ニコンEMのカメラ修理

今日は「小学校開校の日」だそうです。
1869(明治2)年のこの日に
京都市に日本最初の近代小学校「上京第二十七番組小学校」と
「下京第十四番組小学校」が開校したのだそうです。
小学校かぁ…もう通ったのは
40年以上前のことになってしまった…(苦笑)
私の実家らから小学校は歩いて5分もかからないところにあり
忘れ物があっても10分の休憩時間に
家に取りに帰ったことが何度もあったなぁ…
よくよく思い出してみれば
イヤなこともケンカしたことも結構あったのだけど
その100倍くらい楽しいことしか思い出せないな(笑
まぁ記憶は美化されていきますし…
6年間通ったからいろんなことがあった
思い出深い小学校ですが
残念ながらもう数年前に廃校になってしまい
今や跡形もありません。
たまに墓参りのついでに通学路を歩くこともありますが
無常過ぎる時の流れに何とも切ない気分になります。
あ、今度、そのあたりの写真もちゃんと撮っておこう…

さてさて

本日は「ニコンEM」のカメラ修理を行っています。
1980年に発売されたニコン初のエントリークラスのカメラです。
輸出仕様は前年から既に発売されていましたが
海外での好調なセールスを受けて
フラッグシップのF3と同時に1980年3月に発売されました。
両機ともジウジアーロデザインで
これまでの武骨なイメージなニコンのカメラとは
異なる雰囲気で80年代の幕開けとも重なり
新しい時代を感じさせる両機でした。
ただ、EMは好調な海外でのセールスに比べ
国内では少々苦戦を強いられました。
それまでのニコンのイメージは
「高級機」のイメージが強かったので
「あのニコンが安物のエントリー機???」という雰囲気が強く
EMはなかなか受け入れられなかったようです。
EMの人気に火が付いたのは残念ながら生産が終わった後で
中古市場でそのデザインの秀逸さと使いやすさの
バランスの高さを評価されたからのようです。
今、改めてみてもエントリークラスでコストをかけられない部分が
それなりにあるのはもちろんわかりますが
それでも軽量コンパクトで非常に使いやすく
上手く造りあげられたカメラだということはよくわかります。
個人的には非常に好きなカメラのひとつです。

お預かりしている「EM」はそれなりの期間
仕舞い込まれていた個体と思われます。
おそらく10年以上は使われていないものと思われます。
それでも電池を入れれば露出計も動作しますし
それなりの動きが確認できます。
しかしながらエントリークラスということもあり
遮光はモルトに頼っている部分も多いのですが
そのモルトが劣化してモルト屑があちこちに入り込んでいます。
当然ながら光線漏れも確実に起こりそうな状態です。
現状で一番に気になるのはファインダー内で
覗いてみるとまさに「ゴミだらけ」の状態です。
おそらくシャッターユニット内にもそれなりに入り込んでいるとみられ
シャッター羽根の動きも少々不安定です。
さらに詳しいテストを行ってみて気づきましたが
オート制御…というか露出計制御が
絞りがF5.6より明るく設定すると一気に制御できなくなり
露出計を振り切ってしまうようです。
これはAi連動部の摺動抵抗の汚れ等が原因かと思われます。

まだ上カバーを外しただけの状態で
これからhンカクテキに分解整備に取り掛かっていきます。
80年代の電子制御機なので
プリズムは完全にフレキで覆われており
何を行うにしても厄介なカメラであることは容易に想像できます。
…とはいってもまだ「EM」はこの類のカメラの中では
整備性は良いほうです。
加えて妙な分解歴のある個体やショック品・水没品でない限り
電子回路関連のトラブルは少ないカメラです。
電子制御カメラなので通常の機械的整備に加えて
接点等の清掃を念入りに行えば大抵の場合
通常に動作すると思われます。
プラスチックを多用しているカメラなので
経年劣化で根本的に強度の足らない部分もありますが
(巻き戻しクランク部とか。。。)
それでもなかなか魅力のある1台だと思います。

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