月別アーカイブ: 2021年2月

ペンタックスSVのカメラ修理

今日は「春一番名づけの日」なのだそうです。
何のことかと思ったら
「春一番」という言葉が初めて使われたことを
記念した日なのだそうです。
そもそも春一番とは冬の北風とは逆方向で
その年に初めて南から吹きつける強風のことです。
「その年に初めて」とはいいますが
通常、立春から春分の間にかけて吹く南風のことですね。
立春直前に全国的に南風が吹き気温が上昇した年もあったのですが
立春の前であったために
定義上、気象庁はこの風を「春一番」と認めなかったこともあるそうです。
なかなかその辺の判断は微妙ですよねぇ
人間が決めた定義とは関係なく自然現象は起きるものですし。。。
ちなみに今年の関東地方は2月4日、
立春の翌日に既に「春一番」が観測されています。
(今日現在、関東以外ではまだ観測されていません)
ここ数日また暖かくなってきましたし
このまま一直線に春に向かってほしいものです。

さてさて

本日は「ペンタックスSV」のカメラ修理を行っています。
いわゆる「アサヒペンタックス系」のカメラの末裔にあたります。
(SPまで含むかどうかいろいろ考え方はあるのですが…)
ここでいう「アサヒペンタックス系」とは
ペンタックス最初のカメラでもある「アサヒペンタックス(AP)」を
ベースとする一眼レフカメラです。
1964年に登場するTTL露出計搭載の「SP」も同じ系列ではあるのですが
「SP」は「SP系」として別に考えるほうがしっくりくる気がします。
(SPで内部構造もかなり変更されましたし)
今回の「SV」はアサヒペンタックス系の最終機といっても良いと思います。
正確に言うとSVよりも「S2スーパー」の方が後に登場するのですが
「S2スーパー」は「S2」を名乗りますが実際は「SV」から
セルフタイマーを省略したモデルです。
「SV」はその前身となる「S3」の後継機で
「S3」で実現した完全自動絞り機構に加えて
セルフタイマーと自動復元型フィルムカウンターを装備したものです。
機能的に追加されたのはその二つですが
ミラー駆動部やファインダー等、内部機構もかなりリファインされており
露出計を装備していないこと以外は
その後、数十年続くMFマニュアルカメラとしての基本的機構を
全て備えているカメラです。
つまり普通に70~80年代のマニュアルカメラが使える方ならば
それほど違和感なく使えるカメラになっているということですね。
(これ以前のアサペンだと半自動絞りだったり
カウンターは自動復元でなかったりとそれなりにひと手間と
慣れが必要かと思われます)
SVの「V」はセルフタイマーを意味する”Voraufwerk”の頭文字ということです
この時代のカメラにはSV以外のレンズシャッター機等でも
セルフタイマーレバー部によく「V」と刻印されてあります。
ただ、SVのセルフタイマーは非常にわかりにくい場所に設置されています。
通常、一眼レフのセルフタイマーというと
ボディ前面の目立つところにレバーがありますが
SVのセルフタイマーは巻き戻しクランク下がダイヤルになっていて
それをグルンと回転させてセットします。
これ、予備知識として知ってないとなかなかわからないと思います。

前置きが長くなりましたが
「SV」というか「アサヒペンタックス系」(SPより前)のモデルは
みんなそうなのですがシャッター幕が劣化・硬化していて
シャッターがまともに動作しない、あるいは動作していても
とてもとても正常にシャッターが走行できず
全くシャッタスピードの精度が出ない…という状態の個体が非常に多いです。
経年劣化なので仕方がない部分ですね。
シャッター幕の素材はいわゆるゴム引きで
布幕にゴムの層が組み合わされており
このゴムの層があるのでしっかり遮光できるわけなのですが
そのゴムが劣化してドロドロになったり
その後硬化して波を打ってしまっている状態になったりします。
今回のSVもシャッター幕がガチガチに硬化しており
特に後幕にいたってはシャッターをリリースしても
シャッター幕が走りだせないような状態でした。
シャッター幕交換は重整備ですし工賃もかなりかかりますが
ゴム引きのシャッター幕はやはり消耗品です。
今回のようにシャッターがまともに動作できないものに関しては
目に見えて交換が必要ですが
環境や個体差もありますが50年以上経過しているものは
やはり交換も考えなくてはならない状態になっていると思います。
ただSVはまだ比較的シャッター幕交換がやりやすいカメラで
それ以外の部分もシンプルで丈夫であるがために
シャッター幕を交換して各部の整備を行ってしまえば
また当分の間、安心して使える状態になるカメラだと思います。

画像は一通りの整備が完了後のものです。
黒のSVはちょっとレアですね。文句なしにカッコ良いです。
交換前のガチガチに硬化して波打ったシャッター幕に比べると
新品のシャッター幕のしなやかさは別次元のものです。
当然、スムースにシャッターは動作しており
他部分の整備も行っているので
巻上も軽く非常に気持ちの良い感触で
シャッター音も非常に上品な良い音になっています。
でもあくまでこれが本来の姿にかなり近い状態です。
(完全な新品になるわけではないので
完璧に本来の姿とはいいませんが)
SVは中古カメラ店とかに行くと
ジャンク箱の常連だったりすることも多いのですが
本来はこんなに使って気持ちよいカメラだということを
せめて今所持している方には知っていただきたいとは思います。

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リコーオートハーフEのカメラ修理

今日、2月14日と言えば
やはり「ふんどしの日」ですよね!(笑)
日本古来の伝統ある下着です。
日本人全員が「ふんどし」一枚は持っている、
そんな時代の到来を目標としている
一般社団法人・日本ふんどし協会が制定しています。
…なかなか志が高いというか…
なかなか今の時代それは難しいかも(笑)
私も正直言ってふんどし付けたことありません(汗)
日付は「ふ(2)んど(十)し(4)」と読む語呂合わせからです。
もうひとつ今日は「煮干しの日」でもあるのです。
「に(2)ぼ(棒→1)し(4)」という
なかなか無理のある語呂合わせからきています。
いわゆる出汁の元ですね。
個人的にはうどんの出汁の元というイメージかな。。
あぁ地元の呉の細うどんが食べたくなってきます。
子供の頃はイリコをそのまま食べたりとかもよくしていました。
。。。いや今でもたまに酒の肴代わりに食べてますね
煮干しとナッツを一緒に詰めたつまみなんかも売っていますものね
カルシウム不足を補うにはいいかもしれませんね

さてさて

本日は「リコーオ-トハーフE」のカメラ修理を行っています。
ハーフカメラといえばやはりオリンパスペンシリーズが
一番人気で有名ですが
オートハーフもハーフカメラを語る上で決して外せないカメラです。
オートハーフシリーズは1961年に初代がデビューし
マイナーチェンジを繰り返しながら1980年代初頭まで生産されます。
18年以上もの間、基本的な構造はほとんど変更なしに作られています。
可能な限りの撮影自動化に加え
女性のハンドバッグ、男性の上着のポケットに入るサイズの
小型化を目指して設計されたカメラです。
使用レンズは大口径レンズを搭載する「SL」を除いて
25mmF2.8レンズをシリーズを通して搭載し
ピント合わせの必要のない固定焦点とします。
セレン光電池を使用した露出計を搭載し
プログラムオートで自動露出
さらにオートハーフの一番の特徴でもある
ゼンマイ駆動による自動巻上で
まさに構えてシャッターボタンを押すだけでよいカメラに仕上がっています。
コンパクトな割に重量はそれなりにありますが
レンズの出っ張りもなく真四角なスタイリングは
今でも非常に新鮮で魅力のひとつだと思います。
本棚やテーブルの上とかにオートハーフをちょこんと置いてあるだけでも
ちょっと絵になりますものね。

お預かりしているのは1966年発売の「オートハーフE」です。
おそらく現存するオートハーフの中でも
「E」が一番多いのではないかと思います。
前面のアルマイト板にいろいろなデザインのパターンがあり
限定品等を含めると数えきれないくらいのバリエーションが存在するそうです。
「〇〇記念」といった感じでごくごく少数のみ作られたものもあるようで
その種類の数はもはやメーカーも把握できていないそうです。
レアなデザインで人気のあるものは
とんでもなく高値で取引されているものもあるそうです。

先に画像を出しておくと今回はこのデザインです。

いわゆるレッドフラワーと呼ばれているデザインですね。
これも非常に人気のあるデザインです。
いかにも60年代のデザインという感じがしますものね。
外観のコンディションもなかなか良く
シャッターも動作しているのですが
ゼンマイ部に油切れの兆候が見られ動きがあまりよくありません
動作音も少々苦しそうな感じです。
さらに露出計は全く作動しておらず
明るさに関わらず常に絞り開放でシャッターが切れる状態でした。
これはやはりセレン光電池の劣化により
ほとんど起電しておらず露出計が不動だったことが原因です。
オートハーフのセレンもなかなか状態の良いものを
確保するのが難しいのですが
今回は中古良品のセレンと交換することで対処しています。
以前も書きましたが
元々レンズシャッターは小さなバネの力でシャッターを駆動していて
ちょっとしたことで固着したり不動となったりするのは定番なのですが
オートハーフのシャッターはその大きさのせいもあり
さらに小さなわずかなバネの力でシャッターを駆動しています。
そのためほんのわずかな油シミが付着しただけでも
簡単のシャッターは固着します。
その上羽根が露出していて汚れやすいビハインドシャッターです。
今回はとりあえずしゃったーは動作していたのですが
分解時に念入りにシャッター駆動部の清掃を行い
必要最小限にほんのわずかな量だけ注油を行いました。
動きは明らかにお預かり時よりもスムーズになりました。

オートハーフ。。。収集癖のある方は
これに手を出すと泥沼にはまりそうで怖いカメラです。
私も人気のあるデザインのものを一通り集めたいと
考えたことが何度かあるのですが何とか思いとどまっています(笑)
基本性能も高くてデザインが良くて
さらにバリエーションが数えきれないほどあるなんて反則ですよね(笑)

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キヤノン7のカメラ修理

今日は「世界ラジオデー」だそうですよ。
さすがに最近はラジオ聴くこと本当に少なくなりました。
(たまにナイター中継聴くくらいかな)
昔はよく聴いていたと思います。
クルマで長時間移動していると
CDばかりじゃ飽きるのでラジオつけることが多かったし
仕事が外回りの頃にはなおのこと聴いていたかな
でもラジオと聞いて思い出深いのは
やっぱり小学校高学年くらいから中学校の頃にかけて
布団の中でイヤホンして聴いていた
AMラジオのラジオドラマやオールナイトニッポンかなぁ
好きなアイドルや女優さんが出ている
ラジオドラマはくまなくチェックしていたし
その頃全盛期だった鶴光のオールナイトニッポンはすごく面白かったし
その少し後にパーソナリティやっていた
中島みゆきのオールナイトニッポンも面白かったなぁ
エアチェックするために
FMも番組表とやたらにらめっこしていましたが
単純に聴いてておもしろかったのは深夜のAMラジオかな
また夜更かししていると怒られるから
家族にばれないようにイヤホンして布団被って聴くのが
背徳感があっていいのです(笑)
まぁ、あの時代ならではの楽しみだったかもしれませんね
そんなAMラジオももはや風前の灯火ですねぇ
あの音質が悪くてノイジーなのが味わい深いのになぁ(苦笑)

さてさて

本日は「キヤノン7」のカメラ修理を行っています。
「キヤノン7」の発売は1961年
既にニコンから「F」が出て2年ほど経っており
ペンタックスからも「S3」が発売されている頃で
時代は確実にレンズ交換式カメラに関しては
レンジファインダー機から一眼レフへ移行している時期でした。
キヤノンもそのあたりは重々わかっていて
1959年には初の一眼レフであるキヤノンフレックス
1960年には1/2000搭載のR2000を発売しています。
でもその頃のキヤノンの主流はまだまだ
高級レンジファインダー機であり
またそのブランドイメージも確立されていました
しかしながら時代の流れは確実に一眼レフに傾いていき
このキャノン7と後に出るマイナーチェンジ版の「7S」が
キヤノンレンズ交換式高級レンジファインダー機の
最後のシリーズになってしまいました。
「7」はそれまで30年近く作り続けてきた
レンジファインダー機の集大成ともいえるモデルで
最高速1/1000のシャッターを搭載し
ファインダー視野枠は35/50/85+100/135の4つを
手動で切り替えることができます。
(パララックス補正機能付き等倍採光式ブライトファインダー)
さらにセレン光電池式の露出計までも搭載しています。
シャッタースピードの設定に応じて
対応する絞り値を指針が差し
それに合わせて手動で絞り設定を行う方式です。
50mmF1.4レンズが付いて当時の価格は47,500円
大卒初任給が15,700円の時代です。
やはりかなり高価かつ高級なカメラだったことがよくわかります。

お預かりしている「7」はちょっとレアな
ブラック塗装の7です。
露出計が不動ということでお預かりしていますが
露出計周りに弄られた形跡もあり
メーター表示版の位置関係もおかしいですし
ASA設定も不動で設定ができません。
さらにメーター窓のアクリル板は破損しています。
通常、交換部品の確保が非常に困難なカメラなのですが
今回はご依頼者様から部品取りとして
同じブラックの「7」をもう1台ご提供いただいています。
メーター窓は交換しようにも取り外す際に
破損する可能性も高いので今回は
上カバーごと交換で対処します。
メーター不動ということでセレンの状態が
非常に心配されましたが
セレンそのものはしっかり起電しており
照度切替SW付近での接点接触不良が不動の原因でした。
シャッターはとりあえず一通り動作はしていますが
やはり高速域での精度は今一つで
そのあたりも含めて全体的に整備を行います。

画像は一通りの整備が終わった段階でのもので
装着しているレンズは当店のテストレンズです。
露出計は通常使用に全く問題ないレベルで精度も確保できています。
シャッタースピードも問題ないレベルになり
巻上も非常にスムーズになりました。
普段シルバーしか見る機会がないので
ブラックはやはり新鮮なイメージです。
黒ローレットのこの時代のキヤノンレンズが合いますね
70年代中期にはキヤノンの一眼レフというと
ブラックボディのイメージが強くなるのですが
この時代のキヤノンのブラックも良いですね。
もう少し様子見を行った後に最終チェックをして完成となります。
見違えるほど操作感も良くなったと思うので
ご依頼者様にも堪能していただきたいと思います。

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オリンパスペンFTのカメラ修理

今日は「レトルトカレーの日・ボンカレーの日」だそうですよ
1968(昭和43)年のこの日に日本初のレトルト食品である
「ボンカレー」が発売されたことが由来となっています。
ヒデキ感激!のハウスバーモンドカレーと並んで
昔からのレトルトカレーといえばボン・カレーですよねぇ
私とかのおっさんだとやはりパッケージは
昔の松山容子さんのものが思い出されますし
テレビCMでもはぐれ狼のパロディで
「3分間待つのだぞ」「じっと我慢の子であった」のセリフが
未だに強烈にイメージが残っています。
ところでボンカレーのボンはフランス語の形容詞で
で「良い(優れた)、おいしい」という意味だそうです。
ただ、この商品名を決定する際に
一人暮らしの男性でも温めるだけで簡単に食べられることから
「チョンガーカレー」という案もあったそうです。
うーん、もし「チョンガーカレー」で発売されていたなら
こんな同一名商品でロングセラーになっていなくて
途中で絶対に名前変えられていたでしょうね(笑)
ボンカレーはともかく今日は金曜日だから
私も夜ご飯はカレーにしましょう!
レトルトでもなくて近所の「ほっともっと」で
ロースカツカレーかな。。。(笑)

さてさて

本日は「オリンパスペンFT」のカメラ修理を行っています。
毎度書きますがペンFシリーズは
世界でも例を見ないハーフ判専用の一眼レフカメラです。
ハーフ判カメラ自体が日本でしか
あまり普及しなかったという側面もありますが
オリンパスらしい非常に独創的なカメラです。
メカ構造的にも通常の一眼レフカメラとは全く異なり
整備・修理する場合もペンF系ならではの留意点がたくさんあります。
「FT」は最初に登場した「F」をベースに
巻上をダブルストロークからシングルストロークに変更し
第三反射面のミラーをハーフミラーに置き換えることで
そこに入ってくる光の一部を透過させ
受光体(CdS)に送り露出計を制御します。
さらにペンFで花文字がデザインされていた部分には
セルフタイマーを装備しています。
露出計やセルフタイマーが装備されたことで
機能的には進化しましたが
第三反射面をハーフミラーとしたことで
ファインダーは少し暗くなり
シングルストロークとしたことで
巻上角は非常に大きくなり
ストラップ金具に引っかかってしまうこともあります。
なかなか全てが進化して良いことづくめとはいかないようです。

お預かりしている「ペンFT」は
シャッターは動作しているのですが
ファインダーを覗くと一見してわかるほどの
ハーフミラー腐食で
全体に黒いシミ上の腐食痕が散見されます。
加えて露出計の動作が非常に不安定で
これは電池室の腐食が原因と思われます。
露出計の値自体もとてもそのまま使えるような精度ではなく
調整が必要な状態です。
装着されているFズイコーオートS38mmF1.8レンズは
絞り羽根に油シミが多く羽根清掃が必要です。

画像は一通り整備が完了した段階でのものです。
清掃注油等を行った上での調整を行っているので
動きが落ち着くまですこsばかり様子見の段階です。
今回はシャッターには大きな問題はありませんでしたが
ペンF系で多いのはガバナ関係のトラブルと
ミラー駆動部関連のトラブルです。
今回もチェックを行った上でそういうトラブルが起きないように
一通りの整備を行っています。
外観もできる限り磨き上げたので
なかなかキレイな1台に仕上がりました。
この後、最終チェックと微調整を行って完成ですが
ご依頼者様にも存分に楽しんでいただければと思います。

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オリンパスXAのカメラ修理

本日は全国的に
「建国記念日」ということで祝日ですが
個人的には1年前のこの日の夜に
脳梗塞(正確には延髄外側梗塞)で救急搬送されたのです。
あれから1年、最悪の状態の時には
自力で立ち上がることもできず
目を開けるだけで強烈な回転性のめまいに襲われ
目の焦点も合わず
ほんのわずかな水も飲みこめないほどの嚥下障害等々
「もう普通の生活には到底戻れないんじゃないか」と
覚悟しましたが
おかげさまで何とか普通に仕事もでき
日常生活を送れるほどに回復しています。
まだ左顔面及び首下右半身の温痛覚障害や
左目視力が不安定だったり
ふらつきや微妙にまっすぐ歩けない等々、問題も多々ありますが
1年経過しましたし、さすがにこれ以上は回復しないのかもしれません
それでもほんの少しでもまだ回復する可能性がないともいえないので
さぼらずに毎日リハビリは行っていきます。
刺激を入れ続けないと悪化しそうな気もしますし(汗)
人生死ぬまで修行ですよねぇ。。。
なかなか楽はできません(笑)

さてさて

本日は「オリンパスXA」のカメラ修理を行っています。
昨日のブログで「OM-1」の修理依頼が
圧倒的に多いという話を書きましたが
メーカー別に考えてもオリンパスカメラの修理は多いのですよね
オリンパスのカメラは軽量コンパクトを突き詰めた機種が多く
そのため独創的な構造をしているものも多いのです。
言い換えると他メーカーが大きさに余裕をもって
堅牢性や整備性を確保している中、
ギリギリの設計をしている部分も正直見受けられます。
現行モデルでいるうちには全く問題なかったと思いますが
そのため経年劣化に多少弱いところもあり
トラブルも起こりやすいともいえると思います。
ただし、定期的に整備を行える機種(当店では行えないものも多いです)であれば
決して壊れやすいカメラではありません。
何よりも他メーカーの機種では代わりがないようなカメラが多いのが
オリンパス機の魅力かな。。。とは思います。
今回の「XA」も間違いなくそういうカメラです。
スライド式のレンズバリアでレンズキャップを不要とする画期的デザインで
この後のコンパクトカメラに同様のデザインのものが次々と出てきました。
画期的なデザインだけではなくハーフカメラ並みのコンパクトさで
35mmフルサイズ版、単焦点35mmF2.8レンズ
さらにレンジファインダー装備で
絞り優先AEで撮影ができるカメラなんて他にはなかなか存在しません。
XA2以降のXAシリーズはプログラムAEで目測ゾーンフォーカスとなったため
尚のこと初代XAが機能的にも際立つ存在になっています。

ただし、正直言ってトラブルは可能性は少々高めのカメラだと思います。
今回お預かりのXAもシャッターが全く切れません。
これもXAならではのフェザータッチのシャッターレリーズの
接触不良のトラブルも非常に多いのですが
今回はまずは根本的に電源が入りません。
まずは定番の電池室周りからチェックしていきますが
おそらくかなり長い間電池を入れっぱなしだったと思われ
液漏れ跡はないものの電池から出るガスの影響で
配線はものの見事に腐食しており完全に断線しています。
腐食は配線だけにとどまらず
基板の一部まで広がっている状態でした。
配線はもちろん交換で基板の一部や清掃や磨きで対処します。
XAの修理となると毎回必ず問題になるのが
ファインダー内に表示される露出計です。
XAは受光体(CdS)が2つ装備されており
片方はオート制御に使用され
片方はファインダー内に表示されるためにだけ使われます。
なので両方のCdSが劣化なく明るさによって抵抗値が変化していれば良いのですが
XAの場合、ファインダー表示用のCdSがほぼ間違いなく劣化して
正しい値を示すことができません。
ただオート制御側のCdSは問題ないものが多く
ファインダー表示にはおかしな値が出ていても
オートそのものは正常に動く場合が多いのです。
おまけにこの2つのCdSは特性が異なり入れ替えることはできません。
さらにオート制御用のCdS回路は細かく調整が可能な構造ですが
ファインダー内表示の回路は調整箇所が基本的にありません
とはいえファインダー内表示が実際の動きと異なるのは問題なので
今回もできる限り一部抵抗を変更したり
いろいろ調整を行ってまずまずの値が出るように調整しています。
なにせスペース的にもとにかくギリギリなので
何を行うにしても苦労の多いカメラであることは間違いないです。

修理不能で返却することも正直言うと多いカメラです。
今回は何とか安心して使えるレベルに修理・整備することができました。
画像に写っている専用フラッシュA11は
当店では修理・整備は行っていないので
今回は発送等の動作チェックのみ行いました。
今のところは問題ない状態だと思われます。
フラッシュ外すとほんとに小さいのですよね
XAも修理を行うたびに自分用に1台欲しいと思うカメラです。
なかなかうまく縁がなくて(せっかく入手した程度の良いものが
部品取りになったりして)自分用のXAが実現しませんねぇ
先程も書きましたが機能的にもスペック的にも
他で代替ができないカメラだと思いますし
歴史的にも価値があるカメラだと思います。
程度の良いものが存在しているうちに
何とか1台キープしておきたいものです。

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オリンパスOM-1Nのカメラ修理

今日は「左利きグッズの日」なのだそうですよ。
もともと日本独自の「左利きの日」であったのですが
その後「左利きグッズの日」に改称されたのだそうです。
日付は「レ(0)フ(2)ト(10)」と読む語呂合わせが由来です・
世界的には8月13日が「左利きの日」とされているのですが
日本ではお盆真っ最中のため
イベントが開催しづらいとの理由で2月10日となり
その後、改称されたのだそうです。
うーん、私も生粋の左利きでお箸も書くのも左で
右利きと同じなのはギターと
子供の頃習った習字の大筆くらいですねぇ
(なぜか小筆は右で書けない(苦笑))
でも子供の頃から右利き用のものを
左で扱うことに慣れてしまっているので
今更、ハサミとか左利き用を使っても逆に難しいのですよねぇ(笑)
えっと…他に左利き用が比較的用意されているものは…
カッター、定規、鉛筆削り、扇子、急須、
フライ返し、コルク抜き、スライサー
うーん、左利き用じゃなくても良いものばかりのような気が…
慣れって意外とすごくって何でも何とかなっちゃうのですよねぇ
おまけに昔は今ほど左利き用の道具なんて
おそらく手に入らなかったと思いますし…
まぁ左利きなことで数えきれないほど
いろいろ気を遣うことは多かったと思います。
それもいつのまにかどれも大した問題ではなくなりましたねぇ

さてさて

本日は「オリンパスOM-1N」のカメラ修理を行っています。
今月も何台かOM-1系の修理が入っていますよ
やはり機種別でみて修理依頼が多いのは
ここ数年圧倒的にOM-1です。
「1N」は1979年に発売されたOM-1のマイナーチェンジ版です。
フラッシュ関連の変更が行われた以外は
基本的な機能はOM-1と全く変わりません。
ただ、内部部品の変更はかなり行われており
「1」と「1N」だと意外と部品の互換性がなかったりします。
「OM-1」のデビューが1972年、基本的にはほぼ同じ機能の
「1N」の発売が7年後、後継ともいえるOM-3の発売が1984年…
こうしてみるとOM-1が非常にロングセラーだったことがわかります。
それだけ基本設計が優れていた証かと思われます。

お預かりしているOM-1Nは
全く露出計が動かないとご依頼者様から聞いておりました
宅配便でお受けしてその時点では確かに露出計が動かず
電池室の状態は良好なので
「もしかしたらメーター本体かな…」と予測していたのですが
実際に修理に入る前に再度現状チェックを行うと不安定ながら
動作しています。
何度か電池を出し入れしていると
全く動かなくなってしまうこともあるので
端子の接触不良かハンダ不良かと思われます。
少々話が逸れますが
このときに使用電池はいわゆる電池アダプタを使っていたのですが
LR44やLR43を使う電池アダプタだと端子の形状や
アダプタや電池の形状のわずかな誤差で
マイナス端子側(ボディ側端子)に電池の(+)部分が
触れてショートしてしまうことがございます。
比べてみるとわかるのですが本来の水銀電池と比べると
電池のマイナス部分が狭く
その分プラス部分が広くなってしまい
OM-1のように電池室の端から端子が出ているタイプの電池室だと
プラスが触れてしまうこともあるようです。
今回は配線の交換や再ハンダに加えて
念のため端子の端部分には絶縁処理を行いました。
露出計はそれで解決したのですが
測定器で計測してみると高速シャッターの精度が全く出ていません。
いつもの整備の一環で幕軸やガバナー、調速部の清掃を行い
最終的に微調整を行い精度を確保していきます。

装着しているレンズは当店のテスト用レンズです。
少し様子見を行っていますが
今のところシャッターも露出計も動きは非常に安定しています。
もう少し時間をおいて最終的なチェックと
必要であれば若干の微調整を行って完成となります。
毎度、整備をしていて思いますが
OM-1独特のシャリっとした巻上は何とも言えず気持ち良いですね
ミノルタXEとかのひたすら軽く少しヌメっとした感じの
巻上も気持ち良いですがOMの巻上はそれとはタイプが異なりますが
また違った魅力に溢れています。
そういう部分に楽しみを見出してしまうと
カメラの台数が増えてしまうのですよねぇ。。。困ったものです(笑)

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キヤノンフレックスR2000のカメラ修理

今日は「ニッパーの日」だそうです。
2月8日ということで語呂合わせですね。
…と、この字面だけ見て
私が仕事でも使い、たまにやっているプラモ製作でも
大活躍の工具の「ニッパー」だと思い込んでいたのですが…
ここでいう「ニッパー」はいわゆる「ビクターの犬」です。
私と同世代以上の方なら昔お馴染みだったと思うのですが
蓄音機に耳を傾けて聴いているあの白い身体に黒い耳の
ビクターのロゴにも使われているあの犬です。
へぇ~ちゃんと名前があってニッパーっていうのですね!
知りませんでした。。。
私の実家にはじいさんが私に同様のレコードを聴かせるために
奮発して買った(と思われる)70年代ならではの
家具調の立派な4ch対応のビクター製ステレオがあって
購入時についてきたと思われる20cmくらいの
「ビクターの犬」の置物がそのステレオの上に置いてあったのだけど
名前が「ニッパー」だったのですねぇ。。。
陶器でできていた立派な置物だったのですよねぇ
今でも持っていればかなり貴重なのでしょうが。。。(苦笑)
しかしながらそのビクターのステレオは今から考えると
当然たいしたスペックでもなかったのですが
やたら立派で場所を取るステレオだったなぁ。。。
おかげで私が高校卒業するくらいまでレコード再生や
ラジカセを繋いで録音に。。。
6時20分(当時の市民球場のナイターはこの時間に始まる)
になるとじいさんが大音量でラジオの野球中継を聴き。。。と
大活躍でした…懐かしいなぁ

さてさて

本日は「キヤノンフレックスR2000」のカメラ修理を行っています。
いわゆる「キヤノンRシリーズ」の際高級機です。
1959年5月にキヤノン初の一眼レフでもある
「キヤノンフレックス」がデビューし
翌月の6月にはあの伝説の「ニコンF」がデビューします。
ニコンFもデビュー当時からその時代としては最新技術の
「完全自動絞り」を実現していましたが
キヤノンRシリーズもまた異なるアプローチで
完全自動絞りを実現していました。
完全自動絞りというのはその後では当たり前となる
シャッターを切った瞬間だけ設定された絞りまで絞り込み
その瞬間以外の普段ファインダーを覗くときには
基本的に絞りは開放にしておくという機能です。
これのおかげで普段は開放の明るいファインダーでピント合わせや
構図の確認ができるわけです。
それまではシャッターを切るたびに手動で開放に戻したりとか
シャッターを切るたびに手動で絞り込んでいたりしたわけです。
この自動絞りの実現がその時代にまだ主流だった
レンジファインダー機から
その後の一眼レフの時代へ流れが変わるきっかけになったと思います。
で、キヤノンはその自動絞り機構を
「スーパーキヤノマチック」と名付けていました。
その後主流となる完全絞り機構とは少し異なり
レンズ側の絞りにもチャージを必要とするタイプです。
マウントもいわゆるスピゴットマウントとバヨネットを
融合させたキヤノン独自の構造で
絞りチャージはこのRマウントのみで終了しますが
マウント設計は後のFL,FDマウントに継承されていきます。
そんな鳴り物入りでデビューしたRシリーズですが
3年間の間に4機種を発売し
フレックスデビューの翌年に
当時の高性能の象徴ともいえる1/2000シャッターを搭載した
「R2000」が発売されます。
フレックス同様、底部トリガー式の巻上で
ファインダーは交換可能です。
スクリーンはフレックスのスプリットイメージから
フレネルマット式に変更されています。
正直言うと「Rシリーズ」は商業的には失敗と言えると思います。
高級機の分野ではニコンのシステム性に完敗し
比較的お求めやすい設定とされたモデル「RP」も
アサヒペンタックスSシリーズ、
ミノルタSR系の後塵を拝することになります。
スーパーキャノマチック独特の巻上の重さ(絞りチャージが必要なため)も
当時は不評だったそうですが
個人的にはキチンと整備されたRシリーズは
全く巻上は重くないと思っています。十分以上に気持ちよい巻上です。
その後のキヤノンとはまた異なる武骨なデザインは
何とも魅力的ですし
果敢に新しい技術を搭載する姿勢は非常に
キヤノンらしい部分が出ているカメラだと思います。
特にR2000は今となっては現存数も比較的少ないと思われます。
この時代のキヤノンならではの非常に個性的な1台です。

お預かりしている「R2000」は
ご依頼者様が10年ほど前に知人から譲り受けたものだそうです。
当時、既に分解品ということを聞いていて
そのためにシャッターが不調とのことです。
確認してみると1/2000にセットしてもどこにセットしても
スローシャッターで動作してしまいます。
うーん、分解されてこうなっているのであれば
嫌な予感しかしません(苦笑)
実は既に作業自体は完了していて
結果から言うとその分解時の組間違いに加えて
スローガバナに異様に爪が深くかかっていて
常にスローガバナが効いてしまう状態だったことが原因です。
それは比較的早い段階で何とかなったのですが
それ以上にシャッター幕軸や巻上部の油切れが酷く
清掃、注油してもなかなかシャッター幕の動きが安定せず
高速シャッターが不安定な状態から脱出するのに
かなり時間と手間がかかりました。

上の方で「R2000のスクリーンはフレネルマットに変更され。。。」と
書いていますがこの個体にはスプリットイメージが装着されています。
ファインダーもスクリーンも交換式なので
おそらく入れ替えたのでしょうね
ファインダーはともかくスクリーンは
やはり簡単に交換できるのが良いですね。
装着されているレンズは当店のテストレンズです。
随分、シャッターの動きも安定してきたので
もう大丈夫かと思われますがもう少し様子を見てから
最終チェックをお粉なって完成となります。
やはりFシリーズやAシリーズとは全く趣が異なりますね。
「ちょっと武骨なキヤノン」もカッコ良いと思います。

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ペンタックスMEスーパーのカメラ修理

今日はなかなかコメントしやすい記念日がないので
何か過去に起こったことの中から…と
少し調べてみると…
1979年2月7日に冥王星が1930年に発見されて以来初めて
その軌道が海王星の内側に入ったのですね。
このとき私、10歳になる直前でしたけど
よく覚えていますよ。
それまで太陽系の惑星は太陽に近い順から
「すいきんちかもくどってんかいめい」だったのが
「すいきんちかもくどってんめいかい」になってしまったのです。
小学生に私にもちょっとした事件でした(笑
冥王星は他の惑星に比べても極端な楕円軌道かつ公転面も大きく傾いていて
250年で太陽の周りを1周する間のおよそ20年間は
その軌道が海王星の内側に入り込んでいます。
なので1999年2月9日は再び冥王星のほうが
海王星より太陽より遠くなってしまっています。
ちょうどその頃から「冥王星は惑星というくくりでいいのか?」なんて
議論が始まり21世紀になると冥王星と同じような天体が
数多く発見されその中には冥王星より大きな星もありました。
結局2006年に冥王星はいわゆる「惑星」という括りから外れ
「準惑星」という区分に属する天体となりました。
冥王星が海王星より内側になって
これから20年は「めいかい」なんだなぁ。。。と
当時子供心に思っていて
20年後なんて遠い未来だなぁと思っていたのですが
とっくにそんな時間は過ぎて「かいめい」に戻ってからも
既に20年が経ってしまいました(汗)
そりゃ私も人生終わりかけの時期になるよなぁ(苦笑)

さてさて

本日は「ペンタックスMEスーパー」のカメラ修理を行っています。
「MX」以外のすべての「Mシリーズ」の基本となっている
「ME」にマニュアル露出モードを追加し
シャッターユニットも小変更し最高速1/2000が与えられたカメラです。
個人的にはMシリーズ最強のカメラだと思っています。
少しだけいいがかりをつけるとしたら(笑
プッシュボタン式のシャッター速度設定は
好みの分かれるところかもしれません。
しかしながらペンタックスはこのプッシュボタン式のSS設定を
後のAシリーズや中判の645シリーズにも継承します。
。。。ということは十分に使いやすく
支持されていたということですね。要は慣れの問題ですかね。
その部分はさておき
十分に小さく軽量なボディに1/2000シャッターで
マニュアル可能、さらに新規採用された
クリアーブライトマットスクリーンは非常に明るく
ピントの山も掴みやすい優れたファインダーを作り出しました。
巻上の感触も縦走り機としては非常に高い質感で
使っていて気持ちよいカメラだと思います。

ただ、ベースがMEということで
MEスーパーもME同様、
定番の「ミラーアップしたまま固着」というトラブルが起こります。
先日のSRTスーパーや同じペンタックスでもSPやMXのような横走り機の
ミラーアップトラブルはミラーアップしても
巻上てシャッターを切ることはできる場合も多いのですが
ME系の場合はミラーアップしてしまうと
巻上もできないパターンがほとんどです。
今回お預かりのMEスーパーもミラーアップしたまま
もはや何もできない状態です。
電源は入るのかオート・SSは制御できるのかも全くわかりません。
まずはこのミラーアップを何とかするしかない状態です。
過去のブログでも何度も書きましたが
ME系のミラーアップの原因はミラー駆動部に使われている
ゴムブッシュの劣化・変質による動作不良が原因です。
ブッシュは最大3ヶ所に使われています。
(生産時期により2ヶ所の場合や
そもそも対策済みでゴムブッシュが使われていない個体もあります)
そのトラブルの症状もミラーアップだけでなく
ミラーチャージができず巻上が滑るような感じになったり
巻き上げた瞬間にシャッターが切れてしまうような状態になったりと
いろいろな形のトラブルを引き起こします。
ゴム系の部品や加水分解を起こすモルトを使うのは
ある意味致し方ないとは思いますが
その場合はやはり定期的に交換や整備が必要ということですね。

おそらくかなり長い時間動かされることもなく
眠っていた個体かと思われます。
先述したようにまずはミラーアップを何とかしないと
他にトラブルを抱えているのかどうかも判断できない状態です。
画像は分解前でちょっとわかりにくいですが
ミラーアップしているのでレンズも絞り込んだ状態になっています。
この装着されている50mmF1.7レンズも問題が合って
後玉ユニット内でコーティングの変質による
激しいクモリが発生していてとても清掃では改善できない状態です。
他の程度の良いレンズから後玉ユニットをごっそり移植するか
どうするかを思案中です。
どちらも部品取りの確保に苦労するものではないので
少々何が起きても修理不能ということはないとは思います。
これから本格的に分解整備に取り掛かります。
まずはボディ側からです、
あまり厄介なことが追加で起こっていなければ良いのですが…

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オリンパスペンDのカメラ修理

今日は2月6日ということで
「風呂の日」ですよ。
私が生まれ育った実家には風呂がなかったので
物心ついたときから銭湯通いが当たり前で
でっかい湯船にゆっくり入るのが毎日の日課でした。
当然、近所の友達とかにもばったり会うのですね。
で、湯船の縁に腰かけたまま
「古今東西世界の国の名前」とか
「芸能人しりとり」とか始めるわけですよ(笑)
で、気が付いたら数時間経っていてもう銭湯も閉店時間
家に帰ると「わりゃどこの遠くのふろまでいっちょるんじゃ!」と
じいさんによくおこられたものです(汗)
この季節は例年なら近所の銭湯に
(中野区はまだ結構銭湯が生き残っています!)
週3回くらいは行くのですが
今年は例の入院以降右半身が温痛覚麻痺のため
湯船につかっても体の右側は全く温かさを感じなくて
(冷たくもなく本当にたとえようのない違和感)
あまり気持ちよく感じないので
今シーズンは一度も行っていないのです…(苦笑)
以前試したのは夏だから少しくらい改善しているかな
いや温痛覚麻痺はあまり変わっていないだろうなぁ
近いうちに一度はまた試してみようと思います。

さてさて

本日は「オリンパスペンD」のカメラ修理を行っています。
ペンDの「D」はデラックスの「D」です。
その名の通りペンの最上級シリーズです。
最初に無印の初代ペンが驚異的価格で登場したのが1959年で
翌年にはシャッターユニットが高級版のペンSが登場します。
さらにその2年後、1962年に「ペンD」が登場します。
何といってもF.ズイコー3.2cmF1.9の
大口径レンズの搭載がハイライトだと思います。
シャッタースピードもレンズシャッターの実質的な最高速ともいえる
1/500まで拡張されました。
さらにセレン光電池仕様の露出計まで内蔵されています。
この時代で考えられる最高級スペックの
ハーフカメラとなったわけです。
さらにこの後、受光素子がCdSへと変更され
D2、D3と続いていくわけですね。
ペン全体が非常に人気のあるカメラですが
その中でもペンDシリーズはさらに人気のあるペンだと思います。

お預かりしている「ペンD」は
レンズシャッターではお約束の羽根粘りが発生していて
それに関連してこれまたペンでは定番の
巻上げ時に1枚分で止まらず
2枚分進んでしまう…という症状が出ています。
この症状、巻上周りのトラブルかと思われがちですが
主な原因はこれもシャッター羽根粘りで
羽根が最後までキチンと閉まっていないため起こる症状です。
(外から見た感じでは一見閉まっては見えている)
場合によっては巻き上げている最中に
シャッターが開いてしまう場合もあります。
どちらにしてもとても普通に撮影できる状態ではございません。

心配されるセレン光電池の状態はあまりよろしくなく
露出計は常に+2段あたりを示しています。
起電量が少なく針の振りも足りない状態です。
セレン光電池と露出計の間の抵抗で
多少は調節できるかと思いますので
少しでも良い値が出るように調整しますが
あくまでもできる限りの調整となります。
セレン光電池を使用しているカメラは
仕方がない部分ではありますね。
まだ現状をチェックしただけで
これから本格的に分解整備に取り掛かります。
露出計はともかくシャッターに関するトラブルは
全く問題のない状態に修理していきます。
その過程でレンズやファインダーの清掃ももちろん行なっていきます。

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コニカC35E&Lのカメラ修理

今日は「プロ野球の日」だそうですよ。
1936(昭和11)年のこの日に
全日本職業野球連盟が結成され
プロ野球が誕生したことを記念して制定されています。
発足当時は7チームでその中には
現在の巨人・中日・阪神・オリックスの前身となる
チームも含まれています。
私は広島・呉出身なので
物心ついたときから親父やじいさんがカープの試合に
一喜一憂している様子を見ていましたし
テレビのチャンネルはカープの試合がやはり最優先でした
そんな中で育つから当然カープファンになるわけですよねぇ(笑)
さらに当時の呉・二河球場には南海ホークス(現在のソフトバンク)が
ちょうどこの時期にキャンプに来ていて
何度か練習を見に行ったこともありました。
だからプロ野球が比較的身近な環境ではあったかもしれません
今月から各地でプロ野球キャンプも始まっていますね。
今年の開催がどうなるか不透明な部分はありますが
今年は何回かはマツダは無理でも
神宮かドームにカープ戦見に行きたいですねぇ。。。
(現地で負けると数日ダメージを引きずるので
両刃の剣なのですが。。。(苦笑))

さてさて

本日は「コニカC35E&L」のカメラ修理を行っています。
1968年に最初の「C35」が発売され
「じゃーに~コニカ」の愛称で大ヒットしました。
他の各メーカーも同様のコンパクトカメラを次々と発売し
「お求め易く気軽に持ち出せて簡単に撮れる小さなカメラ」という
ジャンルが非常に活発になった時代だと思います。
今回の「E&L」は初代C35発売から3年後の
1971年の発売でC35から距離計を省略して目測式とし
セルフタイマーも省略してさらにお求め易くしたモデルです。
レンジファインダーの操作に慣れない方からすれば
目測ゾーンフォーカスのほうが簡単に思えるかもしれませんね
使用レンズは通常のC35と同じくヘキサノン38mmF2.8で
シャッターユニットも共通ですので(フラッシュマチック機構はなし)
撮影した写真は通常のC35と全く変わりません。
大きくは距離計の有無による使い方の違いだけです。

基本的に通常のC35と変わりないので
トラブルも通常のC35と同様のパターンです。
今回お預かりしているE&Lも
シャッター駆動部の粘りのため
(羽根駆動円盤部の動作不良)
シャッター羽根がゆーっくりとしか動きません。
場合によっては閉まり切らないこともあるようです。
もしこの状態で撮影に使ったならばまず間違いなく
写真は全て真っ白になると思われます。
もう一つの弱点である露出計は今回はとりあえず動作はしています。
ただ、電池室からの配線が腐食しているパターンや
電池室の端子を支えている樹脂部分の破損等が
非常に多いカメラなのでそのあたりのチェックも入念に行います。
使用電池は本来は水銀電池(MR44)ですが
現在のLR(SR)44がそのままフィットします。
しかしながら電圧が元々1.3Vで調整されているので
そのまま1.5VのLR44等を使うと2段近くアンダーとなってしまいます。
現在のネガフィルムの性能だと何とかそれでも写りますが
あまり良い露出とはいえません
今回のE&Lもそのままだと2段アンダーだったので
今回は1.5Vに合わせて露出計とオートの調整を行います。

E&Lはバルブがないので(あっても今回は粘りで使えなかったでしょうが)
分解前にレンズを透かして見ることができなかったのですが
外してみると思ったよりもカビ+小キズの多い状態でした
小さな拭きキズはどうにもならないのでそのままですが
カビはもちろんキレイに除去していきます。
幸い大きなカビ跡も残らず拭きキズは小さいものばかりですので
撮影にはほぼ影響ない状態に仕上げることができそうです。
シャッター駆動部の粘りはいつものことなので
円盤部の軸を清掃の上、ほんの少しだけ注油しておきます。
構造的にはシンプルなカメラですが
非常に効率的に作られていて整備性も良いカメラです。
露出の過不足によるロック機構が一切ないため
初心者の方は気をつけていただきたいですが
慣れた人だと少々アンダーだろうがオーバーだろうが
現在のフィルムなら何とか写るだろう。。。という場面でも
とりあえずシャッターを切ることができます。
意外とそういう場面は多くオート専用機だと
シャッターが切れない場面があると思うのですが
とりあえず分かった上で切ることができるのは
かなり便利だと思います。
話が逸れましたがこれから各部の清掃整備を行い
調整を行いながら組み立てていきます。

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