ヤシカエレクトロ35MCのカメラ修理

今日は「幽霊の日」だそうですよ
まぁ、空想の世界やエンターテインメント的にはともかく
あくまで個人的な主観ですが
「幽霊」なんて存在しないと思っています。
正確に言うと人間の魂が現世に残るなんてことは
ありえないと思っています。
だからじいさん、ばあさんの墓参りとか
写真にひとりごとのように話しかけるのも
本当はそれがわかっていながらの気休めなんですよねぇ(苦笑)
でも世の中には幽霊的な不思議な現象も
たくさんあるのはなんとなく理解できます。
それはきっと全部「蟲」の仕業です。(笑
おそらく人間の擬態をする「蟲」とかが
人間の目には普段見えないけど存在するんじゃないかと
勝手に思っています。
それはそれで怖いものがありますが
そう考えると結構いろいろ納得いく部分が…
なににせよ、生き物は死んだらスイッチを切ったように終わりで
その記憶も思いも一緒に消えていってしまいます。
お盆前になるとこういうことを何となく思いつつ
あとどのくらい生きられるかなぁ…と考えてしまいますね
考えたってどうにもなるものではないのですが…(苦笑)
そういえば呉にあるうちの墓も
もうこれ以上入る人も誰もいなくなったので
どこかのタイミングで墓じまいしなくちゃな…

さてさて

本日は「ヤシカエレクトロ35MC」のカメラ修理を行っています。
非常にコンパクトで良く写るカメラです。
ルックス的にもギュッと凝縮感があって
質感も高くなかなか所有欲も満足させてくれるのではないかと思います。
私も一時期、気に入ってよく使っていたカメラです。
この「MC」はエレクトロ35シリーズとしては
いろいろ例外の多い異端児的なモデルです。
絞り優先AE専用機という部分は他のエレクトロと共通ですが
どれもこのコンパクトなボディを実現させるためですに
いくつか他のエレクトロとは異なる部分を持っています。
まず、距離計を省略し、ピントは目測式となっています。
「MC」以外のエレクトロ35は全て距離計を搭載しています。
さらにレンズは開放F2.8の40mmレンズです。
焦点距離40mmなのはエレクトロとしては通常ですが
「MC」以外のエレクトロ35は全て開放F値は
F1.7あるいはF1.8の大口径レンズを採用しています。
そうしたエレクトロ35としては例外的な手法を
採用したこともあり
「MC」はハーフカメラ並みの小ささを実現することができました。
本当にいつ見てもかわらしい大きさのカメラです。

お預かりしている「エレクトロ35MC」は
電源が不安定なようでシャッターが制御されたり
されなかったりしているようです。
またきちんと制御されている場合でも
LV15あたりでも少しアンダー目に制御されているようですが
これがLV12、LV9と光量が少なくなるにつれて
大きくアンダーに振られていき
LV9の時には3段近くアンダーになってしまうようです。
電気的調整の問題なのか
マグネットの汚れのせいで吸着が弱いのかは
今のところ判断できませんが
どちらも処置を行いつつできる限り
正常な状態に調整してみたいと思います。
このタイプの小型化されたコンパクトカメラでは
多いパターンですが
「MC」もフィルム室に大量のモルトを使って
外からの光を遮光しています。
当然ながらモルトは全滅で
たくさんのモルト屑があちこちに入り込んでいる状態です。
モルト張替えは当然ですが
粉々になったモルト屑を内部を含めて
できる限り清掃して除去していきます。
もちろんその際にファインダー、レンズも清掃し
ピント精度も再調整を行います。

まだ分解整備に取り掛かり始めの状謡です。
これから本格的に分解していきます。
世の中では「MC」もブラックのほうが人気らいいのですが
エレクトロは個人的にシルバーが似合うような気がします。
前期エレクトロの頃のギランギランしたシルバーは
少し落ち着いたものの「MC」も
結構ギラギラしたシルバーで
その辺が非常にヤシカっぽくて好きなところです。
こうして弄っているとまた「MC」が
個人的にも欲しくなってきます(笑)

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オリンパスペンFVのカメラ修理

今日はいまひとつピンとくる記念日がないので
過去の出来事を少し調べていたところ…
10年前の2011年7月24日に
岩手・宮城・福島を除く日本全国で
地上波アナログテレビ放送が放送終了していますねぇ
もう10年前かぁ…
私、その頃あまり生活に余裕がなくて
(今もありませんが…(苦笑))
とりあえず既存のブラウン管テレビに
数千円の地デジチューナー付けて
とりあえずしのいだのですよねぇ…
ついこの間のような気もします。
あれから10年経って地上波のテレビは本当に見なくなりました。
寝る前に少しだけ点けてるのと
(映しているだけでほとんど見ていない)
朝、家を出る前に10数分くらい点けているだけかなぁ
実質なくてもほとんど困らないのかも…
でもカープの試合だけはオンデマンド配信で
しっかり見ていますからそっちのほうが重要ですね(笑
そっか…アナログ放送がなくなったから
もう「砂の嵐」とかを深夜に見かけることもなくなったんだ
やっぱり時代の流れを感じますよねぇ…

さてさて

今日は「オリンパスペンFV」のカメラ修理を行っています。
ペンFシリーズは特殊モデルとかを除くと
最初のベーシックな「ペンF」
露出計内蔵になってセルフタイマーが付き
1回巻上になった「ペンFT」
「ペンFT」から露出計を省略した「ペンFV」の
3機種が存在します。
その中で比較的見かけるのが少ないのが「ペンFV」かと思います。
確かにその当時であれば
ほぼ同じ仕様であれば露出計内蔵の「ペンFT」が売れますよね
でもその当時でも余計なものが付いていると
トラブルの元となるしカメラ本体はシンプルなほうがよく
露出計は外部単体でよい…と考える層はそれなりに存在し
そうしたニーズに応えるために
露出計レスのモデルが他機種でも多く存在していました。
同じくらいの時代だとペンタックスSLとか
キヤンンFPとかがそうですね。
確かに昔の「テレビデオ」と一緒で
ビデオが壊れて修理に出すと
テレビも見られなくなる!というのと
同じリスクを避けるための考えですよね
私もテレビデオのビデオが壊れて修理に出すのもおっくうで
結局テレビデオのビデオは壊れたままで
単独のビデオデッキ買ってきましたもの…(笑
今となっては当時のある意味、アバウトで劣化の心配のある
露出計内蔵カメラよりも
余計なトラブルの心配の少ない露出計レスのカメラといった
考え方もありだとは思います。

お預かりしている「ペンFV」は
シャッターが切れない状態で当店にやってきました
どうやら定番のミラー駆動部のトラブルのようで
ミラーアップ~ダウンへの連携途中で
固まってしまうようです。
もうひとつの定番でもある
SS制御のガバナの粘りも少しあるようです。
付属しているズイコーオートS 38mmF1.8レンズは
絞り羽根に粘りが見られレンズ内にカビも見受けられます。
さらに保護フィルターが付いているのですが
落下かなにかで枠が変形しており
取り外すことができません。
フィルターのガラスにも一部割れが見られます。
このフィルターはもう救えないので
枠は破壊してまずはフィルターを外します。
レンズ側のフィルター取り付けネジに
あまり影響がなければ良いのですが…

まずは底部からミラー駆動部の連携部の動きを確認しておきます。
単純に動きが悪いだけなのかどうなのかをチェックしておきます。
そうしておくことによりこれからミラーボックスを外した後に
確認すべきことが変わってくるからです。
特に部品の変形とかのトラブルはなさそうです。
やはり単純にミラー駆動部の動きが汚れ等で悪いようですね。
それではこれから本格的に分解整備に取り掛かります。
まずはボディ側からです。

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ニューキヤノネットQL17のカメラ修理

今日は「天ぷらの日」だそうですよ。
「大暑」となることが多い7月23日と
(今年の大暑は昨日22日でした)
毎月23日は「天ぷらの日」なのです。
揚げたてサックサクの天ぷらって
本当に美味しいですよねぇ
最近はたまにスーパーで買うような
冷えたしなしなの天ぷらしか口にしていませんが(苦笑)
たまには目の前で揚げてくれてそのまま出してくれる
天ぷら屋さんに行ってみたいものです。
ちゃんとしたところだとお寿司とかと同じで
高級料理ですものねぇ…
太白油で揚げたゴマの香りはないけれど
素材の味を邪魔しない軽い衣がいいのですよねぇ
お酒もめちゃくちゃ進みますよねぇ
あぁ、天ぷら屋さん行きたいなぁ
まずは早くこのコロナ禍がなくなればいいのですが…
土用の丑の日(7月20日頃)、焼き肉の日(8月29日)と一緒に
に食べ物の「夏バテ防止の三大記念日」とも言われているのだそうです。
そうですよね!まずはしっかり食べられないと
酷暑は乗り切れません!

さてさて

本日は「ニューキヤノネットQL17」のカメラ修理を行います。
1969年発売のカメラです。
それまでのキヤノネットとはボディを一新し
一気に小型化が図られたカメラです。
見た目には大幅に変わりましたが
機能的にはほぼこれまで通りで
シャッタスピード優先オートえを搭載し
露出計は使えないもののマニュアル露出も可能です。
ただしシャッタスピードは最高速1/500は変わりませんが
スローは1/8までとなりました。
バルブは変わらず装備されています。
レンズはこれまでの45mmから40mmF1.7に変更されました
最終機種となる後継の「G-Ⅲ」も
このニューキャノネットからのマイナーチェンジ版なので
この時のモデルチェンジがキヤノネットとしては
最後のフルモデルチェンジとなったわけです。
やはり小さく軽いのは正義ではありますが
大柄なそれまでのキヤノネットも整備性では
かなり余裕があったのですが
さすがにこれだけ小型化されると
中身は結構ぎっちり詰まっています。
修理する立場としては少し難易度が上がりました(苦笑)

お預かりしている「ニューキヤノネット」は
シャッターがチャージ状態で固まっていて
レリズボタンを押してもうんともすんとも言いません
チャージ状態なのでもちろん巻上もできません。
羽根ががっちり固着してしまっているのかなぁ…と
しばらく眺めていたのですが
ふと気が付いたのがセルフタイマーがセットされた位置になっています。
「あぁ…これかぁ」と思い
応急処置でセルフタイマーを強制的に解除すると
シャッター羽根に粘りはあるものの
何とかシャッターを切ることができました。
それでもセルフはかなり動きが悪くなっていて
再びセットするとやはり全く動かないので
しっかり洗浄して注油してやる必要があるようです。
スローガバナーも同様ですね
シャッター羽根はそんな感じでまだ良いのですが
絞り羽根は完全に固着してしまっています。
オートでは動かなくても
マニュアルでは動くことがパターン的に多いのですが
今回はマニュアルでも最少絞り(F16)から全く動きません。
絞り開放でチェックできないので
レンズの状態が詳しく見られないのですが
ニューキヤノネット系は前玉に経年変化による
曇りが発生しているものが多く
経年変化による変質なので清掃では何も改善できません。
酷いものになると
透かして見なくても明らかに白濁しているという状態に
なっているものもあります。
そうなると残念ながら修理不可能です。
今回はもしクモリがあったとしても
透かしてみないとwからないほどでしょうから
それほど大きな問題にはならないと予想されます。
カビ・汚れに対してはできる限りの清掃で対処いたします。

お預かり時に電池室には
当時の水銀電池がそのまま入っていました
液漏れはなかったもののガス等による
腐食を心配したのですが
とりあえずは断線まではしていないようです。
もちろん分解時にその辺りもチェックを行い
必要であれば配線交換等も行っていきます。
まだ現状チェックを行っただけの状態です。
これから本格的に分解整備に取り掛かっていきます。

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ニコレックスFのカメラ修理

今日は二十節気でいうところの「大暑」です。
一年で最も夏の暑さが盛りを迎える頃なので「大暑」とされます。
年によってはまだ梅雨明けしていなかったりで
「大暑」とはいえないこともあるのですが
今年に限って言えばまさに「大暑」にふさわしいですね
今日もあさから強烈な陽射しが降り注いで
ガンガン気温が上がっています。
よく言われることですが
近年の夏の暑さは本当に明らかに昔と異なります。
私の生まれ育った広島県の呉というところは
広島市内あたりと比べても
冬は少し暖かく夏は少し涼しいといわれるところで
(海が近いからかな)
真夏の最中でも35℃までいくことはほぼなかったのですが
最近の天気予報を見ていると
ちょくちょく猛暑日になっているのですよね
中学生の頃は夏休みでも部活で
一番暑い時間帯でも普通に照り返しの強烈な
グラウンドを走ったりしていたのですよねぇ…
今じゃ考えられないですね…
本当に命に関わる暑さなので
特に外出時には本当に気をつけましょう
私は日中はとにかくエアコンの効いたお店に
引き込もっているのであまり問題はないのですが…(苦笑)

さてさて

本日は「ニコレックスF」のカメラ修理を行っています。
ニコレックスシリーズはニコンの中級機クラスを担うシリーズで
後のニコマートシリーズの前身にあたります。
当時の最高級機であるニコンFとは異なり
何とかお求めやすい価格を実現しようと
いろいろと試行錯誤のあったシリーズでもあり
シリーズ内でいろいろ面白いモデルが存在します。
特にレンズシャッター機はなかなか特殊な構造をしています
(余談ですがニコレックスに限らず、この時代に存在した
レンズシャッター機の一眼レフは当店では修理不可能です)
今回の「ニコレックスF」は
そんなユニークなニコッレクスシリーズの中では
比較的、通常の構造をした一眼レフです。
これまでのニコレックスシリーズは
レンズシャッター機の一眼レフで
交換レンズはコンヴァージョンレンズしかなかったわけなのですが
このニコレックスFが初のニコンFマウントの普及機となりました
後にいろいろなところでお馴染みとなる
縦走り金属羽根のシャッターユニット「コパルスクエア」を採用し
マミヤ光機が製造を担当したカメラです。
まさに後のニコマートの前身ともなるモデルです。
1962(昭和37)年に発売開始となり
3年間で4万8975台生産されました。

お預かりしているニコレックスFは
まず巻上が途中で動かなくなってしまっていて
当然シャッターも切れない状態です。
シャターチャージ部の動作不良及び固着かと思われます。
かなり長い間使われずに仕舞い込まれていた個体と思われ
装着されたニッコールSオート5cmF2レンズや
ファインダーのコンデンサレンズ、プリズム
接眼レンズとあらゆる部分に大量のカビが発生しています。
全体的に清掃整備が必要な状態です。
先述したように後のニコマートのルーツともいえるカメラですが
この時代はニコンもかなり普及機の作り方に
かなるい苦労したようで結局は実際の製作は
マミヤに任せてしまった形になりました
そのせいとはいいませんが
後のニコマートに比べるとまだまだ華奢な部分も多く
ニコマートに比べるとトラブルの頻度は高いと言えると思います。
それでも心臓部のシャッターユニットはコパルなので
シャッター自体が壊れ宇ことはそうそうないとは思います。
今回も巻上機構とシャッターユニットのリンク部分の
動作不良が原因と思われ、シャッターユニット本体は
羽根汚れ等で動きがイマイチな部分はあれど
致命的なトラブルは抱えていないと思われます。

現状チェックのみ終わった状態で
これからどういった手順で分解整備に取り掛かるかの
イメージがある程度できた段階です。
あとはひたすら集中して整備に取り掛かっていきます。

「F」とも「ニコマート」とも異なる
ちょっとレトロなルックスが
何といえずいい佇まいを見せています。
「NIKKOREX」の銘板も何だか新鮮ですね。

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キヤノンデミEE17のカメラ修理

今日は「日本三景の日」だそうです。
松島と天橋立と宮島ですね!
そりゃ私は広島出身だから
宮島は子供の頃から何度も何度も行ってますし
なくなったのは寂しいですが
宮島水中花火大会に大人になってからも何度も行きました。
花火と紅葉のイメージが強いですが
1年中いつ行っても楽しめます!
で、他の三景、松島と天橋立には行ったことがないのです…
東北は未だに足を踏み入れたことがないので
(埼玉・茨城より北に行ったことがない(苦笑))
松島はもちろんのことで
天橋立も京都の日本海側なんて行ったことがないので
当然ないわけですね…
ただ天橋立は昔、じいさんが行ったことがあるらしく
子供の頃に家に大量の絵ハガキがあったのですね
だから何となく行ったような気になってしまっているかも…
自分の股の間から覗くのですよね。
何となく真似してなぜか音戸の瀬戸でそれやったなぁ(笑
松島も天橋立もそのうち行ってみたいですねぇ
その前に随分宮島にご無沙汰なので
気候のいい頃にまた行ってみたいですねぇ

さてさて

今日は「キヤノンデミEE17」のカメラ修理を行っています。
デミシリーズはキヤノンのハーフカメラのシリーズ名です。
初代デミが発売されたのが1963年で
その後、当時アグファが開発した「ラピッドシステム」に対応した
デミラピッドを1965年に発売します。
このデミラピッドを通常の35mmフィルム版としたのが
1966年に発売された「デミEE17」です。
初代デミと比較すると
まず露出は基本的にシャッタスピード優先オートとなりました
(マニュアルも可能)
受光体はセレンからCdsに変更となり
当然ながら水銀電池を必要とするようになりました。
レンズは大口径の30mmF1.7となり
CdSがセレンに比べて低輝度で強いことも合わせて
光量の比較的少ない場面でも対応できるようになりました。
機能面を充実させた半面、シンプルな初代デミに比べると
少し大きく重くなり本来小ささが武器のハーフカメラとしては
少し大柄となってしまいました。

お預かりしているデミEE17は比較的外観もキレイで
電池をしれれば精度はともかくとしても
露出計も作動しています。
ただし、またもやレンズシャッター機のお約束で
シャッター羽根が固着してしまっており
レリーズボタンを押してもうんともすんとも言いません。
チャージ状態から全く動かない状態なので
巻上もロックがかかったままです。
何も動かせない状態なわけですね。
ただ、露出計は精度はともかくとしても
とりあえず動いています。
ファインダーはかなりキレイで
フィルム室のモルトも交換された形跡があるので
簡単なメンテは行ったのではないかと思われます。
ただこのままではどうにも使えないので
やはりきちんと分解して
シャッターユニット内の整備と
シャッター羽根の洗浄を行わないとなりません。

まだ現状チェックを行っただけなので
これから本格的に分解整備に取り掛かります。
操作感の非常の良い巻上げレバーがあるせいか
デミシリーズは他のハーフカメラに比べて
(ハーフカメラは巻上がダイヤル式のことが多い)
何だか上品な印象がしますね。
個人的にもかなり好きなカメラです。

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マミヤ35クラウンのカメラ修理

今日は「やまなし桃の日」だそうですよ
もうすっかり桃のシーズンですよねぇ
山梨県は桃の生産量が日本一で
全国の桃の生産量の約33%を占めています
こちら(都内)のスーパーとかで
売られている桃のほとんどは山梨産ですね
ちなみに生産量の2位は福島、3位は長野と続きます。
私の生まれ育った広島に住んでいると
「桃」は岡山産のイメージが強いのですが
こちらだとさすがに見かけません。
やわらかくてとにかくジューシーな白桃も
適度な硬さと歯ごたえがある黄桃も
どちらも美味しいですよねぇ
白桃は熟してしまうとグズグズになりがちですが
あのグズグズになった頃がまた美味いのですよねぇ
軽く冷やして手早くいただくのが
この季節にぴったりですね。
あぁ、ついこの前も買って食べたばかりなのに
こりゃ今夜もスーパーで買って帰りそうです(笑
甘くない少し酸味の強い白ワインと合わせると
これがまた美味さ倍増ですよねぇ
あぁ、こりゃ白ワインも買って帰るな…(笑

さてさて

本日は「マミヤ35クラウン」のカメラ修理を行っています。
マミヤ35シリーズは1949年発売の「Ⅰ」から始まり
1950年代のまさにレンジファインダー搭載レンズシャッター機の
全盛期にたくさんのモデルが出ています。
「Ⅲ」までは単にローマ数字のモデル名でしたが
その後、「S」、「S2」、それから
今回の「クラウン」、「エルカ」、「メトラ」…と
モデル名にニックネームが付いていきます。
ただし…このモデル名、ボディに刻印されていないのです…
ボディに刻印されているのは基本的に「Mamiya」の名のみです。
この時代にはありがちな話ですが
モデルの判別は相当詳しい方か
何か資料を見ながらでないと困難かと思われます。
私は修理屋なのでこの時代に多いレンズシャッター機ということであれば
モデルが何であろうと作業自体にはあまり関係ないのですが
モデル名が正確にわかっていないと困る
中古カメラ屋さんとか大変だな…と
このマミヤ35やキヤノンのバルナックタイプを見るたびに思います。
今回の「クラウン」は1958年発売のカメラで
シャッターユニットは当時最高級のセイコーシャMXLで
最高速は1/500です。
レンズはセコールF.C 4.8cmF1.9の大口径タイプです。
レトロな外観が何とも魅力的なカメラです。

お預かりしている「クラウン」は
まずシャッター羽根が全く開きません。
巻上げてレリーズボタンを押すと
小さく「チッ」という作動音はするのですが
実際には羽根はピクリとも動きません。
レンズシャッターお決まりの羽根固着かと思われます。
それはいつものことなのでまぁ良いのですが
今回の「クラウン」は
ピントリングがガッチリ固着していて
ビクとも動きません…
こちらのほうがかなり厄介なことになりそうです。
もちろん無理に力任せで回そうとするのは厳禁なので
ヘリコイド部が露出するところまでバラシて
気長に少しずつ処置していくしかないと思います。
先日、ミノルタオートコードでも同じような修理がありましたが
これ、手間も時間もかかるのです…

外観はなかなかキレイな状態です。
レンズ・ファインダーにはやはりカビ・クモリがあり
こちらももちろんできる限り清掃していきます。
まだ現状をチェックしただけの状態で
これから本格的に分解整備を行っていきます。
シャッターユニットはどちらにしろ
降ろして整備しますが
まずはヘリコイド部の固着解消から取り掛かりたいと思います。

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ニコンFEのカメラ修理

今日は「光化学スモッグの日」だそうです。
1970(昭和45)年のこの日に
東京都杉並区で日本初の「光化学スモッグ」が発生したとされています。
東京立正中学校・高等学校において
グランドで体育授業中の生徒が
突然、目の痛みや頭痛などを訴えて倒れ
生徒43人が病院へ運ばれ、
東京一円でも多くの人が目やのどの痛みを訴えたのだそうです。
それ以前にも近畿や四国、関東などで
農作物の斑点などの被害があり
光化学スモッグによる被害はあったと考えられているのだそうです。
原因は工場や自動車の排気ガスなどに含まれる
窒素酸化物や炭化水素で
日光に含まれる紫外線より光化学反応を起こして変質し
オゾンなどが発生するのだそうです。
夏の暑い日の昼間に多く、
特に日差しが強く風の弱い日に発生しやすいのだそうです。
まさに今日のような天気ですねぇ
私の生まれ育った町は田舎なのであまり縁がなかったですが
子供の頃はニュースとかでよく光化学スモッグ警報なんてのを
よく見聞きした覚えがあります。
現在は昔のように頻繁に注意報・警報は発令されていないようですが
それでも東京都の場合、昨年は延べ6日、注意報が発令されているそうです。
なににせよ、空気はキレイでないと怖いですよねぇ
都会の空はいつも少し霞んだように見えているような気もしますが…

さてさて

本日は「ニコンFE」のカメラ修理を行っています。
ニコマートEL系を前身とするニコンの中級機
電子制御シャッター+絞り優先AE機です。
もちろんマニュアル露出も可能で
2針式の非常に見易い露出計と充実したファインダー情報で
マニュアル露出でも絞り優先AEでも
使いやすさが魅力のカメラです。
もちろんこの時代のニコン機なので
F一桁機ほどではありませんが信頼性も非常に高く
普通に使っていればそう簡単に壊れるカメラではないと思います。
それでも機械モノは「ある程度の頻度」で使い続けることが大事で
長期間放置されているものだと
トラブルを抱えてしまう個体も数多くあります。
電子制御機ということで機械制御のFMに比べると
敬遠されることの多いカメラかと思われますが
電子部品のトラブルはかなり少ないほうで
それよりも機械的なトラブルのほうが多いかと思われます。
それは機械制御のFMも同様です。

今回、お預かりしている「FE」も
随分長い間、眠っていたものと思われます。
装着されている50mmF1.4レンズや接眼レンズやプリズムには
あちこちに大量の株が発生しており
レンズのピントリングは重かったり軽かったりで動きにムラがあります。
グリスが一部固まってしまっているのですね。
ボディ側は電池を入れるとバッテリーチェックは反応し
露出計もまずまずの値を示します。
それではとシャッターを切ってみると
明らかにシャッター羽根の動きが緩慢な感じで
案の定、ミラーアップしたままで固着してしまいます。
電気的な問題がある場合もFEはよくミラーアップしたままになりますが
その場合はミラーアップだけして
シャッターは作動しないのがパターンなのですが
今回の場合はシャッターは動作するのですが
その後のミラーダウンが行われない感じです。
シャッター速度の設定にも変化がない様子です。
何よりも機械制御シャッターであるM90やバルブでも同じ症状です。
…ということはまずは機械的なトラブルですね。
汚れ等が原因でシャッター羽根の動きが悪いものと思われます。
それを解消した上で電子制御部分に問題があるかはどうかを
判別しないと何とも言えない状態です。
露出計の様子とかを見ている分には
電気的な問題はなさそうな気もしますが…
こればかりはやってみないとわかりません

まだ現状をチェックしたのみの状態です。
それでもおおまかにどう進めていけばよいかの
イメージはできたのであとはひたすら実行するのみです。
FEはさすがに数えきれないほどこれまで触ってきたカメラですし
「直りそう」「これはダメかな」の判断も
比較的しやすいカメラです。

おそらく今回も問題ないレベルまで仕上げられると思います。
ボディ側よりもとにかくネジが固くて
開けにくいレンズのほうが苦労するかもしれません。
まずはボディ側から集中して取り掛かります。

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ペンタックスMGのカメラ修理

今日は「虹の日」だそうですよ
なな(7)い(1)ろ(6)」(七色)と読む語呂合わせと
梅雨明けのこの時期に
空に大きな虹が出ることが多いことからだそうです。
確かにこの頃に虹を見かけることが多いですねぇ
最近は豪雨がざーっと比較的短時間で降った後
一気に晴れることも多いので
尚のこと、虹が出やすいような気がします。
ところで虹の七色ってパッと言えますか?
よく七色っていうけど何色だっけ?と思って調べたら
国によっても違うらしいのですが
日本では一般に、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の七色とされるそうです。
虹って写真で撮ろうとすると
意外と淡くって難しいのですよねぇ
それもフィルムだとなおさらで
だいたいがそんなフィルムカメラ持っているときに
タイミングよく虹に巡り合えるか?という問題も。。。(苦笑)
私も実はまったく撮ったことないわけではないですが
うまく撮れたことがないですねぇ(汗)

さてさて

本日は「ペンタックスMG」のカメラ修理を行っています。
1982年発売のカメラで「ペンタックスMシリーズ」としての
最終モデルともなります。
…ということは当店で修理できるペンタックス機としては
最も新しいモデルとなるわけです。
絞り優先オート専用機で「MV1」の後継機となります。
「MV1」でかなり簡素化されたファインダー情報は
MEと同等以上となりそれでも価格はエントリークラスであり
技術や電子化の進歩がよくわかります。
大きさはMシリーズらしいコンパクトなもので
プラスチックを多用していることもあり
非常に軽く仕上がっています。
ちなみに余談ですが
CMキャラクターは歌手デビュー前の早見優さんで
この「MG」のCMがテレビCMデビューでした
世代ど真ん中なのでこれは覚えていました(笑

お預かりしている「MG」は
ME系のカメラお約束のミラーアップしたまま固着の状態です。
このままだとオートが動作するのかどうかも
全く判断できないので
まずはミラーアップを解消して他の機能を
チェックすることになります
ミラーアップしたままなので
基本的にファインダーは真っ暗なのですが
強い光をマウント側からあてると
隙間から少し光が入り
うっすらぼんやりとファインダー内の様子がわかるのですが
そんなよく見えない状態でもはっきりわかるほど
ファインダー中央に濃い縦線が1本は入っているのがわかります。
プリズムが腐食してしまっているようです。
これは交換で対処いたします。

ME系のミラーアップは横走り機でよくある
シャッター幕の走行不良等の原因ではなく
ミラー駆動部のゴムリングブッシュが溶解して粘着質となり
そのブッシュが巻かれている部品の動きを
妨げていることが原因です。
今回も少々の力では全く動かないほどに固着していました。
溶解したゴムブッシュをキレイにこそぎ落とし
溶剤でキレイに清掃し
代用のプラスチックブッシュをはめ込みます。
MGは内部回路も随分効率化されているのですが
MEで採用されていたミラーボックス脇の配線ソケットが
省略されたせいでミラーボックス脱着に
MEの倍くらいのハンダ作業が必要となってしまっており
なかなか面倒なカメラです。
部本点数が減った代わりに手間がかかるようになったわけですね。
さらにME系はお約束の内部モルトが
いたるところに使われていて
もちろんそれもベタベタに劣化しているので
それも全てキレイに剥がして張り替えます。
意外といろいろ手間のかかるカメラです。

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オリンパスOM-1のカメラ修理

今日は7月15日、いわゆる「中元」で「お盆」なのですが
本来は旧暦の7月15日なのですよね
日本では明治6(1873)年にグレゴリオ暦(新暦・太陽暦)を採用し
その際に新暦7月15日に盆を行うことを原則としたのですが
日本の多くの年中行事は旧暦を基にしていたため
年中行事によっては新暦の採用によって
季節が合わなくなるものも生じたようです
(七夕なんかもそうですよね)
特に新暦の7月15日が農繁期にあたる地域では
著しく支障があったため地方によってお盆の時期に違いがみられるようになり
新暦8月15日をお盆(月遅れ盆)としている地域が多いのだそうです。
私、こっち(関東)に来るまでは
お盆は8月15日前後で全国的なものと思っていたのですが
東京は7月15日なのですね。こっちに来て初めて知りました。
東北・北陸地方の一部もそうなのですね
他にも沖縄・奄美などでは旧暦7月15日としており
新暦に直すとお盆の日程は毎年変わり、時には9月にずれ込むのだそうです。
同じところにずっと住んでいると
当たり前と思っていることが日本国内だけでも
こんなにいろいろ変わるものなのですねぇ
私も広島から登用に来た時に
意外なものが常識で通用しなかったりで困惑したことが
たくさんあったような気がします。
まぁ、でもお盆はやっぱり全国的にも
8/13から8/16ですよね。
またお知らせいたしますがそのあたりは当店もお休みの予定です。

さてさて

本日は「オリンパスOM-1」のカメラ修理を行っています。
少しの間、OM-1の修理入ってこないなぁ…と思っていましたが
やはりありますね。
機種別でみると当店では圧倒的に多いのがOM-1の修理・整備です。
1972年7月に「M-1」として発売開始となり
1973年5月に「OM-1」に」改名されます。
オリンパスとしてはこれ以前に「FTL」という
「M42マウント」の一眼レフ機を発売していましたが
実質的な35mm判一眼レフ機としては
このOM-1が最初といってよいと思います。
他メーカーに比べると参入がかなり遅れましたが
実は一眼レフ機というだけの括りであれば
ハーフ判一眼レフの「ペンF」のほうが早い登場で
1963年に発売されています。
この時期だと他メーカーも一眼レフに参入し始めたばかりの頃ですね。
孤高の存在でハーフ判ブームもあり
好調だった「ペンF」も60年代末になると人気に陰りが出始めます。
それでついに35mm判の一眼レフ、「OM-1」の登場となったわけです。
後発メーカーですから
独自性をより高めて…というのもあったと思いますが
「OM-1」はそれまでの一眼レフの「大きい・重い・うるさい」を
徹底的に排除する方向で開発されました。
それが他に類を見ない「軽量コンパクトさ」と
シャッター音の「静かさ」を実現させました。
今聞いてもOM-1のシャッター音は何とも上品で
耳障りの良い音です。
で、個人的には巻上の感触が相当好みです。
抵抗感のない軽さではなく
独特の「シャリッ」とした手応えのある巻上で
何ともはや気持ち良いのですよね…

話が逸れました。
お預かりしているOM-1は
かな~り長い間、どこかに仕舞い込まれていたものと思われます。
保管状態自体は悪くはなく
接眼レンズやプリズムに多少のカビの発生が見られるものの
装着されていたF.ズイコー・オートS50mmF1.8には
フィルター部以外にはほぼカビもありませんでした。
しかしながら長期に放置していると
OM-1は例のモルト加水分解を原因とする
プリズム腐食が起こってしまいます。
今回も例外ではなく見事にファインダー視野下部に
腐食痕が見えています。
そして上カバーを開けてみるとベタベタになった
モルトがプリズムに貼り付いてしまっていました。
もうこうなると交換しかありません。
さすがにこれだけ動かされていないと
シャッター等の動きも悪くなっています。
動作しないわけではないのですが精度は全く出ていません。
スローガバナにも粘りが見られます。
電池室からは当時の水銀電池が入ったままとなっており
電池室の状態が心配されましたが
思ったほどのダメージではなかったのが不幸中の幸いでした。
もちろん露出計も再調整が必要です。

フィルム室に4本スタッド、プリズム留めは4本のバネ
露出計制御回路には「低照度自動警告回路」が組み込まれています。
かなり初期のOM-1でほぼ中身はM-1と同様のものです。
マウントネジはプラスで
巻上レバーはOM-1のものに替えられてたりで
やはりM-1とは異なる部分もありますが
どちらにしても1972年から73年初頭に生産されたものかと思われます。
M-1や初期OM-1は使われている樹脂部品の強度が
経年劣化で脆くなっているものが多く
非常に慎重な作業を求められます。
メーターや基板、接眼レンズ部が一体となった枠部分は
交換が効かない部分なので特に慎重に作業します。
中期以降のOM-1ではそれほど気を遣うこともないのですが…

これから本格的に分解整備を行っていきます。
おそらく何十年ぶりかに撮影に使わられる個体かと思われます。
それまで見てきた時代と全く異なる現代の風景を
レンズを通して調子のよくなったボディで
またフィルムに焼き付けてほしいものです。

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ミノルタオートコードのカメラ修理

今日は「ひまわりの日」だそうですよ
…といっても正確には植物の「ひまわり」ではなく
人工衛星の「ひまわり」です。
1977(昭和52)年のこの日に
日本初の静止気象衛星「ひまわり1号」が
アメリカのケネディ宇宙センターから打ち上げられたことに由来しています。
もちろん気象衛星「ひまわり」の由来は
植物の「ひまわり」で
常に太陽を向いているヒマワリのように
地球の方向を向いているという意味からきているそうです。
私が子供の頃、天気予報で
「「ひまわり」からの画像です」って言いながら
日本列島にかかる雲の写真が出てくるのが
毎日のように目にする光景でした。
最初の「ひまわり1号」は
1989年(昭和64年)6月30日に昭和が終わるのを見届けるように
運用を終えたのだそうです。
2号以降は鹿児島県の種子島宇宙センターから
打ち上げられていて
現在、運用されているのは
2014(平成26)年10月7日に打ち上げられた「ひまわり8号」であり
2015(平成27)年7月7日より運用されているそうです。
また、2016(平成28)年11月2日に「ひまわり9号」が
すでに打ち上げられており
2022年から運用を開始する予定であるそうです。
ひまわりの名も代々受け継がれているのですねぇ

さてさて

本日は「ミノルタオートコード」のカメラ修理を行っています。
国産ダイキャストボディの二眼レフを
代表するカメラといってよいと思われます。
ミノルタは二眼レフに非常に力を入れていたメーカーで
1937年には「実質的に」日本初の二眼レフといえる
ミノルタフレックスⅠを発売しています。
ミノルタフレックスはⅢ型まで発展し
ミノルタコードにモデルチェンジされ
さらに1955年にミノルタオートコードにモデルチェンジされます。
写りの評価の高いロッコールレンズ
シチズンシャッター、ハラキリ型とも呼ばれるピントレバー
セルフコッキング+スタートマーク式のセミオートマットで
フィルム装填も巻上も確実簡単
フィルムの平面性を考慮し、上から下へ巻く方式
ざっと思い浮かぶだけでも
非常に数々の利点や優れた部分が思い浮かぶカメラです。
実際に手にしてみても上から露出設定が確認でき
左手はボディを支えたまま
ほぼ右手だけの操作で巻上から撮影まで
スムーズにこなせるよく考えられた操作系となっています。
私も祖父から引き継いだオートコードLを持っていますが
いつ使っても使い勝手の良い二眼レフです。

お預かりしているオートコードは
オートコードの中でも1番人気のⅢ型です。
オートコードとしての最終モデルにもあたり
レンズコーティングも新しいタイプになり
220フィルムにも対応しています。
外観も非常にキレイな個体で
シャッターも精度はともかく普通に切れています。
ファインダーは少々汚れがありますが
それほど大きな問題があるほどではございません。
ただ、ピントレバーが全く動きません。
完全に固着してしまっています。
二眼レフのピント調整の固着は
オートコードに限らずよくあるトラブルで
発売されてから60年以上経過することもあり
かなり長い時間をかけて「がっちり」固着してしまっているものも多いです。
これを無理に動かそうとしても
ほぼピントノブやピントレバーを破損して
取り返しのつかないことになり頭を抱えるのがオチです。
特にオートコードは経年劣化もあり
ピントレバーそのものの強度が落ちていることもあり
無理すると簡単に折れてしまいます。
動かない、あるいは動きにくいものを
無理して動かすのは古い機械に対しては厳禁です。
でも「力」で何とか動かそうと思う方が多いのも事実で
オークションサイトとかを見ていると
レバーの折れたオートコードを割とよく見かけます。
それも絶対に気づいているはずなのに
それには一切触れず「状態は画像で確認してください」となっています(苦笑)
酷いものになると折れた部分が見えにくいような
(それでもクレームになるからギリギリで見えるような絶妙な角度)
アングルで商品写真を撮っているものもあり
本当に信用ならないなぁ…と苦笑いするしかないようなものも
よく見かけます。
すみません、話が逸れました
…というわけで無理してレバーが折れてはならないので
慎重にばらしてヘリコイド部の固着を解消することから始めます。

ヘリコイド部までたどり着くのは結構大変で
完全にレンズボードは外してしまわないといけません
で、ヘリコイド部そのもの(一番内側の金リング部)は
全く固着していなくて
その線条ヘリコイドを動かす銀リング側が
(ピントレバーが噛みこむリング)が
完全に固着してしまっています。
直接、力で動かそうとしてもビクともしません
無理に動かすのは厳禁なので
溶剤を入れて固まった古いグリスを溶かしながら
焦らずに気長に少しずつ動かします。
数時間そうこうしているうちに
やっとボロンと銀リングが外れました
外れさえすれば表面を清掃して磨き上げ
グリスを薄く塗りスムーズに動くように再組立てします。
こういう作業はなかなか時間がかかる上に
時間が読めません。
でも焦るとロクなことにならなりません
短気を起こして強引に作業…なんてもってのほかで
イライラしてもいけません
時間さえかけてゆっくりやれば
必ずどこにもダメージを与えずに外れると
信じて作業を行います。
なかなか根気のいる作業です(苦笑)

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