ミノルタオートコードのカメラ修理

今日は「いちご大福の日」だそうですよ。
「よ(4)いいち(1)ご(5)」と読む語呂合わせと
いちごの旬の時期であることからだそうです。
餡子がそもそも大好きですし(こし餡派)
大福ももちろん大好きですし
それに苺を入れてしまうなんて
最初にこれを思いついた人はすごいですよねぇ
比較的近年(昭和後期)に登場したにも関わらず
発祥を巡っては様々な説が存在し
全国各地で多くの店が元祖であることを表明しているのですが
いずれも定かではないのだそうです。
まぁ発祥はどうであれ
今はコンビニでも気軽に買えますし
それがまた十分美味しいのですよねぇ
調子に乗ると頻繁に買ってしまいそうになるのですが
血糖値の高い私としては食べ過ぎは厳禁です(苦笑)
渋めのお茶を入れていちご大福…
あぁ午後の気分転換に最適ですね
あとでちょっとスーパーかコンビニ行ってこようかな…

さてさて

本日は「ミノルタオートコード」のカメラ修理を行っています。
国産二眼レフを代表するカメラと言っても良いと思います。
ミノルタの二眼レフの歴史は古く
最初は1937年の「ミノルタフレックスⅠ」からですが
諸説ありプリンスフレックスに約2ヶ月遅れたという説が有力ですが
量販機としてはほぼ国産初の二眼レフと言ってよいと思います。
それから改良を重ねミノルタフレックスは「Ⅲ型」まで発展し
1950年代前半にミノルタコードへとモデルチェンジされます。
(最初はミノルタコードはミノルタフレックスⅡBの普及版でした)
このミノルタコードからピント合わせがハラキリ型のレバー式となり
続くミノルタコードオートマットでは
フィルム平面性確保のためフィルム送りが通常とは逆の
「上から下」に巻く方式になり
単なるローライコピーの二眼レフではなく独自の進化を遂げていきます。
で、1955年に登場したのが「ミノルタオートコード」です、
ハラキリ型のピントレバーや上から下へのフィルム送りは
ミノルタコードから継承され
設定された絞りやSSはビューレンズ上部に集中表示されるようになり
撮影態勢のまま確認が可能となりました。
シャッターはB・1〜1/400秒でセルフタイマー付きの
シチズンMXVが採用されています。
使ってみると良くわかりますが
左手はカメラを支えることに集中させ
ほぼ右手だけで巻上から露出設定、ピント合わせ、レリーズと
上からのぞき込む態勢のまま操作することができます。
さらにレンズは写りの評価の非常に高い
テッサータイプのロッコール75mmF3.5です。
やはり国産二眼レフの中では最高峰と言えると思います。

お預かりしているオートコードはいわゆる前期モデルです。
オートコードを預かるときに一番気になるのがレンズの状態です。
後玉ユニット前部がコーティング劣化のために
曇っているものが非常に多いのです。
この症状が出ているレンズはほぼ間違いなく
清掃では状況を改善することができないため
お預かり時にチェックして状態が悪ければ
改善の見込みがないことをご依頼者様に説明しなければならないからです。
今回お預かりの個体は大きなカビが前玉ユニット内に見えてはいますが
それは清掃で除去できそうなものですし
後玉ユニット部のコーティングは比較的クリアだったので
状態としては悪くないと思われます。
(もちろんこのままでは撮影結果に影響が出る状態なので
しっかり清掃は行ってクリアにしていきます)
シャッター羽根にはお決まりの羽根粘りが少々あり
絞り羽根にも少し粘りがあるようです。
ファインダースクリーンもずいぶん汚れてしまって
見えにくい状態ですが
さらにミラーも劣化して曇ってしまっているので
ミラーに関しては交換で対処し
スクリーンはできる限りの清掃で対処します。

60年以上経過しているカメラと考えると
今回の状態はかなり良いほうだと思います。
。。。とはいえさすがにこのままでは写らないことはないでしょうが
普通に使える…とは言い難い状況ですので
しっかり整備して当時と同じように
快適に使えるような状態に整備していきます。
まだ現状チェックを行っただけのい状態で
これから本格的に分解整備に取り掛かります。
外装の貼り革があちこちがめくれてきてしまっています。
うっかりすると「パリン」と割れてしまうので
慎重に取り扱った上に最後にできる限りキレイに貼り付けていきます。
この時代の貼り革は後の時代のものに比べ
非常にデリケートで脆いので取り扱いにはかなり注意が必要です。

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