日別アーカイブ: 2022年9月19日

ヤシカエレクトロ35のカメラ修理

今日は「敬老の日」で祝日ですが
9月19日は「苗字の日」でもあるのですよね。
1870(明治3)年のこの日に戸籍整理のため
「平民苗字許可令」という太政官布告により
平民も苗字を名乗ることが許されたことが由来となっています。
それまでは苗字を名乗るのは貴族と武士の特権でした。
しかしながら許可令が出されても
読み書きが不得手の人がまだ多く
当時国民は明治新政府を信用しておらず
苗字を付けたらそれだけ税金を課せられるのではないかと警戒し
なかなか広まらなかったのだそうです。
そのため約5年後の1875(明治8)年2月13日に
苗字を名乗ることを義務づける「平民苗字必称義務令」という
太政官布告が出されたのだそうです。
私の苗字は「迫田(さこだ)」ですが
西日本では多くはないもののそれほど珍しい苗字でもないのですよね
ただ東日本で少ないらしく関東に来てから
メール等でやたらと「追田」に間違えられます(苦笑)
いや、それ、変換で出ないですよね?
人の名前の漢字とか読み方って難しいものがありますよねぇ
間違えると失礼にあたると思うので
気軽に変換して打ってしまうメール等では
特に気をつけるようにしています…

さてさて

本日は「ヤシカエレクトロ35」のカメラ修理を行っています。
エレクトロもコンスタントに修理依頼のあるカメラです。
ヤシカのカメラの中では断トツに依頼の多いカメラですね。
「ろうそく1本の光でも写る」カメラを目指して
スローシャッター・長時間露光精度の高い電子制御シャッター使用の
絞り優先オート専用のレンズ固定式レンジファインダーカメラです。
シリーズを通してこの考えは統一されていると思います。
初代のエレクトロ35は1966年発売で
当初はシルバーモデルのみのラインナップでした。
今回お預かりしているのは初代エレクトロ発売から2年後の
1968年に追加されたブラックモデルの
「エレクトロ35プロフェッショナル」です。
初期のエレクトロはシルバーとブラックでモデル名が異なっており
初代からの大柄なボディが受け継いだGSN(GTN)まで
このパターンが続きます。
今回の「プロフェッショナル」もボディカラーが異なるだけで
内部的にはシルバーの初代エレクトロ35と同じカメラです。

この時代の電子制御カメラというと
電子部品の劣化が進んでいる機種も多く
カメラの種類によっては上カバーを外すだけでも
遠慮したいものが多く存在するのですが…
エレクトロ35は60年代の電子制御カメラとしては
比較的電子部品関連のトラブルの少ないカメラです。
…とはいってもオートの微調整等はほぼ不可能な構成となっており
オート制御の細かな制御に関しては
もはや高い精度はが出せないものも多いです。
それでも通常の屋外撮影に関しては
問題なく使えるようになるものが多いと思います。

今回お預かりしているエレクトロは
まず定番のレリーズ部ゴムブッシュの劣化により
シャッターを保持することができません。
スローになるような設定にすれば簡単にわかりますが
基本的に「B」状態になってしまい
レリーズを離すとまだシャッターが開いていても閉じてしまいます
さらに今回の個体は今度は抵抗の接触不良等の問題で
明るさに関わらずほぼシャッターが開きっぱなしになろうとしています。
この合わせ技で「明るさに関わらず常に「B(バルブ)」状態」に
なってしまっています。
大柄な筐体のエレクトロで比較的よく見受けられるトラブルです。
加えてレンズに多少のカビ・汚れ
ファインダーはかなり曇っていて二重像が見づらい状態です。
露出制御周りの修理も含め全体的に整備が必要な状態です。

この配線の多さがより時代を感じさせます。
基板周りはさておき機械部分の整備性は比較的良好で
大柄なボディで内部スペースにも余裕があり
レンズボード脱着も比較的容易です。
ただし、この電子制御周りはなかなか思うように
修理ができないことも多くやはり難儀なカメラです。
今回は何とか通常の使用には全く問題ないレベルの
精度を確保して仕上げることができそうです。
結構、頻繁に手にすることの多いカメラですが
やはり毎度、分解整備には神経を使います。

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