日別アーカイブ: 2021年3月6日

キヤノン7のカメラ修理

今日は「スポーツ新聞の日」なのだそうです。
1946(昭和21)年のこの日に日刊スポーツ新聞社により
日本初のスポーツ新聞『日刊スポーツ』が
創刊したことが由来となっています。
駅売りやコンビニのスポーツ新聞とか
毎朝のように買っていた時期もありましたが
これも先日の「雑誌の日」と一緒で
最近は全部ネットでことがすんでしまうのですよねぇ
そもそも普通の新聞だってとらなくなって
もう20年以上経ってしまっています(苦笑)
でもスポーツ新聞は今でもプロ野球が始まると
たまに買ってしまうのですよねぇ
もちろんカープが快勝した翌日限定ですが。。。
優勝したときにはさすがに各社のスポーツ新聞全部買いました(笑
そういえば今日からカープのオープン戦もスタートします。
今日はズムスタでヤクルト戦です。
まぁオープン戦なので結果は二の次ですが
やっぱり良い内容で勝ってほしいですねぇ
オープン戦が始まると春が来た!って感じがします
予定は未定ですが今年は数試合でも現地観戦できるといいですねぇ

さてさて

今日は「キヤノン7」のカメラ修理を行っています。
1961年に発売されたレンズ交換式フォーカルプレーンシャッターの
レンジファインダー機です。
この頃になると各社、いわゆるレンジファインダー機から
一眼レフへ移行する時期と重なっていて
1957年に「アサヒペンタックス(AP)」
1958年には「ミノルタSR-2」、さらに翌59年には「ニコンF」、と
既に現在でも人気の高い一眼レフ機が発売されていました。
キヤノンも1959年には「キヤノンフレックス」
1960年には1/2000のSSで他メーカとの差別化を図った
「キヤノンフレックスR2000」を発売しています。
しかしながらレンジファインダー機の需要もまだまだあり
レンジファインダー機メーカーとして成功を収めていた
キヤノンとしてはまだ軸足はレンジファインダー機に
残っていたのではないかと思われます。
キヤノン7はレンジファインダー機末期の製品とはいえ
高い完成度で商業的にも成功しますが
キヤノンフレックスシリーズは一眼レフの重要なポイントでもある
システム性や使い勝手の悪さで他メーカーに
少々後れを取ったと言わざるを得ないと思います。
「7」の話に戻りますが
バルナックコピーの時代からその完成度の高さで
評価の高いキヤノンレンジファインダー機ですが
内部を細かく見ていくと「Ⅵ型」までは
まだバルナックコピー時代の名残を引きずっている部分もあり
整備・修理する立場で言うと
少し前時代的かな…と思う部分もありました
大きく変わったのはやはり「P」登場後で
明らかに作り方も変わりましたし整備性も良くなりました。
…とはいえあくまでも「P」は普及機で
その後に出た「7」がキヤノンとしては真打だったと思われます
当然「Ⅵ型」までまとわりついていたバルナックコピー時代の
名残はキレイに消え失せて
非常に完成度の高いカメラに仕上がっています。
「7」からローマ数字ではなく
アラビア数字表記のモデル名になったのも
「これまでとは違うんだよ」という
キャノンのメッセージが込められているのではないかと思います。

前置きが長くなりました(汗)
お預かりしている「7」は
とりあえずはシャッターは切れていますが
全体的にやはり油切れや積年の汚れで
動きの悪い部分も多く
スローガバナは固着しておりスローシャッターでは
シャッターが開いたまま固まってしまいます。
高速シャッターも全く精度が出ていない状態です。
問題があると対応が非常に困難な
セレン光電池で駆動する露出計は
動作はしてますが非常に不安定な上に
指針の振りが全く足りません。
根本的に起電量が足りないということであれば
もはやどうにもできませんが
接触不良もあるようなので
できる限りのことを試してみます。

画像は一通りの整備が完成した状態です。
装着しているレンズは当店のテスト用レンズです。
シャッターや巻上の動作は非常にスムーズになりました。
もちろんスローシャッターでもガバナも問題なく動作しています。
高速シャッターの精度も問題ないレベルまで達しており
動きも安定しています。
問題の露出計は若干オーバー目ではあるものの
実用上問題ないレベルに落ち着きました。
もちろん動作そのものも安定しています。
非常に気持ちよく使っていただけれるj交代になったと思います。
全体的にかなりの清掃、新たな注油を行っているので
少し動きが落ち着くまで様子見を行っていますが
もうほぼすべての動きが落ち着いてきた頃です
もう少し時間をおいて最終的なテストと
必要であれば微調整を行って完成となります。

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