カテゴリー別アーカイブ: カメラ修理

キヤノンAE-1のカメラ修理

今日はまたなかなかピンとくる
記念日のない日ですね…
ということで…過去の出来事を調べてみると
1978年4月27日(日本時間)に
日大遠征隊が日本人初の北極点に到達しています。
ここで少し気になったのですが
極点の現地時間ってどうなるの???
で、調べてみると
「現地時間は経度によって、つまり空の太陽の位置にあわせて決められる。
しかしこの方法は、経度の存在しない特異点である北極点および
南極点においては適用することが不可能である。
さらに、北極点には南極点と違い常住人口が存在しない。
そのため、北極点には特定のタイムゾーンが割り当てられていない。
このような理由により、北極点訪問のときには、
訪問者は任意のタイムゾーンを使用することができる。
多くの場合、グリニッジ標準時
または出発国のタイムゾーンを使用するのが一般的である」だそうです。
やはり極点って特殊な場所なのですねぇ
全然北極点とはスケールが全く違いますが
子供の頃に住んでいる町の最北端とか最南端とか
とにかく端っこにやたらと行きたがりましたよねぇ(笑
今でも三浦半島とか房総半島の端っこに行きたがりますものねぇ…
最「〇」端ってワードに弱い傾向があるようです。
まぁでも身近で気軽に行ける範囲しか行こうなんて思いませんが…

さてさて

今日は「キヤノンAE-1」のカメラ修理を行っています。
「AE-1」の修理整備依頼も比較的多いですね。
やはり相当な数が売れた大ヒット商品なので
現存数も多く、家で眠っていたカメラが「AE-1」なんて
パターンは多いのかもしれません。
当時としては革新的な電子制御カメラです。
「電子制御シャッター機」や「シャッタースピード優先オート」自体は
「AE-1」登場よりももっと以前から存在した機能ですが
世界初のマイクロコンピュータ搭載機で
電子制御技術を一気に身近なものにして
いわゆる普及機クラスに一気に浸透させたのが「AE-1」だと思います。
キヤノンは時代の節目節目にこういう
ブレイクスルー的カメラを登場させることが多いですね。
事実、「AE-1」の登場やそれに続く「Aシリーズ」の各モデル登場により
時代は一気に電子制御機さらにマルチモード機へと進み
低価格化・高機能化についていけなくなった
中堅メーカがいくつも一眼レフの開発製造から撤退することにもなっています。
そういう意味でも「AE-1」の登場は衝撃的だったと思います。

中身を見てみると意外な程にアナログな部分もまだ残っていて
後の「AE-1P」あたりと比べると時代の差をかなり感じます。
電子回路自体はトラブルも少なく
ショック品や水没品、妙な分解品でない限り
それほど致命的なダメージを抱えているものは少ないかと思われます。
それでも今回お預かりの「AE-1」もそうですが
定番のシャッター鳴きや各部駆動部の動作不良は
経年劣化もあり整備の必要な状態です。
今回の「AE-1」はそれに加えてシャッタースピードが非常に不安定です。
高速シャッターだと計測器と測らないとわかりませんが
わかりやすい低速シャッターで切っていても
切るたびに明らかにシャッタスピードが異なるのがわかります。
そしてバルブが全く効かず高速シャッターで切れてしまいます。
後幕制御のマグネットの吸着不良に加え
レリーズ機構に動作不良があるようです。
これも症状で原因はある程度把握できるので
それを踏まえて分解整備を行っていきます。

フレキの扱いもそうですし
気軽に触れてはいけない部分もあるので
やはりそれなりに神経は使うカメラです。
それでもこの類のカメラとしてはかなり整備性は
良好なほうだと思います。
こういうカメラを扱う時はいつも以上に
はんだごての小手先の手入れも入念に行って
素早く最小限でハンダが行える状態で取り掛かります。

↓ をクリックすると「東京フィルムカメラ修理工房」のホームに戻ります。

リコーオートハーフSのカメラ修理

今日は「わらびもちの日」だそうですよ。
ワラビの旬が始まるのが4月で
「わらびもち」の特徴の「ぷるぷる」感から
「ぷ(2)る(6)」と読む語呂合わせで
4月26日を記念日としたものだそうです。
軽く冷やして食べると日によっては
暑さも感じるこの季節にちょうど良いですよねぇ
ひんやりぷるぷるした食感がたまりませんねぇ
そんなに無茶苦茶大好物というわけではありませんが
昔から馴染みのある食べ物ですし
見かけると食べたくなってしまいます。
少し調べてみると
「わらびもち」は醍醐天皇(在位:897年から930年)が
好んだとされるほど古くからあるお菓子なのですね!
わらび粉はワラビの地下茎から得られるデンプンですが
高価なので芋、タピオカ、葛(クズ)などの
デンプンを混ぜたものを用いる場合も多いのだそうです。
そんなに高級なものでなくても良いので
ひんやりぷるぷるの食感がやたら味わいたくなってきました。
今日も4月とは思えないほど暑いですものねぇ
近所のスーパーにないかなぁ…あとでちょっと行ってきます!(笑

さてさて

本日は「リコーオートハーフS」のカメラ修理を行っています。
オリンパスペンと並んでハーフカメラを代表するカメラですね。
オートハーフはハーフカメラならではのコンパクトさもさることながら
できる限りの「自動化」を組み込んだカメラでもあります。
とにかく「簡単に撮れること」を追求したカメラなのですね。
露出はセレン光電池を使用する露出計と連動して
プログラムオートとして
ピントは固定焦点でピント合わせも不要
極めつけはゼンマイ仕掛けの自動巻上です。
撮影者が行うことは構図を決めてシャッターボタンを押すだけです。
1960年代に電池を一切使わずにこれだけの機能を搭載しているのは
本当にすごいと思います。
今回お預かりしている「S」はセルフタイマーが装備されているので
「S」なわけですが内部機構もも直され
シャッターボタンがボディ上部に移動しています。
ボディ前面もアルマイト板とされ
このモデルからよくみかける「オートハーフ」の形になっています。
1965年発売です。

お預かりしている「S」はまずシャッターが固着して動作しない状態でした。
それに加えてシャッターが切れないので
試しにセルフタイマーもチャージしたのだと思われますが
そのセルフタイマーも固着してチャージ状態で固まってしまっています。
他、大量にフィルム室裏ブタ部に使用されているモルトは
やはりボロボロに劣化していて
ファインダー、レンズも曇っている状態です。
いずれにしてもそのままでは全く使えない状態で
当店にやってきました。

画像は一通り整備が完了した状態でのモノです。
シャッターは快調に動作するようになり
セレンもしっかり起電して露出計も元気に動作しています。
連動して制御されるプログラムオートも
精度的にも全く問題ない状態になっています。
レンズもファインダーもできる限りの清掃を行い
元々あった多少の細かい傷やわずかなカビ跡はございますが
実際の撮影にはほぼ影響ないレベルです。

レンズシャッター機はもともと非常に小さなバネの力で
シャッター羽根を駆動していて
汚れや油分が羽根や駆動部に付着することで
固着や動作不良が起こりやすいものですが
オートハーフのシャッターは通常のレンズシャッタより
さらに小さな力で繊細な羽根を駆動しているので
ほんのわずかな油分や汚れの付着で簡単にしゃったーが固着します。
登場から60年近く経った状態でそのままで
普通に動くほうがおかしいと思えるほどの
デリケートさを持ち合わせています。
ただし構造自体はシンプルなのでしっかり清掃整備すれば
機械的な動き自体は取り戻せると思います。
ただセレンに関しては状態によってはなかなか難しいモノがありますが…

今回は全く問題なく撮影に使える状態になりました。
これから最終チェックを入念に行って
問題なければ完成となります。

↓ をクリックすると「東京フィルムカメラ修理工房」のホームに戻ります。

リコーフレックスⅦのカメラ修理

今日は「歩道橋の日」だそうですよ。
1963(昭和38)年のこの日に
大阪駅前に日本初の横断歩道橋が完成したことが記念日の由来です。
東京で初めての横断歩道は
同じ1963年の9月10日に五反田駅前に完成したのだそうです。
いずれも思っていたより比較的近年なのですねぇ
高度経済成長期で自動車による
交通事故が急増したことへの対策だったそうです。
その後も歩道橋の整備は進み
交通事故を大きく減らすことに貢献しました。
しかし、その一方で自動車を優先し
高齢者や障害者などの歩行に
大きな負担を強いるものだという批判もあったのだそうです。
まぁ確かに自分が少しある気が不自由になって実感しますが
歩道橋の階段は確かに負担ではありますね…
私の生まれ育った実家のすぐそばにも
片側2車線国道にかかる螺旋階段の歩道橋があって
小・中学校生時にはほぼ毎日渡っていました。
幼い頃にはちょっとした遊び場でもあり
非常に思いで深い場所になっています。
改修を繰り返しながらも現存しているので
比較的最近も渡ることがあり、写真も撮ってきましたが
何とも感慨深いモノがありました。

さてさて

本日は「リコーフレックスⅦ」のカメラ修理を行っています。
昨日に続いて50年代の二眼レフですね。
それもまたもや前玉回転式ピントギアリングの二眼レフです。
リコーフレックスのイメージが強い
前玉回転式ピントギアですが元々はコダックフレックスを
参考にしたものでリコフレがこの形になったものも
1950年発売の「Ⅲ型」からとなっています。
今回の「Ⅶ」は1954年発売のモデルです。
ピントギアや軽量なプレスボディ、赤窓式
3群3枚リコーアナスチグマット80mmF3.5のレンズなのは
それまでのモデルと変わりませんが「Ⅶ」には
ファインダーフードにアイレベルのコンツールファインダーが
組み込まれています。
シャッターユニットも今回お預かりの「Ⅶ」は
ベーシックなB・1/25・1/50・1/100のモノです。
同時代にもっと高機能な二眼レフも存在しますが
リコフレの良いところはこのシンプルさと
二眼レフにしては軽量コンパクトなボディだと思います。
シンプルな故に使い方には慣れも必要ではありますが
赤窓式に慣れてしまえば反対にわかりやすい使い勝手かと思います。

お預かりしている「リコフレⅦ」は
シャッター・絞り羽根に粘りありで動作不良
ファインダー、レンズにはカビ・クモリ
ファインダーミラーも劣化が酷く要交換
そして定番のピントギア固着…等々
とにかく全体に汚れが酷く
動きが固まってしまっている個体でした。
それでも致命的な破損等はなく
動きにくいところに無茶な操作をされた形跡もなく
「整備前提」で考えれば「悪くない」状態です。

画像は既に一通り整備の完了した状態でのモノです。
少し動きが馴染むまで様子見をしている段階ですが
ピントギアも滑らかに動き
シャッター羽根、絞り羽根も快調に動作するようになりました。
もともとファインダーはそれほど明るくはないですが
スクリーンもクリアになり
みらーは交換を行ったので
ピント合わせはかなり快適でファインダー像もクリアです。
これで当分、安心して撮影を
お楽しみおいただけると思います。
これから最終チェックを行い問題なければ完成となります。

↓ をクリックすると「東京フィルムカメラ修理工房」のホームに戻ります。

ビューティフレックスのカメラ修理

今日、4月24日はこれといって
ピンとくる記念日がない日ですね…
ただ、毎月24日は「ブルボン・プチの日」ですね。
スーパーのお菓子売り場の端っこによく
立てて陳列されているブルボン・プチシリーズ
量が少しでちょっとしたつまみやおやつに
ちょうど良いサイズなのですよねぇ
スーパーに行ったときに目につくと
「まぁ、2,3本買っておくか…」と
ついついカゴに入れてしまいます(笑
ビールのつまみになりやすい
「うす焼き」とか「えびせん」を買うことが多いですが
お茶請けにちょうど良い甘いものも多くあるのですよね。
で、なぜ24日が「プチの日」かというと
「ブルボン・プチシリーズ」が24種類だからなのだそうです。
食べたことないモノのほうが多いですねぇ
いつも良く買うプチを周りまでよく見ずに
適当に買っていることが多いので
今度はじっくり品定めして
いつも買わない「プチ」も試してみます!

さてさて

本日は「ビューティフレックス」のカメラ修理を行っています。
太陽堂光機で造られた二眼レフですね。
太陽堂光機は比較的近年まで神保町で営業していた
「カメラ太陽堂」を母体とするメーカーで
1950年代に「ビューティ」のブランド名で
蛇腹カメラや二眼レフ、レンズ固定式のレンジファインダー機を
いくつも生産していました。
残念ながら1957年に太陽堂光機は倒産し
太陽堂はカメラ店として2013年まで営業していました。
太陽堂光機は小さなメーカーだったので
なかなか詳しい資料等が見つからず
二眼レフの「ビューティフレックス」も15種類ほど存在するようなのですが
正直、詳しいモデル名まではなかなか把握できていません。
修理整備する分には詳しいモデル名はわからなくても
さほど問題はないのですが…

今回お預かりしている「ビューティフレックス」は
ここでよく登場する「リコーフレックス」のように
ピント調整が前玉回転式でレンズ枠に取り付けられた
ギアでテイクレンズとビューレンズが連動して
繰り出されるタイプです。おそらくモデル名は「V」かと思われます。
非常にシンプルで整備性の良い方式ですが
やはり今回のビューティフレックスも
リコーフレックスでよくある事例のように
このギアが固着しかかっています。
全く動かないわけではないのですが
かなりギアリングは重く、この重い状態で過去無理に動かしていたせいか
ビューレンズ側の距離計指標は位置が完全にズレています。
で、ビュー側もテイク側もやはりピントがズレてしまっています。
レンズは「Doimer Anastigmat 8cmF3.5」ですが
やはりかなりカビ・曇りがある状態です。
それでもしっかり清掃すれば実際の撮影には問題ない状態にはなりそうです。
シャッターもかなり固着気味で全く切れなくはないのですが
かなり粘っていて羽根はゆっくりとしか動かなかったり
たまに開いたままになったりととても撮影に使える状態ではありません。
しかしながらこちらも大きな破損等はなさそうなので
一通りの整備で本来の動きを取り戻せれば
問題なく使える状態にはなりそうです。

まだ現状をひととおり確認している状態です。
問題のある個所は一通り確認できて
それの対処も問題なく行えそうな目処が立ったので
これから本格的に分解整備取り掛かります。
赤窓式のシンプルな二眼レフなので
ある程度使いこなしに慣れは必要ですが
慣れてくるとこのシンプルさが心地よく思えてきます。
しっかり整備して心地よい使い心地を
ご依頼者様にも存分に楽しんでいただきたいと思います。

↓ をクリックすると「東京フィルムカメラ修理工房」のホームに戻ります。

ヤシカエレクトロ35GSのカメラ修理

今日は「道の駅の日」だそうですよ。
103ヵ所の「道の駅」が第1回登録された
1993(平成5)年4月22日が由来となっています。
「道の駅」ができ始めてからもう30年以上になるのですね。
その施設の性格上、郊外やドライブコース上に
あることが多く駐車場も余裕があって
特産品等が気軽に入手できるということもあって
クルマやバイクで遠出しているときに見かければ
休憩がてらに立ち寄ってしまうスポットですねぇ
今はクルマも持ってないので機会が少ないですが
クルマでアプロ―チして奥秩父や南アルプスに
登山に頻繁に行っていた頃は
山梨県内や長野県内の道の駅に本当にお世話になりました。
帰りに季節の果物や野菜をたくさん買って帰ることも多かったです。
先日も山梨県丹波山村の「道の駅たばやま」に立ち寄る機会がありましたが
設備も整っていて景色も良くって
ちょっとした軽食も美味しくって最高の居心地でした。
103ヶ所でスタートした「道の駅」も
2024年2月16日現在で1,213ヶ所あるのだそうです。

さてさて

本日は「ヤシカエレクトロ35GS」のカメラ修理を行っています。
毎度書きますが「ろうそく1本の光でも写る」カメラを目指して
造られたカメラです。1966年に発売された初代から
そのコンセプトは一貫していて
長時間露出性能の高い電子シャッター使用の絞り優先オートに
暗所に有利な大口径レンズを搭載したカメラです。
今回の「GS」は1970年発売のモデルですが
基本的な構造・機構は初代から変わらず受け継ぎ
搭載するヤシノンDXレンズを新コーティング採用の
カラーヤシノンDXレンズに換装したモデルです。
スペック的には変わらず45mmF1.7です。
基本が60年代の電子制御シャッター機なので
なかなか修理整備が難しい部分もありますが
当店では比較的修理依頼の多いカメラです。
この時代のこの分野といえばキヤノネットが大ヒット作と思いますが
エレクトロシリーズもかなりのヒット作で
多くの台数が生産されています。
絞りオート専用機ではありますが使い勝手も良く
写りも非常に良いカメラです。

お預かりしている「エレクトロ35GS」が外観の状態も良く
かなり長い間使われていない個体と思われますが
保管状況も非常の良いものかと思われます。
ただ電池室には昔のHM-4N水源電池が入ったままで
やはり電池室や配線にはそれなりにダメージがあるようです。
それでも入っていたHM-4Nが比較的新しいモノ
(それでも確実に30年以上前のモノですが)だったせいか
液漏れ等もなく入っていた年月を考えると
まだダメージは少ないほうかと思われます。
電池を入れ替えてみると何とかバッテリーチェックは点灯するのですが
かなり通電は不安定で当然ながらオート制御も不安定です。
接点の清掃、配線の交換等がやはり必要です。
ハンダもかなり劣化していると思われますので
導通の悪いハンダ部はすべてやり直しの必要があります。
レンズ・ファインダーにもそれなりにカビ・汚れがありますが
これも一通りの清掃でかなりクリアになりそうな程度です。
大切に保管されていたことがよくわかります。

この時代の電子制御機はとにかく配線が多く
分解時にはかなり神経を使います。
ただエレクトロはハンダ付けや結線はかなりしっかりしていて
この時代の電子回路としても
回路内のトラブルはかなり少ないカメラです。
接点や比較的弱い部分のハンダをやりなおせば
オート制御もかなりの精度が出せる場合も多いです。
今回も一通りの整備修理を行った後でのテストでは
かなり良好な露出精度が出ていて
赤・黄の警告灯制御も含めて
実用上全く問題のないレベルに収めることができています。
ところでエレクトロにはブラックボディもありますが
やはりエレクトロと言えばこのギラギラしたシルバーですよね。
このギラギラシルバーが好きで個人的に使うエレクトロを
1台手に入れようかな…と修理をするたびに思ってしまいます。

↓ をクリックすると「東京フィルムカメラ修理工房」のホームに戻ります。

オリンパスOM-1のカメラ修理

今日は「コーヒー牛乳の日」だそうですよ。
王冠で栓をした瓶入りの「珈琲牛乳」が
1923(大正12)年4月20日に
東海道線国府津駅で販売開始されたことが由来となっています。
当時、並弁当が1箱35銭で売られた時代に
珈琲牛乳は20銭とかなり高額だったにもかかわらず
飛ぶように売れたといわれています。
コーヒー牛乳…美味しいですよねぇ
今は2003(平成15)年の法律改正から
生乳100%のものしか商品名に「牛乳」と表記できなくなったため
現在では「コーヒー牛乳」という商品はなく
正確には「コーヒー入り乳飲料」となっています。
商品名で言えば「ミルクコーヒー」とか「カフェオレ」になるのですよねぇ
私の生まれ育った家にはお風呂がなくて
毎日、銭湯通いだったのですがそこで風呂上がりに飲む
「ラムネ」や「コーヒー牛乳」がとにかく絶品でした。
当時のコーヒー牛乳はおそらく今飲んだら
甘ったるくって困るほどのような気がしますが
子供の頃にはそれがよかったんですよねぇ
もちろん瓶で売っていて自動販売機ではなく
番台のそばにある引き戸式の冷蔵庫から自分で出して
番台にお金を払うシステムでした。
コーヒー牛乳では必要ありませんが
冷蔵庫の横にチープな栓抜きやラムネの玉押しが
ビニールの紐で繋がれていましたねぇ…
ついこの間のような気もするのですが…
50年前の話になってしまいました(笑

さてさて

本日は「オリンパスOM-1」のカメラ修理を行っています。
相変わらずの依頼数の多さを誇るカメラですね。
少し前にもOM-1の修理をここでも書いたような気がしますが…
いつも書きますが機械式シャッターで
軽量コンパクトな一眼レフというジャンルで
最も人気の高い…というか他にこのジャンルに当てはまるものが
ほとんどないカメラかと思います。
(唯一のライバルはMXですかね)
単に軽量コンパクトなだけでなく
作動音の小ささと上品さ、そして使用感の気持ちよさまで含めると
もはや孤高の存在と言えるカメラだと思います。
発売当時はもちろんのこと、
現在でも人気が高い理由がよくわかります。
ただこれもいつも書きますが
そのj軽量コンパクトさや静粛性を実現するために
様々な独自性の高い工夫や機構が取り入れられていて
そのため、大きさに余裕のある機種と比較すると
若干華奢な部分も多くあります。
現行機種だった当時では大きな問題ではなかったと思われますが
さすがに発売から50年経過した現在では
そういった部分の影響も出てしまいます。
ある程度手を掛けながら使っていくカメラだと思います。

お預かりしている「OM-1」は今回もいわゆる初期モデルで
フィルム室にスタッドが4本立っていて
フィルム圧版も短いタイプのモデルです。
この時期のモノとしては比較的めずらしいブラックです。
シャッターが切れないということで当店にやってきました。
シャッター幕の位置から判断すると
リリース状態で「シャッターが切れない」というより
「巻上ができない」状態のようです。
ただ、ちょっと気になるのが
レリーズボタンが押された状態のままで
固着してしまっています。
巻上がスタックした場合は何らかの動作不良が原因で
底部三連ギアのかみ合わせタイミングが
合わなくなっている場合が多く
今回もそうだったのですが問題はなぜこうなったかという点と
レリーズロックしていること自体はこことは別の問題のようです。
分解を進めながら動きを確認していると
レリーズボタンからリンクして
実際のシャッターレリーズを行う部品のリンク部分が
微妙に変形していることが判明しました。
部品を取り外して見るとただ曲がっているだけでななく
もはや折れる寸前でピンセットでほんの少し力を加えると
パキッと折れてしまいました。
積年の劣化もありますがこういう部分の強度は
やはり少し弱いのかもしれません。
もう少し後期の部品取りの個体からまだまだ問題なさそうな部品を
見つけて交換で対処します。
この上で三連ギアの位置調整やその周りの駆動部品の
清掃整備調整を行い無事にシャッターが切れるようになりました。

画像はまだ取り掛かり始めの段階のモノです。
この時点ではまだ全く原因がわかっていませんでした。
過去に(といっても随分昔かもしれません)整備歴があるようで
プリズムは明らかに交換されていますし
腐食対策も講じられています。
露出計周りは逆に特に手が入っていないようで
配線はかなりくたびれていて交換が必要です。
SW部の接触も良くなく露出計の動きは不安定です。
巻上不良の原因と対策は把握できたので
他部分やシャッターの精度も含めて
一通りの整備を行っていきます。

↓ をクリックすると「東京フィルムカメラ修理工房」のホームに戻ります。

キヤノンAE-1のカメラ修理

今日は「お香の日」だそうですよ。
日付の由来は『日本書紀』に
日本のお香についての最初の記録として
「推古天皇3年(595年)の夏4月、
淡路島に沈水(じんすい:香木のこと)が漂着した」との記述があることと、「香」の字は「一十八日」と読み分けられることからだそうです。
お香って本当に古くからあるのですねぇ…
一時期はすごくお香にハマった時期があって
帰宅したらすぐにお香に火をつけていたものです。
今でも少しは常備していて
たまに寝る前のひとときに
お香を焚いて香りを楽しんでいます。
今は本当にいろいろな香りのお香が簡単に手に入りますし
お香を売っているお店とかに行くと
本当に目移りしてなかなか買うものが決まりません。
オシャレな香りのお香ももちろん好きだし良いのですが
仏さまにあげるお線香の香りも最近好きなんですよねぇ
実家では朝夕、お線香をあげていたから
家の中に常にほんのり線香の香りがしているのが日常だったのですが
今、お仏壇はないけど自分の部屋で線香炊いていると
何だか懐かしい気分になって落ち着くのです
あ、そうだ、GWは墓参りに行ってゆっくりお線香あげてこなくては…

さてさて

本日は「キヤノンAE-1」のカメラ修理を行っています。
1976年発売のカメラでTTL・AE時代の幕開けとなった
記念碑的カメラです。
「キヤノンAシリーズ」の最初のカメラでもあり
世界初のマイクロコンピュータ搭載カメラでもあります。
いろんな意味で時代のターニングポイントとなったカメラです。
スペックだけを見ると一番のセールスポイントでもある
「シャッタースピード優先オート」は既に登場していた技術ですし
シャッターの最高速は横走り機としては標準的な1/1000
スローも2秒までとそれほど目新しくは写らないのですが
中身の機構はそれまでのカメラとは全く異なり進歩していて
従来モデルとなるSS優先機「キヤノンEF」と比べて
部品点数を約300点削減し、生産の効率化を進めています。
当然そのあたりの影響は価格に反映し
一眼レフの効率化についていけなくなった中堅メーカーに
引導を渡したカメラと言われることもあるようです。
「AE-1」の「AE」は自動露出「Automatic Exposure Contorol」の意味ではなく
「Total Automatic System By Electronic SLR Camera」の意味を持ち
「1」は電子カメラにおける頂点を表すそうです。
販売的にもまさにトップに君臨する活躍でした。

電子制御カメラということで
メンテナンスに不安がある部分もないことはないですが
電子回路内のトラブルはかなり少ないほうだと思います。
ただ電気的接点や配線の経年劣化によるトラブルは
それなりにありそのあたりがトラブルと
なかなか原因が見つけにくく修理が困難なことが
多いカメラではあります。
加えて後の電子制御機に比べれば
まだまだアナログな部分も意外と多く
それがまた整備性を難しくしている部分もあります。
簡単に言うと「何か起こるとちょっと難しいカメラ」です。

Aシリーズを通して共通で有名なトラブルといえば
「シャッター鳴き」ですがこれは単なるミラー駆動部ギアの
油切れなので該当箇所が把握できていて
そこへの正しいアクセスがわかっていれば難しい問題ではありません。
今回お預かりの個体も「シャッター鳴き」が起こっています。
もちろん整備は必要ですが
そこは大きな問題ではありません。
今回の「AE-1」は電源も入ってシャッターも動作してるのですが
SSをどこに設定しても同じ速度でシャッターが切れてしまいます。
一部の他のカメラであるように機械制御のSSを持ってはいないカメラなので
シャッターは電気的に動作しているのですが
SS制御ができない状態です。後幕制御のマグネットが全く
効いていないような状態です。
単純にマグネット吸着面の汚れ等ではないと思われます。
いろいろ調べてみないと何とも言えませんが
トラブルの原因によっては修理が難しい可能性があります。

機械的な整備を行いつつ、電気的にどこまで正しく
動作しているかを入念に調べていきます。
おそらく後幕制御のマグネット周りでの
トラブルかとは思います。
まだ断言まではできませんが
おそらく何とかなるとは思います。
これから慎重に原因を確認して
修理を行っていきます。

↓ をクリックすると「東京フィルムカメラ修理工房」のホームに戻ります。

ニコンF2フォトミックのカメラ修理

今日は「いちご大福の日」だそうですよ。
いちご大福の専門家集団として
いちご大福に関する情報を世界に向けて発信する
「早稲田大学いちご大福研究会」が制定しています。
日付は「よ(4)いいち(1)ご(5)」と読む語呂合わせと
いちご大福の旬の時期とのことからだそうです。
いちご大福美味しいですよねぇ~
私はとにかく餡子大好きなので
普通の大福ももちろん大好物ですが
それに甘酸っぱいいちごの組み合わせなんて
美味しくないわけがない~
でも最初に思いついた方は本当に天才ですよねぇ
「使用する餡は、黒餡と白餡の2種類があり、
関東では黒餡、関西では白餡が多いようである」と読んだのですが
白餡のいちご大福って食べたことないです
それも美味しそうですね。どこかのお取り寄せでないかな…
話が少し逸れますが
今はなんでもお取り寄せで注文できて本当に便利になりましたね
私は生まれ育った町の懐かしい味の食べ物や
地元のお酒を頼むことが多いのですが
お取り寄せサイトでいろいろ見ていると
どれもこれも欲しくなってしまいます。
ちょっと以前まではこっちでは
なかなか手に入らなくて
現地に帰省した時だけお土産で買ってかえることしか
できなかったものも多かったのに
本当にそこは便利で助かっています。
あ、でも熱々のいが餅やフライケーキは
やはり現地じゃないと
食べられないのですよねぇ…GWが楽しみだ…(笑

さてさて

本日は「ニコンF2フォトミック」のカメラ修理を行っています。
1971年発売のカメラです。
伝説的存在の「F」の改良版と言われる場合も多いですが
基本的な機構自体は「F」の考え方を引き継いでいますが
部品やその構成は完全新設計でさらに大きく進化したカメラです。
スペック的にも1/2000の搭載やそれに伴う幕速アップと精度の向上
セルフタイマーを利用し10秒までの超スローシャッターにも対応
そして「F」の基本形はアイレベルファインダー搭載でしたが
「F2」では開発段階からフォトミックファインダー搭載を前提とし
電池室や露出計SW(巻上レバー連動)もボディ側に移設し
非常に効率的な構成になっています。
フォトミックファインダーも単なる露出計搭載のみの機能ではなく
ファインダー内にSS・絞り値を表示させ使い勝手も向上しています。
多少、スマートになったとはいえ
フォトミックファインダー搭載の「F2」はやはり無骨さが目立ちますが
それはそれでこの時代のニコンらしく
私は非常に好きなデザインです。

特徴や進化のポイントの一つでもある
ボディ側に移設された電池室ですが
「F2」の数少ない弱点のひとつでもあります。
電池室底部のマイナス側端子を支える基部が樹脂製で
経年劣化で脆くなってしまい折れてしまっている個体が多いのです。
端子がグラグラになっているものは
ほぼ間違いなくここの破損が原因です。
当時としては充分な強度があったものと思われますが
この時代の樹脂部品はさすがに経年劣化に少し弱いです。
さすがに50年以上経過しているので致し方無いとも思います。
ここが破損して端子がグラグラしていると
きちんと電源が供給されずフォトミックファインダーを装着しても
露出買いが不動となる場合がほとんどです。
今回、お預かりしている「F2」もこのパターンで露出計不動です。
お預かり時に当店のテスト用ボディに載せて
フォトミックファインダーのチェックも行ったのですが
電源は入るものの露出計がかなり不安定で
SSや絞りを動かすと指針が頻繁に振り切ってしまうような状態です。
おそらく摺動抵抗の汚れが原因かと思われますが
稀に摺動抵抗の抵抗体自体が剥がれ落ちて修理不可能な場合もあります。
(ちなみにFフォトミックは抵抗体が
剥がれ落ちて修理不能なものが多い印象です)
ボディ側のシャッター、巻上等の機械駆動部分は
とりあえず動作はしていますが
やはり動きは悪く1/2000は開いていない状態で
スローシャッターはガバナの粘りで不安定です。

ボディ側の機械的動作不良や電池室の問題は
原因も対策方法もわかっているので
通常に修理整備を行えば問題ないのですが
ファインダー露出計側の摺動抵抗は修理不可能な場合もあるので
まずはそちらから先に取り掛かっていきます。
まだ取り掛かり始めで断言できる段階ではないのですが
今のところ確認しているぶんには抵抗体自体は
それほど大きな剥がれや劣化はなさそうで
動作不良の原因は抵抗体や接点に付着した汚れではないかと思われます。
接点の清掃等を行いながら動作を確認していきます
もちろん光学的な部分の清掃も行って
ファインダー側の整備が完了したらボディ側に取り掛かっていきます。

↓ をクリックすると「東京フィルムカメラ修理工房」のホームに戻ります。

ペンタックスSPFのカメラ修理

今日は「喫茶店の日」だそうですよ。
1888(明治21)年のこの日に
東京・上野に日本初の本格的なコーヒー喫茶店
「可否茶館(かひいさかん)」が開店したことに由来しています。
1階がビリヤード場、2階が喫茶室の2階建ての洋館で
1階ではビリヤードの他、トランプや囲碁、
将棋などをすることができたそうです。
当時、コーヒーは明治の文明開化に花を添えるハイカラな飲み物として
特権階級の人々の間で人気があったのだそうです。
「可否茶館」では、もりそば1杯1銭の時代に
コーヒーが1銭5厘、牛乳入りコーヒーが2銭で
さらに席料が1銭5厘もしたそうです。
値段が高すぎたこともあり「可否茶館」は
3年もたずに閉店してしまったのだそうです。
最近は昔ながらの喫茶店も数が少なくなっていると思いますが
私も喫茶店に立ち寄ることはほとんどなくなりましたねぇ
もちろんコーヒーやカフェは嫌いではないですし
むしろ大好きなのですが…
一番、喫茶店を良く利用していたのは
おそらく高校生の頃じゃないかと…ほぼ毎日立ち寄ってた気がします。
友達と話しこむのにも待ち合わせするにしても
ちょっとした空き時間を潰すのにも便利だったのですよねぇ
それほどお高くなかった気がしますし
(確か当時コーヒー1杯250円とか300円???)
たまには喫茶店でゆっくりコーヒーでも飲んで
ゆったりした時間の使い方を楽しみたいものです。

さてさて

本日は「ペンタックスSPF」のカメラ修理を行っています。
1973年発売のカメラです。
大ヒットした「SP」のモデルチェンジ版で
先行発売されていた「SMCタクマーレンズ群」との組み合わせで
開放測光に対応したカメラです。
レンズ側に絞り値を伝達するレバーを設け
ボディ側にもそれにリンクするレバーが追加になっています。
これによって設定絞り値の伝達が可能になり
開放測光が実現したのですが
SMCタクマーレンズはシンプルなM42マウントから
1歩踏み出したものとなっています。
従来のM42マウントの「スーパータクマーレンズ群」使用時には
それまでの「SP」同様に絞り込み測光で対応可能です。
絞り込みSWもSP同様にマウント脇にあるのですが
「SP」では絞り込み+露出計SWオンでしたが
「SPF」では露出計SWはここにはありません。
というよりSWとして露出計on/offされるわけではなく
「フォトスイッチ」という新機構で
レンズキャップをすれば露出計がオフになるという構造になっています。
正確に言うと露出計制御用とは別個に受光体CDSが
接眼レンズ上部に配置されていて
ここに光があたらないと露出計がオフになるという仕組みです。
露出計関連以外のシャッターや巻上、ミラー駆動部等は
ほぼSPと同様です。熟成された造りは安定性・堅牢性に優れており
マウントが変更された次期Kシリーズにおいても
マウント以外ほぼそのままの機構で「KM」に引き継がれています。

機械的駆動部はほぼ「SP」と同様ということで
登場から50年以上経過した現在
「SPF」でも「SP」と同じようなトラブルに見舞われている
個体が多いようです。
今回お預かりしている「SPF」でも
「SP」でよくある…というよりこの種の
横橋りシャッター機では定番の
「ミラーアップ」したまま固着していまう…とういった症状が出ています。
いつも書きますが原因はミラー駆動部の動作不良というよりは
シャッター後幕の走行不良が主な原因で
きっちり最後まで走りきらないためミラーダウンレバーを
勢いよく蹴れないといったことが原因です。
シャッター走行不良なのでもちろんシャッタースピードの精度も出ておらず
幕軸や調速カム周りの整備を行い走行をスムーズにしたうえで
調整が必要な状態です。
加えて露出計も問題を抱えていて電池をセットすると
明るさに関係なく指針が上に振り切ってしまうような状態です。
SPFの露出計は他カメラとは異なり少々変わった構造です
通常は単なる電流計を置き換えて露出計に仕立てていることが多く
そのため電源オフ時は上端か下端に指針があってオンになると
指針が動く…といったパターンなのですが
SPFの場合は電源オフ時には指針はほぼ真ん中に位置し
電源オンになると光を受けたCDS側からの電流と
SS・絞り情報で調整されたダイヤル側からの電流で
引っ張り合うような構造になっています。
そのためどちらかからの電流が断線等により届ない事態になると
今回のようにどちらかに振り切った状態になってしまいます。
これ意外と断線や接触不良の原因を見つけ出すのが大変なのです。

まだ取り掛かったばかりですが
まずは分解を進めて機械的駆動部から
一通りの整備を行っていきます。
露出計不調に関しては分解整備と並行して
テスターでひとつひとつ確認しながら
原因を探っていきます。
それなりに時間はかかりますが
だいたいよく原因となる箇所はわかってはいるので
そのあたりを中心に調べて対処していきます。

↓ をクリックすると「東京フィルムカメラ修理工房」のホームに戻ります。

オリンパスOMー1のカメラ修理

今日は「パンの記念日」だそうですよ。
1842(天保13)年のこの日に
伊豆国(現:静岡県)の韮山代官(江戸幕府の直轄領を
支配するために設置された役所)において
西洋流兵学者の江川太郎左衛門英龍が軍用携帯食糧として
「兵糧パン」と呼ばれる「乾パン」を作ったのだそうです。
これが日本で初めて焼かれた「パン」と言われていて
これを記念した日なのだそうです。
乾パンと通常イメージする現代のパンでは
だいぶ印象が異なってきますね。
乾パンはビスケットに近いですものです。
そういえば私が子供の頃には冷蔵庫の上とかに
乾パンの入った缶が必ず常備されていて
たまにおやつ代わりに良く食べていたものですが
最近は乾パンも見ることが少なくなりましたね
乾パンはさておき現代の食生活で
パンはなくてはならないものですよね
私はじじいなので比較的米食が多いほうだと思いますが
それでもパンを口運ぶ機会は多いです。
コンビやスーパーで手軽に買う菓子パンや総菜パンもいいですが
たまにトーストやフランスパンをカリッカリに焼いて
たっぷりのマーガリン塗ってほおばりたくなります。
パンの焼ける匂いってなぜあんなに食欲をそそるのでしょうねぇ

さてさて

今日は「オリンパスOM-1」のカメラ修理を行っています。
以前に比べると少し整備の頻度が少なったような気もしますが
相変わらず機種別でみると当店では圧倒的に修理整備依頼の
多いカメラかと思います。
いつも書きますが「軽量コンパクトな一眼レフ」というジャンルの
パイオニアでもあり「機械制御シャッター機の」という括りを入れると
他に対抗機種のほとんどないカメラでもあります。
ただ小さくて軽いだけではなく作動音も静かな上に非常に上質で
独特の「シャリッ」とした軽快な巻上フィールも加えて
非常に使い心地の良いカメラでもあります。
巻上げてシャッターを切る一連の動作が楽しくなるカメラです。
ただこの同時代の他メーカー機では見られない
コンパクトさを実現するために隅々までいろいろな工夫と
独創的な造りで溢れており
現行モデルだった当時では問題なかったものの
発売から50年以上経過する現代となっては
若干華奢な部分でトラブルも起こりやすいかとも思います。
そのあたりをOM-1より一回り以上大きくて重い余裕あるサイズの
それも堅牢性が売りのカメラと比べること自体が
ナンセンスだとは思いますが…
…とはいえ基本的な構造はしっかりしているカメラなので
大抵の場合は致命的な破損等が起こる前に
しっかり手を入れておけばまだまだ使い続けられるカメラだと思います。

今回のOM-1もおそらくこれといったメンテナンス歴もなく
長らく使われずに眠っていた個体かと思われます。
シャッターは動作しているものの
各部の動きも動作フィールも悪く
シャッターの精度も全く出ていません。
先幕後幕の幕速バランスも大きく崩れていて
高速シャッターではシャッターが開ききらず
1/1000に至っては全く開いていないようです。
もちろんこの状態で写真を撮れば真っ暗です。
低速シャッターだとしっかり開ききりますが
今度はスローガバナーの粘りで低速シャッターも不安定です。
電池室に電池は入っていませんでしたが
やはり水銀電池を長く入れっぱなしにしていた時期があったらしく
電池室からの配線は腐食して断線しています。
そして定番のプリズム腐食も派手に出ています。
上カバーを開けてみると加水分解でボロボロになった
モルトがプリズムに貼り付いていました。

露出計本体は無事そうなので配線の交換や
SW部の清掃等で露出計は問題なく生き返りそうです。
製造番号やフィルム室の4本スタッドでわかっていはいましたが
最初期のOM-1かと思われます。
「M-1」から改名されてすぐの時期のモノと思われます。
プリズム抑えの4本バネや巻上レバーの形状も
初期モデル独特のモノです。
露出計の配線周りも若干その後のモデルとは異なります。
MDモデルあたりでよくトラブルの話題になる
電池室端子止めのネジはこの時期では普通に金属ネジで
絶縁ワッシャを挟んで留める構造になっています。
部品そのものもそうですが
調整等にもデリケートな部分の多いカメラでもあるので
慣れているとはいえ慎重に作業を行っていきます。

↓ をクリックすると「東京フィルムカメラ修理工房」のホームに戻ります。