リコーオートハーフSEのカメラ修理

今日は「風邪の日」だそうですよ。
イヤな日ですね(笑)
「風邪の日」の由来は
1795年(寛政7年)のこの日(旧暦)、横綱・谷風梶之助(たにかぜ かじのすけ)が
流感(りゅうかん)で現役のまま亡くなったことだそうです。
35連勝中のまま44歳で亡くなったそうです。
ここで言う「流感」はインフルエンザのことで
風邪とはまた異なると思うのですが
どちらもかかりたくないですね。
おかげさまで大人になってからは風邪らしい風邪をひいたこともないですし
インフルエンザは一度もかかったことはないのですが
いつまでも抵抗力が高いわけではないから
気をつけなくてはいけませんね。
まぁ、それ以外にいろいろ厄介な病気にはなっていますし。。。(汗)
なににせよ。風邪やインフルにかかりやすい季節なので
みなさん、気をつけましょう!

さてさて

本日は「リコーオートハーフSE」のカメラ修理を行っています。
ハーフカメラの世界で
オリンパスペンと人気を二分する名機です。
元々、開発者の「自分の50歳の母親でも撮れるカメラ」という目標で
開発されたカメラです。
可能な限りの撮影自動化と上着のポケットやハンドバッグに入るサイズを
目指して開発されました。
撮影の自動化と言っても後の電子制御カメラとは異なり
1960年代のカメラですから全て機械的に制御します。
セレン光電池を使用したプログラム露出
ピントは固定焦点とし、巻上はゼンマイ仕掛け
構えてシャッターボタンを押すだけで撮れるカメラとして
大ヒットし、次々と続編も出てシリーズ化されました。
「オートハーフS」以降のモデルは
前面にアルマイト板のデザインを変更することにより
いろいろなデザインのオートハーフが生み出されました。
当時らしいサイケなデザインのものも多く
少しめずらしいデザインのものは今でも高価な価格で流通しています。
今回の「オートハーフSE」は「オートハーフE」をベースに
(ややこしいですが「オートハーフE」は
オートハーフSからセルフタイマーを省略したもの)
セルフタイマーを追加し、オートスタート機能
(フィルムをセットして巻上のゼンマイをチャージすると
自動的に1枚目にセットされる)が追加されたモデルです。
1967年発売のモデルです。

オートハーフはこの時代のコンパクトカメラには
多いパターンですが裏蓋の遮光のかなりの部分をモルトに頼ります。
そのため大量のモルトが貼ってあるのですが
やはりそのモルトが盛大に劣化しています。
加えて肝心要の露出計が不動です。
オート露出のカメラで露出計不動だと
とても実用には使えない状態です。
セレンの劣化が心配されましたが
露出計浮動の原因はセレン劣化ではなく
露出計本体が動作不良で動かなかったことが原因でした。
オートハーフの場合はセレン劣化だったり
露出計不良等で露出計が不動の個体が多いと思います。
露出計の修理を行い、シャッターユニット、絞りユニットを
整備した上でオートの調整を行います。
ハーフカメラのシャッターユニットは小さいものが多く
オートハーフも例外ではないのですが
オートハーフのシャッターユニットは
非常に小さなバネの力でシャッター羽根を駆動しており
ほんのわずかな汚れでもシャッターが粘ります。
油付着なんてあると間違いなく羽根が固着します。
今回も羽根清掃を入念に行います。

写真は整備完了後のものです。
全体的に非常にスムーズに動作するようになりました。
オートの精度も全く問題ありません。
非常に小さいのですがこの時代のカメラなので
ずっしりと重量感があり、それが逆に質感を高めています。
当時としてはお求め易いカメラでしたが
安っぽさが微塵も感じられないのは
この時代のカメラの良さですね。
前述にあったように前面アルマイト板の変更で
いろいろなデザインの個体が存在しますが
どのデザインでも強烈に60年代の空気感が伝わってくるような気がするのは
やはり元々のデザインのなせる業でしょうか。。。

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