キヤノンAE-1プログラムのカメラ修理

今日は「セメントの日」だそうですよ
1875年5月19日に官営深川工場で
日本初のポルトランドセメントができたことが由来となっています。
それまでのセメントは輸入に頼っていて
かなり高価なものだったのだそうです。
全く話が変わりますが
うちのじいさんは私と違って起用で何でもこなす人で
家のことも大抵のことは日曜大工でやってしまうのです。
で、玄関や勝手口の土間もセメントで塗り固めて
キレイに仕上げてしまうのですね。
乾く前にちょっとだけ踏んでみたくて
しかたがなかったのですが
そんなことした日にゃ烈火のごとく怒られるのが
目に見えているので我慢していました。
じいさんの家庭内セメント塗り業務の対象は
そのうち家から急坂を1時間以上歩いて行かなくてはならない
灰ヶ峰の中腹にある墓所に向けられます。
私は当時小学校低学年だったので大して手伝ってはいないのですが
くっそ重いセメント袋や川砂
雨水をためるためのドラム缶等々、作業に必要なものを
じいさんが背負子に担いで墓所に登っていくのに
ついていっては「じいさん、熊みたいだなぁ」と思っていました。
巻き込まれるばあさんはかなり不満を言っていましたが(笑
その頃のじいさんの苦労の甲斐あって
墓所敷地内はキレイにコンクリで固められていて
微妙に傾斜もついているので水もたまりません
さすがにあれから40数年経つので
コンクリの割れや隙間から雑草は生えてきますが…
もう私しか参る人もいないし
甲斐性ナシの私のせいでもう入る予定の人もいないし
また枯葉で埋まっているだろうなぁ…
少しでもコロナが落ち着いたら墓掃除に行かなくては…

さてさて

本日は「キヤノンAE-1プログラム」のカメラ修理を行っています。
結構なバリバリの電子カメラです。
前身のAE-1と比べても機械的な基本部分は共通ですが
さらに電子制御が進んでいます。
AE-1ではまだ存在した糸連動もなくなり
リード線の数もずいぶん減っています。
でも機械的動作部分の構造はAシリーズすべてに共通の
最初のAE-1がベースですから
やっぱり定番のシャッター鳴きは起こるのです。
今回お預かりの個体もシャッターを切ると
「ギャイン」と非常に耳障りな音を発します。
音の問題だけならまだ良いのですが
シャッター鳴きの起きている個体は
ミラーの動きも悪くゆっくりです。
ミラーがゆっくりとしか動かないということは
シャッターレスポンスが悪く
レリーズボタンを押してから実際にシャッターが切れるまで
一瞬タイムラグが出てしまいます。
動きモノを撮影するには致命的な症状です。
さらにシャッター鳴きを放置しておくと
そのうちミラーそのものが全く動かなくなり
シャッターが切れなくなります。こうなると末期症状です。

今回のAE-1プログラムはシャッター鳴きだけではなく
電源も非常に不安定です。
かなり長い間仕舞い込まれていた個体と思われ
あちこちの接点で接触不良が起こっているようです。
電源がある程度安定してきても
今度は露出計が安定せず
非常に明るい光源にレンズを向けているのに
露出計はF1.4を振り切ってしまうことが頻繁に起こります。
どうやらASA感度設定部の摺動抵抗部の汚れが原因のようです。
オート時の絞り連動レバーの動きもかなり重いので
オート露出も不安定です。
AE-1プログラムでありがちのトラブルが
致命傷レベルではないものの
少しずつすべて出ているといった感じです
一通りの整備が必要かと思われます。

シャッター鳴きの原因はすでに有名ですが
駆動のギア部です。
マウントネジ部から注油するなんて方法も有名ですが
ピンポイントで必要最小限の注油を行わないと
周辺部には電気接点もあるので
他のトラブルを呼び込む可能性もあります。
今回は…というより私はミラーボックスを降ろして
原因のギア部がちゃんと確認できる状態で
最小限の注油を行います。
こんかいはそんなことはなかったですが
たまにAシリーズのカメラで
開けてみると油だらけでどうしようもなく
でも肝心のギア部には油が届いておらず
シャッター鳴きはしているという最低な状態のカメラも
たまにみかけます。
自己整備・修理は自己責任ではありますが…(苦笑)

一通りの整備は行って
あとは微調整・清掃等々のみを残す状態です。
お預かり時に比べると全体的に操作も軽く行えるようになりました。
今回も快適に使っていただける状態になりそうです。

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