キヤノンFTbのカメラ修理

今日は「いいねの日(エールを送る日)」だそうですよ。
「い(1)い(1)ね(2)」と読む語呂合わせからだそうです。
SNSでお馴染みの「いいね」ですねぇ
私も特にツイッターではフォロワーさんの投稿に
毎日のように「いいね」をクリックします。
逆に私の投稿にもいつも「いいね」を付けてもらっています
ちょっとしたことですし
それほど「いいね」の数を気にして
チェックしたりはしていませんが
やはり投稿する励みにはなりますよねぇ
「いいね」というよりは「見たよーおつかれさま!」って感覚のモノが
多いとは思いますがそれで十分です(笑
お店のアカウントの投稿は
「ちゃんと営業してますよー」「作業もやってますよー」という
アピールの部分もあるので見ていただけるだけで嬉しいですよねぇ
私のお店のようなひとりでやっているところは
こういうSNSの投稿やこのブログのようなものがないと
「このお店は開店休業ではなくて
実態のある営業を本当にしているのか?」と言う部分が
見えにくくなってしまいますものね
SNS自体にもそれを見ていただいているフォロワー様にも
感謝ばかりですねぇ

さてさて

本日は「キヤノンFTb」のカメラ修理を行っています。
最近「FT」の修理がやたらと多くて
本来多いはずの「FTb」が少ない…なんて少し前に書きましたが
しばらくぶりの「FTb」の整備ですね。
キヤノンFシリーズの中心機種「FT」をベースに
FDレンズ使用時の「開放測光」に対応したカメラです。
同じタイミングでキヤノン初のフラッグシップF-1も登場しており
一部の構造に共通する部分もあったりします。
F-1自体もシャッター構造とかはFT系の発展形なので
共通部分が多いのは当たり前ではありますが…
ただ「F-1」はフラッグシップらしい他のカメラとは
一線を画するデザインで差別が図られていますが
FTbは正当なFtの後継機らしい
キヤノンFシリーズらしいオーソドックスなスタイリングです。
これはこれは端正でキレイな立ち姿だと思います。
FT以降、F-1も含めてキャノンの得意技にもなった
コンデンサレンズへのハーフミラー組込み+コンデンサレンズ背後への
CdSの設置、それに伴う中央部部分測光はFTbにも引き継がれています。
外部の光の影響も受けにくく
ファインダー内で輝度差の大きい露出の難しい場面でも
比較的コントロールの行いやすいよくできた露出計です。
そしてこれもキヤノンのお家芸の「QL」装備で
フィルム装填も素早く楽ちんです!

お預かりしている「FTb」シャッター全速で
シャッターを切るたびにミラー上がったままになってしまいます。
そして再び巻き上げると降りてきます。
巻き上げると降りてくるのは構造上正しいのですが
全速ミラーアップはちょっと困りますね。
シャッター動作後の幕位置を見てみると
シャッター幕先端の竿部分が少しフィルム室側に覗いたような
位置で毎回止まっていて
明らかに正しく走行完了していないことがわかります。
そのためミラーダウンができていないという状態のようです。
そんな状態なのでシャッターが切れているとはいえ
シャッタースピードの精度も全体的に全く出ていません。
後幕の動きが明らかに悪い状態です。
シャッター幕軸の動きを良くする処置が必要な状態です。

加えて露出計が全く動作していない状態です。
電池室は比較的キレイな状態だったので
よくあるパターンとしてはSW部の接触不良かと思い
本格的にシャッター周りの整備をする前に
SW部の確認だけ行っておこうと調べてみると…
露出計不動の原因はSW部の不良ではなく
露出計本体内の断線が原因のようです。
FTbってなぜか比較的、露出計本体がトラブルを起こす
パターンが多いような気がします。
部品取りから頻繁に露出計を移植しているような記憶が…(苦笑)
今回も露出計本体の中古良品を用意して移植空いて対処します。
その前にシャッター周り、巻上周り等の機械的動作部分の
整備から本格的に取り掛かっていきます。

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ミノルタオートコードのカメラ修理

今日は「平成」改元の日ですね。
前日の昭和天皇の崩御から平成改元の
この2日間のことはよく覚えています。
日本中がいろいろと混乱しましたものねぇ…
このとき私は19歳9ヶ月、ここから平成は30年ちょっと続くこととなり
私の人生で一番多くの時間を占めるのは「平成」なのですが
やはり多感な10代を過ごした昭和末期の方が
記憶や感覚に残っているものがおおいのですよねぇ
昭和が終わって平成が始まったことで
「あ~、なんだか時代が変わったなぁ」とリアルに感じたことを
よく覚えています。
平成から令和に改元したときや
20世紀から21世紀になったときには「ふぅん」くらいで
あまり何も感じなかったのですが…(苦笑)
社会人になったと近いタイミングで平成が始まり
サラリーマン時代は全て「平成」だったので
思い返してみるとやはりいろいろありましたねぇ
令和がいつまで続くかわかりませんが
次の改元までは私がもたないでしょうし
やはり私の人生で一番多くの時間を占めるのは「平成」で
変わりないでしょうねぇ
そう思うと何だか「平成時代」も愛おしいですねぇ(笑

さてさて

本日は「ミノルタオートコード」のカメラ修理を行っています。
1955年発売のカメラで1937年の「ミノルタフレックス」の発売から続く
ミノルタ二眼レフの集大成・完成形ともいえるカメラです。
国内の二眼レフブームの真っただ中に発売となったオートコードですが
国産二眼レフ最高峰とも言えるカメラだと思います。
操作性の良いクランク式巻上にセルフコッキング
素早いピント合わせを可能にするハラキリ式のピントレバー
ピントの山の掴みやすいファインダー
フィルム平面性を重視して通常とは逆の「上から下」に巻くフィルム送り
安定した動作で堅牢性も高いシチズンMXVシャッター
SS・絞りの設定が撮影時ポジションのまま一目で確認できる
ビューレンズ上部の集中表示
そして何と言っても写りの評価の高いロッコールレンズ
どこをとっても良いとこばかり目立ちます。
うちのじいさんも一眼レフに移行する前はこのカメラがメインでした。
そのオートコードもありがたく引き継いで
私が使わせていただいています。
自分で使ってみるとよりわかりますが
写りが良いのは当然として操作性に本当に優れたカメラです。

お預かりしているのはいわゆる前期型のオートコードですが
フィルムマスクを使用した上でカウンター部の部品交換により
4×4・4×5も巻き止め対応で撮影可能とした「RA」かと思われます。
ただしメーカーでRA型への改造も当時行っていたことから
純粋たるRA型なのかどうかは私には判別できません。
お預かりしている状態ではマスクもなく
カウンター部も通常の6×6用なので
機能的には通常の前期型オートコードと変わりありません。
シャッターもシチズンMXVです。
ご依頼者からのご指摘で
ピントが少しずれているような気がする…とのことだったのですが
調べてみるとフィルム面でのピントは問題ないのですが
ファインダー上でのピントが少しズレてしまっているようです。
ピントレバー上の値で10mの位置で
ファインダー上では既に無限遠が出てしまい
無限遠の位置までレバーを持っていくと完全にオーバーインフです。
ただしその状態で実際にはフィルム面上ではピタリと無限遠です。
ファインダー上とフィルム面のピントがちゃんと合致していないと
絞りを開けた時にはモロに影響が出てしまいますね。
ファインダー整備の際にキチンと調整を行います。
加えてスローが粘り気味であることと
若干シャッター羽根にも粘りがあるようです。
さらにピントレバーが少し重めです。
このハラキリ型のピントレバー…オートコードの弱点でもあり
経年劣化で脆くなっていることが多く
少し無理な力をかけただけで折れてしまうことが多々あります。
なのでピントレバーはなるべく軽く動くように
ヘリコイドのメンテナンスを行っていきます。
細かいことを言えばレバーに少し変形もあるのですが
これを無理に修正しようとすると折れる可能性が非常に高いので
今回はそこには手を出しません。
レバーが折れてしまうとさすがに交換部品はございません。

まだ現状チェックを行っただけの段階です。
RA型の特徴でもあるカウンター部が見えるように
画像を撮ってみました。
これから本格的に分解整備に取り掛かります。

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キヤノネットのカメラ修理

今日は「人日(じんじつ)の節句」で
「七日正月(なぬかしょうがつ)」
「七草の節句」でもあるのですが
「千円札発行の日」でもあるのですね。
1950(昭和25)年のこの日に
1946(昭和21)年の新円切替後、
初の1000円札が発行されています。
絵柄は表が聖徳太子、裏が法隆寺の夢殿。
日本初の1000円札は、1945(昭和20)年8月17日に発行されたもので
絵柄は表が日本武尊と建部神社、裏が彩紋だったそうです。
100円札がメインであった当時、
すさまじいインフレに対応するために1000円札が発行されました。
だから千円札としてはこれが二代目にあたるのですね。
1963(昭和38)年11月1日に絵柄が伊藤博文の1000円札が発行されるまで
1000円・5000円・1万円札の絵柄はすべて聖徳太子でした。
個人的には1000円札は伊藤博文のイメージです。
で、5000円、1万円札はやはり聖徳太子ですねぇ…
これまでに発行された1000円札は全5種類存在し
さらに、2024年(令和6年)には新紙幣が発行される予定です。
毎日お札見ているはずなのに
もうどのお札が誰の図柄だったか
いつからか全くわかんなくなっていますねぇ(苦笑)

さてさて

本日は「キヤノネット」のカメラ修理を行っています。
1961年発売のカメラです。
この時代なのでさほどコンパクトではありませんが
キヤノン初のレンズ一体型コンパクトカメラです。
45mmF1.9の大口径レンズを搭載し
レンジファインダーも装備
セレン光電池を使った露出計も搭載し
シャッタスピード優先オート露出が可能です。
自由に絞り・SSを設定できるマニュアル露出も可能ですが
その場合は露出計はオフとなります。
キヤノネットシリーズとしても最初のカメラですが
大口径のレンズにレンジファインダー、SS優先AEという要素は
最終の「G-Ⅲ」まで共通する特徴となっています。
レンズ交換だけはできませんが
当時の民生用カメラとしては最高級の性能を持っており
それでいて18,800円という性能に比して非常に安価なカメラでした
大ヒットしないわけがなく社会現象となるまでの
空前のヒット作になりました。
業界からはダンピングではないのかと批判の声も上がり
この低価格化・高機能化に付いていけなくなった
多くのカメラメーカーが倒産・撤退するきっかけとなったとも言われています。
キヤノンは時代の節々で弱小メーカーに引導を渡すような
ブレイクスルー的カメラを発売していますよね…
後のAE-1あたりも同じような印象ですねぇ
実際に今、見ても非常によくできたカメラです。
低価格化…と言っても造りが安っぽくなるようなコストダウンではなく
生産の効率化と構造の見直しが主な低価格化の核で
使われている部品そのものは全く安っぽくなく
精度もクオリティも非常に高いものが使われています。
シャッターユニットはコパル製で最高速は1/500です。
少し大柄なボディは整備性も非常に良好ですが
次のキヤノネットに比べると少しばかり調整が繊細な部分もあります。
まぁ少しはそういうところもないと
修理屋さんのノウハウが発揮できるところもなくなるので…(笑

お預かりしているキヤノネットは最も心配される
セレン光電池に関しては何とか起電量もしっかりあり
使用に問題ない状態でした…一安心です。
ただし、シャッター羽根は完全に固着してしまっていて
全く開かない状態です。
さらに絞り羽根もかなり粘り気味で
小さなバネ力で駆動するオート時の絞り制御は
まったくコントロールできていません。
初代の特徴でもある底部トリガー巻上も引っかかりがあり
スムーズではありません。
さらにレリーズボタン外側の「T」設定リングも固着していて
「T」の位置で固まってしまっています。
全体的にとにかくスムーズに動けるように整備清掃が必要な状態です。

巻上も巻き戻しクランクも底部に配置されているので
上カバー部は非常にシンプルです。
これも初代ならではの特徴ですね
筆記体の「Canonet」の文字が何ともいい感じですねぇ
先程も言ったように中身も非常によくできているカメラで
個人的にもかなり好きなカメラです。
まだ現状を確認しながら上カバーを外しただけの段階ですが
これから本格的に分解整備に取り掛かります。
とにかく動くところはスムーズに駆動できるように
徹底的に清掃整備していきます。

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コニカオートS2のカメラ修理

はい!2023年は本日から通常営業いたします。
いろいろとややこしい世の中ですが
コツコツと地味に仕事をしていきますので
よろしくお願い申し上げます。

今日は「ホームセキュリティの日」だそうですよ。
昔から空き巣とかは確かにあったけど
ほら最近はバイクとかクルマとか
特に再販価値のあるものを持っていると
組織的にゴッソリやられるじゃないですか…
あーゆーのは昔はなかったですよねぇ
まぁ昔は自宅にそんな価値のあるものがなかった時代ですが…
以前にもここで書いたことがあるような気がしますが
私が子供の頃は
在宅していれば家に鍵が掛かっていないのは当たり前…
ちょっとした買い物で30分くらい家空けるっていっても
鍵を掛けずにそのままでかけちゃうというのも普通でしたねぇ…
で、例えば子供の私が友達の家に遊びに行って
家に誰もいなくて鍵が開いてたら
いちおう「あがりますよー」と声はかけて
勝手に上がり込んで待ってたりするのも普通でした。。。
まぁこれは子供だから許されていたのか…(笑
それに比べると今は在宅していても鍵かけるのは必須で
寝るときに鍵かけないなんてありえないですものねぇ…
夏なんて窓から縁側から玄関から全て網戸だけで
フルオープンでしたねぇ…(苦笑)
いや、ホントに今の世の中、戸締りだけはキッチリやりましょうね…
昔と違って怖い人多いですからねぇ

さてさて

本日は「コニカオートS2」のカメラ修理を行っています。
最近、オートS系の修理何だか多いですねぇ
レンズ固定式レンズシャッターの距離計カメラです。
CdSを利用した露出計を搭載し
指針挟み込み式でシャッタスピード優先オート露出も行えます。
ASA感度、SS設定に機械的に連動して
CdSに光を導入する窓の大きさを変化させ
露出計指針を連動させます。
オート時はもちろんのことマニュアル時にも露出計は動作し
露出計の値を参考にしながら
絞り値を設定することで意図的なマニュアル露出の設定が可能です。
シャッターユニットはコパルSVAで最高速は1/500
B・1Sまであるので三脚を使った長時間露光にも対応できます。
レンズはこの時代でも評価の非常に高いコニカヘキサノンレンズで
45mmF1.8を搭載します。
時代的にレンズ一体型カメラとは言え少し大柄ではありますが
その分しっかりホールドもでき整備性も良好です。
全ての設計に少し余裕が伺えます。

お預かりしている「オートS2」は
随分長い間使われずに忘れられた存在になっていたようで
保存環境もあまりよくなかったようです。
まずシャッターは固着で全く切れず
絞り羽根も固着して動きません。
電池は水銀電池が入ったままになっており
新しい電池を入れてもBC・露出計共に全く反応がありません。
ファインダーはカビクモリが酷く、レンズも同様です。
…一言で言えば…全てダメ…ですねぇ(苦笑)
ただ、何かがショックで破損しているとかではないので
一つずつしっかり整備していけば何とかなるかと思います。

今回は外装もだいぶくたびれています…
参考までに上カバーもお預かり時にはこんな感じでした
(画像クリックするとデカい画像になります)


まぁこの年代のカメラではありがちですが
年末に少しだけ取り掛かったので本格的整備の前に
上カバーだけ先に徹底的に清掃しました。
そうすると…


なかなか気持ちよくキレイになりましたねぇ
キズや凹みは修復不可ですが
お金かけて整備するのですから
このくらいはキレイにならないといけませんよねぇ

上カバーはともかく今日からは中身の整備に本格的に取り掛かります。

露出計不動の原因はいつもの電池室周りか配線かSWだろうと
思っていたのですが…今回は露出計本体内部断線のようです。
さすがにこれは中古良品の露出計本体と交換で対応します。
あとはひたすら本来の動きを取り戻せるように
清掃整備を入念に行います。
もともとしっかりできているカメラなので
ちゃんと整備すればまだまだバリバリに使える状態になると思います。
おそらくまともに撮影に使われるのは
数十年ぶりだと思われますが
新しい時代の景色をそのヘキサノンレンズを通して
フィルムに焼き付けていただきたいと思います。

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ミノルタハイマチック7Sのカメラ修理

今日はいわゆる「御用納め」で
官公庁の年内最後の業務日にあたります。
これに合わせて民間企業でも今日で
「仕事納め」の日が多いのですよね。
当店も合わせているわけではないのですが
大抵の場合、この品保前後から
年末年始休業に入ります。
今年も年内の営業は今日で終了といたします。
今年も何とか入院等の大きなトラブルもなく
ほぼ滞りなく仕事をこなすことができました。
当たり前のようですが
これが当たり前でないことを以前に経験したので
元気で働くことができて普通に生活できることが
どれほど尊いものかを休み中にしっかり噛みしめて
来年も引き続き頑張りたいと思います。
私がしっかりがんばるのは当然ですが
それ以前に仕事がないと話になりません。
今年も私のところに大切なカメラを
お預けいただいた方々には本当に感謝しかありません。
来年もしっかり丁寧に仕事をしていきますので
今後とも引き続きよろしくお願い申し上げます。
皆さまも穏やかで心休まる年末年始を
お過ごしいただければと思います。
私は毎年恒例ですが
墓参りも兼ねて生まれ育った呉に帰ってこようと思います。
もう実家もなくて墓しかないのですけどね。
でも生まれ育った場所の空気を味わうと
いろいろリセットされてまたがんばろう!と思えます。

さてさて

今年最後のカメラ修理は「ミノルタハイマチック7S」です。
1966年発売のカメラです。
「7S」名乗っていますが中身的には
同じ年に先行して発売された「ハイマチック9」から
フラッシュマチックを省略したカメラです。
元々の「7」はこれより3年前の1963年発売です。
それであれば「9S」で良いような気もしますが(苦笑)
やはりミノルタに取って「7」といのは特別な数字なのでしょうね。
実際、この「7S」もかなりの数が売れたようで
現存台数も多いです。
個人的な感覚では「9」や後の「11」より多く見るような気がします。
「7」と並んで「前期ハイマチック(小型化される前の)」を
代表するカメラだと思います。
シャッターユニットはセイコーFLAを搭載します。
初期のハイマチックらしくオート露出は「プログラムオート」です。
もちろんマニュアル露出も可能です。
「7」も「9」もそうですが、ちょっと変わっているのが
絞りリング・SSリングそれぞれに「A」ポジションがあって
両方とも「A」に合わせたときのみ「プログラムオート」となります。
片方だけ合わせて「SS優先」や「絞り優先」にはなりません。
それが実現するにはちょっと時代が早すぎますね。
露出計はいわゆる「LV」表示でマニュアル時にも動作します。
その場合はSS・絞りリングに連動しリング状に表示される「LV値」の値を
ファインダー内で指針指示される「LV値」に合わせて露出決定します。
しっかりマニュアル時にも使用できるのはいいですね
こういう場合であれば「LV表示」も悪くないと思います。
レンズはハイマチックらしく
ロッコール45mmF1.8の大口径を搭載します。

お預かりしている「7S」は
シャッターが開いたままの状態で固着してしまっています。
レンズシャッター機で羽根が固着するのは
よくある症状ですが多くの場合は閉じた状態で
固着してしているものが多いのですが
開いたままというのは少々珍しいですね。
レンズの状態が確認しやすいのは助かりますが…
開いたままなので単なる羽根固着ではなく
駆動部のトラブルも疑ったのですが
機械的に何かしらの大きなトラブルはないようです。
しかしながら羽根自体の固着もともかく
羽根駆動部、スローガバナ、セルフタイマー等々
あちこちに固着や粘りが出てしまっています。
シャッターユニット全体の清掃整備が必要な状態です。
レンズ・ファインダーは多少のカビや汚れはあるものの
こちらもそれほど大きなクモリ等はないようです。
通常の清掃で十分にクリアな状態にできそうです。
距離計はさすがにズレが出てしまっています。

水銀電池が入ったままになっていたので
電池室や配線の腐食も心配したのですが
こちらもさすがにハンダの劣化は見られ
少々電源が不安定でしたが大きな断線等はありませんでした。
意外と保管場所の環境は良かったのでしょうね。
ただし乾燥していたせいか各部の固着は
かなり進んでしまったようです。
この時代らしく大きめのボディということもあり
整備性は非常に良好なカメラです。
各部の部品もしっかりしています。
ただオート制御の指針抑え部分は滑り止めの革素材が
劣化していて動作不良を起こしている場合がほとんどです。
今回もここは代替品と交換して正常な動きを確保します。
個人的にも好きなカメラの一つです。
しっかり整備してご依頼者様にも存分に
お楽しみいただきたいと思います。

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ヤシカTLエレクトロX ITSのカメラ修理

今日の日没までは「クリスマス」ですね!
私もついつい昨日はスーパーで特売になっていた
フライドチキンを買って帰ってしまいました…
鶏肉はまだ悪くないのですが…フライドチキンだからカロリー高い!!!
食べる前に記録のためにカロリー表示見て
少し食べるのを躊躇してしまいました(苦笑)
今日がクリスマスなのは当然わかりきっていますが
1926(大正15/昭和元)年のこの日に
大正天皇が崩御され皇太子であった裕仁親王が新天皇に即位され
これと共に新しい元号「昭和」が制定された日でもあります。
激動の時代「昭和」の始まりの日だったのですねぇ
私も自分の中でイメージ的に「昭和世代」だと思っていますが
よくよく考えてみると「昭和」は二十歳になる直前に
終わってしまったので「平成」を過ごしている時間の方が
圧倒的に長いのですよね…
おそらく…というかほぼ間違いなく
「令和」で過ごす時間は「平成」を超えないでしょうねぇ
しかしながらやはり多感な10代を過ごした昭和後期は
私にとってやはり特別な時代であることに変わりありません。
最近やたらと昭和50年代~昭和末期のモノを見ると
やたらと懐かしさと切なさが沸き上がるのですが
これも歳のせいでしょうかね…(笑)
ちなみに当店で扱うカメラは全て「昭和」に造られたものですね!

さてさて

今日は「ヤシカTLエレクトロX ITS」のカメラ修理を行っています。
ちょっとニッチなカメラですね。
「エレクトロX」自体は1969年発売でその際はシルバーボディだけでした。
翌年の1970年にブラックボディの「ITS」が追加されています。
シルバーエレクトロXと「ITS」の違いは単なるボディカラーだけではなくて
軍幹部のデザインにも若干の変更があり
フラッシュシンクロX接点が1/90から1/125へと変更されているようです。
ヤシカの「エレクトロ」というと
レンズ一体型レンズシャッター機の「エレクトロ35シリーズ」がヒットして
有名ですし現存台数も非常に多いですが
その「エレクトロ35」で培った電子制御技術を一眼レフに応用したのが
「TLエレクトロ」だと思われます。
ただし「エレクトロ35」では露出も絞り優先オートで
電子制御のメリットをうまく生かした印象がありますが
「TLエレクトロ」では露出はマニュアルのみです。
電子制御シャッタらしいのは1/15~1秒のSSを無段階で設定できるくらいです。
まだまだ電子制御機としては初期のものですし
過渡期でもあったのだと思われます。
電源が入らない(電池が入っていない)場合でもシャッターは切れますが
全く制御されずに最高速の1/1000で切れてしまいます。
この類のカメラの宿命でもありますが電池がないと何も始まりません。
上カバー部のBCボタン及びBCランプや
露出が外れている際に出るファインダー内の矢印ランプは
エレクトロ35の面影もあります。
ただ注意が必要なのは露出が合っているときは逆に何も点灯しないのです。
〇印とかグリーンランプとか何かあればわかりやすいのですが…

お預かりしている「TLエレクトロX ITS」は電池室の腐食がそれなりにあり
安定しないものの何とか電源は入ります。
ただし巻上及びミラー駆動部に機械的な問題があり
巻き上げるとミラーアップしてしまい巻上が完了した瞬間に
シャッターが勝手に切れてしまいます。
(ミラーアップしているので先幕シャッターロックが外れているのですね)
ミラーがダウン状態でロックされないことが原因と思われますが
ロック機構部の動作不良か何かかと思われます。
細かい動きは電池室の腐食のせいで電源が安定しないため
ある程度修理をしながら確認するしかないようです。
致命的な電気的問題はないかとは思われますが…
この類のカメラはやってみないとわからない部分が多いので
少々手探りで行っていきます。

オート制御がない分、意外とややこしくはないのですが
そこはやはりこの時代の電子制御機ですので
取り扱いには十分な注意が必要です。
シャッターユニットはお馴染みコパルスクエアで
開閉制御のみをマグネット及び電子制御で行います。
フィルム室の巻上スプールが独特の形状で
「あれ?これ最近何かで見たぞ…」と思っていたら
「KONIREEL」の刻印がスプールにありました。
一昨日のブログで紹介した「コニカオートS2(EL)」にも
搭載されていたのでそりゃ見覚えあるはずですね…
提携していたのでしょうかね…
ちなみに後から調べたら「ITS」の後期モデルだと
通常のスプールが搭載されているようです。
さて、ここからは集中力の必要な部分なので
神経を張り巡らせて作業にかかりたいと思います。

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ミノルタSR-1のカメラ修理

今日は「学校給食記念日」だそうですよ。
日本国内における「学校給食」は
明治22年以来、全国に広がっていきましたが
戦争の影響もあり中断となっていました。
それが食糧難による児童の栄養状態の悪化を背景に
学校給食の再開を求める国民の声が高まるようになり
昭和21年6月に米国のLARA
(Licensed Agencies for Relief in Asia:アジア救済公認団体)から
給食用物資の寄贈を受けて
昭和22年1月から学校給食が再開されました。
同年12月24日に、東京都内の小学校でLARAからの給食用物資の贈呈式が行われ、 それ以来、この日を学校給食感謝の日と定められ
後に「学校給食記念日」とされました。
ただし通常この時期は冬休み期間であることもあり
1951(昭和26)年から学校給食記念日の1か月後の1月24日から1週間を
全国学校就職期間としていて
各地の学校での「給食記念日」は1月24日となっているそうです。
あー、ややこしいですね(笑
でも小学校の給食には思い出がたくさんありますねぇ
世代がバレますが四角い銀紙に包まれたマーガリン
ソフト麺にミートソース、
始まったばかりの「米飯給食」にカレーやハヤシライス、
飲んだ後に踏みつぶして遊んだ牛乳三角パック
くじらの竜田揚げ、揚げパン、冷凍ミカン。。。
おおお。。。思い出しているといろいろ出てくるぞ(笑
それに関連して小学校であったいろんな出来事も思い出しますねぇ
たまには古い記憶の引き出しも開けてやらんと
二度と開かなくなってしまいますからねぇ…

さてさて

本日は「ミノルタSR-1」のカメラ修理を行っています。
SR-「1」というからにはミノルタ最初の一眼レフで
最上位機種かと思ってしまいますが
ミノルタ最初の一眼レフである最上位機種なのは
1958年に発売された「SR-2」で「SR-1」は翌年の1959年に
「SR-2」の普及版として発売されたカメラです。
数字の大きいほうが上位機種という考え方だったのですね。
普及版とは言えど初期の「SR-1」は中身の構造的には
「SR-2」とほぼ変わりはなく
差別化するためにSS最高速を1/1000から1/500に
変えられたくらいの変更しかありませんでした。
ただ、トップモデルが「SR-2」から「SR-3」、「SR-7」へと
モデルチェンジする中、ベースモデルの変化に伴って
実質的にはモデルチェンジするものの
モデル名称は「SR-1」はずっと「SR-1」のままだったのです。
そのため同じ「SR-1」といえど外装のボディ形状だけでも
4種類の「SR-1」が存在するというややこしい状態になってしまっています。

お預かりしてる「SR-1」はボディ正面巻上側に外部露出計装着用の
ソケットが設けられており、それに伴って「SR-1」のロゴは
巻き戻し側に移動しています。
「SR-1」のロゴの文字色は黒ではなく初代と同じく緑色で
フィルムカウンターは巻き戻し側に設置されています。
これらのことから「SR-3」ベースの1960年後期から1961年前期型かと思われます。
(SR-3ベースというより
この「SR-1」をベースに1/1000を追加したものが
「SR-3」と言えるかもしれません)
状態としてはシャッター動きが非常に悪く
何とかシャッターは切れているものの頻繁にミラーアップを起こすような状態で
高速シャッターの精度も出ていません。
逆に低速シャッターではスローガバナが粘ってしまっています。
装着されているオートロッコールPF55mmF1.8は
絞り羽根が固着気味でシャッタと連動して
うまく絞りが動作することができません。
ボディ側・レンズ側共に致命的な破損等はないのですが
とにかくスムーズに本来の動きができるように
整備を必要としている状態です。
このままではさすがに普通に撮影に使うことはできません。

初期からこの時代のSR系は
モルトがほんのわずかにしか使われていません。
フィルム室も通常ならモルトで埋められている溝部分に
モルトはなく構造的に二重構造で遮光するようにできています。
きっちりコストをかけて造られていることがわかります。
ただしモルトはなくてもプリズムの腐食は多いカメラで
プリズム自体の蒸着が少々弱いのか
経年劣化で蒸着剥がれが起こっているものが多い印象です。
今回のSR-1も目立つほどではなく交換までは必要ではないですが
細かく見ていくとわずかな点腐食が数ヶ所と
中心部にうっすらと縦線が出てきています。
まだ分解整備取り掛かったばかりの状態ですが
これから巻上・シャッター幕軸、ミラー駆動部等々
動作部分を徹底的に清掃していきます。
その上で最小限の注油を行い調整を行って精度を出していきます。
元々は非常に丈夫な構造のカメラなので
しっかり整備を行えばまだまだ元気に撮影できるカメラだと思います。

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コニカオートS2のカメラ修理

今日は「東京タワーの日」
(1958(昭和33)年12月23日完成(竣工)し、完工式が行われた)
で、「テレホンカードの日」
(1982(昭和57)年12月23日、日本電信電話公社(電電公社、現:NTT)により
東京・数寄屋橋公園に磁気テレホンカード対応の公衆電話の1号機が設置された)
さらに上皇様の誕生日(平成の天皇誕生日)ですね
どれも時代の移り変わりを感じるものばかりです。
でも東京タワーは現在でも
スカイツリーと並んで東京のシンボルですね!
特別展望台から上の部分に使用されている鉄材の原料には
朝鮮戦争後にスクラップされたアメリカ軍の戦車が使われているそうです。
これは当時の日本では良質の鋼材に恵まれず
またアメリカにとっても旧式戦車を売却して
新型戦車を製造した方がメリットが大きかったためだそうです。
いろいろな時代背景が関係しているのですねぇ
しかしテレホンカードはさすがに過去のモノになりましたね
当時のアイドルやいろんなその時代ならではの図柄の
テレホンカードがオークション等でほとんどのものが
比較的お安く売られています
中にはプレミアでお高いものもありますが…
ちょっと見ていると懐かしい気分になってきて楽しいですねぇ
さすがにもう使うことはないですかね…

さてさて

本日は「コニカオートS2」のカメラ修理を行っています。
意外とこのカメラの修理依頼も結構多いのですよね。
自宅で眠っていたものがこのカメラだったというパターンが多いのですが
それだけ良く売れたカメラだったということですね!
当時発売されていた「コニカSシリーズ」に
シャッタスピード優先オートを搭載し
より簡単に撮影できることをセールスポイントとしたカメラです。
もちろんマニュアル撮影も可能です。
マニュアルのSシリーズでは露出計はセレン光電池を使ったものでしたが
オートSシリーズは登場時から受光体はCdSを採用していました
最初の「オートS」ではボディ左肩部にCdSが配置されていましたが
「オートS2」でレンズ枠内上部に移動され
フィルター使用時等の補正が必要なくなりました。
レンズもヘキサノン47mmF1.9からヘキサノン45mmF1.8に変更されています。
1964年発売のカメラです。

「オートS」は上記の通り受光体がCdSの露出計なので
当然ながら電池が必要です。
…となればやはり電池室周りのトラブルが多いのですが
今回の「オートS2」は水銀電池を入れっぱなしではなかったようで
あまり電池室に深刻なダメージはありませんでした。
しいて言えばバッテリーチェック時のSWに接触不良があるくらいです。
ただしシャッターユニットにはいくつか問題があって
まずスローガバナが粘り気味で場合によっては
シャッターが開いたまま固着してしまいます。
セルフタイマーは完全に固着していて
スライドしてオンにすると完全に固まったまま動かなくなってしまいます。
シャッター羽根そのものにも若干の粘りがあり
…となると当然ながらそれより小さな力で駆動する
オート時の絞り羽根制御にも粘りが出てしまっています。
さすがに登場から60年近く経過するカメラです。
使われずに仕舞い込まれたままの時間も相当あったことを考えると
このくらいの動作不良は当たり前にあるのが普通と思われます。
加えてやはりファインダー、レンズにはそれなりに
汚れやカビが見受けられます。
完全にはクリアにならないかもしれませんが
実用上問題のないレベルにまではクリアに仕上げたいと思います。

これからさらに距離計を降ろして
レンズボードを分離し
シャッタユニット及びレンズ周りから
清掃整備を行っていきます。
完全マニュアル機の「S」に比べると
指針挟み込み式のオート制御がある分
こちらのほうが少々ややこしいですが
それでもこのカメラの整備性は良好です。
やはり大きさにそれなりに余裕があるので
造りや整備性にも余裕が感じられます。
コンパクトなカメラは確かに使っていて便利ですが
整備性まで考えると
この時代のこの大きさのコンパクト(?)カメラは
なかなか捨てがたいものがありますね
ファインダーやレンズ設計にも余裕があると思います。
今回もしっかり整備して
まだまだ当分快適に使用できるように仕上げていきたいと思います。

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ニコマートFTNのカメラ修理

今日は「冬至」ですね。
北半球では太陽の高さが一年で最も低くなる日。
そのため一年中で最も昼(日の出から日没まで)が
短くなり、夜が最も長くなります。
ユズを浮かべた柚子湯(ゆずゆ)に入り
カボチャを食べるというのが定番ですが
今日は実は「スープの日」でもあるようです。
温かいスープをより美味しく感じることができる「冬」であり
「いつ(12)もフーフー(22)とスープをいただく」と
読む語呂合わせから12月22日に制定されているようです。
確かに温かいスープがより美味しく感じられる季節ですよねぇ
「世界三大スープ」としては、
フランスの「ブイヤベース」、
中国の「ふかひれスープ」、
タイの「トムヤムクン」が挙げられることが多いのですが
ウクライナやロシアの「ボルシチ」、
フランスの「コンソメ」が入る場合もあるそうです。
確かにどれもこうやって書いているだけで美味しそうですが
やはり私たちに身近なスープは「味噌汁」ですよねぇ
これがまた地域別で味噌の種類や具の違いで
論争が巻き起こるテーマですねぇ(笑
私は昔から地元で馴染んだ甘口の白味噌が一番落ち着きます
味噌汁って家の味があるのですよねぇ
微妙に甘くて玉ネギのたくさん入った
ばあさんの味噌汁もう1回飲みたくなってきました(笑

さてさて

本日は「ニコマートFTN」のカメラ修理を行っています。
ニコマートはフラッグシップが「F」、「F2」の時代の
ニコンFマウント中級一眼レフカメラのブランドです。
機械制御の「FT系」と電子制御の「EL系」に大別されます。
その中でもおそらくこの「FTN」が
ニコマートシリーズの中で最も売れたカメラで
現存数も最も多いカメラではないかと思われます。
ユニット化され低コストで搭載でき非常に堅牢な
「コパルスクエアシャッター」を採用し
中級機とは言え非常に丈夫に造られていて
これより前に、残念ながら成功とは言えなかった
ニコレックスシリーズとは比較にならない安定性を実現しています。
高級機らしい「F」のしっとりとした作動音に比べると
さすがに騒々しい部分は目立ちますが
特にシャッター・巻上周りに関しては「F」に迫るほどの安定さがあると思います。
さすがに細かく内部を見ていくと確かに「F」ほどの
部品のオーバークオリティさや緻密さはないのですが
必要十分なレベルを持っていると思います。
強いて言うならばミラー駆動周りに若干トラブルが多いことと
露出計周りはさすがにトラブルが多い印象です。
それでも露出計に関しては「Fフォトミック系」も
トラブルは多いので同じようなものですね。

お預かりしている「ニコマートFTN」も
かなり長い間島こまれて使われていなかったらしく
各部の動作が少し重い感じがするのですが
とりあえずは何とか動作している状況です。
やはりミラー駆動部の動きが特に重く
明らかにゆっくりとしかミラーアップできない状態です。
それでも細かい精度はともかくとしても
シャッター自体は何とかある程度のレベルで動作しています。
さすがに露出計は電池を入れても動きません。
電池室に緑青が少々見受けられるので
電池室裏のハンダや配線がダメな様子です。
ニコマートの露出計はSSリング、絞り設定に連動した
「マイラー抵抗」と呼ばれる摺動抵抗体の汚れや劣化が
心配される部分で汚れならまだしも劣化で抵抗体が剥がれていると
修理が格段に困難になります。
今回は汚れはそれなりにあったものの
大きな劣化はないようです。

さすがこの時代のニコン機なので整備性も非常に良好です。
ただしファインダー周りの少々ややこしいところに
結構な内部モルトが使われており
劣化したモルトの除去と交換が少しばかり大変です。
巻上・ミラー駆動部は入念に清掃の上に注油を行い
シャッターユニットも整備を行っていきます。
コンデンサレンズや接眼レンズはさすがにカビが大量発生です。
侵食して除去できないクモリになるほどではなく
入念な清掃で十分にクリアになりそうです。
付属するレンズも同様の状態でしたがそちらもしっかり清掃を行います。

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キヤノンFTのカメラ修理

今日はピンとくる記念日のない日ですねぇ…
いや記念日がないわけではないのですが
あまりにも興味をそそられるものがないだけなのですが…
で、過去の12月21日の出来事を調べてみると…
1971年に首都高3号渋谷線が全線開通していますね。
C1を渋谷から分岐して東名高速へと繋がる道路です。
東名のインターの近くに住んでいたことも過去にあり
3号線は馴染みのある高速道路ですが
ここもとにかく渋滞するのですよねぇ…(苦笑)
それにしても開通して50年以上…首都高は新しい路線も
いろいろ造られていますが基本はやはり古いですね
ちなみにC1(都心環状線)が全線開通したのは1967年です
最初に東京に来た頃はたまに運転しても
首都高速の複雑さと渋滞に圧倒されていましたが
慣れてきて道も覚えてくると首都高って本当に便利ですし
走っていても楽しい道路なのですよねぇ
…渋滞さえなければ…(笑
C1なんて普通に走れれば1周15分もかからないはずなのに
夕方ラッシュ時になんかに乗ってしまうと
途方もなく延々と続くような錯覚に陥ります…
そこから放射線状に広がる1号~11号も同様です。
特に3号は東名と連絡するため渋滞がひどい印象です…
でも遠出するために夜明け前の速い時間に3号や4号に乗って
東名や中央道に連絡していくと
いかにも「遠くに行くぞ!」という雰囲気で盛り上がりますね
今や高速に乗る足もないので随分そんなのともご無沙汰ですが…(苦笑)

さてさて

本日は「キヤノンFT」のカメラ修理を行っています。
以前にも書きましたが意外とFTの修理依頼は多いのですよね
最近はFTbよりも頻繁に整備しているような気がします。
TTL絞込測光機です。このカメラから
キヤノンお得意のコンデンサレンズにハーフミラーを組込み
コンデンサレンズ背後にCdSを配置するレイアウトとなります。
一般的な接眼レンズ脇にCdSを配置するより正確な
測光を行うためなのが主目的ですが
副産物としてこの時代の一般的な平均測光や中央部重点測光ではなく
中央部部分測光となりました。
露出の知識がある程度付いてくるとファインダー内で輝度差の大きい場面では
中央部部分測光の方が露出決定しやすいと個人的にも思います。
ちょっと玄人好みな測光方式ですね。
そしてこれもこの時代のキャノンお得意の
QL(クイックローディング)を搭載します。
こちらは知識の有無に関係なく誰もがフィルム装填を楽に行える
画期的な機能だと思います。
これも時代が進んで裏蓋にデータバック機能等が付き始め
裏蓋交換が簡単にできなければいけなくなると
消えて行ってしまう機能なのですが
今となってはデータバックより
QLのほうが役立つのではないかと…(苦笑)

お預かりしているFTはかなり長い間仕舞い込まれて
眠っていた個体かと思われます。
FT…というよりFシリーズ全般に言えますが
長期間仕舞い込まれている場合はかなりの高確率で
プリズム腐食が発生します。
プリズム抑えのモルトが引き金になっている場合が多いですが
今回はそれもありますがそれ以外の部分も
蒸着剥がれが起こっていて全体的にモヤモヤだらけです。
どうにも交換で対処するしかない状態ですが
FT、FP、FXのキレイなプリズムは年々入手が難しくなっています。
今回は何とか入手できましたが
いずれはプリズム交換で対処できなくなる日も近いかもしれません。
電池室には古い当時の水銀電池が入ったままになっていたため
電池室やその周辺の配線の腐食が心配されましたが
意外と状態は悪くなくSW部の接触不良等はありましたが
思ったほどの大きなダメージは受けていない様子です。
ただしシャッター・巻上周りは汚れや古い油脂が
もはや抵抗となっていてまともには動けない状態です。
動作しないわけではないのですが
高速シャッター時の先幕後幕のバランスはしっちゃかめっちゃかで
スロー時にはガバナが固着してしまっています。
巻上の感触も明らかな油切れで妙な重さを感じスムーズさはありません。
このあたりの駆動箇所は全て清掃整備が必要な状態です。

画像はまだ分解取り掛かり始めの段階ですが
いつものごとくプリズム抑え裏のモルトが激しく劣化しています。
薄っぺらなプリズムカバーを乗り越えて
プリズム本体にも影響が出てしまいます。
プリズム周りは仕方がないですが
他は長い間仕舞い込まれていた割には
思ったほどのダメージはありません。
もちろんまともに動作できない場所は多いのですが
普通に清掃整備を行えば問題なく動作する状態に復帰しそうです。
まだ作業途中ですが清掃注油を行った幕軸やミラー駆動部は快調で
この時期のキヤノン機らしい「パシッ」とした
歯切れの良い動作音を響かせています。
ご依頼者様には改めてこのカメラの本来の姿を見てもらって
存分に撮影を楽しんでいただきたいと思います。

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