ミノルタオートコードのカメラ修理

今日は「日本人初飛行の日」だそうです。
1910年(明治43年)のこの日に
東京・代々木錬兵場(現代の代々木公園)で
陸軍軍人徳川好敏が日本初飛行に成功のだそうです。
飛行機はフランス製の複葉機でした。
実際はこの5日前に飛行に成功していたらしいのですが
公式の実施予定日ではなかったので
「滑走の余勢で誤って離陸してしまった」と報告されたのだそうです。
空を飛ぶってやっぱり夢がありますよねぇ。。。
実際に飛んだ同じ複葉機の写真を見ましたが
身体を守るものも何もなく、結構怖そうです(笑)
身体ひとつで鳥のように飛べたら
本当に気持ちよいでしょうねぇ。。。
技術が進歩してもなかなかそのレベルには到達しそうにないかな。。。
その前に私の寿命が尽きますね(汗)

さてさて

本日は「ミノルタオートコード」のカメラ修理を行っています。
1950年代に巻き起こった二眼レフブームでは
ローライをお手本にした二眼レフが非常に数多く
国内でも生産・販売されました。
基本的にはローライコピーでも
日本製ならではの独自の進化を遂げています。
そんな日本製二眼レフの中でも最高峰と位置づけられることが多いのが
ミノルタオートコードです。
前身の「ミノルタコード」で採用した
フィルム平面性確保のため従来とは逆に上から下に巻き上げる方式や
迅速にピント合わせを可能とする振り子方式のピントレバーを受け継ぎ
絞り・SS情報はビューレンズ上部に表示窓を設定し
上から簡単に確認できるようになりました。
レンズは評価の高いテッサータイプのロッコール75mmF3.5
フィルム装填はスタートマーク合わせのセミオートマット
巻上はクランク式でセルフコッキングです。
最初のモデルは1955年発売で
細かいマイナーチェンジを行いながら10年以上生産されました。
国産二眼レフを語る上で外せないカメラだと思います。

お預かりしているオートコードは比較的初期のモデルかと思われます。
外装もキレイで比較的状態の良い個体かと思われますのですが
レリーズボタンを押しても全く無反応です。
巻上も完全にロックしたままとなってしまっています。
シャッター羽根が完全に固着してしまっているようです。
羽根が固着しても巻上ロックは何とか解除される場合も多いのですが
今回はシャッターがじわりとも動かないくらい固着してしまっているようです。
シャッター羽根がこれだけ固着するほどですから
やはり絞り羽根にも粘りが出てしまっています。
いつも書きますが粘っている絞り羽根を動作させるのは
極力避けたほうが無難です。
場合によっては絞り羽根の破損につながります。
オートコードで心配されるのはレンズの状態で
後ろ玉のコーティングが劣化している個体をよく見かけます。
後ろ玉が曇ってしまっているものは
清掃しても改善しないものがほとんどだと思われます。
今回お預かりのオートコードはそのこのところは問題なく
通常の清掃でかなり良い状態にすることができました。

写真は一通り整備が終わった後の状態です。
動きもすっかり安定しているようなので
最終チェックを行い問題なければ完成です。

そういえば以前にも書きましたが
オートコードは撮影が終わってフィルムを巻き取った後
最後に格納位置から半回転くらいさせ
その後、逆転させて格納位置にクランクを戻してから裏蓋を開けます。
こうしないとカウンターに▲が出ず
次の装填を正しく行えなくなるので注意が必要です。
説明書にも書いてあるのですが
説明書がない個体が多いですからなかなかわからないですよね。
この時代のカメラを改めて使う場合には
できるだけ説明書を入手して熟読してから操作することをお勧めします。
大まかな使い方に変わったことは少ないと思いますが
細かい使い方で結構大事なことが説明書に記載されていることが多いのです。

私もじいさんから引き継いだオートコードLを持っていますが
最近ちょっと出番がなかったですね。
たまにはしっかり動かしてやらないと。。。

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