コニカC35のカメラ修理

今日は「冥王星の日」だそうですよ。
1930年2月18日に
冥王星が発見されたということからです。
2006年に定められた「惑星の定義」で
冥王星は残念ながら冥王星は
「太陽系の9番目の惑星」ではなく
準惑星の分類となりました
(冥王星の発見以降、同じような大きさの太陽系外縁天体が
数多く発見されその中には冥王星よりも大きなものもあったため)
子供の頃には「すいきんちかもくどってんかいめい」って
惑星の順番を覚えたましたねぇ。。。
そのうち冥王星の軌道が離心率の大きな楕円軌道なため
1979年2月7日~1999年2月11日までは
海王星より冥王星のほうが太陽から近くなり
「どってんめいかい」になってしまったのですよね。。。
ちなみに今年の広島カープのキャッチフレーズは
「水金地火木ドッテンカープ」です!開幕が楽しみです!

さてさて

本日はコニカC35のカメラ修理を行っています。
「じゃ~にーコニカ」のフレーズでお馴染みの
大ヒットしたコンパクトカメラです。
非常にコンパクト持ち歩きやすく
ヘキサノン38mmF2.8のレンズはとても良く写り
露出はプログラムオートで簡単。。。
こんなにコンパクトなのに
しっかり距離計は装備してて
きちんとピント合わせができる。。。等々
確かにヒットしないわけがないと思わせる内容です。
数多く生産されたカメラなので
現存する個体数も非常に多いのですが
手軽に持ち歩けることから手荒な扱いを受けている個体も多く
お安く売られているものには注意が必要なカメラでもあります。

お預かりしているC35は
ご依頼者様のおじいさまが使っていたカメラだそうです。
さすがワンオーナー品!
外装のコンディションは非常に良い状態です。
ただしC35ではよくあるトラブルですが
シャッター羽根の動きがよくありません。
シャッターを切ると開く方向にはそれなりに
素早く羽根が動作するのですが
閉じるときにはゆっくりと閉まっていきます。
当然、オート露出は大オーバーです。
もしこれで撮影を行えば
写真の大部分は真っ白になってしまうでしょう
レンズシャッター機でシャッター羽根の動きが悪いとなると
羽根の油シミや汚れを普通は考えますが
C35は構造上、羽根に油が自然に付着することはまずありません。
羽根の動きが悪い原因は羽根を駆動している
フライホイールのような円盤が粘っているためです。
円盤の軸部分をしっかり洗浄し
ほんの少し注油してやれば改善します。

他、シャッターユニット各部整備、レンズ清掃
ファインダー清掃調整、露出計及びオートの調整等々
各部点検整備一式を行います。

リコーXR500のカメラ修理

今日は「天使の囁きの日」だそうです。
ここでいう「天使の囁き」とは「ダイヤモンドダスト」のことです。
一度は見てみたいし聞いてみたいとも思いますが
北海道どころか東北すら
足を踏み入れたことないのですよねぇ(苦笑)
おまけにここ4,5年で
以前より極端に寒さに弱くなってしまったし。。。
うーん、体験することはないかもしれません。。。

さてさて

本日は「リコーXR500」のカメラ修理を行っています。
XRシリーズの中ではシンプルなカメラですが
1978年の発売当時50mmF2レンズ付きで
39,800円という戦略的な価格で大ヒットしたモデルです。
前年に発売されたXR-1をベースとしています。
機械制御シャッターのマニュアル露出専用機です。
シャッタースピードの最高速は1/500で
これがモデル名の由来となっています。
スロー側も1/8までで割り切った設定となっています。
確かにこれだけあれば普通の撮影に使うには十分なのですよね。
よっぽど無理やり絞りを開けたい場合でない限り
私も普段は1/250か1/500までしか使わないですし
低速側も長時間露光であれば
1秒や1/2秒よりもBを使うほうが多いですものね。
そう考えると必要十分なスペックで
軽量コンパクトで使いやすくトラブルの少ないカメラです。

お預かりしているXR500は
ご依頼者様のお父さまが使っていたものだそうです。
長い間仕舞いこまれていたものと思われますが
整備に出される前にご自分でも
撮影に使ってみたそうです。
意外にちゃんと撮れていたらしいのですが
露出計は動いたり動かなかったりで
あてにならず露出計アプリを使ったそうです。
モルトもかなり劣化しており
お預かりしたときには
「よくこれで光線漏れしなかったなぁ・・・」という状態でした。
ファインダーはもちろんのこと
内部全体に汚れやゴミ(主にモルト屑)が多い状態で
このまま使っていると新たなトラブルを生みかねません。
XR500。。。使っている分にはシンプルで使いやすいのですが
分解すると少し一癖あるカメラです。

写真は一通り整備が完了した時点でのものです。
露出計が不安定なのはSW部の接触不良が原因でした。
XR500は巻上レバーの出し入れでon/offするタイプですが
ここの接点が汚れのため導通不良を起こしていました。
ファインダーもかなりゴミだらけで
ちょっとこの状態で使うのは抵抗がある程だったのですが
見違えるほどクリアになりました。
シャッター羽根にもそれなりに汚れがあり
シャッタースピードにも悪影響が出ていましたので
清掃を行っています。
整備前に比べると格段に快適に使えると思います。
シンプルで軽快で使いやすく
コンパクトなレンズと組み合わせて
ガンガン使いたくなるようなカメラですね。

↓ をクリックすると「東京フィルムカメラ修理工房」のホームに戻ります。

オリンパスM-1のカメラ修理

今日は「似合う色の日」だそうですよ。
似合う色。。。うーん、なんなんでしょうねぇ。。。
お店には私の好きなオレンジ色のものが多いですが。。。
でもねぇ。。。オレンジってジャイアンツカラーだからなぁ。。。
カープカラーの赤もかなり好きだけど
赤ってなかなか使いどころが難しい気がします。
実は数年前までは好きな色と聞かれれば
間違いなく「ブルー」と答えていたのですが。。。
まぁ気分によっていろいろな色を楽しめればいいのでしょうね。
小物であればカラーバリエーションを揃えておけばいいのですが
例えばクルマやバイクとか
そう簡単に気分で替えられないモノの色を決めるときには
やはり悩みますよねぇ。。。
(まぁ買う予定もありませんが。。。(苦笑))

さてさて

本日は「オリンパスM-1」のカメラ修理を行っています。
当店でも頻繁に修理を行っている「OM-1」の最初期モデルですね。
発売は1972年7月ですが
発表されてすぐにライカMシリーズを展開するライツ社から
クレームがあり改名することになってしまいました。
実際にOM-1に改名されたのは1973年5月で
初期ロットの約5000台が「M-1」として
発売されたと言われています。
M-1を含む交換レンズやアクセサリー群も元々は
「Mシステム」だったのですが同様に「OMシステム」に改名されました。
「Mシステム」銘のレンズはボディ以上になかなか見かけませんね。

そんな数奇な運命を辿ったM-1ですが
要は中身はOM-1初期モデルです。
お預かりしているM-1は
1/1000だとシャッターが開ききらず
1/125までは撮影に影響が出るほどの露光ムラが見受けられます。
先幕の動きが悪いためですね。
露出計は電池室から上部端子台までのリード線が
腐食で断線しているために不動です。
プリズムに腐食は確認できないので
過去に間違いなく対策はされているなと思いつつ開けてみると
軽くモルトを除去してあるだけで
モルト屑がたくさん残っている状況でした。
プリズムの塗装には軽い腐食跡が見られます。
まぁこれだけでも腐食は止められるからいいのですが
劣化モルトの除去もそうですが
無理して回したと思われる巻戻しクランクの
フォーク部分は変形していて
巻上レバー化粧板とその下のカバー部との
穴位置があっていなかったりとか
上カバーASA感度盤と露出計側のリンクが合っていなかったり。。。
慣れた方が処置しているとは思えない状況です。
とはいえ、致命的な間違いや失敗があるわけではないので
大きな問題ではございません。

シャッター幕軸、底部3連ギア、ミラー駆動部等々
稼動する部分の清掃・調整を行い
ストレスなく動作するようになりました。
SS、露出計の精度も問題ないレベルになりました。
写真は刻印が:写っていませんが
組み合わされている50mmレンズも
「Mシステム」銘のレンズです。
これで気持ちよく
撮影に使っていただける状態になったと思います。
少し時間を置いてから
最終チェック+微調整をして完成となります。

↓ をクリックすると「東京フィルムカメラ修理工房」のホームに戻ります。

ミノルタSR505のカメラ修理

今日は「春一番名附けの日」だそうです。
(なぜ「名付け」ではなく「名附け」なんだろう?)
春一番の語源は壱岐郷ノ浦の漁師の間で
春の初めの強い南風が「春一」と呼ばれていたことからだそうです。
今年はまだですかね?
春一番の定義は。。。
「立春~春分までの間に
日本海を進む低気圧に向かって、
南側の高気圧から10分間平均で風速8m/s以上の風が吹き込み、
前日に比べて気温が上昇することを発生条件とする。」
。。。だそうです。
立春~春分の間の南風とだけは知ってたかな。。。
そういえば節分の日だったかその前の日に
かなり暖かい日があって南風も吹いていたので
「お?もう春一番?」と一瞬思ったのですが
立春前だったので他の要件が当てはまったとしても
「春一番」ではなかったですね。
その日以降、また少し冷え込む日が続いていますが
早く春本番になってほしいものです。

さてさて

本日は「ミノルタSR505」のカメラ修理を行っています。
発売開始は1975年です。
1973年には「X-1」、74年には「XE」が発売されており
電子制御機であるXシリーズへ
既に生産開発の主軸を移しつつある時期でした。
結果的に「SR505」は「SRシリーズ」最後のモデルとなり
これ以降のミノルタ一眼レフは全て
電子制御シャッター機となってしまったわけです。
基本的な部分のほとんどは1966年に発売された
「SRT101」がベースとなっており構造は同様です。
後継機である「SRTスーパー」で
絞り値がファインダー内で確認できるようになり
アクセサリーシューがX接点付きになり
スクリーンはスプリット/マイクロプリズムに変更され
さらにマイナーチェンジされた「SR505」で
「フィルムシグナル」と裏蓋にメモホルダーが付きました。
もちろん内部の小変更は常に行われており
「SR505」は「SRシリーズ」の完成形と言っても良いかと思います。

偶然なのですが同じに日に
全く別のご依頼者さまから「SR505」が
シルバー、ブラックと立て続けに2台
修理・整備のご依頼がありました。
そのため今日は2台一気に整備を行いたいと思います。
まずシルバーのほうなのですが
シャッターはやはりバランスが崩れているものの
測定機でチェックしてみても撮影に支障があるほどではございません。
もちろん整備するからにはさらに詰めていくのですが
それよりも露出計が全く動きません。
バッテリーチェックだと動作し値も悪くないので
電池室が原因ではありません。
後で調べてわかったのですがCdSから出ている脚部分が
腐食しており全く導通しない状態でした。
ブラックのほうは露出計は動作しているものの
精度は出ておらず
こちらはシャッター幕のバランスがかなり崩れていて
1/1000の場合だと写真の両端で1段以上、
露光量の差が出てしまっています。
後幕が遅くて走行中にどんどんスリットが広がっていく状態です。

まだシルバーに取り掛かったばかりですが
これから本格的に分解整備を行っていきます。

「SRT101」をベースとするモデルは
「SRT101」の他に「SRTスーパー」、
「SR505」、「SR101」が存在します。
もう少し幅を広げると
「ニューSR-7」、「ニューSR-1」、「SR-1s」も
かなり近い親戚のようなものです。
どのモデルも大ヒットしているので
現存する台数は多く、おまけにシャッター機構も丈夫なため
未整備の個体でもとりあえずシャッターは切れるものも多いかと思います。
とはいえ、長年未整備の個体は油切れで
体中の節々が痛いのに健気にがんばって
無理して動いてる状態です。
現在、長らく未整備のSRT系をお持ちであれば
小さな力でスムーズに気持ちよく動けるように
メンテンナンスを行っていただければと思います。

↓ をクリックすると「東京フィルムカメラ修理工房」のホームに戻ります。

ミノルタSR-7のカメラ修理

今日は2月14日、
2月14日といえば「ふんどしの日」と「煮干の日」ですね!
バレんなんとかデーなんて
とっくの昔に縁がなくなってしまったので忘れてしまいました(笑)
今日のお仕事もふんどしをしめてかかりますよ!

さてさて

本日はミノルタSR-7のカメラ修理を行っています。
当店ではミノルタのカメラの修理も多いのですが
そろそろ今のお若い世代だと
ミノルタというメーカーがあったことも知らない方も多いのですね。
知っていても合併後のコニカミノルタだったりとか。。。
ミノルタは国内ではコニカに次いで
古くからあるメーカーです。
始まりは1928年の「日独写真機商店」
現在の西宮市に30人ほどの従業員を集めて工場がスタートしたそうです。
当時の近畿地方には精密工業のノウハウが全くなかったため
ネジ1本からメッキにいたるまで全て自社でまかなったのだそうです。
最初のカメラは1929年のニフカレッテ
いわゆるミノルタブランドが使用されたのは
1933年のセミミノルタからです。
会社もその後、モルタ合資会社、千代田光学精工と変遷し
1962年にミノルタカメラ株式会社となりました。

SR-7は1962年の発売で
世界初のCdS使用の外光式露出計を
カメラに内蔵したカメラです。
露出計はシャッタースピードダイヤルと連動し
露出計指針が指す絞り値をレンズに設定するというものです。
宇宙船フレンドシップ7号にハイマチックが乗ったことに関連して
これ以降のミノルタカメラ機では「7」という数字を使ったモデル名が
節目節目で発売されます。
このカメラの少々変わっている部分は
横走りシャッター機構がミラーボックスと共に
ユニット化されている点です。
一部のSR-1系でも同様の作りかたが見られます。
ただ、この後のNewSR-7以降では
再び一般的なダイキャストと一体としミラーボックスは分離した形になるのですが
その後、XG系で再びミラーボックスと一体化したユニットとなります。
生産効率はきっと良いのだと思われますが
修理する立場としては普通にミラーボックスが分離してくれたほうが楽ですね(笑)

お預かりしているSR-7は
ご依頼者様のお父さまが使っていたものだそうです。
おそらく落下させてしまったのだと思いますが
装着されているオートロッコールPF58mmF1.4の
マウント部が破損してしまっています。
その影響からかボディ側もレンズ取付のロックが効かない状態です。
シャッター幕、ファインダー内、レンズ、あらゆるところにカビが多く見られ
油キレでシャッター精度も出ていません。
落下の影響からか底部巻戻し戻しボタンを押しても
スプロケットがフリーにならず
巻戻しもできません。
結構、トラブルはいろいろ抱えていますが
どれも何とか修理できる範囲のようです。

この状態からプリズムを降ろし、
次の段階でミラーボックス及びシャッターユニット部を一緒に外します。
露出計のリンクもあるので少々神経を使うところです。
これから気合を入れて一気に進めていこうと思います。

↓ をクリックすると「東京フィルムカメラ修理工房」のホームに戻ります。

キヤノンAE-1プログラムのカメラ修理

今日は「苗字制定記念日」だそうです。
「苗字」って今はあまり使われないですよね。
「名字」のほうが目にすることが多いと思います。
どちらも正しいのですが由来が少々異なるようです。
長くなるのでここではその説明は割愛しますが
私の名字は「迫田(さこだ)」です。
関東ではあまりいないのですね。
調べてみたところ鹿児島、熊本、
私の生まれ故郷、広島では
比較的よくある名字のようです。
(それでも少ないほうですが。。。)
昔からよく「追田」だと勘違いされるのですね。
こっち(関東)に来てからは特に多いです(苦笑)
不思議なのはメールでも間違われるのですが
いや、「追田」じゃ変換で出てこないし
「さこだ」で変換すれば何番目かに「迫田」って出てきますよ(汗)
ちなみに「迫田」の由来は細く迫った谷だとか細い谷から
きているのだそうです。(最近知った(笑))

さてさて

本日は「キヤノンAE-1プログラム」のカメラ修理を行っています。
1981年発売開始のカメラです。
「Aシリーズ」の基本となった「AE-1」の後継機ですが
モデル名からわかるように
従来のシャッタースピード優先AEに加えて
プログラム露出が搭載されました。
基本的な機械動作部分「Aシリーズ」は全機種
「AE-1」とほぼ同じですが
電子制御部分はAE-1に比べると格段に進歩しています。
ファインダー内露出計表示も指針式から
LED表示になり内部からはついに連動糸が姿を消しました。
電子化進めば進むほど
メンテナンス的には難しくなっていくのですが
このAE-1プログラムあたりまでなら何とか可能といったところです。
とはいえ何か変わったことのあったときのために
部品取用固体の確保は必須です。

お預かりしているAE-1プログラムは
かなり長い間使われずに仕舞いこまれていた個体のようです。
お決まりのシャッター鳴きは当然のように発症していて
巻上時にも油切れによる異音が確認できます。
シャッタースピードは幕軸の動きが悪いため
精度は出ておらず
露出計及びオートは4段以上オーバーを示します。
さらに問題なのは露出モードに関わらず
F8~F22のインジケーターが点灯しません。
実際にオートの制御はされているようですが
ファインダー表示に出てこない状態です。
うーん、これはなかなか厄介な状況です。
場合によっては修理は難しいかもしれません。

この時代のカメラらしくぎっしりと電子基板で
埋め尽くされています。
まだ取り掛かったばかりですが
考えられる部分から原因を探りつつ
並行して各部点検整備一式を行います。

↓ をクリックすると「東京フィルムカメラ修理工房」のホームに戻ります。

オリンパスペンのカメラ修理

今日は「建国記念の日」ということで祝日です。
あまり気にしていなかったのですが
「建国記念日」ではなく「建国記念日」なのは
建国された日付とは関係なく
建国されたことを記念する日、だからだそうです。
関係ないですが当店のHP上では祝日は
定休日ということになっているのですが
年末年始、GW、お盆以外の祝日は
ここ1年以上、普通に営業しているのですよね(苦笑)
HP上の表記を変えたほうがいいな。。。

さてさて

本日は「オリンパスペン」のカメラ修理を行っています。
ハーフカメラを大流行させたペンシリーズの初代機です。
発売は1959年です。
50年代後半といえば二眼レフブームが一段落し
カメラの主流はレンジファインダー機から一眼レフ機へと
流れが変わり始めた時期でもあります。
当時、カメラそのものがまだまだ高級品で
一般的にはまだまだ高嶺の花。。。といった時代でもありました。
そんな中、初代ペンは6800円という破格の価格で発売されました。
(現代の貨幣価値に換算すると約13~14万円)
ちなみに同時期に発売されていたニコンFの価格が
50mmF2付きで定価67000円だそうです。
もちろんペン以前にもハーフ判カメラはあったのですが
フィルム使用面積の狭さから画質が悪いという
根本的な弱点がありあまり普及はしていませんでした。
そこでペンはコストダウンを進めつつも
フィルムサイズが小さいのだからこそレンズは
それをリカバーできるほどの性能の良いものを搭載する
という考え方で開発され、
同時にこの時代に急速に
フィルムそのものの性能が向上したこともあり
ハーフ判からの引き延ばしにも対応できる画質を実現しました。

そんな新しい時代の幕開けの象徴となったペンの登場から
今年の秋でちょうど60年なのですね。
お預かりしているペンは最初期モデルではございませんが
60年近くは経過しているものと思われます。
シャッターには若干粘りがあるものの動作はしています。
モルトは当然のごとく全滅です。
外観はそれなりにアタリやキズはあるものの
これも味のひとつといえる程度のものです。
ファインダーはどのくらい汚れているかな。。。と思い覗いてみると
やはり全体的にクモリは多く見えは悪い。。。
ん?何だか違和感があるな。。。
あ、ブライトフレームがない!
ブライトフレーム自体は存在するのですが
それをファインダーハーフミラー部に写しだすための
反射鏡が脱落してしまっているようです。

シャッターユニット、ファインダー、レンズ等々の
整備・清掃を行い再び組み上げた状態です。
小さくてシンプルで時代を感じさせるデザインで
何とも良い感じです。
ご依頼者様には今回、あまり詳しいお話は聞けていないのですが
おそらくこのペン、相当以前から
ご依頼者様が使い続けているものと思われます。
時代は昭和から平成、そして新元号へと流れていきますが
それぞれの時代を写し続けてきたのだなぁ。。。と考えると
感慨深いですね。
まだまだ長く使えるカメラだと思います。
これからも新しい時代を切り取ってほしいと思います。

↓ をクリックすると「東京フィルムカメラ修理工房」のホームに戻ります。

オリンパスOM-1のカメラ修理

今日は2月10日ということで
「ふとんの日」らしいですよ。
特にこの季節はふとんに一度もぐりこむと
そう簡単には出られないですよねぇ。。。
そういえば「ドラえもん」でのび太が
「あったかいふとんでぐっすりねる!
こんな楽しいことがほかにあるか。」という名言(?)を
残していますが本当にその通りですねぇ(笑)
たまには目覚ましなしで気の済むまで寝ていたいですが
実際はなかなか日常がそれを許してはくれません(苦笑)
あぁ。。。次の定休日も早起きしなくては。。。(汗)

さてさて

本日は「オリンパスOM-1」のカメラ修理を行っています。
毎月1台は必ず修理行っているカメラですね。
2月に入ってはこれが1台目ですが
1月は3台行っています。
それだけ人気も高いということだと思います。
軽量コンパクトな一眼レフで
機械制御シャッターで操作も使いやすく
その使い心地も上質なカメラ。。。となると
確かにOM-1くらいしか選択肢がないかとも思います。
電子制御シャッター機全盛の80年代になると
OM-1に近いサイズの一眼レフもいろいろ出てくるのですが
OM-1が発売された1972年当時は
それまでの一眼レフの常識を根本から覆すほどの
インパクトがあったと思われます。
確かに小型化、軽量化のために
多少デリケートな部分があることは事実ですが
定期的にメンテナンスを行いつつ
普通に使っている分にはまず問題ないほどだと思います。

お預かりしているOM-1は1973年に
「M-1」から「OM-1」に改名されてすぐの頃のものだと思われます。
改名の経緯についてはここでは割愛しますが
上カバーのロゴが「OM-1」なこと以外は
「M-1」とまったく同じではないかと思われます。
元々ご依頼者様のお父さまが使っていたものとのことですが
ここ数十年は仕舞いこまれたままになっていたそうです。
この時期のOM-1なので
定番のプリズム腐食がかなり大きく拡がっています。
さすがにこのままで使うのは無理だと思います。
今回は中古良品のプリズムと交換することで対処します。
他、高速シャッターはバランスがかなり崩れており
スローシャッター時にはガバナが固着し
SS1秒時には完全に開きっぱなしになってしまいます。
露出計は動作しているものの
やはり調整は必要な状態です。

まだ上カバーを外しただけの状態ですが
フィルム室の4本スタッド、
写真にはないですが短いフィルム圧板
巻上レバーの形状、プリズムを抑える4本バネ。。。等々
中身はM-1と全く変わりません。
だからそれが優れているとか劣っているとかでは
全くありませんが。。。同じモデルでも
どのメーカーのカメラでも
毎年のように細かい仕様変更が行われています。
そのため部品取り個体から何らかの
部品を移植する際は生産時期が同じような時期のものを
用意しておかないと思わぬところで
作業が中断してしまいます。
話が少し逸れました(汗)
これから本格的に分解整備に取り掛かっていきます。
まずは分解を進めてシャッター周りとミラー駆動部から行います。

↓ をクリックすると「東京フィルムカメラ修理工房」のホームに戻ります。

ペンタックスS3のカメラ修理

今日は2月9日。。。
服の日、ふく(フグ)の日、風の日(吹く)、福の日。。。等々
語呂合わせに由来した記念日が目白押しですが
なんといっても「肉の日」でしょう!
あぁ焼肉行きたいなぁ。。。
(ちょくちょく行っているのですが何度でも行きたい)
基本的にお酒は日本酒が好きなのですが
焼肉はビールですよねぇ。。。
ロース、ハラミ、ホルモン(これだけあれば十分)を
延々繰り返しつつ、中ジョッキで5~6杯飲んだら
その後でライス大盛りで!
最後はデザート代わりに甘いラムコークか何かで締める。。。と
今日は都内も雪が降っていますが
こんな日こそ暖かい炭火を囲みつつ
美味い焼肉と冷たいビールは最高ですよねぇ。。。
はぁ。。。まずは仕事をしなくては。。。(苦笑)

さてさて

本日は「ペンタックスS3」のカメラ修理を行っています。
発売は1961年です。
ペンタックスとしては初の完全自動絞りとなったカメラです。
(対応するスーパータクマー及び
一部のオートタクマーレンズを使用時)
完全自動絞り。。。1960年代半ばには
当たり前の機能になってしまうのですが
シャッターを切った瞬間(露光している瞬間)のみ
レンズを絞り込む機能のことです。
一眼レフの場合、レンズを通して実際写る範囲そのものを
ファインダーで見るわけですが
その場合、基本的に絞りが開放でないと暗くて
ピント合わせもままなりません。
普段は開放でファインダーを見つつも
シャッターを切ってミラーを跳ね上げると同時に絞りを絞り込み
ミラーが戻ると同時に絞りを開放に戻す。。。
これが完全自動絞りというわけです。
完全自動絞りでないカメラは
その都度、レンズを操作して
絞ってからシャッターを切らなくてはいけなかったり
シャッターを切ったときに絞ってはくれるのですが
開放に戻す操作が必要だったり
レリーズを押している間はシャッター動作の状態に関わらず
絞ったままだったり。。。何らかの操作が必要だったわけですね。

お預かりしているS3は
かなり長い間、家の中で眠っていたカメラとお聞きしています。
この時期のペンタックス機で心配なのは
まずはシャッター幕の状態なのですが
若干のカビや汚れが見られますが
極端に硬化していることもなく
これであればシャッター幕交換までは必要なさそうです。
ただし、シャッターの動きは相当悪く
高速シャッターは開きすぎで全く精度は出ておらず
低速シャッターはガバナ固着で開きっぱなしになってしまいます。
何度かシャッターを切っていると
たまにシャッターが走りきらずミラーアップしたままになってしまいます。
発売から60年近く経過するカメラですから
長い間動かさずにおいておくと
こういう状態になるのはしかたないですね。
それでもどこかが破損しているとか
部品の劣化で交換しないとどうにもならないという状態ではありません。
長年の間にたまった汚れや
古い油を取り除き、スムーズに動けるようにしてやれば
十分に使える状態になると思われます。

写真は整備後ですが
見違えるようにスムーズに動作するようになりました。
付属するオートタクマー55mmF1.8も
レンズにカビがかなり発生していたので
清掃を行いすっきりとした状態になりました。
このS3、これからはご依頼者のお子さまが使われるということです。
フィルムカメラは初めてとの事でしたので
納品時にはもちろん使い方のお話もさせていただく予定です。
ご来店であれば修理完了時に使い方も
お教えすることもできますので
必要であれば遠慮なく言っていただければと思います。
初めてのフィルムカメラとなるS3で
ステキな写真をたくさん撮っていただきたいものです。

↓ をクリックすると「東京フィルムカメラ修理工房」のホームに戻ります。

リコーフレックスⅦSのカメラ修理

今日は「〒マークの日」だそうですよ。
郵便マークですね。
なぜ「〒」が〒マークになったのか諸説あるらしいのですが。。。
1887(明治20)年のこの日に逓信省(後の郵政省)のマークが
逓信の「テイ」に合わせて甲乙丙丁の「」に決定しました。。。
最初から「〒」じゃなかったのですね。。。
発表後、万国共通の郵便料金不足の記号「T」と紛らわしいことがわかり、
6日後の14日に、「テイシンショウ」の「テ」を図案化した
「〒」の誤字だったことにして変更したのだそうです。
時代も時代ですし、結構バタバタと決められた感が。。。(苦笑)

さてさて

本日は「リコーフレックスⅦS」のカメラ修理を行っています。
リコーフレックスにはいろいろなモデルがあるのですが
1950年に発売された「リコーフレックスⅢ」で
その後のモデルと共通する「前玉回転式でギアによるピント」、
「プレスボディー」、「中枠を外して行うフィルム装填」の形になりました。
他のカメラが当時の価格で2万円以上していた時代に
6800円の定価で発売され大ヒットとなりました。
これをきっかけに「二眼レフブーム」も巻き起こりました。
「ⅦS」は「Ⅲ」から5年後の1955年に発売されたモデルです。
まさに国産二眼レフ全盛期のモデルですね。

お預かりしている「ⅦS」はシャッターユニットは
理研製でシャッター羽根は5枚羽根
シャッタースピードはB・10・20・50・100・200
最初は2枚羽根で3速しかなかったリケンシャッターも
この頃になると随分ハイスペックになってきました。
レンズはリコーアナスチグマット8cmF3.5です。
3枚玉のいわゆるトリプレットですね。

お預かり時にはシャッターが開きっぱなしでした。
羽根の固着かな。。。と思ったのですが
実際はシャッターユニット内の一部部品の変形で
羽根が閉じられない状態でした。
もちろん羽根自体にも粘りはありますので
羽根洗浄と合わせてシャッターユニットの整備一式で対応します。
加えて。。。
リコフレでは定番ですがピントリングギアがいつものごとく重いです。
まったく回らないわけではないですが
回していると指が痛くなりますね。。。
本来は軽くつまんだ状態で回る軽さです。
指が痛くなるほど力を入れないと回らないようでは
ピントは合わせられないですよね。。。

写真は整備が一通り終わった後のものです。
相変わらず高級感に溢れたステキなカメラですね。
もちろん各部、非常にスムーズに動作するようになっております。
プレスボディということあり
6X6判二眼レフの中では最軽量クラスのカメラです。
機能のシンプルさもその軽量さに貢献しています。
フィルム送りは赤窓でセルフコッキングもなく
操作に慣れていないと
意図しない多重露光を連発する可能性もありますが
一旦慣れてしまえば何の問題もないと思います。
逆にシンプルな故に融通が利いて使いやすいと思います。

↓ をクリックすると「東京フィルムカメラ修理工房」のホームに戻ります。