月別アーカイブ: 2023年6月

ミノルタSR-T101のカメラ修理

今日は「佃煮の日」だそうですよ。
佃煮の発祥の地である東京・佃島(中央区佃)の
守り神である住吉神社が創建されたのが
1646(正保3)年6月29日であることが由来となっています。
佃煮…美味しいですよねぇ
いろんな種類がありますが
実は子供の頃は全ての佃煮が苦手でした。
あの独特の苦みと甘辛さがダメだったのですよねぇ
子供の頃に苦手だった食べ物の多くが
大人になってお酒を日常的に飲むようになると
大抵のモノが好きになっていったのですが
佃煮もそのひとつですよねぇ
どの佃煮も日本酒に合うのですよ
もちろんご飯のお供としても最適です!
意外とコンビニのおむすびなんかにも
昆布の佃煮とかが使われているので
本当に身近な食べ物ですよね
いろいろな佃煮がありますが
やはり水産物系が主ですかね
個人的にはアサリやシジミの貝類の佃煮が好きですね
山菜等の農産佃煮もいいですよねぇ
わらび、ぜんまい、ふき、きゃらぶき…どれも美味しいですねぇ
今夜の晩酌は美味い佃煮と日本酒で決まりですかね!

さてさて

今日「も」ミノルタSR-T101のカメラ修理を行っています。
いえ、昨日の続きとかではなく
また別の個体の「SR-T101」です。
ミノルタの代表的機械制御シャッター機ということもあり
修理依頼は多いカメラです。
たまたまですがそれでも二日連続なのは珍しいですね。

本日の「SR-T101」は非常にキレイなブラックボディです。
外装は大きなスレや凹みもなく非常に良いコンディションですが
やはりかなり長い間使われていなかったようで
各部の動きは悪くシャッター・露出計は
一通り動作しているものの
高速シャッターの精度や露出計の精度はかなり不安定です。
シャッターに関しては機械的動作部を入念に
清掃整備することによって改善できると思います。
露出計が不安定なのはよくある電池室や
SW類の接触不良ではなく
CDSや可変抵抗周りのハンダ劣化かと思われます。
見た目には普通にハンダされているように見えるのですが
きちんと導通できていない場合が意外とあるのです。
古いハンダはいったん吸い取って除去し
新しくハンダ付けすることで大抵の場合改善します。
SR-T系の場合はプリズム上に配置されている
CDSの足の部分のハンダに問題がある場合が多いような気がします。
そしてスクリーンの上に配置されるコンデンサレンズや
プリズム、接眼レンズに盛大にカビが発生しています。
写真そのものには影響しませんが
とても快適にピント合わせしたりフレーミングできる状態ではありません。
これもできる限りの清掃で対処していきます。
まだ今からですが今回の程度であればかなりクリアになると思います。
どれも本格的にはこれからですが
ひとつひとつ丁寧に作業をこれから行っていきます。

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ミノルタSR-T101のカメラ修理

今日は「パフェの日」だそうですよ。
パフェの語源って
フランス語で「完全な」という意味の parfait からだそうで
「完全な(デザート)」という意味とされるのだそうです。
うーん、確かにその通りかも…
長らく喫茶店とかでちゃんとしたパフェなんて食べてないですが
美味しいなんてもんじゃないですよね
まさに幸せになれる逸品だと思います。
生クリーム好きでアイス好きな私としてもたまらないですねぇ
もうこう書いているだけでパフェ食べたくてたまらん(笑
パフェはフランスでの産物ですが
同じようなものにアメリカ発祥の「サンデー」もありますね。
郊外のドライブインなんかに行くと
「サンデー」表示のデザートが多かったイメージです。
ドライブインでもデパートのレストランでもそうなのですが
店先にあるパフェやサンデーの食品サンプルが
何とも派手でポップで見ているだけで
楽しくなってくるのですよねぇ~
近日中に昔ながらの喫茶店に行ってパフェ食べてきます!!!

さてさて

本日は「ミノルタSR-T101」のカメラ修理を行っています。
1966年発売の機械制御シャッター機です。
ミノルタを代表する機械制御機ともいえますが
1960年代を代表する中級機とも言っていいような気がします。
ミノルタ初のTTL測光機でもあり非常に使いやすく
それでいて丈夫なカメラです。
「SR-T101」自体も7年を超えるロングセラー機ですが
この後に出てくる「SR-Tスーパー」や「SR505」「SR101」も
このSR-T101と基本的な部分の構成構造は同じです。
それだけ基本設計が優れていたカメラだと言えると思います。
現存している台数も多く中古カメラ屋さんだけでなく
リサイクルショップ等で見かけることも多いカメラです。
数が多いだけあってコンディションは千差万別で
丈夫なカメラ故にとりあえず動作はしている個体も多いものも
さすがに製造から50年以上経過するカメラなので
そのままでは普通に使えない場合がほとんどだと思われます。

今回お預かりしている「SR-T101」も
随分長い間、ご依頼者様のご自宅で使われないまま
眠っていたものだと思われます。
ただ保管状況は悪くないと思われ
とりあえずはシャッターも動作していますし
電池室に腐食等も見られません。
ただしモルトは内部も含めて当然ながら全滅ですし
シャッター速度の設定に関わらず
全速でシャッターを切るとミラーアップしたままになってしまいます。
SR-Tの場合、構造上とりあえず巻き上げるとミラーは降ります。

こういった症状の場合、
大抵はミラー駆動部に問題があるわけではなく
シャッター幕が正常に走りきらないことが原因で
最後にミラーをダウンさせることができないのが定番です。
今回もシャッター幕の走行状態は悪く
明らかに後幕がキレイに走りきらないのが
一目瞭然で高速シャッター精度にも
かなり問題がある状態ではありました。
しかしながら今回はそれだけではありませんでした。
応急処置的にシャッター幕が最後まで走りきる処置を行い
動作確認してみたのですが
それでもミラーは全く降りてくる気配がありません。
精度はともかく明らかに後幕走行には問題がないのにかかわらず…
他にも何かあるな…と思いいろいろ調べていると
巻上軸からのリンクギアが一部劣化で破損していて
歯が一部ない状態なのが発覚しました。
最初期のSR-Tではここのギアは金属製で
最初期以外は樹脂製ギアではあるのですが
それでも強度的にはそれほど問題は出ない箇所です
ただし今回は何らかの原因でこのギアが劣化で
ボロボロに脆くなっています。
幸いこの部分のギアは樹脂製でもまだまだしっかりしたものが
部品取り等から取れるので今回は中古良品と交換で対応します。
巻上不可になった場合とかに無理に負荷をかけると
ここのギアが割れることがあるのですが
こんなにボロボロに劣化しているのはあまり見ないですね。
個体差的な問題なのかどうか…
何はともあれ原因がはっきりしたので
他の修理整備も合わせてこれから進めていきます。

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リコー35デラックスのカメラ修理

今日は「雷記念日」だそうですよ。
930(延長8)年のこの日(旧暦)に
平安京の清涼殿に落雷があり
大納言の藤原清貫が亡くなったことが由来となっています。
平安京では長い間日照りが続き
公卿たちが清涼殿に集まり雨乞いを行っていた時の出来事だったそうです。
この落雷は政治的な策略によって
京の都から太宰府に左遷され
そこで亡くなった菅原道真の祟りであると信じられ
道真の学者としての名誉を回復したとも言われています。
梅雨時から夏にかけては突然の落雷も多いですものねぇ
過去に目視で確認できる近さで落雷したことが2回あって
一度は海に出かけているときで
急に薄暗くなってきてゴロゴロ鳴り始めたので
急いで海からあがったのですが
さっきまで自分たちが泳いでいた場所の少し沖合に
ものすごい爆音とともに落雷し
身体の芯から縮み上がりました…
もう一度は八ヶ岳で予定通りに下山できずに
やむを得ずビバークしたことがあったのですが
その深夜に見事に落雷と豪雨に遭遇し
1時間少々ほどだったのですが
そこら辺中で(とはいえ少し離れたところで)
バンバン落雷しているのがわかり
生きた心地がしませんでした…
比較的近くで落ちるのを見ると実感しますが
あんなの自分に向かって落ちてきたら
もうどうしようもなく一瞬で終わりだと実感します。
ほんと雷って怖いですね…
今年の梅雨はそれほどひどい雷雨や豪雨は今のところ
都内ではありませんが
このまま何事もなく梅雨明けすることを祈ります。
(雨があまりに降らないとまた困るのですが…)

さてさて

本日は「リコー35デラックス」のカメラ修理を行っています。
1956年発売の35mm判レンズシャッター機です。
少し大柄でずっしり重いカメラですが
50年代のカメラらしいメッキ仕上げが非常に美しいカメラです。
特に鏡胴周りのすっきりしたデザインに
ピカピカのメッキ仕上げは何とも見惚れてしまいますね。
巻上は底部にトリガータイプの巻上レバーが配置されます。
レンジファインダーを装備し
シャッターはセイコーシャMXで1/500~1s・Bをカバーします。
レンズはリコマット4.5cmF2.8です。
上カバー上面の「Ricoh ”35” De Luxe」の書体が
またなんともこの時代らしくていいですね。
撮影に使うのはもちろん楽しいですが
眺めているだけでもなんとも楽しくなってくるカメラです。

お預かりしている「35デラックス」は
かなり長い間使われずに眠っていた個体だと思われます。
ただ、保管環境自体はそれほど悪くなかったものと思われ
外装の状態は上カバーの一部に少し凹みがあるものの
悪くない状態です。
レンズ・ファインダーにも多少の汚れやカビはありますが
経過年月を考えればかなりキレイなほうだと思います。
ただ全体的に動きには問題はあるようで
まず距離計がピントリングを回しても全く動きません。
ファインダーとのリンク部が固着しているものと思われます。
加えてフィルムカウンターが空回りしているような状態です。
ギアの緩み等が原因と思われます。
シャッターは動作しているものの
やはり羽根には若干の粘りがあるようです。
湿度の低い場所で保管されていたものと思われますが
そのためレンズやファインダーにダメージが少なく
油切れや固着が全体的に多いようです。
いずれにしても快適に使うには一通りの整備が必要です。

画像は一通りの整備が完了した時点でのものです。
清掃注油を行っているため各部の動きが落ち着くまで
少し動作を繰り返しながら様子見をしている段階です。
全体的に非常にスムーズに動作するようになっています。
レンズ・ファインダーも清掃を行い非常にクリアです。
もちろん距離計二重像の動きも精度も問題ございません。
これで思う存分、撮影を楽しんでいただける状態になったと思います。
これから最終的なテストを行って
問題なければ完成となります。

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オリンパスペンEESのカメラ修理

今日は「生酒の日」だそうですよ。
日本酒メーカーの月桂冠が
本格的な「生酒」(なまざけ)を発売した
1984(昭和59)年6月25日が由来となっています。
同社の超精密ろ過技術の応用で
常温流通が可能になった生酒が発売され
これにより蔵元でしか味わえなかった
しぼりたての美味しさを全国どこでも楽しめるようになりました。
「生酒」とは「火入れ」と呼ばれる60℃ほどの加熱処理を
一度も行わずに出荷される日本酒です。
通常の日本酒は火入れを貯蔵前と容器詰めの際の二度行います。
また生貯蔵酒は、生のまま貯蔵し
容器詰めの際に一度火入れを行うのだそうです。
私はお酒の中で日本酒が一番好きなので
「生酒」も普通の日本酒もいつもおいしくいただいています。
常温保存が可能とはいえ、日本酒はデリケートなお酒なので
購入した後も冷暗所での保管が気温です。
気温の高いところや日光の当たるとこなんかに置いておくと
あっという間に味も風味も落ちてしまいます。
小さめの瓶で買ってすぐに飲み切ってしまうのが理想ですね。
暑くなってきましたし
さっぱりした味わいの白身のお刺身に
ふくよかな純米酒を冷やで飲みたくなりますねぇ
考えているだけで今夜の晩酌が楽しみになってきました(笑

さてさて

本日は「オリンパスペンEE」のカメラ修理を行っています。
ハーフカメラを代表するカメラでもある
「ペンシリーズ」ですがいくつかのシリーズに分かれます。
露出計も持たないシンプルな構造の「ペン及びペンSシリーズ」
大口径レンズに露出計装備とその名の通り
デラックスな「ペンDシリーズ」
そしてセレン光電池を利用した露出計と連動し
露出はオートでできる限り簡単に撮影することに特化した
「ペンEE及びEESシリーズ」です。
今回はその「EESシリーズ」の最初のモデルとなる
「ペンEE」です。発売は1962年です。
その1年前に発売された「ペンEE」をベースに
ピントを固定焦点ではなく3点ゾーンフォーカスとしたのが
「EES」となります。
シャッタースピードは1/30・1/250の2速切替式で
露出計に連動し明るさに応じてSS・絞りを自動設定します。
露出計が無反応になるほどの暗所で使う
フラッシュモードだとSSは1/30固定になり
絞りは任意で設定を行います。
オート露出時に光量不足だった場合(露出計指針が振れない場合)は
オリンパスお得意の「赤ベロ」がファインダー内に出現し
シャッターロックがかかります。
この機構とセレンがレンズ外周部にあるおかげで
このタイプのカメラでありがちな
「レンズキャップをしたままシャッターを切ってしまう」という
ミスを防止することに繋がっています。
サイズもハーフカメラらしく非常にコンパクトで
気軽に持ち歩けて気軽に撮影できるカメラの代表だと思います。

お預かりしている「ペンEES」は
セールスポイントである赤ベロが全く出ない状態で
どんな明るさでもとりあえずはシャッターが切れてしまいます。
絞り制御もほとんど効いていないようです。
それでも明るさに応じてSSが切り替わっていることは
確認できるのでセレンや露出計はまずは動作していると思われます。
何らかの原因で指針挟みこみ機構の動作不良かと思われます。
内部機構もシンプルで整備性も良いカメラですが
ピントが前玉回転式のゾーンフォーカスのため
レンズを外すと入念なピント再調整が必要です。
もちろん今回もピントは再設定して組み立ててあります。
赤ベロ及びオート制御不良の原因は
赤ベロ制御部・指針挟み込み機構の動作不良に加え
赤ベロアーム部がボディプレートに一部干渉してしまっていて
動けないことも原因になっていました。
動作不良の状態で動かしていて
少しずつ変形してしまったのだと思われます。
オート制御関連の駆動部をすべて動きやすくするための
整備を行った上でアーム部の修正も行い
オート・露出計の精度も調整いたしました。
修理後は問題なく露出制御できるようになっています。

加えてシャッター周りや絞り制御部にも
若干の粘りや動作不良が確認され
もちろんそれらも含めて全体的に整備を行っています。
画像は一通りの整備完了後のモノで
全体的に動きも軽く開口に動作しています。
しばらく動きがなじむまで様子見を行っていたのですが
これから最終的なテストを行って
もんだいなければ完成となります。

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ミノルチナSのカメラ修理

今日は「UFOの日、・空飛ぶ円盤記念日」だそうですよ。
1947(昭和22)年のこの日に
アメリカの実業家ケネス・アーノルドが自家用機で飛行中に
コーヒー皿のような謎の飛行物体を目撃したことに由来しています。
最初の目撃例となったこの日を
UFO研究家たちが記念日として命名したとされています。
この目撃談、私が子供の頃には有名な話でした。
いろんなUFO関連や不思議な出来事の本には
必ずこの話が載っていたような気がします。
また当時の私がこの類の本が好きで
よく学校の図書館とかでも借りてきてたのですよねぇ(笑
事態を重く見たアメリカ空軍が
これを「UFO(unidentified flying object:未確認飛行物体)」と名付け
調査に乗り出したが正体はつかめなかったそうです。
結局、1969(昭和44)年にUFOは
「車のサーチライトの誤認や目の錯覚の類」との調査報告を出しています。
この類の話のほとんどが誤認やトリックだとは思いますが
中には本当になんだかわからないものもあるような気がします。
まぁでもそれは宇宙人とか心霊とかではなくて
蟲の仕業だと思うことにしています(笑

さてさて

本日は「ミノルチナS」のカメラ修理を行っています。
数日前に弟分の「ミノルチナP」の修理も行いましたが
今度は完全マニュアル機の「S」です。
「P」よりはわずかに大きいですが
それでもこの時代の35mm判カメラとしては
非常にコンパクトなカメラです。
大口径レンズを搭載するのでレンズ部の出っ張りはそれなりに
大きいですがボディ本体の薄さは特筆ものです。
シャッターはセイコーSLVで1/500~1s・Bをカバーします。
レンズは大口径のロッコールQF40mmF1.8を搭載します。
発売開始は1964年で「S」と「P」が同時発売されています。

お預かりしている「S」は
これも少々レアなブラックモデルです。
非常に精悍でスタイリッシュなカメラです。
外観はなかなか状態が良いのですが
まずはシャッターが切れません。
正確にいうと巻き上げてレリーズすると
「カシャン」と動作音はしますが
シャッター羽根はピクリとも動きません。
その動作音もシャッタースピードをどこに設定しても
同じ音しかしないようです。
レンズシャッター機定番のシャッター羽根固着かと思われます。
心配されるのはやはりセレン光電池なのですが
今回はまずは問題なく起電できているようです。
「S」の場合はSSリング、絞りリングに電気的に連動して
指針の振りが変わり指針が真ん中に来るように
SS/絞りリングで設定するわけなのですが
このタイプの露出計はリング側でブラシで接する
摺動抵抗の劣化が大きな問題になりがちです。
今回も摺動抵抗の汚れや劣化で若干不安定な動きを見せています。
特にミノルチナSや後継のALSあたりでは
この摺動抵抗が劣化してどうにも露出計が不安定な場合も多く
その場合は修理不可能になることも多々あります。
今回はそれほど悪い状態ではないと思われますので
ブラシ部のできる限りの清掃で対処いたします。
この点に関しては露出計がリング側と電気的連動をせず
追伸式の兄弟機「P」のほうがメンテナンス的には
不安要素が少ないです。

まだ現状を確認しただけの状態で
これから本格的に分解整備に取り掛かるところです。
まずはシャッターユニット及びその周りの整備から始めて
正常に動作する状態にしていきたいと思います。

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コニカⅢのカメラ修理

今日はまたネタにできるような
記念日のない日ですね…
それなら…と過去の6月23日に起きた出来事を調べてみると
1973(昭和48)年6月23日に
「自衛隊機乗り逃げ事件」なんてことが起きていますね。
飲酒した陸上自衛官が航空機に乗って飛び去り
機と一緒に行方不明になった事件だそうです。
これまた現在ではセキュリティ的にも考えられない事件ですね…
過去に火事が起きたときに格納庫に鍵がかかっていたため
機体が焼失してしまったこともあり
緊急時に着たいがすぐ出せるように
閂のみで鍵をかけないことが通例になっていたらしく
それが完全に裏目に出た感じです。
しかしこの事件、その後、機体のひとかけらも
もちろん行栄不明の隊員も現在に至るまで何も発見されていないのです。
燃料は1300km飛べるほどは積んでいたそうで
南に向かって飛んで行ったことは目撃されているものの
低空飛行だったせいかレーダーにも捕捉されていないそうです。
おそらく洋上で墜落かと思われますが
それにしても何も出てこないのも不思議ですよね…
酔った勢いでどこかに飛んでいきたくなったのでしょうか…
程度にもよりますが酔っぱらっているときって
素面の時には考えられないような行動に出ることがありますものねぇ
私もお酒は大好きですが
いまやそこまで深酒することはないとはいえ
泥酔しないように気を付けたいと思います…
今となっては笑い話程度ですが
過去に酔って何度かやらかした黒歴史もありますので…(苦笑)

さてさて

今日は「コニカⅢ」のカメラ修理を行っています。
コニカブランドとして初の35mm判カメラである
コニカⅠ(スタンダード)、Ⅱ、Ⅲと続いてきた
レンズ固定式レンジファインダー機シリーズの一員です。
Ⅲ自体は1956年の発売ですが
Ⅲの中でもいくつか種類があって
無印のⅢ、L1、L2、ⅢA、ⅢMが存在します。
今回はシャッターにセイコーシャMXLを搭載し
露出設定がこの当時に流行っていたライトバリュー方式に
変更された「L1」です。
今となってはライトバリュー方式の露出計等でも持っていない限り
通常の露出合わせのほうが使いやすいかとは思いますが
使い方に慣れてくると一定のLVを保持したまま
SSリングのみで絞りまで連動して露出設定を変更できることも
便利に感じる場面があるかとは思います。
ただ少し慣れは必要かもしれません。
もちろん普通にSSリングを動作して
絞り設定は別で変更もできるので普通の使い方も可能です。
レンズはヘキサノン48mmF2を搭載します。
なんといってもこのⅢからセルフコッキングが搭載され
鏡胴から生えた大きなレバーをダブルストロークすることで
フィルムの巻上と同時にシャッターもチャージできるようになりました。
その後の時代では当たり前のことなのですが
Ⅱまではシャッターチャージとフィルム巻上は別動作で
多重露光防止機能はついていても
操作上のミスも起こりやすい機構でしたから
やはりセルフコッキング搭載は
一気に操作を簡単に行える大きな進化だと思います。

お預かりしている「Ⅲ」はいくつか問題を抱えた状態です。
まず巻上ができてレリーズは押せるものの
シャッター羽根は全く動きません。
レリーズすればまた次の巻上も可能ではありますが
これでは全く撮影できません。
レンズシャッターでは定番のシャッター羽根の固着だと思われます。
加えて巻き戻しクランクの手持ちクランク部分が欠落していて
さらに絞り設定レバーも基部から先が欠落していて操作できません。
欠落部品は部品取り個体から移植するしかないですね
ファインダー・レンズにもかなりカビが生えていて
全体的に曇ってしまっています。
多少のカビ跡は残りそうなレベルですが
できる限りの清掃で対処していきます。

がそうはまだ取り掛かり始めの段階ですが
レンズ・ファインダーに関しては全く問題ないほどに
クリアに清掃することができました。
これであれば実際の撮影にも問題なく
快適に使っていただけるレベルです。
シャッター羽根の固着は羽根洗浄で
こちらも快調に動作するようになりました。
シャッター羽根がこれだけ固着しているほどなので
当然、絞り羽根にも油滲みがあり
若干の粘りが出ている状態だったのですが
Ⅲの場合はこの絞り羽根の粘りがかなり要注意です。
他のカメラで搭載されているセイコーシャMX系では
それほど意識することはないのですが
このコニカⅢの場合は比較的軽微な粘りで
絞り羽根が外れてしまう場合が多いのです。
場合によっては絞り羽根を止めているピンが破損するので
取り扱いには細心の注意が必要です。
今回も入念に清掃を行った上で
絞りの動きを何度も確認し
スムーズに動作する状態に整備しています。
あとは細かな調整を行いつつ再組立てして
最終的に完成に仕上げていきます。

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ニコンFEのカメラ修理

今日は「ボウリングの日」だそうですよ。
1861(文久元)年のこの日付の英字新聞
「ザ・ナガサキ・ショッピングリスト・アンド・アドバタイザー」に
長崎出島の外国人居留地に日本初のボウリング場が
開設されたと掲載されたことにちなんだものだそうです。
じいさんがボウリング好きで、そのうえめっちゃ上手くって
私が幼い頃にマイシューズ、マイボールでアマチュアのボウリングの大会に出ては
いろんな景品を取って帰ってました。
家にボウリングの玉たなぜかピンまであって
2歳の頃には球を転がして遊んでいる写真が残っています。
で、5歳の頃にはボウリング場に連れていかれました。
もちろん普通に投げることなんてできず
両手で転がすだけなのですが…(笑
小学校高学年~中学生くらいまではじいさんと普通に
ボウリングに良く行ってました。
当時は消しゴム付きの鉛筆で自分でスコアつけるんですよ~
高校生のときにも学校さぼって友達とよく行きましたねぇ
大人になってからももうあまり身体がうまく動かせなくなった
じいさんを連れて行って1ゲームだけ一緒にやったりしてました…
もう晩年でしたね…
というわけでボウリングは結構思い出の中に頻繁に登場します
もう十数年行っていませんが…昔はそこそこ上手かったです!
そういえば中学生くらいの頃にボウリングシャツも流行っていました。
当時流行ってたのはフルオープンで背中の両サイドに
アクションブリーツが入ったタイプ…懐かしいですねぇ

さてさて

本日は「ニコンFE」のカメラ修理を行っています。
FEもコンスタントに修理依頼のあるカメラです。
前身のニコマートELの時代だと
まだまだ初期の電子制御で不安定な要素も多かったですが
FEになると動作的にも非常に安定していて
信頼性も格段にアップしています。
加えて適度にコンパクトな外観となり
視認性の非常に良いファインダー表示と合わせて
とても万能的に使いやすいカメラに仕上がっています。
兄弟機で機械制御シャッターを搭載する
FMがその信頼性から昔から非常に人気が高く
それに比べるとFEは少し地味な印象ですが
FMのLED露出計こそ修理不能なる可能性は高いですし
電子制御にまつわるトラブルはFEにおいては
非常に少ないと思います。
(分解品や水没品・ショック品は例外)

今回お預かりしている「FE」も電気的には問題はなく
機械的な問題を抱えています。
ミラーチャージロック周りの動きが古い油脂や汚れで
動きが悪いらしく
チャージロックがうまくいかずに
巻き上げた瞬間にシャッターが
そのまま切れてしまうという症状が頻繁に出ます。
この状態で実際にフィルムをセットすると
おそらく半分もまともに撮れないまま
フィルムが終わってしまうのではないかと思われます。
このフィルムの高いご時世にこれはいただけません。
加えてシャッター羽根の動きも少し悪いようで
高速シャッターの精度不良が出ています。
1/1000はなんと1/4000近くまで出ていて
(要はスリットが閉じる目前)
そのうち全く開かなくなる状態に陥りそうです。

画像は取り掛かり始めのモノですが
これから分解整備を進めて一通りの整備を行っていきます。
電子制御機は数多くある接点やマグネットの吸着部の清掃整備が
必須なのでそのあたりも入念に行っていきます。
羽根清掃でSSの問題も改善するとは思いますが
最終的に電気的な微調整で精度を確保していきます。
その際にもちろん露出計やオート制御の調整も行っていきます。
電子制御器とはいえまだ液晶搭載とかはなく
機械的な連動も適度に残っているカメラです。
整備性もニコンらしく非常によく考えられていて良好です。
個人的にも好きなカメラの一つです。

ミノルチナPのカメラ修理

今日は「夏至」なのですが
それだと普通なのでちょっと置いておいて
今日は「スナックの日」なのだそうですよ。
ここでいう「スナック」は
地方にありがちなおもろいママさんがやっている
こじんまりした飲み屋のことではなく
「スナック菓子」のことですね。
なぜ今日がスナック菓子の日なのかというと
「夏至」のお祝いに「歯固め」と称して
正月の餅を固くして食べる習慣があったことに由来するのだそうです。
いや…スナック菓子でそんなに固いものは
少ないような気もしますが…(苦笑)
サクサクと歯切れの良いものが多いですよねぇ
ポテトや豆類やトウモロコシなどを
油で揚げたものが多いのですが
炭水化物+油分なのでこれまた太るし血糖値も上がるので
私にとっては大敵です。
でもこれがまた美味しいのですよ。ビールに合いますし…
「乾きもの」や「おかき」と称して
それこそ飲み屋のスナックのつまみにも定番です。
夜中の帰り道にコンビニやスーパーによると
ついついビールやレモンサワーと一緒に
スナックに手が伸びるので本当に気を付けなくては…(笑
そういえばスナック菓子からは少し外れるのですが
「柿の種チョコ」がたまに無性に食べたくなるのですよねぇ
それもなぜか夜中に…
これこそカロリー+糖質のかたまりでかなりヤバいのですが
好きなんだからしょうがないです
まぁ少量をたまにならいいとは思いますが…(苦笑)

さてさて

本日は「ミノルチナP」のカメラ修理を行っています。
1964年発売のコンパクトカメラです。
この時代のミノルタのレンズ固定式カメラというと
主力は1961年から発売開始された「ハイマチックシリーズ」で
1964年というと「ハイマチック7」が販売されて好調だった時期です。
60年代のハイマチックと言えば「コンパクト」とは
少し言い難い大柄なモデルで大口径レンズ搭載のカメラです。
でも当時としてはカメラは
「少し大柄でずっしり重量感のあるほうが高級感がある」という時代で
逆に同じような機能でコンパクトさを売りにした
「ミノルチナ」シリ―ズは販売的にはかなり苦戦していました。
ミノルチナはいわゆるマニュアルで大口径レンズの「S」と
手動プログラムシャッターの今回の「P」の2本立てですが
どちらも現在でも通じるデザインの良さとコンパクトさが
セールスポイントのカメラです。
現在の価値観だとミノルチナは
結構な人気モデルになったと思うのですが…
今回の「ミノルチナP」は先程も少し触れましたが
プログラムシャッターを搭載したカメラです。
絞りとシャッタースピードの組み合わせは
カメラ側にお任せでセレン光電池使用の露出計指針に
シャッター設定指針を合わせることによって
露出を決定しシャッターを切る仕組みです。
プログラムシャッターなので絞りとシャッタスピードの組み合わせは
任意には選べませんがシャッター設定リングを回すと
連動してリング上に「LV値」が表示されるので
露出計の値に関わらず手動で露出をコントロールすることは可能です。
レンズはロッコール38mmF2.8で
ピントは目測式です。
レンズも小さくレンジファインダも備えないので
非常にコンパクトにできたカメラです。

お預かりしている「P」は
シャッターは動作しているものの
絞り羽根がF8あたりで固まってしまっていて
設定リングをどこに設定しても全く動きません。
プログラムシャッターだと
シャッター羽根と絞り羽根が兼用されている場合も多いのですが
「ミノルチナP」に搭載されるシチズンPシャッターは
絞り羽根は独立して存在します。
そのためSS1/30固定の「フラッシュモード」だと
独立して任意の絞り値に設定することも可能なのですが
その場合でも絞り羽根は全く動かない状態です。

まずはその絞り羽根の状態を確認するため分解を進めていきます。
画像は取り掛かり始めの段階のものですが
かなり強烈に絞り羽根は張り付いて固着している状態です。
絞り羽根がこれだけ固着しているので
やはりシャッター羽根側にも粘りが少しあるようです。
いずれにしてもシャッターユニットの一通りの整備が必要です。
加えて部品の経年劣化もあり
シャッターチャージが上手く完了せず
巻き上げた瞬間にシャッターが切れてしまう現象が
ある一定の条件下で頻繁に起こることが発覚しました。
これも一通りの整備の中でチャージレバーの調整で対処していきます。

「ミノルチナP」自体がそれほど現存数の多いカメラではないのですが
これはその中でも数の少ないブラックボディです。
「ミノルチナP」というとシルバーのイメージなので
ブラックはなかなか新鮮ですね。

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キヤノンF-1のカメラ修理

今日は「元号の日」だそうですよ。
645年(大化元年)のこの日に
蘇我氏を倒した中大兄皇子(後の天智天皇)が
日本初の元号「大化(たいか)」を制定したことが由来となっています。
現在の元号は「令和」ですが
これまでに248の元号が定められているのだそうです。
個人的な感覚ですが私が幼い頃は和暦(当時は昭和)のほうが
ピンときたものですが
今はもはや西暦のほうがわかりやすいですね。
平成の頃からまず西暦が頭に浮かんで和暦に変換する感じでしたが
令和になってさらにわかりにくくなってしまいました。
まぁこれは私が単に歳食って鈍くなったからでしょうね(苦笑)
私が過ごした期間としては「平成」が30年間で最も長く
昭和は20年弱なのですが
多感な時期を過ごした「昭和」のイメージが
より濃く残っているような気がします。
社会人になった次の年に「平成」になったのですよねぇ
もう「昭和」も二つ前の元号…ということは
私が幼い頃だと「昭和」の二つ前は「明治」…
そうイメージするとそりゃとんでもなく昭和って昔ですね!
なんだか実感できました…(笑
私の幼い頃に「明治生まれ」の方って曾祖父ですもの
(まだ令和は5年なので直接比べられないですが)
次の元号を見ることはまずないですから
令和をいつまで見ていられるのでしょうかねぇ…

さてさて

本日は「キヤノンF-1」のカメラ修理を行っています。
最近、「F-1」の修理依頼多いですね。
「F-1」の登場は1971年、昭和46年ですね。
この「F-1」の登場によってキヤノンは一眼レフの分野でも
トップメーカーに躍り出て
ライバルであるニコンとのその後の熾烈な「2強時代」を
フィルムカメラ終焉の時代まで続けていくことになります。
「F-1」の直接のライバルは「ニコンF2」ですが
本質的な部分は「過酷な状況でも撮影を遂行できること」を
両者とも目指していて加えて
「どんな撮影にもフレキシブルに対応できる
交換レンズを含むシステム性」という部分でも共通しているのに
デザインを含むキャラクター性では
こんなに正反対なのがまたなんとも楽しいですし興味深いですね。
どちらも基本的構造はしっかりできているカメラで
堅牢性を売りにしているだけあって
ひとつひとつの部品のクオリティや精度も非常に高いです。
ただ、さすがに登場から50年経過する機械ですので
そのままでは各部の動きの悪いところや
経年劣化でそのままでは使えない部分もあり
一通りのメンテナンスはいずれの個体でも必要だと思います。

お預かりている「F-1」いわゆる前期モデルです。
露出計も含め一応、一通りは動作できてはいるのですが
やはり動きの悪い部分や電気的な接触不良も起きています。
このあたりは長い年月を経過しているので当然ではあります。
まずはスローガバナが完全に固着しています。
そのため1/15~1秒のスローシャッター時には
シャッターが開いたままで固まってしまいます。
SS設定を1/30以下に設定すると見た目には通常に動作します。
スローガバナは簡単に言うとゼンマイ仕掛けなので
どのカメラでも比較的固着の起こりやすい箇所です。
スローがこんな状態ということは
当然ながら幕軸の動きもあまりよろしくはなく
高速シャッターも一見問題なさそうですが
測定器で計測してみるとかなり先幕後幕のバランスが崩れています。
もう少しで1/2000、1/10000だと
スリットが完全に閉じてしまいそうな状態です。
巻上周りやミラー駆動部も含め機械的駆動部は
本来のスムーズな動きができるように整備が必要です。
露出計も動作してはいますが精度は出ておらず
加えて挙動も不安定です。SW周りで接触不良もあるようです。

F-1でもプリズム腐食は比較的多くみられます。
今回は視野のほんの端っこにわずかにみられますが
大きな腐食はないようです。
まずはボディ側から整備を行いますが
あとでファインダー側も分解し
おそらくはそのまま放置されてると思われる
プリズム上に鎮座する大きな座布団モルトを撤去しないと
そこから腐食が始まってしまいます。
まだ取りかかかったばかりですが
まずはボディ側の分解整備を進めて
シャッター、巻上、ミラー駆動部、露出計周りの
整備を行っていきます。

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リコーFF-1のカメラ修理

今日は「おにぎりの日」なのだそうですよ。
1987(昭和62)年11月に当時の鹿西町内の
杉谷チャノバタケ遺跡の竪穴式住居跡から
日本最古の「おにぎりの化石」が発見されています。
「鹿西」の「ろく(6)」と、毎月18日の「米食の日」から
この日を「おにぎりの日」と制定したのだそうです。
発見された「おにぎりの化石」は
弥生時代中期のものと推測されています。
2000年前あたりということでしょうか。。。
そんな昔から米食があっておにぎりがあったのですねぇ
自分でおにぎりを握ることは最近は少ないですが
(登山に頻繁に行っていた頃はよく作って持っていきました)
たまに炊き立て熱々の具も何もない「塩むすび」を
食べたくなるのですよねぇ
熱々すぎて握るのも結構大変ですが美味いのですよ
子供の頃はばあさんまだ羽釜でご飯炊いていたのですが
この炊き立てのお米で握ってくれる「塩むすび」が
とにかく無性に美味しかった記憶が残っていて
その記憶を追っているのかもしれません。
記憶の味はもはや美化されている部分もあるでしょうから
私が自分で少々工夫してもあの味には届かないとは思いますが…
でも炊き立てご飯の「塩むすび」が美味いのは間違いないです。
ひさびさに明日の朝飯で握ってみようかな…

さてさて

本日は「リコーFF-1」のカメラ修理を行っています。
「FF-1」ひさしぶりですね。数年ぶりのご依頼ではないかと思われます。
1978年発売のコンパクトカメラです。
できるだけ持ち運ぼにもコンパクトなサイズにするために
鏡胴を折り畳み式にしたカメラです。
シャッターは電子制御のプログラムシャッター
当然、露出制御もプログラムオートです。
フラッシュ使用時にのみ絞り設定ができるようになっています
(その場合、SSは1/30固定)
ファインダーはアルバダ式でピント合わせは目測です。
ピントリングには3m設定の位置に◎マークとクリックがあります。
その位置にしておけば日中晴天時ならばほぼパンフォーカスで
撮影できるということですね。
気軽に持ち歩けて簡単に素早く撮影できることに特化したカメラです。
搭載レンズはリケノン35mmF2.8です。

このカメラは電池が入っていないと
シャッターを切ってもシャッター作動音はするものの
シャッターが実際は開かないというカメラなのですが
今回、お預かりしている個体は
電池を入れて電源も入っている(LED動作ランプも点灯する)のに
実際にシャッターを切るとシャッターが開かないトラブルを抱えています。
FF-1に多いトラブルとして同じような症状で
シャッターユニットリンク部の固着というパターンがよくあるのですが
その場合はシャッター制御に関係なく
同じような動作音がします。
しかいながら今回は受光部にあたる明るさに応じて
シャッターを制御しようとしてシャッターの作動音も変化しています。
それでいてシャッター羽根は実際には開かない…といった状態です。
…となると単純に羽根固着なのか…もう開けてみないとわかりませんね。

まずはシャッター羽根回りの様子が
ある程度確認できるところまで
分解してみて動作を確認しています。
羽根固着ではなさそうです。
マグネット自体は動作しているようなので
羽根駆動部に何かしらの問題を抱えているようです。
整備性は正直いって良くはないカメラなので
これはなかなか苦労するかもしれません。
焦らずに集中してできるところから
原因をさらに探っていきます。

ところで今回の「FF-1」はシルバーなのですが
これは結構めずらしいですね。
シルバーが存在することは知っていましたが
実物は初めて手にしました。
発売している当時はブラックとシルバーが
普通にラインナップされていたらしいのですが
シルバーは残念ながら当時人気がなく
生産数も非常に少ないらしいのです。
今となっては逆にレアアイテムなのだと思います。
貼り革の模様もブラックとは異なります。
なかなかこれはこれでいいですね。

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