オリンパスOM-1のカメラ修理

昨日のブログでも書きましたが
今日の日没まではクリスマスですよ
メリークリスマス!
ところで12月25日は「昭和」改元の日なのですね。
1926年(大正15・昭和元年)のこの日に
大正天皇が崩御され
当時の皇太子であった裕仁(ひろひと)親王が新天皇に即位されました。
それに伴って元号も「大正」から「昭和」に改元されました。
戦前の旧祝祭日では大祭日の一つ「大正天皇際」(12月25日)といって
大正天皇崩御を祀る日とされていたのだそうです。
昭和生まれの私としてはちょっと気にかかる日です。
それにしても改めて考えても昭和は長かったのですね。
昭和元年と昭和64年は1ヶ月もなかったのですが
それでも60年以上続いて、その中でも激動の時代でしたものね。
さて今年から始まった「令和」はいったいどんな時代になるのでしょう
次の改元まではおそらく生きられないだろうなぁ(苦笑)

さてさて

本日は「オリンパスOM-1」のカメラ修理を行っています。
今月もやはりOM-1の修理はコンスタントにありますね。
M-1を含めると今月のブログに3回目の登場です。
今月はOM-1だけでなくオリンパスのカメラが非常に多いですね。
オリンパスのカメラといえば
やはり軽量コンパクトなものが非常に多いという印象です。
OM-1も当時の一眼レフとしては
その大きさと静かさではライバルはいないと言って良いと思います。
軽量コンパクトなのはもちろんですが
個人的には非常に上品なシャッター音と
上質な巻上フィーリングが最大の魅力かな、と思います。
オリンパスのカメラは他メーカーのライバルに比べると
どのクラスのカメラでも一回り小さいものが多いのですが
その大きさを実現するために独自性の高い造りをしているのも特徴です。
OM-1も例外ではなく
同じ時代の他の一眼レフと比べると独自の工夫が随所に見かけられます。
そのため当時としては全く問題なかったとは思いますが
50年以上経過した現在となっては多少華奢な部分があるのも事実です。
そこは弱点かもしれませんが
やはりそれをカバーしてあまりある魅力のあるカメラだとは思います。

お預かりしているOM-1はかなり初期のモデルです。
フィルム室にはスタッドが4本あり
それに伴ってフィルム圧版も短めです。
外装こそOM-1ですが中身としてはM-1と同一という時期のものです。
ご依頼者さまのお話によると
写真の一部が黒くなってしまうということで
確認してみると1/1000ではシャッターほぼ開いておらず
1/500も半分も開いていない状態です。
1/250は何とか開ききりますがやはり写真両端でかなりの露出差が出てしまいます。
シャッター先幕の動きが遅く
走行中に後幕に追いつかれてしまうような状況です。
加えて露出計が妙に不安定で指針がフラフラしています。
露出計が指示する値もかなりオーバー目ですが
これは電池の消耗が進んでいることが理由のようです。
少し話がそれますが使用する電池について少しだけ。。。
この時代のカメラだと当時の水銀電池は手に入らないので
LR44等で代用されている方も多いと思うのですが
OM-1だけでなくこの時代の指針式露出計は
電圧調整回路も何もなくダイレクトに
CdSや露出計に電圧がかかっているものがほとんどです。
そのため電圧が低下するともろに影響が出ます。
OM-1の場合だと0.2V電圧が低下すると約1.5段~2段オーバー目になります。
LR44に代表されるアルカリ電池は使用しているうちに
少しずつ電圧が下がってきます。
それに応じて露出計の値も狂っていくので注意が必要です。
ネガであればあまり気にならないかとは思いますが
ポジだとかなり致命的な露出ミスを起こしかねません。
電圧が最後まで安定する酸化銀電池(SR44)を使用したほうが
安心度は高いと思います。
もちろん1.5Vの電圧そのままで使う場合は
それに合わせて露出計が調整されていることが大前提です。
(1.3V仕様のまま1.5Vで使うと今度は大幅にアンダーです)

腐食の心配されるプリズムは今回は問題ありません。
過去に修理歴があり対策がなされているようです。
プリズム留めが4本のスプリングなのは
M-1/最初期OM-1の特徴ですね。
シャッターの不調は幕軸及び底部三連ギアの動作不良
露出計が不安定な原因はSWのようです。
これから分解を進めて現在抱えているトラブルの修理を含めた
各部点検整備一式を行っていきます。
M-1/最初期OM-1はプリズムや露出計本体
露出計基板・SW等を載せている樹脂製の台座が
非常に脆くなっていることが多いので
慎重に作業を行っていきます。

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ペンタックスMEのカメラ修理

メリークリスマス!
クリスマス・イヴですねぇ。。。
世の中はイヴで盛り上がっていますが
年末年始にお休みをいただくこともあって
私は年末の追い込みでこんな時間にブログを書いています(笑)
明日起きたら枕元にプレゼントあればいいのになぁ。。。
昨年も書きましたがクリスマス・イヴは直訳すると
「クリスマスの夜」という意味になります。
キリスト教会暦では日没が一日の始まりで
クリスマスは24日の日没から25日の日没までとなるので
その間の夜である24日の夜のことを「クリスマス・イヴ」と呼びます。
だからクリスマスイヴはクリスマスで
明日の夜はもうクリスマスではないのですねぇ

さてさて

そんなイヴの夜は「ペンタックスME」のカメラ修理を行っています。
「ペンタックスMシリーズ」を代表するカメラですね。
Mシリーズといえば「MX」も人気がありますが
「MX」はどちらかといえば「Mシリーズ」の中では
他のモデルと共通点の少ない基本設計から異なるカメラです。
「ME」はセイコー製縦走り金属羽根シャッターを
電気的にコントロールする電子シャッター機です。
絞り優先AE専用機となりますが
非常に軽量コンパクトで使いやすいカメラです。
もちろん新品時にはかなりのヒット作となり
現存する個体数も非常に多いカメラです。
ただし、ME系といえばミラーアップしたまま固着という個体が非常に多く
そのためジャンク扱いになっているものも多いと思います。
ペンタックス布幕横走り機もミラーアップトラブルが多いですが
(アサヒペンタックス系全般、SP系、MX等)
それはシャッター幕の走行不良が原因のことがほとんどで
ME系の場合はミラー駆動部に使われているゴムブッシュが
劣化で粘着質となりミラーが駆動できなくなることが原因です。
同じ原因でミラーチャージロックができず
いくら巻上してもチャージができない、何度でも巻上げができてしまう等の
トラブルを起こす場合もあります。

お預かりしているMEはそのミラー駆動周りにはトラブルはないようです。
「いったんきちんと」チャージができればスムースにシャッターは動作します。
「いったんきちんと」とわざわざ書いたのは
巻上に難がありたまに巻上途中で何かに引っかかった感じで
巻上げができなくなるのです。
それでもいろいろガシャガシャやっているうちにスルっと巻上できたり
最初から普通に巻上ができることもあります。
ただ、巻上レバーを格納している状態から
引き出すと通常ならクリック感があって
巻上が実際に開始する直前に止まるのですが
その遊びの部分に全くクリック感がなく
巻上レバーを格納していてもプラプラと固定されない状態です。
これもME系でよくあるトラブルなのですが
巻上レバークリックは板バネで作られているのですが
その板バネが折れてしまっているものと思われます。
さらにその折れた板バネが巻上軸のどこかにひっかかって
巻上トラブルを起こしているのではと予想されます。

この後、巻上軸も外してチェックしてみたところ
板バネの折れた先端が出てきました。。。
もちろん板バネは交換し
ミラー駆動部の整備やいたるところにある内部モルトの交換も行います。
プリズムはSP系と同様に左右のイモネジで止められているのですが
そのイモネジも片方、なくなってしまっています。
内部に残っているとこれもトラブルの原因になるので
隅々まで分解して探したのですがこちらは発見できませんでした。
小さなネジだからどこか隙間から外へ出て行ったのかもしれません。
シャッターユニットの整備・ファインダー清掃も行い
仮組みをしてオートや露出計の調整を行えば完成です。

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マミヤエルカのカメラ修理

今日は昨年までの「天皇誕生日」
つまり上皇さまの誕生日ですね。
昨年までは「天皇誕生日」ということで祝日だったのに
退位されたとはいえ
今年は普通の平日ってちょっと寂しいような気もしますね。
上皇さまのご存命中は在位中の今上天皇さまとの
二重権威回避のため上皇さまの誕生日は祝日としないことになっているそうです。
今上天皇さまの誕生日が2月23日のため
令和元年は祝日法が始まって以来初の
「天皇誕生日」が存在しない年となっています。
ちなみにこれまでの天皇誕生日はどうなっているかというと。。。
明治天皇誕生日(11月3日)→明治節(崩御から15年後に祝日となる)
→文化の日(明治節とは無関係とされている)
大正天皇誕生日(8月31日)→その後、祝日とはなっていない
昭和天皇誕生日(4月29日)→みどりの日→昭和の日
上皇さまの誕生日は今後、どうなりますかね。。。
まだまだ長生きしていただきたいし
ずっと先のお話にはなると思いますが。。。

さてさて

本日は「マミヤエルカ」のカメラ修理を行っています。
マミヤといえばRB67やRZ67、645、プレス、シックス、7、C、等々
中判カメラのイメージのほうが強いですが
1950年代から60年代にかけては
35mm判カメラもたくさん作っていました。
特にレンズ固定式レンジファインダー機の「マミヤ35シリーズ」は
非常にたくさんの種類がある上に
モデル名の刻印のないものも多くなかなか判別の難しいカメラです。
今回の「マミヤエルカ」も35シリーズの一員ですが
エルカの場合はモデル名が刻印されているので判別は容易です。
エルカというモデル名ですが
いわゆるニックネームをモデル名に付けられた最初のカメラなのだそうです。
はっきりした資料がないのですが発売はおそらく1958年だと思われます。
国内版はセコール5cmF2.8、海外版は4.8cmF1.9のレンズが搭載されます。
今回お預かりのエルカはセコール5cmF2.8です。
セレン光電池式の露出計を装備し
SS・絞りリングと電気的に連動します。
シャッターはlコパル製(Special-MXV)で最高速は1/500です。
非常にがっしりと重厚なデザインで重量感もたっぷりです。
この時代ならではの質感のあるボディです。

お預かりしているエルカは過去に落下歴があるようで
なかなか整備の大変なカメラでした。
お預かり時には二重像のズレが酷い程度かと思われたのですが
開けてみるとブライトフレーム表示板が外れていたり
ファインダー内のレンズも磨耗でかなりガタがあったり
ピントリングや絞りリングの部品の一部に歪みもあり。。。と
細かく見ていけば見ていくほどにいろいろな不具合が出てきます。
セレン式の露出計はやはりセレンの劣化が進んでおり
全体的に起電量が足りません。
お預かり時にはこのタイプの絞り・SSリング連動型の露出計に
よく見られる指針のピクツキがかなり酷かったのですが
それは摺導抵抗の清掃で何とか収まりました。
とはいえ、絶対的起電量が足りないので
露出計はできる限りの調整です。
何とかネガであれば実用できる範囲内に調整できました。

シャッターユニット、ファインダー、巻上部等々
一通りの整備一式を行い、十分撮影を楽しめる状態になりました。
外装も磨き上げなかなかの美品になったと思います。
50年代のカメラはどのメーカーも
本当に質感高くて魅力的なカメラが多いですね。

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ヤシカフレックスのカメラ修理

今日は「冬至」ですが
それに関連して「酒風呂の日」でもあるそうです。
酒風呂。。。やったことないのですが
少し調べてみると保湿効果が高く
肌のたるみや開いた毛穴を整えてくれる作用があり
血液の循環もよくなり非常に温まるそうなのです。
さらに洗浄効果も高くお肌もツルツルになるとのこと。。。
良いことばかりじゃないですか!
どのくらい入れるのかというと1~2カップ程度とのこと
そのくらいでいいのなら試してみようかな。。。
ついでに少し飲みながらゆっくり温まればいいのですね!
うん、早速、今夜試してみます。
ちなみに肌の弱い方には刺激が強すぎることもあるようです。

さてさて

本日は「ヤシカフレックス」のカメラ修理を行っています。
一眼レフやレンズ固定式レンジファインダー機に比べると
二眼レフの修理依頼は少し少なめですが
それでも毎月コンスタントにご依頼がありますね。
当店で修理依頼の多い二眼レフというと。。。
ミノルタオートコード、リコーフレックス、
そして今日行っている「ヤシカフレックス」ですね。
「ヤシカフレックス」と一言でいっても
実は様々な種類が存在します。
モデル名は全て「ヤシカフレックス」としか標記されていないので
なかなか判別の難しいところですが
現在だとネットで色々な資料も見られるので
随分判別が簡単になりました。

今回お預かりしている「ヤシカフレックス」は「C型」だと思われます。
特徴はビューレンズとテイクレンズの間に
赤い楕円に囲まれ赤文字で「yashica」の文字があることです。
これがあって前面にSS・絞りのダイヤルがなければ
まずC型だと思われます。
シャッターはコパル製で最高速は1/300
レンズは3枚玉のヤシコールです。
セルフコッキングはなく、
フィルム装填・巻上も赤窓式のシンプルな構造です。
お預かり時にはお約束のシャッター羽根粘りが見られるほかは
それほど大きな問題はないかと思われたのですが
実際に整備に取り掛かってみると
これがまた結構な分解品(それもおそらく素人による)で
シャッターユニット内にもいろいろ問題がありました。
特にセルフタイマー周辺は無理にいじくった跡があり
セツフタイマーは壊れてしまっていたのですが
修復にかなり時間を費やしました。
さらに。。。二眼レフといえばファインダーミラーが腐食している場合が多く
基本的に交換なのですが
今回のヤシカフレックスは既にミラーは交換されてはいるのですが
樹脂製の裏面鏡面処理のミラーが取り付けられていました。
二眼レフだけではなく一眼レフのミラーや
レンジファインダーのミラー部分にしろ
カメラに使われるミラーは光学表面鏡(スパッタリングミラー)です。
ここに一般的な裏面鏡処理のミラーを使うと
当然反射位置が変化してしまいファインダー上のピントが狂ってしまいます。
もちろん今回は正しい表面鏡に交換し
ファインダー上のピントも調整しなおします。

他、レンズ清掃、シャッター整備等々を行った結果
申し分ない状態に仕上がったと思います。
致命的な部品破損等がなくてよかった。。。というところです。

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オリンパスペンのカメラ修理

今日は「大洗濯の日」だそうです。
大掃除と同じく普段洗いにくいカーテンや毛布のような
大物も洗ってすっきりと新年を迎えましょう、ということですね。
残念ながら関東は洗濯にはイマイチの曇天ですが。。。
昨日の「果ての二十日」もそうですが
年末にちなんだ記念日が毎日のように出てくると
今年もあと少しだなぁ。。。と感じますねぇ
私の大洗濯&大掃除はきっと年末ギリギリだと思われますが(笑)
少しずつあちこちの1年の垢を落とす準備も
始めなくてはなりませんね

さてさて

本日は「オリンパスペン」のカメラ修理を行っています。
当店に修理に入るペンは「ペンS」や「ペンEE系」が
比較的多いのですが今回は一番最初に発売された
無印の「オリンパスペン」です。
1959年の発売です。
「6000円で売れるカメラの開発」という目標を持って
作られたカメラですが
当時の6000円はカメラの価格としては相当に低い価格設定でした。
(まだまだカメラそのものが高級な嗜好品の時代です)
ハーフカメラで引き伸ばし倍率が高いゆえに
レンズだけは妥協せずに高級なテッサータイプを採用し
ピント調整も単純な前玉回転式とせずに全群を繰り出す方式に拘りました。
その他の巻上やシャッターには独自の工夫を凝らし
コストを抑えることに成功しています。
シャッターは2枚羽根のコパル製#000で
SSはBと1/25、1/50、1/100、1/200の4速です。
シンプルで写りの良いDズイコー2.8cmF3.5レンズを搭載します。
様々な工夫を凝らされて誕生した初代ペンですが
価格は目標の6000円にはわずかに届かず
6800円で発売されました。
それでも非常に競争力の高い価格で写りもよいということで
大ヒット作となりその後もシリーズ化され
いろいろなモデルが誕生することになりました。
ちなみに発売当初は原価計算上、オリンパスで製造することができず
三光商事という別会社を立ち上げて生産にこぎつけました。
この初期のペンを「三光ペン」と呼ばれています。

お預かりしているのはその「三光ペン」です。
シャッターボタンのスリットが横方向に入っているのが
外観上の特徴です。
かなり長い間使われていなった様子で
モルトはもちろん全滅、レンズ、ファインダーにも
盛大にカビが発生しています。
シャッターは動作してはいますがやはり羽根に粘りが確認でき
正常なシャッタースピードは確保できていないようです。
外観も年代相当にくたびれていはいますが
それは味わいといって良い程のレベルです。
全体的に経年劣化はあれど
致命的なトラブルをかかえているわけではなく
しっかり清掃して整備すれば問題なく使えるレベルになると思われます。

写真は一通りの整備が完了した時点でのものです。
レンズ、ファインダーのカビはあまり深くまで浸潤しておらず
清掃で全く問題のないレベルでキレイになりました。
もちろんシャッターも快調に動作しています。
外観もお預かり時よりはかなりキレイになったと思います。
何ともレトロなデザインで眺めているだけでも楽しいですが
発売されてから約60年。。。
まだまだ現役で活躍できます!

キヤノンPのカメラ修理

今日、12月20日は「果ての二十日」といって
身を慎み災いを避ける忌み日。だそうです。
1年の終わりである12月は「果ての月」で
本来は旧暦12月20日を「果ての二十日」と呼ぶそうです。
年末の挨拶や大掃除、正月の準備など忙しい時期ですが
この日は一切の仕事をやめて外出を避け
静かに過ごす日と伝えられています。
うーん、12月は祝日なくなってしまったので
この日を祝日にしてしまえばいいのに。。。(笑)
そうなっても私にはあまり関係がないのですが。。。(汗)
山の神に深く関わる忌み日とされていて
この日に山に入ることを避ける地方が多いのだそうです。
今日は登山に行ってはいけない日なのですね。

さてさて

本日は「キヤノンP」のカメラ修理を行っています。
「P」はフランス語の「Populaire」(人気のある)の頭文字から
命名されたそうです。(1959年発売開始)
高級機のⅥL型をベースに35/50/100mmフレームを
固定で表示する等倍ファインダーを装備する普及機モデルです。
部品点数をかなり減らすことに成功し
当時としてはお求め易い価格で販売され
10万台も作られたヒット商品です。
部品点数を減らしてコストカットしたといえ
この時代のキヤノン機なので安っぽさは微塵もなく
非常に質感の高いカメラです。
複数のフレームはアルバダ式で表示されます。
当時の広告のコピーは「キヤノンがぼくの手に」というものでした。
シャッター機構は上級機のそれと変わらず
最高速は1/1000です。シャッター幕はキヤノンお得意のステンレス幕です。

お預かりしている「P」は
まず巻上時に油切れと思われる異音がかなりあります。
加えて高速シャッターが非常に不安定です。
例えば1/1000の設定で切ってみると
まぁまぁの値が出ることもあれば
シャッターが開かないこともあり
1/1000なのに1/250くらいの値で切れてしまうこともあり。。。
といった状況です。
巻上の件もそうですが
全体的に油切れと長い間に積もり積もった汚れ等で
全体的に動きが悪いものと思われます。

これから本格的に分解整備に取り掛かります。
ファインダーはフレーム切替機能等は省略されていますが
プリズムを使ったしっかりとした造りです。
今回は大きな問題はなく距離計の調整や清掃で良いのですが
Pのファインダープリズムはたまに剥離してしまっている個体も見かけます。
そうなってしまうと修理は非常に困難となります。

レンズ交換式レンジファインダー機としては
非常に良いカメラだと思います。
特殊なレンズを使う場合はどちらにしても外付けファインダーでしょうし
このくらいシンプルなほうが使い勝手はよいと思います。
露出計がないのも今となってはそのほうが良いですね。
使い心地も非常に優れたカメラです。

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ミノルタオートコードのカメラ修理

今日は「日本人初飛行の日」だそうです。
1910年(明治43年)のこの日に
東京・代々木錬兵場(現代の代々木公園)で
陸軍軍人徳川好敏が日本初飛行に成功のだそうです。
飛行機はフランス製の複葉機でした。
実際はこの5日前に飛行に成功していたらしいのですが
公式の実施予定日ではなかったので
「滑走の余勢で誤って離陸してしまった」と報告されたのだそうです。
空を飛ぶってやっぱり夢がありますよねぇ。。。
実際に飛んだ同じ複葉機の写真を見ましたが
身体を守るものも何もなく、結構怖そうです(笑)
身体ひとつで鳥のように飛べたら
本当に気持ちよいでしょうねぇ。。。
技術が進歩してもなかなかそのレベルには到達しそうにないかな。。。
その前に私の寿命が尽きますね(汗)

さてさて

本日は「ミノルタオートコード」のカメラ修理を行っています。
1950年代に巻き起こった二眼レフブームでは
ローライをお手本にした二眼レフが非常に数多く
国内でも生産・販売されました。
基本的にはローライコピーでも
日本製ならではの独自の進化を遂げています。
そんな日本製二眼レフの中でも最高峰と位置づけられることが多いのが
ミノルタオートコードです。
前身の「ミノルタコード」で採用した
フィルム平面性確保のため従来とは逆に上から下に巻き上げる方式や
迅速にピント合わせを可能とする振り子方式のピントレバーを受け継ぎ
絞り・SS情報はビューレンズ上部に表示窓を設定し
上から簡単に確認できるようになりました。
レンズは評価の高いテッサータイプのロッコール75mmF3.5
フィルム装填はスタートマーク合わせのセミオートマット
巻上はクランク式でセルフコッキングです。
最初のモデルは1955年発売で
細かいマイナーチェンジを行いながら10年以上生産されました。
国産二眼レフを語る上で外せないカメラだと思います。

お預かりしているオートコードは比較的初期のモデルかと思われます。
外装もキレイで比較的状態の良い個体かと思われますのですが
レリーズボタンを押しても全く無反応です。
巻上も完全にロックしたままとなってしまっています。
シャッター羽根が完全に固着してしまっているようです。
羽根が固着しても巻上ロックは何とか解除される場合も多いのですが
今回はシャッターがじわりとも動かないくらい固着してしまっているようです。
シャッター羽根がこれだけ固着するほどですから
やはり絞り羽根にも粘りが出てしまっています。
いつも書きますが粘っている絞り羽根を動作させるのは
極力避けたほうが無難です。
場合によっては絞り羽根の破損につながります。
オートコードで心配されるのはレンズの状態で
後ろ玉のコーティングが劣化している個体をよく見かけます。
後ろ玉が曇ってしまっているものは
清掃しても改善しないものがほとんどだと思われます。
今回お預かりのオートコードはそのこのところは問題なく
通常の清掃でかなり良い状態にすることができました。

写真は一通り整備が終わった後の状態です。
動きもすっかり安定しているようなので
最終チェックを行い問題なければ完成です。

そういえば以前にも書きましたが
オートコードは撮影が終わってフィルムを巻き取った後
最後に格納位置から半回転くらいさせ
その後、逆転させて格納位置にクランクを戻してから裏蓋を開けます。
こうしないとカウンターに▲が出ず
次の装填を正しく行えなくなるので注意が必要です。
説明書にも書いてあるのですが
説明書がない個体が多いですからなかなかわからないですよね。
この時代のカメラを改めて使う場合には
できるだけ説明書を入手して熟読してから操作することをお勧めします。
大まかな使い方に変わったことは少ないと思いますが
細かい使い方で結構大事なことが説明書に記載されていることが多いのです。

私もじいさんから引き継いだオートコードLを持っていますが
最近ちょっと出番がなかったですね。
たまにはしっかり動かしてやらないと。。。

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ミノルタレポSのカメラ修理

今日は「東京駅完成記念日」なのですが
「東京湾アクアライン開通記念日」でもあります。
アクアラインの開通は1997年、もうそんなになるのですね。
実はまだ通ったことないのです。。。(苦笑)
ついでにいえば房総エリアに足を踏み入れたこともないのですが。。。
ひたすら一直線だからバイクよりクルマが気持ち良さそうですよねぇ。。。
うーん、通ってみたいけど
なかなか機会はなさそうですねぇ。。。
海ホタルも立ち寄ってみたいのですが。。。

さてさて

本日は「ミノルタレポS」のカメラ修理を行っています。
ハーフ判カメラです。
ハーフといえばペンやオートハーフが有名ですが
ミノルタもこのレポシリーズでハーフ判に参入しますが
他メーカーより少し遅れての参入でした。
デザイン等はミノルチナシリーズがベースとなっています。
最初に登場したレポ(1963年)が30mmF2.8レンズ
プログラムシャッター搭載でミノルチナPのハーフ判
次に登場したレポS(1964年)が
32mmF1.8の大口径レンズを搭載し
セイコー製シャッターを搭載し最高速は1/500
ミノルチナSのハーフ判といった印象です。
(ただしピントはレポ同様でさすがに目測です)
レポSは大口径レンズ搭載ということもあり
ハーフ判カメラとしては少し大きめです。
でもミノルチナ譲りの端正なデザインは非常に魅力的で
ハーフ判でもきちんと巻上レバーを搭載し
マニュアル露出で撮るカメラですが
SSや絞りの設定も行いやすく
使い勝手も非常に良いカメラです。
露出計はセレン光電池式でSS・絞りに連動した指針を
合わせて露出設定を行う方式です。

お預かりしているレポSは
まずシャッター羽根が粘っていて
開く場合でも動きが非常にゆっくりで
場合によっては全く開かないこともあります。
レンズシャッター定番のトラブルですが
羽根の油滲みや汚れが原因と思われます。
絞り羽根にも若干の粘りがあるようです。
セレン光電池の露出計はやはり劣化しており
LV15で+2.5段といった感じです。
セレンとメーターの間に入っている抵抗の交換で
多少は改善できるかもしれないと考えて
作業してみましたが抵抗も劣化でスカスカの状態のようで
ほぼ抵抗値がゼロでした。
。。。ということは根本的にセレンの起電量が全く足らない状況で
残念ながらここに関しては修理不能と判断いたしました。

露出計の件は少々残念ですが
シャッター羽根・絞り羽根洗浄、レンズ清掃
ピント調整、ファインダー清掃等々
他の部分は一通りしっかり整備を行います。
整備の甲斐あって
全体的に非常に快適に動作するようになりました。
レポ系はあまり修理依頼の多いカメラではなく
今回、久しぶりにじっくり触れることができましたが
なかなか使い心地よくて気持ちよいですね。
ミノルタのカメラはどのモデルも
スペックは標準的なものが多いですが
使い心地に非常に優れたカメラばかりだと思います。
ちょっと変わったハーフカメラを使ってみたい方にはお勧めの1台です。

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オリンパスペンFのカメラ修理

今日は「紙の記念日」なのだそうですよ。
王子製紙の前身にあたる「抄紙会社」が東京・王子で
営業運転を開始した日だそうです。
直接関係ないのですが「紙」といわれて思い出したのが
昔は粉薬とか紙に包んで処方されていましたよね。
風邪引いたときとかにいつも連れて行かれる
近所の内科で紙に包んだ風邪薬よくもらっていたなぁ。。。
その頃(幼稚園~小学校低学年)は本当に注射が大嫌いで
その内科に行くのも泣き叫んで嫌がっていたのですが
注射の後でおじいさんの先生が分銅を使って粉薬を計って
紙に包んで出してくれる様子を見るのは好きだったな。。。
自宅の一部を医院として使っている感じで
こじんまりした待合室や小さな木枠の窓の受付や
今思い出してもレトロな空間だったなぁ。。。

さてさて

本日はオリンパスペンFのカメラ修理を行っています。
本当に今月はオリンパスの修理が多いですね。
今日で5日連続です(笑)
ペンFは言わずと知れた孤高のハーフ判一眼レフです。
デビューは1963年です、
オリンパス初の一眼レフはハーフ判のペンFなのです。
もちろん世界初のハーフ判一眼レフです。
ハーフ判そのものが日本以外ではそれほど普及してはいなかったのですが。。。
オリンパスのカメラは基本的に他のメーカーでは
できないようなコンパクトさがセールスポイントとなっているものが多く
その造りも独自性の高いものが多いのですが
ペンFは明らかに他の一眼レフとは全く構造が異なります。

まずはロータリーシャッターですかね。
パックマンのような円盤が1回転することによって
シャッターを開閉します。
最高速の1/500の場合は単に1回転するだけですが
他のシャッタースピードの場合はシャッターが開いた状態で
SSの応じて円盤の動きを止める仕組みです。
そのためシャッターは全速度で全開となるので
全てのSSでフラッシュシンクロ可能です。
SSの動きを制御するのは回転を止めるガバナーです。
シャッター周りのトラブルはこのガバナが原因となるとが多いです。

ファインダー至る経路とミラー駆動システムもペンF独特のもので
ミラーは通常の一眼レフとは異なり縦向きに取り付けられ
横方向に駆動します。
ミラーで反射した光は小さなスクリーンを経て
これまた独特の形状のプリズムで反射され
上カバー部のミラーでさらに反射
(FTはここにハーフミラーを用いて露出計に光を取り込みます)
さらに通常は接眼レンズとなる拡大用レンズを上カバー経路内部に
配置しそれを通過した後にさらにプリズムで反射し
接眼部に導きます。
このファインダーの造りによりペンFは通常の一眼レフに
存在するペンタプリズムの出っ張りがなく
レンズも大きく巻き戻し側にオフセットした配置になっているのです。

ペンFのトラブルは先述したシャッターガバナ部に並んで
その独特のミラー駆動部に関連したものが多く
今回、お預かりしているペンFもミラー駆動部のトラブルです。
シャッターを切るとミラーが跳ね上がるのですが
跳ね上がる勢いが弱く完全にミラーアップする直前で
止まってしまいます。
まだミラーアップが完了していないのでシャッターも作動せずそのままです。
この状態で軽くミラーを上方向に押し込んでやると
シャッターも作動し、その後ミラーもダウンし動きは完了します。
ミラー駆動部の作動不良ですね。
元となる原因は駆動部の汚れ等による作動不良で
それをきっかけにミラーのバネテンションが抜けてしまっていると思われます。
テンションをかけなおすだけでもとりあえず応急処置とはなるのですが
それではまた近いうちに再発してしまうので
駆動部の清掃整備を入念に行います。

もちろん、並行してシャッター駆動部・巻上部の整備も行います。
今回のペンFはめずらしくスプリットのスクリーンが入っています。
プリズムもペンFTと同様のものです。
(スリガラス加工がないもの)
詳しい経緯はわかりませんが改造品かな。。。
精度的には問題ありませんがピント面のチェックも行います。

ペンFはやはり2回巻のこのタイプが良いですね。
後に出るFTは露出計を付けてしまったことと
1回巻きにしたせいで便利にはなりましたが
色々と機構的に無理がある部分も多いと考えます。
ペンFは一時期、個人的に使っていたこともあるのですが
軽快な2回巻きでリズミカルに撮ることが
何とも楽しいカメラです。
システムもコンパクトにできるし
もう一度、自分用も手に入れたいカメラのひとつです。

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オリンパス35DCのカメラ修理

今日は「観光バス記念日」だそうです。
1925年(大正14年)のこの日に
東京乗合自動車により日本初の定期観光バスである
「ユーランバス」の運行が開始されたのだそうです。
「観光バス」とはいえ「路線バス」のようなものだったそうです。
最近はバスに乗ることもすっかりなくなりましたが
地元・呉にいたころは公共の足は
鉄道よりバスがメインでしたからよく乗りました。
すごく幼い頃にまだボンネットバスが現役で
一度乗った記憶があるのですが
もう一度、ボンネットバスには乗ってみたいですねぇ。。。
レトロなボンネットはもちろん
あの丸っこいテール部分が良いのですよねぇ
私が良く乗っていた「呉市営バス」は
今は移管されて「広電バス」になりカラーリングも
広電カラーになっているのですが
ボンネットバスだけは呉市産業部が保有してるそうで
確かGW前後は呉市内を回る観光バスとして
運行しているのじゃなかったかな。。。
うーん、もうちょっとよく調べて乗られるようだったら
来年のGWに乗ってみたいですねぇ。。。

さてさて

本日は「オリンパス35DC」のカメラ修理を行っています。
1940年代から受け継がれるオリンパス35シリーズの一員です。
オリンパスらしいコンパクトなボディに
40mmF1.7の大口径レンズを搭載します。
この時代に多い露出計の針を挟み込んで露出を決定する
プログラムオート露出機です。
シャッターユニットはセイコー製で
シャッター羽根が絞りを兼用するタイプです。
シャッター制御そのものは機械制御ですが
露出計がある程度は振れていないとシャッターロックがかかる機構が
付いているため電池を入れていないとシャッターを切ることができません。
前期モデルと後期モデルに分類でき
ファインダー横にバッテリーチェックボタンがあるものが後期型です。
空シャッター時にレンズキャップを閉めたまま
シャッターを切る場合は
(通常だとキャップをしていると露出計が振れないためシャッターが切れない)
前期モデルは底部のFボタン
後期モデルはバッテリーチェックボタンを押したまま
シャッターを切ると強制的に露出計が振れ
シャッターを切ることができます。
上カバー背面には逆光補正用のBLCボタンも装備されています。

お預かりしている35DCはバッテリーチェックボタンのある後期型です。
シャッターが切れないということでお預かりしました。
先述のように電池が入っていないとシャッターが切れないのですが
今回は電池を入れてもシャッターにロックがかかったままのようです。
露出計が動かないのかと思われましたが
ある程度分解して確認してみると
露出計そのものは動くのです指針挟み込み機構が
指針を挟み込まない位置で固着していて
そのためそれ以降は露出計指針が動くことができず
シャッターロックがかかったままになるようです。
35DCはレンズシャッター機でよく見られる
シャッター羽根粘りとかは少ないのですが
露出計絡みのトラブルが比較的多いですね。

写真ではわかりにくいですが
露出計は少々変わった場所に配置されています。
通常、このタイプのカメラでは露出計は
上部ファインダー横に配置され
指針挟み込み機構も併設されるのが普通ですが
35DCは巻戻しクランク側下部に配置され
挟み込み機構もそこにありオート調節機構も底部にあります。
そこから遠くファインダー部に露出計と連動して
露出計の値を連動表示させるような仕組みになっています。
上カバーを外さなくても露出計調整やオート調整ができるので
一見便利そうなのですが
底カバーを外すと通常に電池を入れることができないので
それほど調整は楽ではないです(苦笑)
露出計挟み込み機構の修理・調整はもちろん
レンズにはカビが結構発生しているので清掃、ピント再調整を行い
セルフタイマーの動作不良等もありましたので
現状抱えているトラブルを修理しつつ
シャッターユニット、露出計、オート機構、距離計等々
一通りの整備を行っていきます。

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