キヤノンデミのカメラ修理

今日は「電話創業の日」だそうですよ。
1890(明治23)年のこの日に
東京市内と横浜市内の間で日本初の電話事業が開始され
千代田区に設置された電話交換局が営業を始めたことが由来となっています。
加入電話は当初、東京155台・横浜44台で
電話交換手は女子7人・夜間専門の男子2人が対応したそうです。
当時の電話料金は定額料金で東京が40円・横浜35円。
この時代、1円で米が15kg買えたため
今の値段にすれば40円は24万円くらいに相当し
当時の電話はとても高価なサービスだったことが分かります。
加入数の少なさにも驚きますが
この通話料金の高さがスゴいですねぇ
携帯電話の出始めの頃に
その通話料金に閉口しましたが
そんなレベルどころじゃないですね!
でも離れた場所にいる人とすぐに連絡が取れるというのは
正に画期的だったでしょうね。
今でこそ通話する電話だけなく
通信手段はいろいろなものが当たり前にありますが
冷静に考えるとそれってすごいことですよねぇ…
私の子供の頃は電話は家電(いえでん)しかなくて
そこにかけるのも緊張したものですが…
今からさらに100年後あたりはどうなってるのでしょうねぇ
残念ながらそれを確かめることはできませんが…(笑

さてさて

今日は「キヤノンデミ」のカメラ修理を行っています。
「デミ」はフランス語で半分を意味する言葉であり
その名の通り「キヤノンデミ」は「ハーフ判カメラ」です。
「オリンパスペン」を始まりとして国内では
「ハーフ判ブーム」が真っ盛りで
キヤノンもかなり後発ではありましたが
1963年に、この「デミシリーズ」で参戦しました。
非常に明るい実像式ファインダーを採用し
ファインダー内部には贅沢にプリズムも使用し
レンズの光軸の真上にファインダー窓が来るように配置されています。
レンズは3群5枚のF2.8でシャッターユニットはセイコーシャLです。
その名の通りLV式のプログラムシャッターですが
デミではセレン光電池の追伸式露出計を装備し
その露出計指針にシャッター連動の追針を
合致させることで露出を決定します。
そして特徴的なのがハーフ判カメラでは少し珍しい
レバー式の巻上です。
ハーフ判はペンに代表されるように
ダイヤル式巻上を指の腹で回すものが多いのです
(写ルンですと同様ですね)
やはりレバー式の方が操作は楽ですし
またこのデミの巻上感触が軽くて滑らかで何とも気持ちよいのです。
個人的にはこの巻上感触がデミの一番の魅力だと思っています。

お預かりのデミはまず露出計が全く動いていません。
露出はオートではないとはいえ
プログラムシャッターを
追針合致式で露出決定するデミにとっては
やはり露出計が動かないのは致命的です。
加えてこの類のコンパクト機はフィルム室の遮光を
大量のモルトに頼るパターンが多く
デミもそうなのですが
モルトは当然ながら見事に全滅です。
さらにシャッター・絞りには粘りがあり
レンズ・ファインダーにも汚れがみられ
やはり全体的に整備の必要な状況です。

露出計不動はやはりセレン光電池が劣化のため
起電しないことが原因でした。
こうなるとセレンは交換でしか対処ができませんが
当然ながら新品部品は入手不可で
中古良品のセレンも最近はなかなか入手が難しくなってきています。
今回は何とか状態の良いセレンが入手できたので
交換で対応しています。精度も問題ございません。
レンズ・ファインダーは入念に清掃を行い
シャッター周りもしっかり整備を行いました。
全体的に非常にスムーズに動作しています。
何と言っても滑らかな巻上が気持ち良いです。
デミは初期モデルのボディは真鍮製で
後にアルミ製に変更されます。
今回のデミは初期の真鍮製です。
アルミ製だと少しボディ色が黄なりになり見比べるとすぐにわかります。
レンズの飛び出しがほとんどないかわいいフォルムも
何とも魅力的なカメラです。
ちなみにフィルムカウンターは巻上に2回に一度
一気にふたコマ分進む仕様です。
使っていても非常に楽しいカメラです。
ご依頼者様にも存分にお楽しみいただければと思います。

↓ をクリックすると「東京フィルムカメラ修理工房」のホームに戻ります。