC35のカメラ修理

今日は語呂合わせでわかりやすく
「黒の日」ですね。
黒に関連した記念日でざっと調べても
「黒豚の日」「黒豆の日」「黒酢の日」
「黒あめの日」「カラスの日」「松崎しげるの日」等々
たくさんの記念日が制定されています。
「白髪染めの日」とかはないのですね…(笑
話が少しそれますが
さすがに最近白髪が目立つようになってきました。
黒い髪がまだ多い中にちょろちょろ白髪があると
一気に老けた感が出てしまうので
最近は定期的に白髪染めをするようになってきました。
全体的にはまだ大丈夫そうなのですが
生え際ともみあげに白髪が多くこれが目立つのです…
寄る年波には勝てませんねぇ…
まぁあまり見た目を気にするようなことももうないのですが
これはちょっと自己満足的に許せなくて
お手洗いで鏡を見るたびに
白髪チェックをするのがクセになってしまいました。
黒いのはもちろんですが艶とハリがあってしなやかな髪は
もう帰ってこないですね(苦笑)

さてさて

本日は「コニカC35」のカメラ修理を行っています。
正確に言うと初代C35をベースに
距離計を省略して目測式とし
セルフタイマーも省略した「C35 E&L」です。
1971年発売のカメラです。
目測となったことで使い方によっては
より簡単に素早く撮れるようになったカメラです。
C35のユーザー層や使い方を考えると
理にかなったモデルだと思います。
内部機構やレンズ、露出計・オート制御は
初代C35と変わりません。
ヘキサノン38mmF2.8の写りは定評通り秀逸です。
露出設定は露出計におまかせの
プログラムオート&プログラムシャッターで
余計なシャッターロック等がついていないことも
いざというときに役に立つと思います。
気軽にどこにでも持ち歩いて素早く撮るには
最適なカメラだと思います。

お預かりしている「C35」は
シャッターを切ると軽快なシャッター音はするのですが
肝心のシャッター羽根が全く動きません。
当然ながら写真は撮れません。
レンズシャッター機でよくある羽根の汚れによる
羽根固着はC35の場合は比較的少なく
よくあるのはシャッター駆動の源となる
円盤部の粘りなのですが
この歯切れのよいシャッター音を聞いていると
そこは元気に動いているような気もします。
とりあえず下カバーを開けて円盤部をのぞき込んでみると
やはりそこは元気にくるんと回って駆動力を生み出しています。
…となると羽根を直接動かしている駆動部の固着かと思われます。
加えて露出計は電池を入れても全く動きません。

電池室は一見キレイだったのですが
電池室裏の配線はボロボロで
完全に断線していました。
ここは配線交換で修理していきます。
シャッターはやはり羽根を駆動する基部がガッチリと
固着してしまっているようです。
ここがこんなに固着しているのは珍しいですね。
周辺にかなり緑青も出てしまっているので
少しばかり時間をかけてスムーズに動くように
修理していきます。

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オリンパスペンFのカメラ修理

今日は「石炭の日」だそうですよ。
「ク(9)リーン・コ(5)ール」(クリーンな石炭)と読む
語呂合わせからだそうです。
「黒いダイヤモンド」といわれていた時代もありましたね。
石油に移行する以前の化石燃料の代表でしたが
20世紀半ばには扱いがより容易で効率の良い
石油に置き換わっていきました。
20世紀初頭くらいまでは日本国内でも
数多くの炭鉱が存在していました。
それでも現在、2021年時点で74億トンの世界需要があり
世界的には炭鉱の新規開発計画も多いのだそうです。
石炭といえば…練炭や豆炭の原料でもありますね。
炭火焼の焼き肉とか焼き鳥とかが食べたくなってきます。
そして口の中の脂をキンキンに冷えたビールで
洗い流したいですねぇ(笑

さてさて

本日は「オリンパスペンF」のカメラ修理を行っています。
孤高の存在といえるハーフカメラ一眼レフです。
単にハーフ判の一眼レフというだけでなく
ハーフ判であることの利点を最大限に生かすために
35mm判一眼レフとは全く異なる構造を持つ
唯一無二の存在のカメラです。
それが故に現在でも非常に人気の高いカメラです。
構造的なモノや機能的なモノもさることながら
ペンタ部の出っ張りを持たない
横長のフォルムが何とも独特で非常に魅力的なカメラです。
後にTTL内蔵露出計やセルフタイマーが装備され
シングルストロークとなった
「ペンFT」も発売されこちらも現在でも人気です。
個人的にはどうしても経年上トラブルの多い露出計がなく
よりファインダーも明るく
巻上角も極端に大きくない(FTのシングルストロークは
巻上角が大きくストラップによくひっかかります)
従来の「ペンF」のほうが個人的な好みです。
使っていても楽しい非常に魅力的なカメラだと思います。

お預かりしている「ペンF」は
レンズをつけていないと問題なくシャッターも動作するのですが
レンズをつけてレリ―ズすると
ミラーが完全に上がり切らない状態で止まってしまいます。
上がり切っていないのでシャッターも切れません。
レンズ側に問題があるのかな…と装着されている
38mmレンズを確認すると
確かに絞り羽根に油滲みが見られ羽根の動きも鈍く
これはこれで問題なのですが
それでもボディ側の動きを妨げるほど
絞りこみレバーの動きが重いわけでありません。
試しに当店で使用している正常なテスト用レンズを装着して
シャッターを切ってみても
やはりミラー上がり切らず止まってしまいます。
ミラー駆動部の動作不良でわずかな絞り込みの負荷でさえ
動きが止まってしまうようです。
積年の汚れや油切れが原因かと思われます。

「ペンF」もプリズムの腐食が多いカメラで
腐食がある場合交換プリズムの入手が困難なカメラです。
今回もファインダーの視野内ではほぼ腐食の影響はありませんが
視野外ギリギリのところに大きめの点腐食があることが
分解時に確認できました。
ただ、ペンFのプリズム腐食の多くは
他のカメラで多くみられるプリズム周辺のモルトが原因ではなく
プリズム内蒸着の経年劣化であることがほとんどです。
そのため対策の打ちようがないのですが
周辺の内部モルトはやはり加水分解していますので
そのあたりはきちんと対策しておきます。
独特の内部機構が多くそのせいもあり
定期的な整備を行わないと動作不良の比較的起こりやすい
カメラではないかと思います。
しかしながら構造自体はシンプルな部分も多く
キチンと整備を行えばまだまだ長く使えるカメラかと思います。
今回も入念に駆動部の整備を行い
まだまだ長く使えるように仕上げていきます。

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キヤノネットのカメラ修理

今日は「ベッドの日」だそうです。
英語表記の「good sleep day」の「グッドスリープ」を
「グッスリ」と読み、「9」と「3」の語呂に合わせたものだそうです。
私は普段、ベッドではなく布団を敷いて寝ますが
いずれにしても睡眠は大事ですねぇ
若い頃は少々寝なくても何とか毎日を乗り越えられましたが
献年は睡眠不足は明らかに悪影響が顕著に出ます。
なるべく7時間睡眠を取るようにしているのですが
なかなかそうもいかないことも多いのが現実です。
個人差があるとは思いますが
睡眠時間6時間が3日続くと
明らかに集中力や判断力が落ちるのがわかります。
身体や手指の動きも明らかに鈍くなります。
やはり睡眠時間って大事ですね。
寝つきは良くていったん眠ると朝まで一度も目が覚めないので
ぐっすり眠れているとは思うのですが
これからの季節、気候も良くなって
ますます気持ちよく眠れそうですね。
寝坊しないように気をつけなければ…(笑

さてさて

本日は「キヤノネット」のカメラ修理を行っています。
1961年発売のカメラです。
キヤノン最初のコンパクトカメラです。
当時まだまだ高級品で高根の花だったカメラを
キヤノンの社員たちが自分たちの収入で
買えるものをと望んだことから
18,000円という当時破格の値段で発売されたカメラです。
レンジファインダーを搭載し、45mmF1.9の大口径レンズ
シャッターはコパル製で1/500~1S・Bをカバーし
セレン光電池露出計連動でシャッタースピード優先オートまで
搭載します。その上、露出計はオフとなりますが
マニュアルでの露出も可能です。
レンズが固定式であること以外、ほぼ当時の最高峰の
性能を持ったカメラでした。
それがこれまでになり破格のお求めやすさで登場したので
もちろん飛ぶように売れ大きな社会現象にまでなったカメラです。
キヤノネットの登場はカメラの低額化・高機能化に
ついていけなくなった多くのカメラメーカーが
倒産・撤退するきっかけともなりました。

お預かりしている「キヤノネット」は
心配されるセレンも元気に起電していますが
たまにシャッターが切れないことがあるようです。
お決まりのシャッター羽根の粘りと巻上ロック機構に
少し動作不良があるようなので
このあたりが原因かと思われます。
加えてキヤノネットにはオート時に明るさや
シャッター設定が露出計連動外だとシャッターロックがかかる
昨日がついていますがこれが少し誤作動を起こすこともあるようです。
これも駆動部が少し粘っているためのようです。

巻上や巻き戻し機構は底部に配置され
上カバー部はシャッターボタンのみで非常にすっきりしています。
そこに筆記体で「Canonet」の刻印…なんともオシャレですね。
当時としては破格の価格で登場しましたが
中身の造りを見ても安っぽさは微塵も感じられません。
お求め安くできた要因は生産と部品の効率化です。
素材や造りには全くコストカットの手は入っていません。
まだまだそういう部分で改善の余地があった時代ということですね。
なので使っていても質感が高く満足度も高いと思います。
加えて内部の整備性も非常に良好です。
シャッタースピード優先オート露出機構も
非常によく考えられて巧く造りこまれています。
この時代ならではの良さが存分に味わえるカメラだと思います。

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ニコンEMのカメラ修理

今日は「民放ラジオ放送開始記念日」だそうですよ。
1951(昭和26)年のこの日に
名古屋の中部日本放送(現:CBCラジオ)と
大阪の新日本放送(現:毎日放送)が
日本初の民放ラジオとして放送を開始したことが由来となっています。
太平洋戦争終結後の1950(昭和25)年に
民間放送の設置が認められる放送法が公布施行され
翌年の開始だったそうです。
ちなみに民放テレビ放送の開始はさらに翌年からとなっています。
中学生の頃とか布団の中にもぐりこんで
よく深夜ラジオ聴いていました(笑
たまに親父のクルマで出かけるといつもAMラジオがかかっていましたし
その放送がまたおもしろかった記憶が残っています。
あのちょっとノイジーなAMラジオの音が
何ともノスタルジーでいいですよね。
今でもたまに聴きたくなって枕元にラジオおいて聴くこともあります。
FM放送への転換が進んでAMラジオ放送がなくなってしまうのは
何とも寂しい気もしますがこれも時代の流れですね…

さてさて

本日は「ニコンEM」のカメラ修理を行っています。
1980年発売のカメラです。
ニコン初のエントリークラスのカメラでもありますね。
入門機とするためにこのとき既に他メーカーからも
出ていた「絞り優先オート露出」専用機とし
エンジニアプラスチックを多用しています。
前年の1979年には海外で先行発売され
その売れ行きと評判は上々で
満を持して国内投入されましたが
発売当初の国内でのリアクションは今一つでした。
高級カメライメージの強い当時のニコン製品としては
「安っぽい」という捉えられ方をしてしまったようです。
同クラスのカメラとしてはかなり質感高かったのですが…
この時代のニコンユーザーは今以上に保守的だったと思われますし
なかなかこれまでのイメージ上、難しいものがあったかと思います。
「絞り優先オート専用機」ということで
当然、電子制御シャッター機ですが
1/90とバルブは機械制御で電池ナシで駆動します。
このあたりもエントリー機とはいえニコンらしく
当時のフラッグシップF3同様にジウジアーロデザインで
デザイン上もF3に近い部分が多く
今見ても非常に魅力的なカメラだと思います。

お預かりしている「EM」は
巻き戻しクランクの破損だったり
セルフタイマーレバーの欠落だったりと
外装部にダメージが結構ある現状です。
シャッターや露出計に大きな問題はなさそうですが
落下していると思われ
レンズのフィルター枠等にもダメージがある状態なので
できる限りの修復と整備を一通り行います。

画像には写っていませんが
「EM」の巻き戻しクランクは破損していることが多いです。
力のかかる部分がプラスチック製で
それが経年劣化で脆くなっていることもあり
クランク部が破損している個体も多いイメージです。
今回はもう破損しているため反対に良かったのですが
分解時にここを外すときに非常に神経を使う部分です。
中身は電子制御機ということもあり
フレキも多く少々ややこしいですが
それでもこの類のカメラとしては
非常に整備性も良好です。
このあたりはさすがこの時代のニコンですね。

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