月別アーカイブ: 2022年12月

ミノルタハイマチック7Sのカメラ修理

今日はいわゆる「御用納め」で
官公庁の年内最後の業務日にあたります。
これに合わせて民間企業でも今日で
「仕事納め」の日が多いのですよね。
当店も合わせているわけではないのですが
大抵の場合、この品保前後から
年末年始休業に入ります。
今年も年内の営業は今日で終了といたします。
今年も何とか入院等の大きなトラブルもなく
ほぼ滞りなく仕事をこなすことができました。
当たり前のようですが
これが当たり前でないことを以前に経験したので
元気で働くことができて普通に生活できることが
どれほど尊いものかを休み中にしっかり噛みしめて
来年も引き続き頑張りたいと思います。
私がしっかりがんばるのは当然ですが
それ以前に仕事がないと話になりません。
今年も私のところに大切なカメラを
お預けいただいた方々には本当に感謝しかありません。
来年もしっかり丁寧に仕事をしていきますので
今後とも引き続きよろしくお願い申し上げます。
皆さまも穏やかで心休まる年末年始を
お過ごしいただければと思います。
私は毎年恒例ですが
墓参りも兼ねて生まれ育った呉に帰ってこようと思います。
もう実家もなくて墓しかないのですけどね。
でも生まれ育った場所の空気を味わうと
いろいろリセットされてまたがんばろう!と思えます。

さてさて

今年最後のカメラ修理は「ミノルタハイマチック7S」です。
1966年発売のカメラです。
「7S」名乗っていますが中身的には
同じ年に先行して発売された「ハイマチック9」から
フラッシュマチックを省略したカメラです。
元々の「7」はこれより3年前の1963年発売です。
それであれば「9S」で良いような気もしますが(苦笑)
やはりミノルタに取って「7」といのは特別な数字なのでしょうね。
実際、この「7S」もかなりの数が売れたようで
現存台数も多いです。
個人的な感覚では「9」や後の「11」より多く見るような気がします。
「7」と並んで「前期ハイマチック(小型化される前の)」を
代表するカメラだと思います。
シャッターユニットはセイコーFLAを搭載します。
初期のハイマチックらしくオート露出は「プログラムオート」です。
もちろんマニュアル露出も可能です。
「7」も「9」もそうですが、ちょっと変わっているのが
絞りリング・SSリングそれぞれに「A」ポジションがあって
両方とも「A」に合わせたときのみ「プログラムオート」となります。
片方だけ合わせて「SS優先」や「絞り優先」にはなりません。
それが実現するにはちょっと時代が早すぎますね。
露出計はいわゆる「LV」表示でマニュアル時にも動作します。
その場合はSS・絞りリングに連動しリング状に表示される「LV値」の値を
ファインダー内で指針指示される「LV値」に合わせて露出決定します。
しっかりマニュアル時にも使用できるのはいいですね
こういう場合であれば「LV表示」も悪くないと思います。
レンズはハイマチックらしく
ロッコール45mmF1.8の大口径を搭載します。

お預かりしている「7S」は
シャッターが開いたままの状態で固着してしまっています。
レンズシャッター機で羽根が固着するのは
よくある症状ですが多くの場合は閉じた状態で
固着してしているものが多いのですが
開いたままというのは少々珍しいですね。
レンズの状態が確認しやすいのは助かりますが…
開いたままなので単なる羽根固着ではなく
駆動部のトラブルも疑ったのですが
機械的に何かしらの大きなトラブルはないようです。
しかしながら羽根自体の固着もともかく
羽根駆動部、スローガバナ、セルフタイマー等々
あちこちに固着や粘りが出てしまっています。
シャッターユニット全体の清掃整備が必要な状態です。
レンズ・ファインダーは多少のカビや汚れはあるものの
こちらもそれほど大きなクモリ等はないようです。
通常の清掃で十分にクリアな状態にできそうです。
距離計はさすがにズレが出てしまっています。

水銀電池が入ったままになっていたので
電池室や配線の腐食も心配したのですが
こちらもさすがにハンダの劣化は見られ
少々電源が不安定でしたが大きな断線等はありませんでした。
意外と保管場所の環境は良かったのでしょうね。
ただし乾燥していたせいか各部の固着は
かなり進んでしまったようです。
この時代らしく大きめのボディということもあり
整備性は非常に良好なカメラです。
各部の部品もしっかりしています。
ただオート制御の指針抑え部分は滑り止めの革素材が
劣化していて動作不良を起こしている場合がほとんどです。
今回もここは代替品と交換して正常な動きを確保します。
個人的にも好きなカメラの一つです。
しっかり整備してご依頼者様にも存分に
お楽しみいただきたいと思います。

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ヤシカTLエレクトロX ITSのカメラ修理

今日の日没までは「クリスマス」ですね!
私もついつい昨日はスーパーで特売になっていた
フライドチキンを買って帰ってしまいました…
鶏肉はまだ悪くないのですが…フライドチキンだからカロリー高い!!!
食べる前に記録のためにカロリー表示見て
少し食べるのを躊躇してしまいました(苦笑)
今日がクリスマスなのは当然わかりきっていますが
1926(大正15/昭和元)年のこの日に
大正天皇が崩御され皇太子であった裕仁親王が新天皇に即位され
これと共に新しい元号「昭和」が制定された日でもあります。
激動の時代「昭和」の始まりの日だったのですねぇ
私も自分の中でイメージ的に「昭和世代」だと思っていますが
よくよく考えてみると「昭和」は二十歳になる直前に
終わってしまったので「平成」を過ごしている時間の方が
圧倒的に長いのですよね…
おそらく…というかほぼ間違いなく
「令和」で過ごす時間は「平成」を超えないでしょうねぇ
しかしながらやはり多感な10代を過ごした昭和後期は
私にとってやはり特別な時代であることに変わりありません。
最近やたらと昭和50年代~昭和末期のモノを見ると
やたらと懐かしさと切なさが沸き上がるのですが
これも歳のせいでしょうかね…(笑)
ちなみに当店で扱うカメラは全て「昭和」に造られたものですね!

さてさて

今日は「ヤシカTLエレクトロX ITS」のカメラ修理を行っています。
ちょっとニッチなカメラですね。
「エレクトロX」自体は1969年発売でその際はシルバーボディだけでした。
翌年の1970年にブラックボディの「ITS」が追加されています。
シルバーエレクトロXと「ITS」の違いは単なるボディカラーだけではなくて
軍幹部のデザインにも若干の変更があり
フラッシュシンクロX接点が1/90から1/125へと変更されているようです。
ヤシカの「エレクトロ」というと
レンズ一体型レンズシャッター機の「エレクトロ35シリーズ」がヒットして
有名ですし現存台数も非常に多いですが
その「エレクトロ35」で培った電子制御技術を一眼レフに応用したのが
「TLエレクトロ」だと思われます。
ただし「エレクトロ35」では露出も絞り優先オートで
電子制御のメリットをうまく生かした印象がありますが
「TLエレクトロ」では露出はマニュアルのみです。
電子制御シャッタらしいのは1/15~1秒のSSを無段階で設定できるくらいです。
まだまだ電子制御機としては初期のものですし
過渡期でもあったのだと思われます。
電源が入らない(電池が入っていない)場合でもシャッターは切れますが
全く制御されずに最高速の1/1000で切れてしまいます。
この類のカメラの宿命でもありますが電池がないと何も始まりません。
上カバー部のBCボタン及びBCランプや
露出が外れている際に出るファインダー内の矢印ランプは
エレクトロ35の面影もあります。
ただ注意が必要なのは露出が合っているときは逆に何も点灯しないのです。
〇印とかグリーンランプとか何かあればわかりやすいのですが…

お預かりしている「TLエレクトロX ITS」は電池室の腐食がそれなりにあり
安定しないものの何とか電源は入ります。
ただし巻上及びミラー駆動部に機械的な問題があり
巻き上げるとミラーアップしてしまい巻上が完了した瞬間に
シャッターが勝手に切れてしまいます。
(ミラーアップしているので先幕シャッターロックが外れているのですね)
ミラーがダウン状態でロックされないことが原因と思われますが
ロック機構部の動作不良か何かかと思われます。
細かい動きは電池室の腐食のせいで電源が安定しないため
ある程度修理をしながら確認するしかないようです。
致命的な電気的問題はないかとは思われますが…
この類のカメラはやってみないとわからない部分が多いので
少々手探りで行っていきます。

オート制御がない分、意外とややこしくはないのですが
そこはやはりこの時代の電子制御機ですので
取り扱いには十分な注意が必要です。
シャッターユニットはお馴染みコパルスクエアで
開閉制御のみをマグネット及び電子制御で行います。
フィルム室の巻上スプールが独特の形状で
「あれ?これ最近何かで見たぞ…」と思っていたら
「KONIREEL」の刻印がスプールにありました。
一昨日のブログで紹介した「コニカオートS2(EL)」にも
搭載されていたのでそりゃ見覚えあるはずですね…
提携していたのでしょうかね…
ちなみに後から調べたら「ITS」の後期モデルだと
通常のスプールが搭載されているようです。
さて、ここからは集中力の必要な部分なので
神経を張り巡らせて作業にかかりたいと思います。

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ミノルタSR-1のカメラ修理

今日は「学校給食記念日」だそうですよ。
日本国内における「学校給食」は
明治22年以来、全国に広がっていきましたが
戦争の影響もあり中断となっていました。
それが食糧難による児童の栄養状態の悪化を背景に
学校給食の再開を求める国民の声が高まるようになり
昭和21年6月に米国のLARA
(Licensed Agencies for Relief in Asia:アジア救済公認団体)から
給食用物資の寄贈を受けて
昭和22年1月から学校給食が再開されました。
同年12月24日に、東京都内の小学校でLARAからの給食用物資の贈呈式が行われ、 それ以来、この日を学校給食感謝の日と定められ
後に「学校給食記念日」とされました。
ただし通常この時期は冬休み期間であることもあり
1951(昭和26)年から学校給食記念日の1か月後の1月24日から1週間を
全国学校就職期間としていて
各地の学校での「給食記念日」は1月24日となっているそうです。
あー、ややこしいですね(笑
でも小学校の給食には思い出がたくさんありますねぇ
世代がバレますが四角い銀紙に包まれたマーガリン
ソフト麺にミートソース、
始まったばかりの「米飯給食」にカレーやハヤシライス、
飲んだ後に踏みつぶして遊んだ牛乳三角パック
くじらの竜田揚げ、揚げパン、冷凍ミカン。。。
おおお。。。思い出しているといろいろ出てくるぞ(笑
それに関連して小学校であったいろんな出来事も思い出しますねぇ
たまには古い記憶の引き出しも開けてやらんと
二度と開かなくなってしまいますからねぇ…

さてさて

本日は「ミノルタSR-1」のカメラ修理を行っています。
SR-「1」というからにはミノルタ最初の一眼レフで
最上位機種かと思ってしまいますが
ミノルタ最初の一眼レフである最上位機種なのは
1958年に発売された「SR-2」で「SR-1」は翌年の1959年に
「SR-2」の普及版として発売されたカメラです。
数字の大きいほうが上位機種という考え方だったのですね。
普及版とは言えど初期の「SR-1」は中身の構造的には
「SR-2」とほぼ変わりはなく
差別化するためにSS最高速を1/1000から1/500に
変えられたくらいの変更しかありませんでした。
ただ、トップモデルが「SR-2」から「SR-3」、「SR-7」へと
モデルチェンジする中、ベースモデルの変化に伴って
実質的にはモデルチェンジするものの
モデル名称は「SR-1」はずっと「SR-1」のままだったのです。
そのため同じ「SR-1」といえど外装のボディ形状だけでも
4種類の「SR-1」が存在するというややこしい状態になってしまっています。

お預かりしてる「SR-1」はボディ正面巻上側に外部露出計装着用の
ソケットが設けられており、それに伴って「SR-1」のロゴは
巻き戻し側に移動しています。
「SR-1」のロゴの文字色は黒ではなく初代と同じく緑色で
フィルムカウンターは巻き戻し側に設置されています。
これらのことから「SR-3」ベースの1960年後期から1961年前期型かと思われます。
(SR-3ベースというより
この「SR-1」をベースに1/1000を追加したものが
「SR-3」と言えるかもしれません)
状態としてはシャッター動きが非常に悪く
何とかシャッターは切れているものの頻繁にミラーアップを起こすような状態で
高速シャッターの精度も出ていません。
逆に低速シャッターではスローガバナが粘ってしまっています。
装着されているオートロッコールPF55mmF1.8は
絞り羽根が固着気味でシャッタと連動して
うまく絞りが動作することができません。
ボディ側・レンズ側共に致命的な破損等はないのですが
とにかくスムーズに本来の動きができるように
整備を必要としている状態です。
このままではさすがに普通に撮影に使うことはできません。

初期からこの時代のSR系は
モルトがほんのわずかにしか使われていません。
フィルム室も通常ならモルトで埋められている溝部分に
モルトはなく構造的に二重構造で遮光するようにできています。
きっちりコストをかけて造られていることがわかります。
ただしモルトはなくてもプリズムの腐食は多いカメラで
プリズム自体の蒸着が少々弱いのか
経年劣化で蒸着剥がれが起こっているものが多い印象です。
今回のSR-1も目立つほどではなく交換までは必要ではないですが
細かく見ていくとわずかな点腐食が数ヶ所と
中心部にうっすらと縦線が出てきています。
まだ分解整備取り掛かったばかりの状態ですが
これから巻上・シャッター幕軸、ミラー駆動部等々
動作部分を徹底的に清掃していきます。
その上で最小限の注油を行い調整を行って精度を出していきます。
元々は非常に丈夫な構造のカメラなので
しっかり整備を行えばまだまだ元気に撮影できるカメラだと思います。

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コニカオートS2のカメラ修理

今日は「東京タワーの日」
(1958(昭和33)年12月23日完成(竣工)し、完工式が行われた)
で、「テレホンカードの日」
(1982(昭和57)年12月23日、日本電信電話公社(電電公社、現:NTT)により
東京・数寄屋橋公園に磁気テレホンカード対応の公衆電話の1号機が設置された)
さらに上皇様の誕生日(平成の天皇誕生日)ですね
どれも時代の移り変わりを感じるものばかりです。
でも東京タワーは現在でも
スカイツリーと並んで東京のシンボルですね!
特別展望台から上の部分に使用されている鉄材の原料には
朝鮮戦争後にスクラップされたアメリカ軍の戦車が使われているそうです。
これは当時の日本では良質の鋼材に恵まれず
またアメリカにとっても旧式戦車を売却して
新型戦車を製造した方がメリットが大きかったためだそうです。
いろいろな時代背景が関係しているのですねぇ
しかしテレホンカードはさすがに過去のモノになりましたね
当時のアイドルやいろんなその時代ならではの図柄の
テレホンカードがオークション等でほとんどのものが
比較的お安く売られています
中にはプレミアでお高いものもありますが…
ちょっと見ていると懐かしい気分になってきて楽しいですねぇ
さすがにもう使うことはないですかね…

さてさて

本日は「コニカオートS2」のカメラ修理を行っています。
意外とこのカメラの修理依頼も結構多いのですよね。
自宅で眠っていたものがこのカメラだったというパターンが多いのですが
それだけ良く売れたカメラだったということですね!
当時発売されていた「コニカSシリーズ」に
シャッタスピード優先オートを搭載し
より簡単に撮影できることをセールスポイントとしたカメラです。
もちろんマニュアル撮影も可能です。
マニュアルのSシリーズでは露出計はセレン光電池を使ったものでしたが
オートSシリーズは登場時から受光体はCdSを採用していました
最初の「オートS」ではボディ左肩部にCdSが配置されていましたが
「オートS2」でレンズ枠内上部に移動され
フィルター使用時等の補正が必要なくなりました。
レンズもヘキサノン47mmF1.9からヘキサノン45mmF1.8に変更されています。
1964年発売のカメラです。

「オートS」は上記の通り受光体がCdSの露出計なので
当然ながら電池が必要です。
…となればやはり電池室周りのトラブルが多いのですが
今回の「オートS2」は水銀電池を入れっぱなしではなかったようで
あまり電池室に深刻なダメージはありませんでした。
しいて言えばバッテリーチェック時のSWに接触不良があるくらいです。
ただしシャッターユニットにはいくつか問題があって
まずスローガバナが粘り気味で場合によっては
シャッターが開いたまま固着してしまいます。
セルフタイマーは完全に固着していて
スライドしてオンにすると完全に固まったまま動かなくなってしまいます。
シャッター羽根そのものにも若干の粘りがあり
…となると当然ながらそれより小さな力で駆動する
オート時の絞り羽根制御にも粘りが出てしまっています。
さすがに登場から60年近く経過するカメラです。
使われずに仕舞い込まれたままの時間も相当あったことを考えると
このくらいの動作不良は当たり前にあるのが普通と思われます。
加えてやはりファインダー、レンズにはそれなりに
汚れやカビが見受けられます。
完全にはクリアにならないかもしれませんが
実用上問題のないレベルにまではクリアに仕上げたいと思います。

これからさらに距離計を降ろして
レンズボードを分離し
シャッタユニット及びレンズ周りから
清掃整備を行っていきます。
完全マニュアル機の「S」に比べると
指針挟み込み式のオート制御がある分
こちらのほうが少々ややこしいですが
それでもこのカメラの整備性は良好です。
やはり大きさにそれなりに余裕があるので
造りや整備性にも余裕が感じられます。
コンパクトなカメラは確かに使っていて便利ですが
整備性まで考えると
この時代のこの大きさのコンパクト(?)カメラは
なかなか捨てがたいものがありますね
ファインダーやレンズ設計にも余裕があると思います。
今回もしっかり整備して
まだまだ当分快適に使用できるように仕上げていきたいと思います。

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ニコマートFTNのカメラ修理

今日は「冬至」ですね。
北半球では太陽の高さが一年で最も低くなる日。
そのため一年中で最も昼(日の出から日没まで)が
短くなり、夜が最も長くなります。
ユズを浮かべた柚子湯(ゆずゆ)に入り
カボチャを食べるというのが定番ですが
今日は実は「スープの日」でもあるようです。
温かいスープをより美味しく感じることができる「冬」であり
「いつ(12)もフーフー(22)とスープをいただく」と
読む語呂合わせから12月22日に制定されているようです。
確かに温かいスープがより美味しく感じられる季節ですよねぇ
「世界三大スープ」としては、
フランスの「ブイヤベース」、
中国の「ふかひれスープ」、
タイの「トムヤムクン」が挙げられることが多いのですが
ウクライナやロシアの「ボルシチ」、
フランスの「コンソメ」が入る場合もあるそうです。
確かにどれもこうやって書いているだけで美味しそうですが
やはり私たちに身近なスープは「味噌汁」ですよねぇ
これがまた地域別で味噌の種類や具の違いで
論争が巻き起こるテーマですねぇ(笑
私は昔から地元で馴染んだ甘口の白味噌が一番落ち着きます
味噌汁って家の味があるのですよねぇ
微妙に甘くて玉ネギのたくさん入った
ばあさんの味噌汁もう1回飲みたくなってきました(笑

さてさて

本日は「ニコマートFTN」のカメラ修理を行っています。
ニコマートはフラッグシップが「F」、「F2」の時代の
ニコンFマウント中級一眼レフカメラのブランドです。
機械制御の「FT系」と電子制御の「EL系」に大別されます。
その中でもおそらくこの「FTN」が
ニコマートシリーズの中で最も売れたカメラで
現存数も最も多いカメラではないかと思われます。
ユニット化され低コストで搭載でき非常に堅牢な
「コパルスクエアシャッター」を採用し
中級機とは言え非常に丈夫に造られていて
これより前に、残念ながら成功とは言えなかった
ニコレックスシリーズとは比較にならない安定性を実現しています。
高級機らしい「F」のしっとりとした作動音に比べると
さすがに騒々しい部分は目立ちますが
特にシャッター・巻上周りに関しては「F」に迫るほどの安定さがあると思います。
さすがに細かく内部を見ていくと確かに「F」ほどの
部品のオーバークオリティさや緻密さはないのですが
必要十分なレベルを持っていると思います。
強いて言うならばミラー駆動周りに若干トラブルが多いことと
露出計周りはさすがにトラブルが多い印象です。
それでも露出計に関しては「Fフォトミック系」も
トラブルは多いので同じようなものですね。

お預かりしている「ニコマートFTN」も
かなり長い間島こまれて使われていなかったらしく
各部の動作が少し重い感じがするのですが
とりあえずは何とか動作している状況です。
やはりミラー駆動部の動きが特に重く
明らかにゆっくりとしかミラーアップできない状態です。
それでも細かい精度はともかくとしても
シャッター自体は何とかある程度のレベルで動作しています。
さすがに露出計は電池を入れても動きません。
電池室に緑青が少々見受けられるので
電池室裏のハンダや配線がダメな様子です。
ニコマートの露出計はSSリング、絞り設定に連動した
「マイラー抵抗」と呼ばれる摺動抵抗体の汚れや劣化が
心配される部分で汚れならまだしも劣化で抵抗体が剥がれていると
修理が格段に困難になります。
今回は汚れはそれなりにあったものの
大きな劣化はないようです。

さすがこの時代のニコン機なので整備性も非常に良好です。
ただしファインダー周りの少々ややこしいところに
結構な内部モルトが使われており
劣化したモルトの除去と交換が少しばかり大変です。
巻上・ミラー駆動部は入念に清掃の上に注油を行い
シャッターユニットも整備を行っていきます。
コンデンサレンズや接眼レンズはさすがにカビが大量発生です。
侵食して除去できないクモリになるほどではなく
入念な清掃で十分にクリアになりそうです。
付属するレンズも同様の状態でしたがそちらもしっかり清掃を行います。

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キヤノンFTのカメラ修理

今日はピンとくる記念日のない日ですねぇ…
いや記念日がないわけではないのですが
あまりにも興味をそそられるものがないだけなのですが…
で、過去の12月21日の出来事を調べてみると…
1971年に首都高3号渋谷線が全線開通していますね。
C1を渋谷から分岐して東名高速へと繋がる道路です。
東名のインターの近くに住んでいたことも過去にあり
3号線は馴染みのある高速道路ですが
ここもとにかく渋滞するのですよねぇ…(苦笑)
それにしても開通して50年以上…首都高は新しい路線も
いろいろ造られていますが基本はやはり古いですね
ちなみにC1(都心環状線)が全線開通したのは1967年です
最初に東京に来た頃はたまに運転しても
首都高速の複雑さと渋滞に圧倒されていましたが
慣れてきて道も覚えてくると首都高って本当に便利ですし
走っていても楽しい道路なのですよねぇ
…渋滞さえなければ…(笑
C1なんて普通に走れれば1周15分もかからないはずなのに
夕方ラッシュ時になんかに乗ってしまうと
途方もなく延々と続くような錯覚に陥ります…
そこから放射線状に広がる1号~11号も同様です。
特に3号は東名と連絡するため渋滞がひどい印象です…
でも遠出するために夜明け前の速い時間に3号や4号に乗って
東名や中央道に連絡していくと
いかにも「遠くに行くぞ!」という雰囲気で盛り上がりますね
今や高速に乗る足もないので随分そんなのともご無沙汰ですが…(苦笑)

さてさて

本日は「キヤノンFT」のカメラ修理を行っています。
以前にも書きましたが意外とFTの修理依頼は多いのですよね
最近はFTbよりも頻繁に整備しているような気がします。
TTL絞込測光機です。このカメラから
キヤノンお得意のコンデンサレンズにハーフミラーを組込み
コンデンサレンズ背後にCdSを配置するレイアウトとなります。
一般的な接眼レンズ脇にCdSを配置するより正確な
測光を行うためなのが主目的ですが
副産物としてこの時代の一般的な平均測光や中央部重点測光ではなく
中央部部分測光となりました。
露出の知識がある程度付いてくるとファインダー内で輝度差の大きい場面では
中央部部分測光の方が露出決定しやすいと個人的にも思います。
ちょっと玄人好みな測光方式ですね。
そしてこれもこの時代のキャノンお得意の
QL(クイックローディング)を搭載します。
こちらは知識の有無に関係なく誰もがフィルム装填を楽に行える
画期的な機能だと思います。
これも時代が進んで裏蓋にデータバック機能等が付き始め
裏蓋交換が簡単にできなければいけなくなると
消えて行ってしまう機能なのですが
今となってはデータバックより
QLのほうが役立つのではないかと…(苦笑)

お預かりしているFTはかなり長い間仕舞い込まれて
眠っていた個体かと思われます。
FT…というよりFシリーズ全般に言えますが
長期間仕舞い込まれている場合はかなりの高確率で
プリズム腐食が発生します。
プリズム抑えのモルトが引き金になっている場合が多いですが
今回はそれもありますがそれ以外の部分も
蒸着剥がれが起こっていて全体的にモヤモヤだらけです。
どうにも交換で対処するしかない状態ですが
FT、FP、FXのキレイなプリズムは年々入手が難しくなっています。
今回は何とか入手できましたが
いずれはプリズム交換で対処できなくなる日も近いかもしれません。
電池室には古い当時の水銀電池が入ったままになっていたため
電池室やその周辺の配線の腐食が心配されましたが
意外と状態は悪くなくSW部の接触不良等はありましたが
思ったほどの大きなダメージは受けていない様子です。
ただしシャッター・巻上周りは汚れや古い油脂が
もはや抵抗となっていてまともには動けない状態です。
動作しないわけではないのですが
高速シャッター時の先幕後幕のバランスはしっちゃかめっちゃかで
スロー時にはガバナが固着してしまっています。
巻上の感触も明らかな油切れで妙な重さを感じスムーズさはありません。
このあたりの駆動箇所は全て清掃整備が必要な状態です。

画像はまだ分解取り掛かり始めの段階ですが
いつものごとくプリズム抑え裏のモルトが激しく劣化しています。
薄っぺらなプリズムカバーを乗り越えて
プリズム本体にも影響が出てしまいます。
プリズム周りは仕方がないですが
他は長い間仕舞い込まれていた割には
思ったほどのダメージはありません。
もちろんまともに動作できない場所は多いのですが
普通に清掃整備を行えば問題なく動作する状態に復帰しそうです。
まだ作業途中ですが清掃注油を行った幕軸やミラー駆動部は快調で
この時期のキヤノン機らしい「パシッ」とした
歯切れの良い動作音を響かせています。
ご依頼者様には改めてこのカメラの本来の姿を見てもらって
存分に撮影を楽しんでいただきたいと思います。

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オリンパス35DCのカメラ修理

今日は「日本人初飛行の日」だそうです。
1910(明治43)年のこの日に
東京・代々木錬兵場(現:代々木公園)で
陸軍軍人(工兵大尉)徳川好敏が日本初飛行に成功したそうです。
実際には5日前の12月14日に、陸軍軍人・日野熊蔵が
飛行に成功していたそうですが
公式の飛行実施予定日ではなかったため
「滑走の余勢で誤って離陸」と報告されているのだそうです。
飛行機はフランス製の複葉機で
飛行時間は4分・最高高度は70m・飛行距離は3000mだったそうです。
たった70m…いや70mもあるのに
あの身の周りに何もない原始的な複葉機…考えただけでも怖いですねぇ(笑
しかしながらその日本人初飛行から100年ちょっとで
飛行機の高度は1万mを超えるのは当たり前で
数は少ないですが速さは音速を超えるものもあり
飛行距離は長いもので1万5千kmを超えています。
技術の進歩ってこうしてみるとすごいですよねぇ…
あと100年経ったらどうなってしまうのか…
ただ…私は高所恐怖症とかではないですが
もう積極的に飛行機に乗りたいとは思わないかな…(苦笑)
それほど遠くに行きたいとも思わないですし…

さてさて

本日は「オリンパス35DC」のカメラ修理を行っています。
1971年発売のカメラです。
「DC」はデラックスなコンパクトの頭文字です。
このあたりのネーミングも時代を感じますね。
「オリンパス35シリーズ」は1940年代から続く
オリンパスのレンズシャッター機のシリーズで
数多くの種類が存在しますが
1968年の「トリップ35」以降は時代も反映して
まさに「コンパクトカメラ」の名に相応しい
気軽に持ち歩ける小さなカメラをラインナップしていきます。
「35DC」もその一員ですがデラックスなコンパクトなので
小さなボディ本体に大口径の40mmF1.7レンズを組み合わせています。
この時代のフィルム感度は100が標準な時代なので
大口径レンズはボケや描写を楽しむためではなく
光量不足の場面でも露出を確保するための大口径です。
それもあって組み合わせるシャッターは
シャッター羽根と絞り羽根を同じ羽根で兼用する
プログラムシャッターを搭載します。
さらにフラッシュ使用時にもプログラムオート撮影が可能な
世界初の自動フラッシュマチック機構や逆光補正機能も搭載し
「どんな場面でも簡単に撮れる」をセールスポイントにしたカメラです。
その造りの良さも相まって現在でも非常に人気の高いカメラです。

お預かりしている「35DC」はご依頼者様のご自宅で
長い間眠っていたものと思われます。
「35DC」はシャッターそのものは機械制御で
電気がなくても動きますが
露出計が動いていないとシャッターロックがかかるようになっているので
実質的には電池を入れないと何もできないカメラです。
今回も電池室にそれなりの腐食跡が見られるのですが
電池を入れてみると何とか露出計は動くようで
しゃったーを切ることもできました。
しかしながら露出計で指示されたシャッター速度とは関係なく
シャッター羽根はゆっくりとしか動きません
羽根が固着気味で粘っている…というより駆動部に粘りがあるような感じです。
そして巻上時に妙なゴリゴリ感があり
巻上が1回で終わらず1回と1/3くらい巻き上げないとチャージができません。
どうやら以前にシャッターロックが掛かっているときに
無理に巻き上げようとしたのではないかとおもわれます。
分解してみるとやはり巻上ギアに異様な摩耗というか
削れてしまったような痕跡があり、そこをギアが通過するときに
滑ってしまうようです。
さらに露出計はかろうじて動いている…と先述しましたが
やはり電池室裏には緑青でびっしり埋め尽くされていて
配線を軽くピンセットで触れただけで
電池室裏のハンダは外れてしまいました。配線交換も必要です。
意外と各部にダメージが見られる個体です。

巻上ギアは部品取り個体から中古良品を移植して対処します。
露出計周りの配線は全て交換で端子は磨いて再利用します。
他、シャッター、巻上はできる限りの整備を行い
露出計・オートの調整を行い
ファインダー、レンズはできる限りの清掃
距離計の調整も行います。
もちろんモルトは全滅なので全て交換です。
「35DC」はバランスの関係で落下させたときに
レンズ先端部を強打しているものが多く
その場合にかなり高い確率でASA感度設定環が破損して
回らなくなっているものが多いのですが
今回はそこは大丈夫でした。
結構いろいろ不具合を抱えている個体でしたが
問題なく快適に使える状態に仕上げることができそうです。

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ミノルタXEのカメラ修理

今日は「ナボナの日」だそうですよ。
そう!あの「ナボナはお菓子のホームラン王です!」のナボナです。
王さんが現役時代に出ていたこの名台詞のCMも
もう知らない人のほうが多いのでしょうねぇ…
1963(昭和38)年に発売され
もちろん現在でも人気商品です。
フワフワのクリームにこれまたフワフワのカステラ生地が
最高に美味しいのですが
残念ながらしばらく口にした覚えがないです…
昔ながらのチーズクリームの印象が強いですが
「今はどんな感じ?」と発売元の亀屋万年堂さんのサイトを見てみると
おぉぉぉぉ。。。今はまたいろんな種類が売っているのですねぇ
定番のチーズクリームはもちろん現役で
あんバターナボナとかバニラとかショコラ苺とか。。。
店舗限定の「生ナボナ いちごと小倉」なんて
最高に気になります…(笑
お休みの日に都内の店舗行ってみようかな…
食べ過ぎには注意ですが…(苦笑)
しかしこんなの見てると「甘いものモード」に
なってしまってたまりませんな…

さてさて

本日は「ミノルタXE」のカメラ修理を行っています。
ミノルタXシリーズとしては2台目の登場となるカメラで
1974年の発売です。
前年にXシリーズ最初のカメラでフラッグシップでもある
「X-1」が発売になっていて
こちらはこれまでの技術の集大成ともいえる布幕横走り機ですが
「XE」はライツ、コパルと組んで3社で開発した
「ライツコパルシャッター」という金属羽根縦走りシャッターを搭載し
絞り優先オートを装備した意欲作です。
シャッタースピードやらフラッシュ機能やらオート機能とかの
わかりやすいカタログスペックよりも
いわゆる「使い心地」を重視したカメラで
当時としてはめずらしいアプローチだったと思われます。
何と言ってもその魅力は滑らかな巻上フィールです。
感覚的なモノなので主観ですが
個人的にも縦走り機では一番だと思っています。
そしてこの時代なので決してさほど明るくはないのですが
キレの良いファインダーにふわりと動く視認性の良い露出計指針等々
確かに使っていて気持ちの良いカメラです。
ただ、これも時代を考えると当然ではありますが
ボディは少々大柄で重く取り回しはそれなりです。
反対に重厚さは強調されてデザイン的にも威風堂々としています。

電子制御機としては比較的初期のカメラであり
やはり電気関係にトラブルは多いカメラでもあります。
それでも致命的な電子部品不良とかは比較的少ないほうだと思います。
今回お預かりしている「XE」も
精度はともかくシャッターは各速切れているのですが
露出計に不具合を抱えています。
シャッターが切れているので電源はもちろん入って
露出計は明るさには反応していています。
シャッタースピードを変更するとそれに伴って
露出計の指針も変化しますが
レンズ側の絞りを動かしても露出計指針に変化がありません。
先日のOM-1でも同じような症状がありましたが
今回は物理的には絞りリングにボディ側の連動爪もちゃんと連動しています。
連動糸の不具合もなさそうです。
…となると可能性の高いのはその連動糸に組み合わさって動作している
ブラシに接する摺動抵抗の不具合かと思われます。
巻き戻しクランク下に配置されているこの抵抗に関するトラブルが
「XE」は非常に多いです。
よくあるのが明るかろうと暗かろうと露出計が上に振り切ってしまう症状ですが
この場合もこの摺動抵抗が原因であることがほとんどです。
…というより「XE」の露出計に関するトラブルの大部分は
この抵抗が原因となっている場合が多いのです。

他にもシャッタースピードの精度が非常に不安定だったりするので
機械的な部分と制御しているマグネット周りの整備も必要ですが
まずはこの露出計のトラブルの原因を確定するために
摺動抵抗周りのチェックを行っていきます。

ASA感度設定板の下に配置されるこの抵抗は
上面がASA感度設定板に連動していて
裏側(下面)がレンズ側の絞りリングに連動します。
画像左上はASA感度連動面が見えていますが
多少は汚れていますが本来の金色でまぁまぁキレイな状態です。
で、ひっくり返して裏面(絞り連動側)を見てみると(画像右上)
やはりかなり汚れて抵抗面がまっ茶色になってしまっています。
これでは反応しなかったり反応しても正しい抵抗値は出ません。
完全に取り外して清掃を行い
再びセットする前の状態が画像左下です。かなりキレイになりました。
で、動作を確認すると精度はあとで調整しますが
とりあえず絞り値にも連動するようにはなりました。

それから「XE」といえばプリズム腐食が定番ですが
今回はファインダーから見る限りプリズムの腐食は見られませんでした。
原因となるプリズム前面のモルトは以前に交換された形跡がありますが
かなり昔のことと思われ再びモルトが加水分解を起こしている状態でした。
蒸着面にまでは影響ないもののプリズム表面塗装部には
少々影響が出ています。(画像右下)
もちろんモルトは加水分解しない素材のものに貼り直し
腐食がこれ以上進行しないように対策を打っておきます。

巻上機構の整備も行い結果的にはお預かり時よりも
巻上も少しですがより滑らかになっていると思います。
本来の調子を取り戻した「XE」で
ご依頼者様には存分に撮影をお楽しみいただければと思います。

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オリンパスペンEEDのカメラ修理

今日は「大洗濯の日」だそうですよ。
「年末の大掃除」の洗濯版ですね。
年末の掃除や洗濯の準備を始めるのが12月の3週目が多く
しっかり取り組みやすい日としてその土曜日とし
12月第三土曜日に制定されているようです。
確かに大掃除も大物の選択もいきなり年末に
1日で終わらそうと思っても無理なのですよねぇ
毎年、「あぁ~もうここまでしかできないや…」って
妥協してますものねぇ…
そろそろできる部分から取り掛かりたいのですが
そもそも12月は何かと忙しくやはり無理がありますねぇ
結局、年末に限らず日頃から小まめに
整理整頓・掃除を行いなさい…ということですね(苦笑)
…とはいえ合間を見つけては日頃できていない部分の
掃除や整理整頓、大物の洗濯も始めたいと思います。
何事も「まぁいっか…」であきらめたらそこで終わりです。
(何かのマンガのセリフみたいになってきた(笑))
しかしながらその前に目の前の仕事はできる限りこなさなくては…(汗)

さてさて

本日は「オリンパスペンEED」のカメラ修理を行っています。
ペンと言えば「ペンS」や「ペンEE(EE2,EE-3)」の
依頼が多いですが「EED」は何だかひさしぶりですね。
ペンシリーズの中でもちょっと変わった立ち位置のカメラです。
ネーミングからは「ペンEEシリーズ」の一員のようでもあり
「ペンDシリーズ」の一員でもありそうなイメージですが
デザイン的にも機能的にもどちらとも微妙に異なる雰囲気を持っています。
「D」と名にふさわしく4群6枚Fズイコー32mmF1.7の
大口径レンズを搭載します。
「D3」の32mmF1.7レンズとはまた別設計なのだそうです。
そして「EE」ですから露出はプログラムオートです。
ただペンEE系のオート制御とはまた異なり
絞り羽根とシャッター羽根を兼用するプログラムシャッターを搭載します。
ここのブログにもよく登場する後に登場する35DCに
近い形のモノですね。
露出計はペンEE系がセレンなのに対しEEDはCdSです。
シャッター自体は機械制御ですが
プログラムオートで撮るカメラの為
電池を入れて電源が生きていないとシャッターの制御はされません。
露出計オフだとオート時には常に赤ベロが出て
シャッターが切れない状態になります。
(フラッシュモード時だと露出計連動がないので
シャッターは切れます)
機能的にも他のペンとは一線を画しますが
デザイン的にも直線基調でペンEEシリーズともペンDシリーズとも
全く異なるものです。
こうしてみるとなかなか孤高の存在で他に似たものがないカメラです。

お預かりしている「EED」はこのカメラに多いパターンですが
電池室が腐食してしまっていてマイナス側の端子が
取れて電池室内で転がっているような状況です。
もちろん露出計の電源は一切入りません。
過去に長い間、電池を入れたままにしていた時期があるのだと思われます。
端子が腐食して脱落しているような状況なので
電池値裏のハンダや配線はもちろん腐食してしまっている状態です。
まずは通電して露出計が動作する状態にして
露出計オートの調整を行いますが
その際に機械的な整備やレンズ・ファインダー清掃を行っていきます。
メインは露出計周りの修理ですが
やはり各部の動きも本調子とは言えない状態で
レンズやファインダーにもかなり汚れやカビが見受けられます。

画像は一通り整備の完了した状態のものです。
外像もできる限り磨き上げて
お預かり時と比べるとかなりキレイになっています。
もちろん動きも申し分ない状態です。
露出計・オートの精度も含めて
非常にスムーズに動作しています。
この状態であれば安心してお使いいただけると思います。
これから最終チェックを行って
問題なければ完成となります。
この四角いスタイリングは他のペンと一味違って
なかなかカッコ良いですよね!

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キヤノンデミのカメラ修理

今日は「電話創業の日」だそうですよ。
1890(明治23)年のこの日に
東京市内と横浜市内の間で日本初の電話事業が開始され
千代田区に設置された電話交換局が営業を始めたことが由来となっています。
加入電話は当初、東京155台・横浜44台で
電話交換手は女子7人・夜間専門の男子2人が対応したそうです。
当時の電話料金は定額料金で東京が40円・横浜35円。
この時代、1円で米が15kg買えたため
今の値段にすれば40円は24万円くらいに相当し
当時の電話はとても高価なサービスだったことが分かります。
加入数の少なさにも驚きますが
この通話料金の高さがスゴいですねぇ
携帯電話の出始めの頃に
その通話料金に閉口しましたが
そんなレベルどころじゃないですね!
でも離れた場所にいる人とすぐに連絡が取れるというのは
正に画期的だったでしょうね。
今でこそ通話する電話だけなく
通信手段はいろいろなものが当たり前にありますが
冷静に考えるとそれってすごいことですよねぇ…
私の子供の頃は電話は家電(いえでん)しかなくて
そこにかけるのも緊張したものですが…
今からさらに100年後あたりはどうなってるのでしょうねぇ
残念ながらそれを確かめることはできませんが…(笑

さてさて

今日は「キヤノンデミ」のカメラ修理を行っています。
「デミ」はフランス語で半分を意味する言葉であり
その名の通り「キヤノンデミ」は「ハーフ判カメラ」です。
「オリンパスペン」を始まりとして国内では
「ハーフ判ブーム」が真っ盛りで
キヤノンもかなり後発ではありましたが
1963年に、この「デミシリーズ」で参戦しました。
非常に明るい実像式ファインダーを採用し
ファインダー内部には贅沢にプリズムも使用し
レンズの光軸の真上にファインダー窓が来るように配置されています。
レンズは3群5枚のF2.8でシャッターユニットはセイコーシャLです。
その名の通りLV式のプログラムシャッターですが
デミではセレン光電池の追伸式露出計を装備し
その露出計指針にシャッター連動の追針を
合致させることで露出を決定します。
そして特徴的なのがハーフ判カメラでは少し珍しい
レバー式の巻上です。
ハーフ判はペンに代表されるように
ダイヤル式巻上を指の腹で回すものが多いのです
(写ルンですと同様ですね)
やはりレバー式の方が操作は楽ですし
またこのデミの巻上感触が軽くて滑らかで何とも気持ちよいのです。
個人的にはこの巻上感触がデミの一番の魅力だと思っています。

お預かりのデミはまず露出計が全く動いていません。
露出はオートではないとはいえ
プログラムシャッターを
追針合致式で露出決定するデミにとっては
やはり露出計が動かないのは致命的です。
加えてこの類のコンパクト機はフィルム室の遮光を
大量のモルトに頼るパターンが多く
デミもそうなのですが
モルトは当然ながら見事に全滅です。
さらにシャッター・絞りには粘りがあり
レンズ・ファインダーにも汚れがみられ
やはり全体的に整備の必要な状況です。

露出計不動はやはりセレン光電池が劣化のため
起電しないことが原因でした。
こうなるとセレンは交換でしか対処ができませんが
当然ながら新品部品は入手不可で
中古良品のセレンも最近はなかなか入手が難しくなってきています。
今回は何とか状態の良いセレンが入手できたので
交換で対応しています。精度も問題ございません。
レンズ・ファインダーは入念に清掃を行い
シャッター周りもしっかり整備を行いました。
全体的に非常にスムーズに動作しています。
何と言っても滑らかな巻上が気持ち良いです。
デミは初期モデルのボディは真鍮製で
後にアルミ製に変更されます。
今回のデミは初期の真鍮製です。
アルミ製だと少しボディ色が黄なりになり見比べるとすぐにわかります。
レンズの飛び出しがほとんどないかわいいフォルムも
何とも魅力的なカメラです。
ちなみにフィルムカウンターは巻上に2回に一度
一気にふたコマ分進む仕様です。
使っていても非常に楽しいカメラです。
ご依頼者様にも存分にお楽しみいただければと思います。

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