オリンパス35DCのカメラ修理

今日は「日本人初飛行の日」だそうです。
1910(明治43)年のこの日に
東京・代々木錬兵場(現:代々木公園)で
陸軍軍人(工兵大尉)徳川好敏が日本初飛行に成功したそうです。
実際には5日前の12月14日に、陸軍軍人・日野熊蔵が
飛行に成功していたそうですが
公式の飛行実施予定日ではなかったため
「滑走の余勢で誤って離陸」と報告されているのだそうです。
飛行機はフランス製の複葉機で
飛行時間は4分・最高高度は70m・飛行距離は3000mだったそうです。
たった70m…いや70mもあるのに
あの身の周りに何もない原始的な複葉機…考えただけでも怖いですねぇ(笑
しかしながらその日本人初飛行から100年ちょっとで
飛行機の高度は1万mを超えるのは当たり前で
数は少ないですが速さは音速を超えるものもあり
飛行距離は長いもので1万5千kmを超えています。
技術の進歩ってこうしてみるとすごいですよねぇ…
あと100年経ったらどうなってしまうのか…
ただ…私は高所恐怖症とかではないですが
もう積極的に飛行機に乗りたいとは思わないかな…(苦笑)
それほど遠くに行きたいとも思わないですし…

さてさて

本日は「オリンパス35DC」のカメラ修理を行っています。
1971年発売のカメラです。
「DC」はデラックスなコンパクトの頭文字です。
このあたりのネーミングも時代を感じますね。
「オリンパス35シリーズ」は1940年代から続く
オリンパスのレンズシャッター機のシリーズで
数多くの種類が存在しますが
1968年の「トリップ35」以降は時代も反映して
まさに「コンパクトカメラ」の名に相応しい
気軽に持ち歩ける小さなカメラをラインナップしていきます。
「35DC」もその一員ですがデラックスなコンパクトなので
小さなボディ本体に大口径の40mmF1.7レンズを組み合わせています。
この時代のフィルム感度は100が標準な時代なので
大口径レンズはボケや描写を楽しむためではなく
光量不足の場面でも露出を確保するための大口径です。
それもあって組み合わせるシャッターは
シャッター羽根と絞り羽根を同じ羽根で兼用する
プログラムシャッターを搭載します。
さらにフラッシュ使用時にもプログラムオート撮影が可能な
世界初の自動フラッシュマチック機構や逆光補正機能も搭載し
「どんな場面でも簡単に撮れる」をセールスポイントにしたカメラです。
その造りの良さも相まって現在でも非常に人気の高いカメラです。

お預かりしている「35DC」はご依頼者様のご自宅で
長い間眠っていたものと思われます。
「35DC」はシャッターそのものは機械制御で
電気がなくても動きますが
露出計が動いていないとシャッターロックがかかるようになっているので
実質的には電池を入れないと何もできないカメラです。
今回も電池室にそれなりの腐食跡が見られるのですが
電池を入れてみると何とか露出計は動くようで
しゃったーを切ることもできました。
しかしながら露出計で指示されたシャッター速度とは関係なく
シャッター羽根はゆっくりとしか動きません
羽根が固着気味で粘っている…というより駆動部に粘りがあるような感じです。
そして巻上時に妙なゴリゴリ感があり
巻上が1回で終わらず1回と1/3くらい巻き上げないとチャージができません。
どうやら以前にシャッターロックが掛かっているときに
無理に巻き上げようとしたのではないかとおもわれます。
分解してみるとやはり巻上ギアに異様な摩耗というか
削れてしまったような痕跡があり、そこをギアが通過するときに
滑ってしまうようです。
さらに露出計はかろうじて動いている…と先述しましたが
やはり電池室裏には緑青でびっしり埋め尽くされていて
配線を軽くピンセットで触れただけで
電池室裏のハンダは外れてしまいました。配線交換も必要です。
意外と各部にダメージが見られる個体です。

巻上ギアは部品取り個体から中古良品を移植して対処します。
露出計周りの配線は全て交換で端子は磨いて再利用します。
他、シャッター、巻上はできる限りの整備を行い
露出計・オートの調整を行い
ファインダー、レンズはできる限りの清掃
距離計の調整も行います。
もちろんモルトは全滅なので全て交換です。
「35DC」はバランスの関係で落下させたときに
レンズ先端部を強打しているものが多く
その場合にかなり高い確率でASA感度設定環が破損して
回らなくなっているものが多いのですが
今回はそこは大丈夫でした。
結構いろいろ不具合を抱えている個体でしたが
問題なく快適に使える状態に仕上げることができそうです。

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