今日は「公衆電話の日」だそうですよ。
1900(明治33)年のこの日に
日本初の自動公衆電話が
東京の新橋駅と上野駅の駅構内に設置されたことに由来しています。
124年前ですか…結構古くからあるのですね。
当時は「自動電話」と呼ばれていて
交換手を呼び出してからお金を入れて
相手に繋いでもらうものだったそうです。
1925(大正14)年にダイヤル式で
交換手を必要としない電話が登場してから
「公衆電話」と呼ばれるようになったそうです。
電話ボックスもみなくなりましたし
喫茶店やお店の片隅に公衆電話がおいてあるのなんて
もっと見なくなりましたね。
昔は今でもある緑電話はもちろん
赤電話・黄色電話・ピンク電話・薄い青の電話等々
色んな種類の公衆電話をあちこちでみかけました。
色によって種類が違うのですが
それを話し始めるとキリがないのそれは省略します。
携帯電話なんてもちろんない時代に
家の電話で話しにくい電話は10円玉と100円玉握りしめて
夜になると電話ボックスに行ってましたねぇ(笑
話したい本人が出られない可能性もあるので
最初は10円玉でかけて長くなってもオッケーだったら
100円玉を投入してました(100円はおつりが出ない)
さてさて
本日は「キヤノンAE-1」のカメラ修理を行っています。
「AE-1」の修理依頼も比較的多いですね。
1976年登場の「キヤノンAシリーズ」の最初のカメラです。
まさに「本格的AE時代」の幕開けとなった1台かと思います。
シャッター速度優先オート露出を搭載し
それがセールスポイントとなりますが
その機能自体はそれほど目新しいものではありません。
ただし「AE-1」はオート露出制御やシャッタースピード制御の
電子化を一気に進め世界初のマイクロコンピュータ搭載カメラでした。
その恩恵で従来機種より約300点の部品削減を実現し
生産の効率化によるコストダウンを成功させました。
「AE-1」の登場が引き金となり
カメラの電子化、露出の自動制御化、そして低価格化が一気に進みます。
やがてこの波に乗りきれなかった中堅メーカーや小メーカーが
いくつも個人向けカメラ生産開発から撤退することにもなりました。
そう考えるとやはり「AE-1」は
時代のターニングポイントとなったカメラだと思います。
お預かりしている「AE-1」はまずシャッターが切れません。
完全電子制御シャッターなので電池を入れないと
当然シャッターは切れませんが
新しい電池を入れても全く切れません。
電源が全く入らないわけではなく
レリーズボタンを半押しすると
元気よく露出計の針は跳ね上がるので
電源が入らないわけではありません。
まずは現状確認のためいろいろ試していると
たまにシャッターが切れることがあるようです。
…となるとシャッター制御に電源がいかないわけでもなさそうです。
おそらく汚れ等によるマグネットの吸着不良かと思われます。
正確に言うとくっついたまま離れないのでしょう…
たまにシャッターが切れたときに「Aシリーズ」ではお馴染みの
激しいシャッター鳴きもしていました。
いずれにしてもマグネットや各接点の清掃と
機械的駆動部の清掃整備が必要です。
それを行った上での調整も必要です。
電子制御カメラで分解にはそれなりに手間はかかりますが
この類のカメラとしては整備性は良好です。
フレキ搭載機としては古めの機種でもあり
まだ配線も多くアナログな部分も残っていて
シャッタースピードダイヤルからの伝達は糸連動もあります。
ややこしい部分も多いですが
非常によくできたカメラだと思います。
比較的依頼も多いせいもあって中身はかなり見慣れた風景です。
これから本格的に一通りの整備を行っていきます。
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