リコーフレックスⅦのカメラ修理

今日は「国立公園指定記念日」なのだそうですよ。
1934(昭和9)年のこの日に
内務省が、瀬戸内海・雲仙・霧島の3ヵ所を国立公園に指定し
日本初の「国立公園」(national park)が誕生したことが由来となっています。
現在の日本の国立公園は34か所ですね。
日本の国立公園の面積の約60%が国有地なのだそうです。
個人的に身近に感じるのはやはり生まれ育った地域周辺を含む
「瀬戸内海国立公園」ですねぇ
子供の頃(小学校低学年くらいかな)家の壁に貼ってあった
中国地方の大きな地図を見ながら
「瀬戸内海国立公園」っていう文字を見ながら
どこかに遊園地みたいなでっかい公園があるんだと思っていました(笑)
いや子供だから「公園=遊具がある楽しい広場」なんですよねぇ
そういう施設的なものがなういものを知った時には
軽くショックだったようなかすかな記憶が…(苦笑)
過去の記憶はさておき私がいまだに写真をたまに取りに行ったりする
倉橋島の鹿老渡も指定地ですし
呉市内の休山や野呂山も指定地です。
休山や野呂山の桜はそろそろシーズンですねぇ…
「休山せんべい」食べたくなってきたな…(笑

さてさて

本日は「リコーフレックスⅦ」のカメラ修理を行っています。
1940年あたり(諸説あり)から始まる
この時代のリコーを代表するカメラですが
いわゆる前玉回転ギアを備えるおなじみのリコーフレックスの形になったのは
1950年発売の「Ⅲ」からです。
そして爆発的なヒットとなりこの時代の「二眼レフブーム」を
牽引するカメラとなりました。
一時は日本全体のカメラ生産量の50%以上を
リコーフレックスが占めるほどのベストセラーとなったそうです。
いわゆるプレスボディーのリコーフレックスは
他メーカーの120フィルム二眼レフに比べても軽量コンパクトで
機能も非常にシンプルです。
現在でも人気なのはこのコンパクトさとシンプルさにあると思われますが
当時ヒットした要因は何といっても
性能と価格のバランスに優れていたからでしょうね。

今回お預かりしているのは1952年発売の「Ⅶ」です。
初期モデルといえる「Ⅲ」に比べると
ルーペも装備され裏ブタロックもあり
かなり使いやすい仕様に進化しています。
この「Ⅶ」からアイレベルで使える
コンツールファインダーがファインダーフードに組み込まれています。
シャッターはリケンシャッター搭載で
Bに1/25・1/50・1/100、3速のシンプルなシャッターユニットです。
レンズは「Ⅲ」以来、引き継がれている
3群3枚リコーアナスチグマット80mmF3.5をテイクレンズに搭載します。
これもシンプルな構成ですが写りの評価の高いレンズです。

リコーフレックスは非常に数多く売れたカメラということで
現存台数も非常に多いのですが
さすがに70年前のカメラで比較的お求めやすい価格ということもあり
保管環境もよくないものが多く
まともに動かないものが多い印象です。
ただ、レンズのガラス劣化によるクモリ等は
どうにもならない部分がありますが
機械的な部分がシンプルな構造のため
しっかり整備を行えばまだまだ使えるものも多いことも事実です。

今回お預かりしている「リコフレⅦ」もお預かり時には
ピントギアはおなじみの固着で全く動かず
シャッターも全く切れず
ファインダースクリーンは割れがあり
ミラーの劣化も酷く
ファインダーフードや赤窓も一部破損と
なかなか大変な状態でした。
破損部品に関しては中古部品と交換を行って対処するしかありませんが
機械的な部分に関してはとにかく
正常な動きを取り戻せるように
ひたすら清掃して積年の汚れを除去し
最小限の注油を行っていきます。

画像は一通りの整備が終わって外装の清掃等も完了した状態です。
受付時の画像がないのが残念ですが
見違えるほどキレイになっていると思います。
もちろんシャッターは精度も含めて快調に動作し
ピントギアも指1本で軽快に回ります。
レンズもできる限りの清掃で実用上問題のないレベルです。
ファインダーフードやスクリーン、ファインダーミラーは
中古部品との交換で対処いたしましたが
こちらも非常に良い仕上がりになっております。
これでご依頼者様にも存分に気持ちよく楽しんでいただけると思います。
当時としてはお求めやすいカメラではありますが
メッキ部分の仕上げとかを見ていると
高級感に溢れていて眺めているだけでも楽しいカメラです。

↓ をクリックすると「東京フィルムカメラ修理工房」のホームに戻ります。