今日は「富士山測候所記念日」だそうですよ。
1895(明治28)年のこの日に
富士山頂剣ヶ峯に野中測候所が開設したことに由来しています。
この測候所は大日本気象学会の野中至が私財を投じて建設したもので
木造6坪の観測所だったそうです。
観測を始めたのは10月からで1923(大正12)年に開設された
気象庁の富士山測候所の前身となりました。
富士山測候所は自動観測技術が進歩したために1999(平成11)年に
レーダー観測が廃止され2004(平成16)年10月1日に
最後の常駐職員が下山し現在は無人施設となっています。
山頂の一番高いところにある測候所ですねぇ
最後の急登が砂地でザラザラ滑りやすくって大変だった記憶が…
今夏も富士山登山がいろいろ話題になっていますが
道は整備されていますし山小屋は多いし
非常に整備されていますが3000m超えですからね。
天候も気温も非常に変わりやすいですし
夏とはいえあらゆることを想定して登らなくちゃいけませんよね…
私は一度だけでもう充分かな…もうそれ以前に身体が無理ですが…(苦笑)
もしまだ登れるとしたら富士よりも
他の日本アルプスあたりの山々のほうが
満足度が断然高いと思います。
さてさて
本日は「キヤノンEXEE」のカメラ修理を行っています。
「FTb」等の「Fシリーズ」の技術を応用して
交換レンズを前玉交換式とし
基本的にシャッタスピード優先オート露出で
撮ることを前提としたエントリークラスのカメラです。
この時代はまだ明らかなエントリークラスの
一眼レフというのは少なかった時代です。
エントリークラスの一眼レフがコストも下がって
お求めやすくなり盛り上がったのはこれよりさらに10年後の
1980年前後ですね。電子制御が進化して
カメラの小型化も進み絞り優先オート露出専用機が
各社から出揃った頃です。
電子制御機がこの頃よりも安価に技術革新されていくのは
「AE-1」登場後ですから「EX」の時代は
まだまだ一眼レフと言えば中級機以上のモノがほとんどでした。
「EXシリーズ」は後玉はボディに固定とし
前玉だけを交換できるように作られています。
交換レンズは当初35mm・50mm・90mmが用意され
ボディ側が「EXオート」にモデルチェンジした際に
125mmが追加されました。
いわゆるコンバージョンレンズに近いモノがありますね。
マニュアル露出も可能ですが
絞りは巻き戻しクランク軸上のSW部で設定します。
このマニュアル絞り設定もちょっと変わっていて
露出計の指針を強制的に動かすことによって
オート時に使用する指針挟み込み機構を使って
絞りを制御します。よってマニュアル時には
露出計の指針は露出計の値としてではなく
設定された絞りの値を示します。
ファインダーも変わっていて
マット面を持たない空中像式となっています。
そのためファインダーは素通しに近く非常に明るいですが
ピント合わせは中央部のマイクロプリズム部でのみ行えます。
レンジファインダーのピント合わせに近いモノがありますね。
お預かりしている「EXEE」はかなり長い間
しまい込まれたまま眠っていたモノと思われます。
シャッター駆動部や巻上機構は「Fシリーズ」と同様の構造です。
つまり動きが悪くなると同じように
明らかにシャッター音に異音が混じってきます。
今回の「EX」も濁ったような高周波の異音が混じっていて
あまり気持ちのよいシャッター音とはなっていません。
それも切るたびにその音が微妙に異なります。
当然ながら幕軸の動きは悪く
シャッタスピードを測定すると基本的に全く精度は出ていませんが
加えて切るたびに値が大きく変化します。
非常に不安定な状態です。
そして電池室には液漏れ跡こそないものの
電池からのガスが原因とみられる緑青が残っています。
マイナス側端子はその緑青や腐食のため全く導通しません。
もちろん露出計は動きません。
加えてレンズ・ファインダーには盛大にカビが発生しています。
電池室の緑青がこの画像でもしっかり写っていますね。
緑青は簡単に落とすことができますが
その下も錆びてしまっているので一通りの対策をし
安定して通電するように処置していきます。
機械的な動作部は入念な清掃・洗浄と最小限の注油で
本来の動きを取り戻させます。
この「EX」にしても他の「Fシリーズ」にしても
本来の動きであればシャッター音は乾いた感じの
アタックの強い非常に歯切れの良い作動音がします。
整備前と整備後で明らかに音が変わるので
変化がわかりやすいですね。
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