日別アーカイブ: 2024年9月20日

ミノルタフレックスのカメラ修理

今日は「空の日」だそうですよ。
1911(明治44)年のこの日に
山田猪三郎が開発した山田式飛行船が
滞空時間1時間の東京上空一周飛行に成功したことに由来しています。
1940(昭和15)年に「航空の日」として制定されていましたが
戦字中には中断され、1953(昭和28)年に復活します。
運輸省(現:国土交通省)航空局が
1992(平成4)年に「空の日」と改称して現在に至ります。
ちなみに国内初飛行自体は1910(明治43)年12月19日に
東京・代々木錬兵場で徳川大尉が行った飛行実験なのだそうです。
ただ、12月では気候的に航空の行事に適さないため
帝都上空一周飛行が行われた9月20日を「航空の日」としたのだそうです。
由来はどうあれ…そろそろ本格的に秋の空気になってきて
(今年はまだまだ夏の空気ですが)
空も高く見え始めどこまでも続くような青い空を
見上げたくなる季節ではありますね。
ただし今日の都内はどんより曇り空です(笑)
日によっては秋らしい雲を見かけることも多くなってきたので
もうそろそろだと思いますが
秋らしい爽やかな天気になってほしいですね。

さてさて

本日は「ミノルタフレックス」のカメラ修理を行っています。
ミノルタフレックスといってもいくつか種類があり
最初のミノルタフレックス「Ⅰ」は1937年発売で
国産初の二眼レフともいわれることもあるモデルです。
(はっきりしないのですが実際にはプリンスフレックスに
数ヶ月ほど遅れて出たらしいです)
いずれにしてもここから歴史あるミノルタの二眼レフが
スタートしたわけですね。
ミノルタフレックスはそれから何度かのモデルチェンジや
改良を受けて1954年に「ミノルタフレックス」としては
最終モデルとなる「Ⅲ」へと進化します。
今回のミノルタフレックスはこの「Ⅲ型」です。
フィルム装填は「ⅡB」からセミオートマット化されていて
「Ⅲ」も同様です。「ⅡB」から変更されて受け継がれているものは
他にも確実性の高いダイヤル式の裏ブタロック
ピントグラスに平凸レンズが貼り付けられた
ファインダースクリーン等があります。
ピント合わせはこの頃はまだレバー式ではなく
オーソドックスなノブ式です。
レンズはテイクレンズがロッコール75mmF3.5
ビューレンズがビューロッコール75mmF3.2です。
シャッターユニットは当時の最高級である
セイコーシャラピッドでB・1s~1/500までカバーします。
この時代のセイコーシャのシャッターを取り上げると
いつも書きますが1/500は別に設けられた強力な専用バネを使って
シャッター羽根を駆動するのでチャージは重く
先に1/500にセットしておいてからチャージをしなくてはなりません。
そしてこの「Ⅲ」ではシャッタースピードと絞り値は
上部の窓に集中表示されるようになっています。
次のミノルタコードでは一時期省略されますが
さらに後のオートコードでは復活します。
これがあると上から確認することができて便利です。

お預かりしている「ミノルタフレックスⅢ」は
シャッターは大きな粘りもなくそれなりに動作しています。
ただしレンズやファインダーの状態はあまりよろしくなく
かなり浸食していそうなカビや汚れで覆われています。
清掃でカビの除去自体はできますが浸食されたコーティングに
カビ跡は少々残るかもしれません。
それでも実際の撮影にはあまり大きな影響は出ないと考えられます。
セミオートマット式ということで
巻き止めやカウンターにトラブルがあると撮影可否に関わるのですが
少しばかり粘りで動作不良が見受けられます。
おそらくかなり長い間使われずに眠っていたものだと思われます。
各部の動きはそれでも悪くはありませんが
やはり全体的に見ると粘っている部分もありますので
駆動部は全て一通りの整備が必要で
光学系はできる限りの清掃でクリアな状態にしていきます。

外装の貼り革は結構ボロボロで剥がれ落ちている部分もあり
ご依頼者様の希望ですべて貼り替えることが決まっているので
今回は分解にまつわる部分だけではなく
裏ブタやファインダーカバー部も含めて
全ての貼り革を先に剥がすことら始めます。
これが難しくはないのですが結構な手間と時間がかかるのです。
画像は貼り革がやっとすべて剥がせた段階で
これから本格的に分解整備に取り掛かっていきます。
ファインダーミラーが写っていますが
こちらは劣化が激しくかなり曇ってしまっているので
新品の表面鏡を切り出して交換で対処していきます。

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