ニッカⅢLのカメラ修理

今日は「敬老の日」で「彼岸の入り」ですね。
それとは別に「バスの日」だそうですよ。
1903(明治36)年のこの日に
乗り合い自動車が京都市内の堀川中立売~七条~祇園の間を走り
これが日本初の営業バスとされているのだそうです
最初のバスは、蒸気自動車を改造したもので6人乗り
風雨や砂ぼこりなどを防ぐための幌(ほろ)もなかったのだそうです。
100年以上前の話ですね。
私が生まれ育った町では市内の移動はほぼバスで
高校に通うのも毎日バスに乗っていました。
(気が向くと自転車で通ったりもしていいましたが)
さすがにボンネットバスは島の一部の区間でしか
もう残っていなくて今とそう変わりはないバスでしたが
まだまだステップの高い(乗降口に2,3段の階段がある)ものでした。
何といってもまだ古い車両だと
床が木製の板張りで雨が降って床が濡れていたりすると
結構滑るのです。何度か尻もち付いた覚えがあるなぁ(笑
それにICカードのない時代だから
定期を持っていても必ず整理券を取るのですが
無意識に丸めちゃって出すときに苦労したりとか…
今でも地元に墓参りとかで帰ると
バスを使いますが昔とはずいぶん様変わりしています
でも相変わらずの狭い座席に座って
昔とそうたいして変わらない外の景色を眺めていると
いろいろ懐かしい気持ちになりますね。
こっち(都内)にいると
バスよりも断然、電車・地下鉄のほうが利用頻度は高いのですが
電車以上にきめ細かくバスも走っているのですよね
さすがにそのくらいの移動距離だと
今だと自転車で行ってしまいますが…
たまにはバスに揺られて遠くに行くのもいいかもしれませんね

さてさて

本日は「ニッカⅢL」のカメラ修理を行っています。
ニッカカメラはライカコピー機が市場の主力だった時代に
当時のキヤノンやレオタックスに並んで
非常に人気のあったカメラメーカーです。
1940年に前身となる精機光学から始まり
戦後の1947年には社名を「ニッポンカメラ」
カメラブランドを「ニッカ」として製造が再開されます。
1950年には社名も「ニッカ」となりますが
レンズ交換式レンジファインダー機の衰退と共に
単独経営が困難になり
1958年には ヤシカの完全子会社となり
社名を大邦光学に変更し
1966年には名目上もヤシカに完全に吸収合併されました
「ⅢL」はニッカ名義としては最後のカメラとなるモデルで
ダイキャストボディで「5型」と同様に
底蓋を外すと裏蓋の一部が蝶番で開くようになっており
フィルム装填が非常に便利に行なえるようになっています。
これがあるおかげで裏蓋がなく下からフィルムを入れる
他のバルナックタイプだと
カバーを分解しないとシャッタースピード計測すら
できないのですが
ニッカの「5型」やこの「ⅢL」だと
裏蓋があるカメラ同様に簡単に測定器にかけることができ
こちらの立場としても非常に助かります。
巻上はレバー式で
ファインダーは一眼式で距離計組込みの
パララックス自動補正付等倍ブライトフレーム式となっており
シャッタースピードは倍数系列でT、B、1-1/1000秒です。
ヤシカに買収された後に
1959年にヤシカ35フェアウェイ(ヤシカYF)としても
販売されています。

お預かりしている「ⅢL」は
まずスローガバナとの連携部の動きが悪く
スローシャッターが全て1/30で切れてしまいます。
要は全くスローガバナが効いていない状態です。
それ以外にもシャッター周りで動きの悪いところも多く
やはり全体的に整備の必要な状況です。

ニッカと聞くと典型的なバルナックタイプのものを
想像しますが「ⅢL」はかなり現代的です。
画僧は一通り整備が終わった段階のもので
少し動きを馴染ませて様子見をしている段階です。
やはり巻上はレバーの方が快適ですね。
巻上のフィールも非常に改善していると思います。
シャッターも低速から高速まで精度も含めて
全く問題のない状態になりました。
ファインダーはやはりプリズムに若干の劣化と
割れが確認できますが見え方にはほぼ影響ないレベルです。
お預かり時に比べるとかなりクリアになっています。
ニッカとしては最後のカメラでもあり
何だか見ていると少し寂しいような気にもなるカメラです。

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