オリンパス35-Sのカメラ修理

今日はあまりピンとくる記念日がなくて
過去の9月25日に起きた出来事を
探っていたのですが。。。
1981年9月25日にフジテレビの「スター千一夜」が
最後の放送をしているのですねぇ
また懐かしい番組ですねぇ。。。
これ聞いてピンとくる方はほぼ間違いなく
私と同世代かそれより上の方ですよねぇ
19時45分から15分間だったかな。。。
さすがにはっきり覚えているほどでもないのですが
芸能人だけでなくスポーツ選手とか
来日した外国人ミュージシャンとか
ジャンルを問わずいろんな方が出ていた記憶があります。
そうそう、夫婦で出演みたいなパターンも多かったような気が。。。
調べてみると1959年3月1日のフジテレビ開局当日から
始まった長寿番組だったのだそうです。
15分とはいえゴールデンタイムにほぼ毎日(月~土)
放送していたのですからすごい・・・というか時代を感じますね(笑)
それよりもすごいのはこうして
「あ、これ調べてみよう」と思ったら何でも出てくる
今のネット環境がすごいですよねぇ。。。
さすがに「スター千一夜」が丸ごと見られるものはなかったですが
オープニングとさわり部分くらいなら動画でも見られるなんて。。。
またこうしてyoutubeとかで探し始めると
仕事にならなくなるのでこの辺で止めておきます(笑)

さてさて

本日は「オリンパス35-S」のカメラ修理を行っています。
オリンパス35シリーズは1948年の「Ⅰ型」から始まり
70年代半ばまでいろいろなモデルを出し続けていた
オリンパスを代表するコンパクトカメラです。
初期の大柄なモデルから70年代のコンパクトなモデルまで
いろいろなものが存在するのですが
「35-S」は1955年に発売開始されたモデルです。
コンパクトカメラというよりもこの時代はまだ
レンズ固定式のレンズシャッター機といったほうが馴染みますね
正直に言ってそれほどコンパクトではありませんし
総金属製なのでそれなりに重いです。
でもこの時代ならではの高い質感を持ち合わせています。
35-S以前のオリンパス35シリーズは
巻上がノブだったのですが35-sでレバー巻上になり
セルフコッキングにもなりました。
フィルムカウンターも自動復元型で
レンジファインダーも搭載されました。
当時の最先端の機能と装備と言ってよいと思います。
シャッターはセイコーシャSLVで最高速は1/500
レンズは生産時期によってF3.5、F2.8、F2、F1.9 と
いろいろなものが搭載されているものが存在します。
今回、お預かりしている35-Sは4.2cmF2が搭載されたものです。

お預かりしている「35-S」ですが。。。
巻上げてレリーズするとシャッター音はするのですが
シャッター羽根はピクリとも動きません。
何回か切っているとたまに普通に開きます。
レンズシャッター機でよくあるシャッター羽根の粘り・固着も
多少はありそうですが
どうもそれだけではなくてシャッター駆動機構部に問題がありそうです。
どちらにしてもシャッター羽根・絞り羽根の清掃は行いますので
シャッターユニットを完全に降ろして整備を行うのですが
ユニット内の汚れや油切れもあり
あちこちで動作不良が起きている状態でした。
きちんと清掃を行い正しく組み立て若干の調整を行います。
それでシャッターの動作のほうは全く問題ない状態になりました。
ファインダー内には撮れないカビ跡もわずかに残りましたが
普通に覗いてみる分には非常にクリアな状態です。
レンズは多少のカビや汚れがありましたが
清掃後は非常にクリアな状態になりました。
これは撮影結果にかなり期待ができる状態だと思います。

外装部品には一部欠落やレンズ前枠の歪みもあったため
中古部品を使って交換を行い
なるべくキレイになるように磨きました。
見た目も動作もかなり良い状態になったと思います。
昨日としては非常にシンプルなカメラですが
それでも先に書いたようにこの時代としては
かなり撮影に便利な機能満載の最新鋭機です。
きちんと使いこなせば
もちろん写りも非常に良いものです。
ご依頼者様にもこの完調となった35-Sで
是非撮影を楽しんでいただければと思います。

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ニコンFEのカメラ修理

今日は「畳の日」だそうですよ。
ばあさんが亡くなって実家を引き払ってからは
本当に畳の部屋に縁がなくなってしまいました。。。
やっぱり畳の感触は捨てがたいですよねぇ
普通に座っても良いですが
畳の部屋で枕だけ抱えてゴロゴロするのは
本当に気持ち良いですよねぇ(笑)
いつのまにか一人暮らし歴が
30年を超えてしまっているのですが
実家を出てからは寝るにはベッドだったり
布団だとしてもマットレス敷いたりがいつのまにか
当たり前になってしまいましたが。。。
そんなときにたまに実家に帰って
畳の上に直接、使い古した煎餅布団を敷いて寝る
昔ながらのスタイルで寝ると
「え?こんな固いところで昔は毎日寝ていたんだ???」と
その事実に愕然としたものでした(笑)
昔はあおむけで寝るのが当たり前で
今は横向いて寝るのが習慣なのですが
そりゃあんなに固い寝床ならあおむけでしか寝れないな。。。と
妙に納得したものでした
でも畳の部屋が欲しいですねぇ。。。
自宅の部屋の一部に1畳分くらい畳スペース作ろうかな。。。

さてさて

本日は「ニコンFE」のカメラ修理を行っています。
FEも非常に修理依頼の多いカメラです。
OMほどコンパクトではないですが
適度な大きさの頑丈なボディに
電子制御シャッターを搭載し
絞り優先オート露出はもちろんですが
マニュアル露出時にもその秀逸なファインダー表示により
非常に使いやすいカメラです。
この点ではF3やFMより
個人的には優れていると思います。
ただ、電子制御機ということもあり
修理を行っていないところも多いようで
当店では妙にFEの修理依頼が多いということになっているようです(苦笑)
(兄弟機のFMの修理依頼は非常に少ないのに。。。)
確かに電子部品の不良による故障は
修理不能なことがあるのも事実ですし
当店でも修理不能で返品することもあるのですが
それでもFEは同時期の他メーカー電子制御機に比べると
電子部品の問題によるトラブルは非常に少ないほうだと思います。

。。。といいながらも。。。
今回、お預かりしてるFEは電気的な問題を抱えているようです。
それでもメインの基盤内部分での問題ではないのですが。。。
お預かりしているFEは露出計が全く動きません。
。。。と聞くと「あぁ電源が入らないのか。。。」と考える方も
いらっしゃるとは思いますが今回はそうではありません。
バッテリーチェックも点灯するし、電子シャッターも動作します。
でも露出計だけが動かないのです。
実はこのパターンのトラブルはFEでたまに見かけるもので
SSダイヤル下の管制部の不良によるものだと思われます。
おそらく内部が割れてしまっているか断線しているだと思われます。
こうなるとさすがに管制部(露出計本体も含め)ごと交換するしかありません。
幸いFEの部品取りはこういうときのために
いくらかストックしてあるので中古にはなってしまいますが
動作良好なものと交換することで対処します。

画像の中央付近に転がっているのが管制部及びメーター部です。
この部分を丸ごと交換します。
よく指針式の露出計(電流計)であるコイル内の断線ではありません
その証拠に赤・黒のリード線に電源を繋ぐと
露出計本体は元気に反応します。
その上で制御している管制部のトラブルなのですね。

もちろんこれだけではなくて通常の整備も行います。
いつも通り分解して
シャッターユニット、ミラー駆動部、巻上機構等々の
整備を行った上で管制部の交換を行い
電気的な調整を行い精度を出していきます。
その際に基板上の半固定抵抗を使って調整を行うのですが
それぞれの抵抗の役割がわかっていないと
とても調整しきれるものではありません
(特にFEは抵抗が8個もあり
初期設定時以外には通常触れてはいけないものもあります)
ごくたまにですがここの抵抗を
めちゃくちゃに動かした痕跡のある個体に巡り合うことがあります。
もはやそうなるとシャッターやオート制御の動きは
しっちゃかめっちゃかになっていて
とてもじゃないけどカメラが何だか可哀そうです。
せめてうまくいかない場合は元に戻せるように
記録を取ってから触っていただきたいものです。
。。。話が逸れました。。。
もちろん今回のFEはそんなことはなく
管制部を載せ替えたこともあってしっかり調整しますが
ほんの少しの微調整でおそらく問題ない精度が出せると思います。

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ヤシカ35のカメラ修理

今日は「海王星の日」なのだそうです。
「天王星」発見後、その軌道が天文力学に合わないのは
その外側にさらに惑星があるためだと考えられ
いろいろな科学者が天王星の軌道の乱れなどを元に
未知の惑星の大きさや軌道・位置を計算していたのだそうです。
そしてフランスのユルバン・ルヴェリエが計算で予言した場所に
1846年のこの日にドイツ・ベルリン天文台のヨハン・ガレが
望遠鏡を用いて「海王星」を発見したのだそうです。
今から150年以上前に計算で
未知の惑星の位置を割り出せるなんてすごいですよねぇ
海王星は太陽系惑星の中では最も太陽から遠い位置を公転しています。
私が子供の頃は「すいきんちかもくどってんかいめい」と覚えましたが
冥王星が2006年に「準惑星」に格下げ(?)になったので
海王星が最も遠い惑星となってしまいました。
遠すぎて肉眼ではさすがにみることができません(7.67等から7.89等の明るさ)
。。。とはいえ星自体は小さなものではなく直径は地球の役4倍
質量に至っては地球の17倍もある巨大な氷の惑星です。
表面温度はマイナス200度以下なのだそうです。
太陽からは平均して45億km離れているそうです。
。。。といっても全くピンときませんね。
調べてみると。。。
仮に太陽を直径1mの球体と仮定すると
地球は107m離れたところにある9mmの小さな球で
海王星は3.2kmも離れてしまうのだそうです。
で、海王星は地球の周りをまわるのに約165年かかるだそうです。
人間は海王星では1年(?)も生きられないないのですねぇ
こんなことをいろいろ調べていると楽しすぎて仕事になりません(笑)
このあたりにしておきます。
宇宙って太陽系だけでもスケールが大きすぎて
想像を超えることばかりですねぇ

さてさて

本日は「ヤシカ35」のカメラ修理を行っています。
ヤシカとしては最初の35mm版レンズシャッター式
レンジファインダーカメラです。
1958年の発売ですが「コンタックスⅡa」に
デザインが非常ににていることでも有名なカメラです。
シャッターはコパルMXVを搭載し最高速は1/500
レンズはヤシノン4.5cmF2.8を搭載する個体と
4.5cmF1.9を搭載する個体が混在します。
見た目もそうですが使用感もなかなか質感が高く
現在も人気の高いカメラです。

お預かりしているヤシカ35は
一見、普通に動作しているように思えるのですが
良く見るとシャッター羽根が1枚外れてしまっているようです。
ボディを振ったり傾けたりすると羽根が視野内に思いきり出てきます。
もちろんこれではまともに露出されるとは思えません。
そう理由もなく簡単にシャッター羽根がj外れるわけはないので
何かしら原因があるはず。。と
慎重にシャッターユニット周りを分解していくと
シャッターユニットを留めているネジが拗ねて緩んでいて
内1本のネジは完全に外れてしまっていました。
そのためシャッターユニットに隙間ができ
羽根が外れてしまったようです。
羽根や羽根駆動部にはダメージがない状態だったのは不幸中の幸いでした。
シャッター羽根は洗浄を行って再度組み立てていきます。
もちろん一緒に絞り羽根の清掃も行います。
いつも言いますがシャッター・絞り羽根固着や粘りは
レンズシャッター機で非常に多いトラブルの一つです。
スローガバナ等にも若干の油切れの兆候が見られる部分もあり
その辺りも含めて一通りの整備を行い組み立てていきます。
さらに巻上機構の整備、レンズ清掃、ファインダー清掃
距離計調整等を行います。

外装もできる限り磨き上げました。
やはり質感高くてカッコ良いですね。
写りの評価の元々高いヤシノンレンズで
レンズも非常にクリアな状態なので
きっとステキな写真をたくさん撮っていただけることと思います。
実は数日前に作業は終わっていたのですが
様子見後のチェックで若干の不具合が発見され
再調整後もう少しだけ様子見しています。
おそらくこのあt露の最終チェックでは
もう問題は出ないと思われます。
楽しみにしているご依頼者様に
できるだけ早く試してみていただきたいと思います。

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キヤノンFTbのカメラ修理

今日は「秋分の日」ですね。
よく昼と夜の長さが同じ。。。と言われますが
正確には昼が少し長いのですよね。
太陽が真東から登って真西に沈む日です。
秋分の日は天文学上で毎年算出される日ですが
天文学に基づいて年ごとに決定される
国家の祝日は世界的にみても珍しいのだそうです。
お彼岸の中日でもありますね。
私が幼い頃はまだじいさんばあさんも元気で
お彼岸は必ず墓参りがありました。
うちの実家から灰ヶ峰という山の中腹にある墓所までは
結構な上り坂を歩いて1時間弱ほどで
なかなかハードなのですが
子供の頃はピクニック気分で喜んで墓参りに行っていました。
実際、墓が山の中なのでいろんな虫や生き物がいて
子供としてはなかなか楽しい場所だったのです(笑)
たまには掃除しにいかないとなぁ。。。年末かな。。。

さてさて

本日は「キヤノンFTb」のカメラ修理を行っています。
当時の最高級機である「F-1」の弟分ともいえる中級機で
F-1と多くの共通部分を持つ機械制御シャッター機です。
F-1と多くの共通部。。。とか書きましたが
いわゆる「Fシリーズ」は最初のFXからF-1まで
基本的な構造はほぼ共通です。
さすがに細かくいろいろ変更されているので
部品類には互換性がありませんが。。。
Fシリーズの中で唯一、基本構造から異なるのは
コパルシャッターを搭載する「EF」だけですね。
FTbは1971年の発売開始で
同じ年にデビューしているF-1と同様に
FDレンズを使用することにより開放測光に対応したモデルです。
言い方を変えると前身のFTを開放測光に対応させたものが
Ftbと言っても良いと思います。
2年後の1973年にはマイナーチェンジが行われます。
このマイナーチェンジ後のモデルを「FTb-N」と
呼ぶ場合もあります。
ボディの刻印はもちろん「FTb」のままですが
外観上もセルフタイマー部のデザイン等に変更が加えられ
巻上レバーやシャッターボタンのデザインも変更されました。
機能的にもファインダー内にシャッタースピード表示が追加され
使いやすさが進歩しています。
これから後のキヤノン一眼レフは「Aシリーズ」に
バトンを引き継がれていくのですが
キヤノンの機械制御シャッターのマニュアル機としては
このFTbが実質最終モデルとなります。
(FTbをベースとするTXやTLbもFTbの一種と考えると。。。)

お預かりしているのはそのマイナーチェンジ後の
「FTb-N」です。
比較的キレイな外観で一通りの動作はしているのですが
シャッター幕(先幕・後幕)のバランスが大きく崩れていて
1/1000、1/500は全く開きません。
1/250で何とか半分だけ開き
1/125でとりあえず全体が開くといった感じです。
こういう症状が出ているときは幕軸の汚れだったり
油切れが原因でキヤノンFシリーズの場合は
シャッター音にも耳障りな金属音が目立ってきているものも多いのですが
このFTbはシャッター音自体は妙に良い音で
油切れっぽい感じがありません。
幕テンションを意図的に弄られている可能性がありそうです。

FTbはプリズム抑え部のモルトを原因とする
プリズム腐食が多いカメラですが
このFTbは過去に明らかにプリズム交換が行われています。
やはり分解歴のある個体ですね。
おそらく分解されたのは比較的近年だと思われ
プリズムや接眼レンズはキレイなのですが
コンデンサレンズにはカビや曇りが見られ
清掃した痕跡が全くありません。。。ちょっと中途半端な状態です。
どんな弄られ方をしているかわからない部分もあるので
これから分解を進め細かくチェックしていきます。
致命的な問題はないとは思いますが。。。。
露出計もこの機会に1.5V仕様に調整しなおします。
受付時にはご依頼者様がご用意された
無変換電池アダプタ+SR44が
装着されていましたが
このままだと1.5段ほどアンダーになってしまいます。
もちろん同様にバッテリーチェック機構も再調整いたします。
露出計もシャッターも信頼して使えるレベルの
精度出しを行っていきます。

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ミノルタX-7のカメラ修理

今日は「敬老の日」なのだそうです。。。
未だに「敬老の日」というと
9月15日のイメージが離れないですねぇ
それは体育の日や成人の日も同様なのですが。。。
おまけに祝日を固めて連休にすると
確かに嬉しいですが(まぁ私には関係ないのですが)
どの日が何の日なのかわからなくなってしまいますねぇ
「敬老の日」は元々1947年から始まった
「としよりの日」が始まりです。
この時に既に9月15日だったのですね。
しかしこの頃から考えるとこんなに高齢者が増えるなんて
想像できていなかったかもしれませんねぇ
私もいいかげんじじいですが
いつまで生きられるのやら。。。(苦笑)
ちなみに敬老の日がいわゆる「ハッピーマンデー」になったのは
2003年ですが(うぉ、もうそんなに前なのね)
従来の9月15日も国民の祝日ではありませんが
「老人の日」とされて記念日として残っています。
9月15日~21日は「老人週間」ともなっているのですね。

さてさて

本日は「ミノルタX-7」のカメラ修理を行っています。
X-7のブログの時はいつも書いていしまいますが
「いまのキミはピカピカに光って」のCMソングとともに
宮崎美子さん出演のCMで大ブレイクしたカメラです。
カメラそのものも相当売れましたが
それ以上にCMのインパクトが強く
当時カメラに興味なかった方でも
CMを覚えていらっしゃる方は多いと思います。
非常に売れたカメラなので現存している台数も多いのですが
この時代のミノルタ機の多くのモデルに見られるように
プリズム前面に貼られたモルトが加水分解することによって
引き起こされるプリズム腐食の多いカメラです。
ファインダーを覗くと中心より少し下の横方向に
黒い帯が見えるパターンです。
XEやXDでも見られるパターンですね。

今回、お預かりしているX-7も
プリズムが腐食してしまっています。
プリズムは交換で今回も対応しますが
抱えているトラブルはそれだけではありません。
まず電源は入ります。BCも動作し点灯します。
しかしながら露出計は全く点灯しません。
シャッターを半押ししてもどこも点灯しません。
そのままレリーズボタンを押しても基本的には何も反応せず
何度かレリーズを続けていると
思い出したように突然シャッターが切れますが
今度はシャッターが開きっぱなしです。
開きっぱなしになるのは露出計が点灯しないことも関係していそうです。
機械的なトラブルではなく電気的な問題かと思われます。
これはなかなか苦労しそうです。
露出計が上方向に振り切ったままになってしまうことは
良くある症状でこれは絞り連動の摺動抵抗が原因なのですが
電源は入っているのに
全く点灯しないというのはあまり見ない症状です。
基板内トラブルだと修理不能の可能性もありますが
まずは接点やSW類を徹底的に清掃してみるしかなさそうです。
外装は非常にキレイな個体で
おそらくそれほど使われていないのでは?と予想されます。
しかしながら40年経過すると
さすがに使用頻度が少なくても経年劣化はいろいろ起こります。

わかりにくいですがプリズム前面に
劣化したモルトが張り付いているのが写っています。
これがプリズム腐食の原因です。
80年デビューの電子制御機なので
分解はフレキとの格闘です(苦笑)
ここから前板を外して
レリーズ部センサーのチェックと清掃を行っていきたいと思います。
ちなみにX-7は1977年発売のXG-Eがベースになっていますが
このXG系は横走りシャッターをユニット化した
ミノルタならではの独特の構造で作られています。
そのため前板を外すとミラーボックスだけではなく
シャッター機構部もごっそり一緒に外れます。
で、ダイキャスト側に残るのは巻上機構のみといった形になります。
生産コストはおそらく随分下がるのでしょうが
整備性はあまり良いとは言えず
分解組み立ての難易度は高いほうに入ると思います。
というわけで、これから難儀な作業に入るので
集中して慎重に取り掛かりたいと思います。

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オリンパスOM-1のカメラ修理

今日は「バスの日」だそうですよ。
都内にいると電車や地下鉄が充実しているから
バスに乗ることは比較的少ないですが
少し地方に行くとやはりバスに乗る機会が多いですよね
いやちょっと待って。。。
でも大人になってからは
自分のクルマ乗るようになったから
ほとんどバス乗っていなかったかも。。。
高校生の頃とかは通学にバス使っていたから
毎日乗っていたけど。。。
私のお店や自宅の近くでも中野駅行や池袋駅行の
バスがたくさん走っているのですよね
でも中野駅なら歩いていくし
それよりも起点は西武新宿線新井薬師駅になるから
乗ったことがないのです。
でもバス1本で池袋に行けるのは便利ですね
近いうちに一度乗ってみます!
そうだ、呉のボンネットバスの運行、またやってくれないかな。。。
今度こそ乗りに行きたいのですが。。。

さてさて

本日は「オリンパスOM-1」のカメラ修理を行っています。
「今月はめずらしくOMの修理がないなぁ」と思っていたら
やはり1台はありましたね。
軽量コンパクトな一眼レフと言えば
やはり1番に名前が挙がるのはOM-1ですね。
OM-1(M-1)のデビューは1972年ですが
この時代の一眼レフはOM登場までは
本当に大きく重いものばかりだったのです。
OM登場の数年後になると
他にも同じようなタイプの一眼レフも出てきますし
80年代になると電子制御+プラスチックボディで
OMと同等の大きさでさらに軽い一眼レフもいろいろ出てきますが
やはり質感や使い心地を含めると
今でもこの分野ではトップクラスのカメラだと思います。
機械制御シャッター機で比較的整備性は良いカメラですが
この大きさや軽さを実現するために
多少堅牢性を犠牲にしている部分もあり
壊れやすいカメラではないですが
定期的なメンテナンスがより必要なカメラだと思います。
トラブルの多いのは定番のプリズム腐食と
やはり露出計周りですが
一見、きちんと動作しているように見えても
特にシャッター周りや巻上周りは定期的に整備が必要だと考えます。

お預かりしているOM-1は
一通り動作は行えている個体です。
ただ長らく未整備の個体と思われ
やはり高速シャッターの精度はイマイチで
先幕と後幕の幕速のバランスも崩れています。
加えて切るたびに速度が微妙に不安定でもあるので
幕軸やOM特有の巻上部三連ギアの清掃が必要と考えられます。
露出計も動作していますが少しばかりオーバー気味です。
心配されるプリズムは大きな腐食はなく
(後で開けてみるとプリズム周りのモルトは
完全に取り除かれていました)
若干のシミが見られる程度でしたので
ご依頼者様と相談の結果、今回は清掃のみということになりました。
お預かり時にはチェックできていなかったのですが
ミラーアップノブを回しても
きちんとミラーアップできずミラーが半分くらい上がったところで
止まってしまうようです。
この症状、OM-1でたまに見られる症状です。
酷いものになるとノブを回しても
ほとんどミラーが上がらないものも見かけます。
シャッターを切った際にはキチンと上がるので
さほど撮影に問題はないですし
ミラーアップ機構を使う撮影の機会も少ないとは思いますが
せっかくある機能がうまく作動しないのはいただけません。
ノブ内側部品の位置がずれてしまっていることが原因と思われますので
もちろん分解時に調整いたします。

横走り布幕フォーカルプレーンシャッターという部分は
当時の代表的なシャッター形式ではありますが
幕の構造やSS調速機構、巻上機構
露出計の連動等々、
どこをとってもOMならではの独特の構造です。
一見シンプルなように見えて
きちんと調整しようとすると非常に整備の難しいカメラなのです。
今回は比較的、大きな問題もなく進んでいますが
意外なトラブルを発見し苦労することも多いカメラです。
ざっと思い出しただけでも苦労した記憶ばかりです(笑)
いえ、修理している台数が多いカメラなので
普通に順調に完了することのほうが
もちろん圧倒的に多いのですが。。。(苦笑)
分解時にチェックしておかないといけない箇所も多いカメラなので
これから慎重に整備を行って組み上げて調整を行います。

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オリンパス35DCのカメラ修理

今日は「苗字の日」なのだそうです。
1870年(明治3年)のこの日に
「平民苗字許可令」という太政官布告により
平民も苗字を名乗ることが許されたのだそうです。
それまでは苗字を名乗るのは貴族と武士の特権だったのですね。
でも許可令が出されても読み書きが不得手の人がまだまだ多く
また当時国民は明治新政府を信用しておらず
苗字を付けたらそれだけ税金を課せられるのではないかと警戒して
なかなか広まらなかったのだそうです。
私の苗字は「迫田(さこだ)」ですが
こちら(関東)ではあまりみかけない苗字ですよね
中国地方・九州ではそれほどめずらしい苗字ではないのですが。。。
上京してからやたらと「追田」ってメールや文書で
間違われることが多くなりました(苦笑)
いやさすがにそれでは読みがおかしいでしょう?と本人は思うのですが(汗)
あ、加えるならこっちに来てから「さこた」だと
思われているることも多いですねぇ。。。「さこだ」が正解です。
ちなみに「迫田」の意味は
「山間(やまあい)の小さな谷にある田」なのだそうです。
私の先祖は私の知っている限りでは元々、蒲刈島で農業をしていたそうなので
島の山間の小さな田を持ってたのかなぁ。。。とかってに思っています。
苗字が付けられたのが明治初期だから約150年前。。。
さすがにその頃の私の祖先の生活ぶりはわかりませんが
高祖父の時代になるのかな。。。
たった3~4世代前くらいなのですがわからないものですね

さてさて

本日は「オリンパス35DC」のカメラ修理を行っています。
数多くのモデルが存在する「オリンパス35シリーズ」の一員です。
発売は1971年です。
大口径のFズイコー40mmF1.7レンズを搭載します。
プログラムオート露出専用機なので
絞りを任意にコントロールすることはできないので
積極定期にボケを楽しむための大口径レンズではありません。
この時代の大口径レンズ(特にレンズ固定式カメラ)は
主に少ない光量時にシャッタースピードを稼ぐためのものです。
シャッターもプログラムシャッターでシャッター羽根と
絞り羽根が兼用されるタイプです。
シャッター制御自体は機械式でシャッターの駆動に
電池を必要とはしませんが35DCの場合は
ある程度露出計が振れていないと光量不足と判断し
シャッターロックがかかるので電池を入れていないと
シャッターは切れない構造になっています。
このあたりは考え方の違いですがコニカC35みたいに
何のロック機構も搭載せず露出計の針が振れていなければ
とりあえず絞り開放・SS最低速でシャッターが切れるというのも
便利な場合もありますし
でも当時、このカメラを使うであろう比較的初心者の方で
露出の考えがない方だと
やはりロックしておいたほうがいいのか。。。とも思いますし。。。
うーん、今となってはその辺りは好みですかね(苦笑)

お預かりしている「35DC」はファインダーにクモリ
レンズに少々大きなカビが確認できる以外は
比較的、外観のコンディションも悪くない個体です。
電池を入れれば露出計も作動しシャッターも切れます。
しかしながら。その露出計の動きが少々おかしく
どんな明るいほうへレンズ(受光体)を向けても
ファインダー上で1/30・F2.8以上の高速側へ
指針が全く触れません。何かにぶつかって進めないような感じです。
ファインダー上の指針は露出計の指針を挟み込むことによって
連動して動きます。挟み込みはレリーズに連動しますので
レリーズボタンを半押ししなければ
ファインダー上の指針は左側に引っ込んでしまいます。
大元の露出計はボディ下部にあるのですがそこの指針が
何らかの原因で動けないと予想します。

画像ではわかりくいのですがボディダイキャスト側の下部に
露出計本体が見えています。
指針が動かない原因はメーター内にネジが挟まっていたせいでした。
ペンEE系やトリップだと自然にネジが緩んで外れて
メータ(磁石)にくっついて動作不良。。。というパターンは多いのですが
35DCではめずらしいですね。
ただ。。。自然に緩んだ感じではないかな(苦笑)
挟まっていたネジの形状と大きさから判断して
メータ本体を留めているネジか前板を留めていたネジだと思われるのですが
どのネジも外れてはないのですよね。
念のため外れている箇所がないか入念にチェックしましたが
どこも外れてはいないようでした。
ともかく挟まっていたネジは取り出して仮組して
露出計の動作チェックをしますが
今度は明るいところでいったんかなり右側まで振った指針が
暗いところに持っていても戻ってこないという現象が発生しました。
ネジが挟まっていた関係で指針が変形して
挟み込み機構に引っかかってしまうようです。
それでももう原因はわかっているので
レンズ清掃、シャッターユニットの整備を行いつつ
露出計周りも整備していきます。
値の調整やオートの調整はある程度組みあがった後で行います。
そいえば35DCといえば
ASA感度設定枠の変形による固着が非常に多いのですが
今回はそこは大丈夫でした。
落下歴もなく丁寧に使われていた個体だと推測されます。

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ペンタックスSLのカメラ修理

今日は「しまくとぅばの日」なのだそうです。
最初にこれ見て「どういう意味?」と思って調べたら
「しまくとぅば→島ことば」で
沖縄地方で伝えられてきた言葉(琉球方言)という意味なのですね。
今は現地に行ってもそんなに意味が分からないほどの
方言にあうことはないとは思いますが
現地の高齢者の方とかが話しているのを聞くと
きっとわからないのでしょうねぇ。。。
文脈がわからないほどのハードな方言ではないとはしても
まだまだ地方には独特の方言が残っていたりしますものね
私も地方出身だから自覚があるのですが
それも当の本人は「方言だと思っていない」という言葉もたくさんあります(笑)
私も関東に移り住んで十数年は経つので
さすがに今はイントネーションはともかく
もろに言葉そのものに方言が出ることはあまりありません
でも最近、歳のせいと例のワレンベルグ症候群の影響で
「あ~背中がにがる」とか「右足がにがる」とか
よく独り言で言っています(笑)
「にがる」。。。これ広島地方の方言だそうです。
だる痛いというかじわっとくる鈍痛みたいなときに
よく使う言葉で「にがる」に変わる言葉がみつかりません(笑)
じいさんばあさんと暮らしていたので
他にも方言。。。というか広島弁(呉弁?)には
いろいろ思い入れがあるのですが
それをここで書くときりがないので
また何かの機会に少しずつ小出ししていきます(笑)

さてさて

本日は「ペンタックスSL」のカメラ修理を行っています。
大ヒットした「ペンタックスSP」から露出計を省略したモデルです。
SPのデビューは1964年ですが
SLは4年後の1968年の発売開始です。
この時代にはまだまだそれまでの実績のない「内蔵露出計」を
嫌うユーザー層も結構存在している上に
露出計を内蔵することによって故障の要因が増えることを
懸念するユーザ層も存在しました。
今となっては露出計が内蔵されているのは当たり前ですが
その気持ちもわからないではないですよねぇ
ちょっと話が逸れますが
以前、当時流行っていた「テレビデオ」(ビデオデッキ内蔵型のテレビ)を
買ったことがあったのですが
案の定、ビデオ部分が壊れ、
修理に出すとテレビも見られなくなるし。。ということで
結局、テレビ部分のみ使ってビデオは新たに外部のデッキを
買い足した。。。なんてことがありました。
同じように考える方もいらっしゃったでしょうね。
それから、壊れる・壊れないはともかくとしても
私は一時期、露出計は単体スポットメータのみを使っていた時期が合って
その頃はカメラ内蔵の露出計は一切使っていませんでした。
カメラごとに測光に癖があることと
平均測光や中央部重点測光では輝度差の大きな1枚の時に
露出設定が困難であるということが理由でした。
それでもネガなら大雑把に撮ってしまえばよいのですが
ポジだとそんな簡単にはいきません。
結局、一番大事な部分に露出を合わせつつも
輝度の高いところや低いところも
「ある程度」考慮に入れる。。。みたいなことを
やろうとすると単体のスポットメータが便利なのです
あ、基本的に自然光の風景写真の話で
ポートレートやフラッシュ使用時にはまた全く変わってきますね。。。
話が逸れましたがそういう意味でも露出計レスのカメラというのは
特にこの時代は存在意義があったと思います。
今となってはトラブルの元になりやすい露出計がないことは
より安心して長く使える。。。という考え方もあると思います。

露出計がないということは
巻上が普通にできてファインダーが見え
シャッターの精度が確保できていれば
写真はしっかり写るということですが
お預かりしている「SL」は
この時代のSP系にありがちな状態で
全体的に汚れや油切れで動きが悪く
シャッターも高速域での精度が全く出ていない状態です。
それでも1/125あたりを使っていれば
何とか写真は撮れるかもしれませんが
シャッター音や巻上の操作感も含めて
とても本来の姿とは言えない状態です。
ファインダーの中や装着されている55mmF1.8レンズにも
大量のカビが発生しています。
おそらく長年仕舞い込まれたままの個体と思われます。
ただ、逆に考えると
経年劣化で動きが悪く、汚れ・カビが酷いものの
致命的にどこかが破損しているわけでありません。
分解清掃をきっちり行うことで
見違えるように復活できるパターンということもできると思います。

ということで、見違えるほど復活できました。
巻上は本来の非常に軽やかな感触になり
シャッター音も小気味よい耳障りの良い音に戻りました。
レンズ・ファインダーは非常にクリアになり
ピント合わせも非常に気持ちよくできる状態になっていると思います。
シャッタースピードの精度は
もちろん1/1000から1秒まで問題のないレベルに調整されています。
この状態であればこれから当分の間
安心して使っていただける状態だと言えると思います。
SLはSPと異なりボディ前面にモデル名の刻印がないのですが
そういう部分も含めたシンプルさが魅力のカメラだと思います。

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オリンパスXAのカメラ修理

今日は「モノレール開業記念日」だそうですよ。
東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)のこの日に
浜松町~羽田空港間の「東京モノレール」(東京モノレール羽田線)が
開業したのだそうです。
今でも日本を代表するモノレール路線ですよね。
「モノレール」はその名の通り1本のレールの上を走ります。
通常の電車は2本のレールの上を走るのでそこが根本的に異なるのですね。
鉄の車輪ではなくゴムタイヤで走るので
静かで乗り心地も良いという利点もあります。
ちょっとややこしいのは同じようにゴムタイヤで走る
いわゆる「新交通システム」はモノレールとはまた異なります。
「ゆりかもめ」や「舎人ライナー」、広島の「アストラムライン」とかですね。
こちらはそもそもレールがなくコンクリートの走行面の上を
走行輪とは別途の案内軌条に沿って走るものなのです。
日本国内でもモノレールは減少傾向だと思いますが
それでも世界的にみると日本はモノレール大国なのだそうです。
建設コストがかなり削減できるということで
一時はかなり注目されたそうなのですが
実際はそれほどお安くは建設できなかったそうで
それが世界的には思ったほど普及していない原因の一つだそうです。
これを書くのにモノレールのことについて少し調べたのですが
東京モノレールのような形式のモノレールだけではなくて
モノレールって本当にいろいろなものがあってちょっと驚きでした。
もはやロープウェイ?みたいなものまであるのですねぇ。。。
それから瀬戸内の島々でよく見る「みかん運搬用」の
農業用のモノレール。。。言われてみれば確かにモノレールですね!
いろいろ調べてみると身近なものでも
知らないことはまだまだ多いですねぇ。。。

さてさて

本日は「オリンパスXA」のカメラ修理を行っています。
1979年に発売された35mm判コンパクトカメラです。
その後のコンパクトカメラにこぞって採用された
スライド式レンズバリアの元祖はこのXAです。
レンズキャップを不要にし、さらにファインダー窓も一緒に閉めるので
レンジファインダー機でありがちな
「レンズキャップの外し忘れ」もあり得ません。
レンズの出っ張りもないスタイリッシュさも先進的ですし
35mm判なのにハーフのペンと変わらない大きさも魅力です。
XAシリーズにはXA、XA1、XA2、XA3、XA4が存在しますが
レンジファインダー搭載なのはこの最初のXAのみです。
さらに絞り優先オート露出なのもこの初代XAのみです。
(他のXAはプログラムAE)
カメラの性格上なるべく簡単に。。。という面では
他のXAのほうが合っているという考え方もできますが
できるだけ自分で絞り値をコントロールして
やはり絞り開け気味の時にはしっかりピント合わせしたいという意味では
この初代XAが使いこなしがいがあると思います。

ただこのXAというカメラ、シャッターはもちろん電子制御で
レリーズボタンもフェザータッチで軽く押さえるだけで
シャッターが切れるという当時としては先進的なものです。
ここまで書いただけでもいざ壊れると修理が大変そうだということは
想像に難しくないかと思います。
XAは実は密かに修理依頼の非常に多いカメラです。
でもあきらかに拝見した時点で修理不能な状態のものも多く
お断りしているものも多いカメラなのです。
いったんお受けしたにしても修理でいるかどうかは
やってみないとわからない。。。というものも多く
そのためここのブログにはあまり出てこないのですね。
電子制御機であることも修理が困難な理由の一つではあるのですが
それよりもやはりこの大きさを実現するために
それなりに整備性に少し無理をした造りをしている部分も多く
壊れるとごっそりそのユニットごと交換しないとダメな部分も多く
当然新品ユニットが手に入らないので修理不能ということも多いのです。
さらにXAは一部レンズがカシメで留められているため
そのレンズ内側の清掃はできません。

お預かりしているXAはまずシャッターが切れません。
でも電源自体は入っています。
(BCが機能する、露出計が動いている)
こういう場合、普通の電子制御機なら
ソレノイドの汚れとかから疑うのですが
XAの場合はまずレリーズボタンの感圧センサーから疑います。
ここに汚れがたまると自慢のフェザータッチのレリーズが
動かなくなるのです。
今回もセンサーの汚れがシャッタ不動の原因でした。
それでシャッターは動くようになったのですが
今度はシャッター制御がやたらと不安定です。
シャッタユニット周りやソレノイド周りをチェックしていくと
ソレノイドにかかっている小さなキックバネが
外れてしまっていました。動作不安定な原因はこれのようです。

それからXAではよくあるのですがファインダー内表示の
露出計がやたらとオーバー気味です、
例えばASA100で絞りF16設定で明るさがLV15だと
露出計は1/125を指すのが正常なのですが
実際は1/30辺りを指してしまいます。
原因は受光体(CdS)の劣化です。
実はXAは絞り優先オートで露出制御するための
受光体や回路は完全に別回路になっていて
こちらにはあまり問題が起こらないのですが
ファインダー表示用の受光体だけが
やたらと劣化している個体が多いのです。
完全別回路ですからファインダー内で2段オーバーの
1/30で表示していても実際にシャッターを切ると
正常な1/125で切れ正確な露出となります。
とはいえファインダー内表示が正しくないのは
気分が悪いので今回も何とかできる限りの調整で
問題がないレベルに調整いたしました。
しかしながら毎回この調整ができるとも限りません
(もともと調整できるような構造ではありません)
おまけにオート制御用の受光体と
ファインダー内表示用のCdSは互換性がありません
困ったものです。

そんなこんなでなかなか整備するには問題の多い
XAですが今回は何とか安心して使っていただけるレベルで
整備が完成いたしました。
専用フラッシュのA11も問題なく作動します。
これを付けると少し自慢のコンパクトさがスポイルされますが
便利ですし専用だけあってスタイリッシュです。
元々このXAはご依頼者様のお父様のカメラなのだそうです。
きっとご依頼者様の子供の頃の写真もこれで
たくさん撮られているのだと思います。
当店としては比較的新しめのカメラですがそれでも
40年以上経過したカメラです。
こういうカメラができるだけ
今回のように引き継がれて使われていけばいいですね。
そうすれば私の仕事も少しは安泰。。。ですかね?(笑)

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ヤシカエレクトロ35GTのカメラ修理

今日は「マッチの日」だそうですよ。
1948年(昭和23年)のこの日に
それまで配給制だったマッチの自由販売が認められたのだそうです。
日中戦争以降、いろいろな生活必需品が配給制になっていたのですよねぇ
ちょっと調べてみるとお米なんて
実質的には1960年代に配給は終わっていたのに
1981年まで「米穀配給通帳」が、まだ存在していたのですね
見たことないのですが、きっと実家にはあったのだろうなぁ。。。
マッチの話に戻りますが
今やマッチを擦ったことがないって方もきっと多いですよねぇ
小学校の頃には擦り方をじいさんに教えてもらいました。
仏壇のろうそくや線香に火をつけては喜んでいたような記憶が。。。
中学校の頃にはいわゆる「安全マッチ」ではなくて
どこで擦っても火が付くマッチが欲しくって手に入れたなぁ
(要は靴の裏とかでカッコつけて火をつけたかっただけ(笑))
マッチを擦ったときの匂いが何だか懐かしく感じますね
そのためだけに1箱マッチ置いておこうかな。。。(笑)

さてさて

本日は「ヤシカエレクトロ35GT」のカメラ修理を行っています。
「GT」の発売は1969年ですね。つまり私と同い年です(笑)
1966年に初代エレクトロ35が発売され
電気接点が金メッキにマイナーチェンジされた「エレクトロ35G」が
1968年に発売されます。その「G」のブラックヴァージョンが
今回の「GT」になります。
つまり接点等以外はまだ初代とほぼ共通という内容です。
(ASA感度設定範囲等が実は細かく変更されていたりしますが。。。)
「ろうそく1本の光でも写る」カメラを目指して
長時間露出性能の高い電子制御シャッターを採用した
絞り優先AE専用のレンズ固定式レンジファインダーカメラです。
長時間露光もポイントでしたが
暗所で少しでもシャッタースピードが稼げるように
45mmF1.7という非常に大口径のレンズを搭載しています。
この「GT」までは旧コーティングの「ヤシノンDX」で
次のモデルである「GS」からは
新コーティングの「カラーヤシノンDX」となります。
60年代の電子制御機ということで
電子部品に不安がある部分もあるのですが
エレクトロは比較的電子部品トラブルの少ないカメラです。
とはいえコンデンサ等に何かトラブルが起こると
修理不能になる場合も確かにあります。

エレクトロ35シリーズの特徴のひとつに
巻上レバーを少し回した時に「カツン」と
それまで引っ込んでいたレリーズ軸が戻る音がします。
それがしない個体が特の初期のモデルに多いのですが
今回の「GT」もその音がしません。
レリーズ軸を押し込む部分にゴムブッシュがあり
そこが劣化して厚みがなくなるとこの音がしなくなります。
この音のしない状態のエレクトロは
オート露出がほぼ間違いなくしっちゃかめっちゃかになっています。
今回ももちろん同様です。
レリーズ軸が正しい位置まで押し込まれないため
一部接点に届かないことが原因です。
。。というわけで電源は入るしシャッターは切れるものの
オートは全くまともに動作しない状況です。
オート専用機でこの状態では全く撮影に使えません。
他、レンズ・ファインダーにかなりのカビが発生しており
これも撮影にかなり悪影響を与えそうです。

目印とか入れる余裕がなかったのですが
画像に腐食して用を足さなくなったゴムブッシュが見えています。
ここに腐食しにくい素材の新しいブッシュを入れていきます。
もちろん各接点の清掃やシャッタユニットの整備を行います。
この状態で仮に電源をつなげて動きを見ている感じには
何とか正常な動きを取り戻せそうです。
毎度のことですがリード線の多さと接点や基板に
非常に時代を感じますね。
でも個人的にもちょっと好きなカメラです。
大事に使われていた個体らしく外装は非常にキレイです。
中身もしっかり整備して再び大活躍できるように整備を行っていきます。

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