今日は「苗字制定記念日」だそうですよ。
苗字を名乗ることが義務づけられた日だそうです。
これも当時はなかなか浸透せずに結構大変だったようです。
江戸時代、苗字を使っていたのは貴族と武士だけでしたが
1870(明治3)年9月19日、平民が苗字を名乗ることを許可する
「平民苗字許可令」という太政官布告がまずは出されました。
しかしながら、当時はまだ読み書きが不得手の人が多く
また、当時国民は明治新政府を信用しておらず
苗字を付けたらそれだけ税金を課せられるのではないかと警戒し
なかなか広まらなかったのだそうです。
そこで、1875(明治8)年2月13日、
「平民も必ず姓を称し、不詳のものは新たにつけるように」と
苗字を名乗ることを義務づける「平民苗字必称義務令」という
太政官布告が出されたのだそうです。
それでもなかなか当時は簡単にはいかなかったようです。
ちなみに先述の「平民苗字許可令」が出された9月19日は
「苗字の日」となっています。
さてさて
本日は「リコーフレックスⅦM」の
カメラ修理を行っています。
1950年代の二眼レフブームの火付け役でもある
リコーフレックスシリーズです。
大ヒットとなったのは1950年発売の「Ⅲ」からで
このモデルから歯車を使った前玉回転式ピント調整となります。
これもオリジナルではなくコダックフレックスに倣ったものですが
リコーフレックスの大きな特徴の一つです。
軽量なプレスボディ、中板を外してのフィルム装填等
いろいろな独自の特徴を備えたカメラです。
生産の合理化の恩恵もあり
なんといっても当時としては破格の
お求めやすい価格で発売され
空前の大ヒットとなったカメラです。
まだまだ当時は高級品だったカメラを
一般に普及させる役割を担ったカメラです。
その後、リコーフレックスは「Ⅳ」「Ⅵ」「Ⅶ」
「ホリディ」「ミリオン」とモデルチェンジを行い
1950年代を駆け抜けていきました。
その間にダイキャストボディの「ダイヤ」
「ニューダイヤ」も発売されています。
今回お預かりしているのは
1956年発売の「ⅦM」です。
歴代のリコーフレックスの中では
生産数も少なくあまり見かけることのないモデルです。
基本的には「Ⅶ」でシャッターユニットが
セイコーシャ製のものに変更されたモデルです。
セイコーシャ製と言っても
当時の最高級シャッター「セイコーシャラピッド」ではなく
簡易的なユニットを搭載されたものです。
(「Ⅶ」には「セイコーシャラピッド」搭載モデルもあります)
シャッター速度はB・1/10・1/25・1/50・1/100・1/300となります。
それ以外の部分は「Ⅶ」の後期モデルと同一です。
現存するリコーフレックスの多くがそうであるように
今回もピントギアが非常に重い状態になっていました。
ガッチリ固着してしまっているよりは全然良いのですが…
他、レンズ・ファインダーにはカビ・クモリで
とても現状ではまともに使えない状態でした。
画像は既に一通りの整備が完了した状態です。
少しシャッター等の動きが落ち着くまで
様子見をしている段階です。
これから最終チェックして問題なければ完成です。
現存するリコーフレックスの大半が未整備で
それではさすがにまともに撮影に使えないものが
ほとんどだと思われます。
しかしながらリコーフレックスは造りがシンプルなこともあり
しっかり整備すれば見違えるほど良い状態になるカメラです。
今回の個体もピントギアは非常に滑らかに動作し
ファインダーもとてもクリアになっています。
ファインダーと言えば…
今回少々びっくりしたことがありました
もともとスクリーンの汚れが酷くてファインダーは
あまり見えない状態だったのですが
開けてみるとスクリーン下のミラーが変えられていて
それがミラーと同じ形状のプラ板に
ミラーシールが貼り付けられたものでした。(苦笑)
そのミラーシールも貼り付けが上手くいっておらず
写る像はぐにゃぐにゃに曲がって写ってしまいます(笑)
これではたとえスクリーンがキレイになっても
ファインダーとしての役目は果たせません。
いずれにしてもミラー劣化を予想していたので
ミラーを交換するつもりだったので
作業上の問題はありませんでしたが…
最近は開けてみて驚くパターンがいろいろ多いですね…
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