今日は「電話創業の日」だそうですよ。
1890(明治23)年のこの日に
東京市内と横浜市内の間で日本初の電話事業が開始し
千代田区に設置された電話交換局が営業を始めたそうです。
当時の加入電話は東京155台・横浜44台で
電話交換手は女子7人・夜間専門の男子2人が対応したのだそうです。
当時の電話料金は定額料金で東京が40円・横浜35円。
この時代には1円で米が15kg買えたため
今の値段にすれば40円は24万円くらいに相当し
当時の電話はとても高価なサービスだったことが分かります。
今から133年前のできごとですね。
今や個人需要では固定電話より携帯電話が当たり前で
通話料金をそれほど意識しない場面が多くなってきてることを
考えると時代の違いを強烈に感じますね。
確かに133年前まで行かなくても私が中学生くらいだった
40年前と比べても今の通信状況は
その頃の想像を超える世界だと思います。
黒電話でダイヤルを回して「親が出たらどうしよう…」と
ドキドキしながら電話をかけていた頃が懐かしいですねぇ(笑
さてさて
本日は「ミノルタオートコード」のカメラ修理を行っています。
国産二眼レフの最高峰と言われることも多い名機です。
オートコード自体は1955年の発売で
その後、小変更を繰り返しながらいくつかのモデルが発売されます。
そして今回お預かりしている「オートコードⅢ」が
1965年に発売され、このカメラがミノルタ二眼レフの
最終モデルとなります。
前身の「ミノルタコード」からピント合わせは
レンズボード下部のレバー式となり
クイックで綿密なピント合わせが可能になり
「ミノルタコードオートマット」から
フィルム送りは通常とは逆の上から下へ巻く方式になり
フィルムの平面性を高めています。
そして「オートコード」にモデルチェンジされた際には
上記の特徴を引き継ぎつ絞り・SSの露出情報を
ビューレンズ上に集中表示する方式となり
さらに使いやすさを高めています。
レンズは共通してテッサータイプのロッコール75mmF3.5を搭載しますが
1965年に「オートコードCDS」と「Ⅲ」が出た際に
新ガラス・新コーティングを採用した「ニューロッコール」に変更されています。
…という感じでやはり今回の「Ⅲ」が
ミノルタ二眼レフの集大成と言えるモデルではないかと思います。
お預かりしている「オートコードⅢ」は
まずご依頼者様からご指摘をいただいているのは
「ピントレバーが重い」というところです。
実際にゆっくり動かしてみようとしましたが
思っていた以上に重いです。
「これはマズそうだ」と思い、
それ以上この状態で動かすのはすぐにやめました。
…というのもこのミノルタ独特のピントレバー
金属疲労で脆くなっているモノも多く
重い状態で無理に動かしていると
突然、パキンと折れてしまうことが多いのです。
そのためオークション等でも
ピントレバーの折れたオートコードをよく見かけます。
本来の軽く動かせる状態であればそうそう折れることはないと思いますが
今回もそうですがヘリコイドのグリスがかたまりかけていて
ピントレバーが重い、あるいは動かない状態の個体は多いと思われます。
そしてその状態で無理して動かしていると
ピントレバーは割と簡単に折れてしまいます。
破損のためピントレバー交換となると
中古だとしても部品を入手することが大変困難なため
当店では修理不可能となってしまいます。
まだ現状をチェックしているような段階で
具体的な作業はこれからです。
シャッターは全速動作はしていますが
やはり若干の羽根粘りもあるようです。
機械的駆動各部の整備を含めて全体的な清掃整備を行っていきます。
もちろんヘリコイドグリスは古いものをいったん落として
新しくグリスを入れていきます。
どのタイプのものもそうですが
オートコードはやはり質感も含めて高級感あるデザインです。
こうして眺めているだけでもなんだか楽しくなってきますね。
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